case01 抜指冷淡①
「クラリス。いないのか? クラリス!」
ガリア領、アデルデュボワ地区。その中央部に位置する皇帝直轄の騎士団の城塞にて、上司であるドロレス局長は部下のことを探していた。彼は出来れば手に持っているコーヒーが冷めぬうちに話をつけたかったのだが……。
「クラリス。どこにいるんだあの子は全く」
期待の新人がつかまらないことに呆れ果て、局長は椅子に腰を埋めた。一方、そんなことはつゆ知らず、叩き上げのクラリス・ペインは女だからと舐められないように、男性の騎士の凡そ五倍の距離を走り込んでいた。
「はっ、はっ、はっ──1623年、男性、深爪、名前は……テリー」
彼女は走りながら過去の迷宮入り事件の被害者と年号を反芻し、記憶の迷宮にとどめる訓練をしている。クラリス・ペインは徒手空拳と簡単な魔法にて小犯罪をいくつも検挙したが、大卒のエリート連中に負けるつもりはなかった。
「テリー……マーティンズ。そう、そうだ」
現在彼女が配属されているのは騎士団の中でも、皇帝直轄領に所在する、広域凶悪犯罪調査局である。ドロレス局長は騎士団の中でも叩き上げの人で、同じ境遇で見込みのあるクラリスを自局にて引き取った。
「ちょっと……休もう。流石にフルマラソンは……やりすぎだ」
クラリスはこの男性優位の社会でも全く物怖じしない。その姿勢は周囲の女性を励ましたが、何より騎士団に新しい風を吹き込んだ。ドロレス局長の施策は成功と言える。だが、少しだけ熱血すぎる所に手を焼いていた。
「ああ、ここに居たか。クラリス、クラリス! 待ってくれ。老いぼれを走らせないでくれ」
「あ、局長。おはようございます」
すくっと立ち上がり、ざっと足を揃えると、クラリスは恩人に向けて美しい角度で敬礼をした。ドロレスがいいよと手で示すと休めの態勢になる。
「朝から街をランニングか」
「このところ霧が濃く、早朝の犯罪も増えていますので、警備を兼ねて」
「『杖』は携帯しているね?」
「いえ、始業前ですので……」
「なら始業前に働くのはやめなさい。その分人員配置をするから」
「はっ!」
彼女は背筋を伸ばしてもう一度敬礼をする。クラリスとしては自分の身は魔法などなくとも守れる自信があったが、自分の子ども程の年齢の彼女を、ドロレスは心配していた。だが、期待もしているので、彼は仕事の話に移る。
「朝からすまないね。このまま少し話してもいいかい」
「ええ。事件ですか?」
「ああ。ゲルマニアとの国境にある領地で、また例のやり方で」
「……指取りビル」
それは近年騒がれている連続殺人鬼の通称であった。クラリスは今最も凶悪で注目されている事件に関われることに喜んだが、同時に恐怖していた。その恐怖が正しかったと理解するのは、もう少し後のことになるが。
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