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 謝罪と感謝の言葉を繰り返す智代が電話を切った後、しばらく全員が無言のままコーヒーを啜っていたが、


「それにしても、細かい所に気が付くわね、ジョニーさん」


 思い出したように、友里恵が口を開いた。


「え?」


「だって、ビデオを掴んだ時の彼女、観察してたんでしょ?」


「何と言うか……俺には彼女があの瞬間、咄嗟の感情で動いたなんて思えなかったんだ」


 譲二の言葉の意図がすぐに把握できず、友里恵は無言で目を丸くした。


「あの素早さにせよ、慎吾を問い詰めた口調にせよ、成り行きでそうなったと言うには鋭すぎる気がして」


「……そうかしら」


「だって、あの缶の中にあったビデオ・カセットは本物じゃない筈だろ」


「そりゃ、すり替えねぇと中身をダビングできねぇもん」


「すり替え用の古いカセットならオークションで幾らでも手に入る。オリジナルと同じメーカー、同じ位の古さの品が」


「確かに慎吾の奴、大雑把な性質だからなぁ。細かい違いにゃ気付かねぇ」


「何より、真贋を確める術が無いのさ。再生する機械を全部処分してしまっている。中身をアイツが確認する事は決して無い」


 したり顔でフンフンと忠が頷く。


 譲二は推理の仕上げに、友里恵へ確認した。


「ダビング後、オリジナルのカセットは業者から返却される筈。今、友里恵さんの手元にあるんだよね?」


「ええ、DVDと一緒にね」


「智代さん自身が以前にすり替えたのであれば、その事実を忘れ、慎吾や俺達の前で取り乱すなんて不自然だ」


「それじゃ何故、あたし達まで驚かす様な芝居をしたって言うの?」


「偽物のカセットを鷲掴みにした時、わざと激しい怒りを露わにし、友の前で追い詰められる夫の反応を楽しんでいた、なんて事は……」


「へっ、そりゃ無ぇ! 陰険すぎらぁ。うちの女房なら兎に角、あんなおっとりした奥さんが」


「……あたしなら、何よ?」


「おっと、ヤブヘビ!?」


 妻の目がギラリと光った途端、両の掌で反射的に頭を抱えた忠の姿に、普段の弱~い立場が偲ばれた。


「ふふっ、ジョニーさんの思い付き、あたしは少し穿ち過ぎだと思うけどさ」


 軽く一笑に付し、友里恵は、ふと譲二の顔をまじまじと見つめる。


「まぁ、何にせよ……妻の気持ちに疎い慎吾さんやウチの宿六に比べて、あなたみたいに勘の良い男は珍しいわ」


「細かすぎる性分とよく言われる」


「なのに、何であなたの奥さん、急に離婚を切り出し、出て行ってしまったのかな?」


 友里恵のストレート過ぎる質問に、譲二はいつもの調子で肩を竦めた。


「うん……傍にいると息が詰まる、らしいよ」


「はぁ?」


「俺が定年退職した翌朝、話があると言われてね。何かと細部が気になり、家事へ手を出す俺に前から相性の悪さを感じていたそうだ。で、散々揉めた挙句、俺のしたり顔を見る度、虫唾が走るとまで言い切った」


「うわっ、キッツい!」


「今、思い返すとあいつ、わざと酷い言い方をする事で、迷う気持ちに踏ん切りをつけてた気がする」


 一年前の記憶を辿るその言葉は、未だ癒えない痛みに満ちており、最後はため息交じりになった。


「なるほどなぁ。人の気持ちに敏感でも、それがプラスとは限らないのね」


「俺が退職するずっと前から、腹は決めてたんだと思う」


「心の時限爆弾みたい」


「ああ、ずっとすぐ側で普通に暮らしながら、三下り半を突きつけるタイミング、胸の奥で練り上げて……」


 譲二は急にハッとし、言葉を止めた。


 だが、怪訝そうな友の眼差しに気付き、すぐ笑顔を取り繕う。


「ハハッ、だからこそ尊敬するよ。危なっかしく見えながら、仲間内で一番強い絆を保つ忠と友里恵さんに」


「絆?」


「へへっ、俺達のはもう腐れ縁っちゅうか、そんな良いモンじゃねーけどよ」


 照れつつも満更でもない様子で、二人は顔を見合わせる。






 忠達としばらく談笑し、「ケンカする程、仲が良い」を地で行く睦まじさを見せつけられた後、譲二は喫茶店を出た。


 もう地下鉄は終電間近である。

 

 反対方向の電車に乗る忠達と別れ、閑散としたプラットホームに一人佇みながら、譲二は脳裏へ閃いた疑惑を改めて考えずにいられなかった。






 偽のカセットを智代が掴んだ際の違和感に加え、気になる点が他にもある。


 慎吾や忠を台所へ連れていき、洗い物を始める直前、ダイニングの智代と友里恵を覗いた時の事。

 

 友里恵は相変わらず無責任な男どもの悪口をつるべ打ち。智代は俯いたまま、じっと聞いていた。


 だが、友里恵の死角になる位置、覗いた譲二の位置からだけ、ほんの一瞬、ほくそ笑む彼女が見えたのだ。

 

 顔から一気に血の気が引いたのを譲二は覚えている。


「慎吾、忠、悪い事は言わん。精神衛生上、今はあちらを見ない方が良い」


 咄嗟に二人へ警告してしまったが、あれは一体何だったのだろう。


 気のせい?


 それとも錯覚?


 台所で慎吾達と洗い物に勤しむ間、譲二は意味不明な智代の冷笑を忘れてしまおうとしたが、今、思い返すとあの時に感じたのは強烈なデジャブだ。


 一年前、譲二に三下り半を突きつける寸前、当時の彼の妻がそっくりな笑みを浮かべた気がする。


「見たら許せなくなりそうで」


 そう智代は口にしたが、ビデオの中身をあの時、既に見ていたのかもしれない。


 例えば、すり替えた時、友里恵へ渡す前に自らダビング業者へ持ち込んで?


 勿論、それも可能だろう。


 だが、多分、もっと根は深い。


 すり替えの時点より遥か昔、まだ二人が若く、視聴できる機械が家に有った頃の事。スペインへ単身赴任中の夫の挙動を疑い、一人留守を守る妻が密かに見ていた可能性だって有り得る。


 そして、彼女にとって許せない何かを目の当たりにし、結婚生活の決定的な破綻を恐れる余り、長い間、敢えて目を逸らしていた可能性さえ……






 確証を得る手段が無くても、譲二は疑わずにいられなかった。

 

 彼女の行いが全て嘘とは思えない。


 過去にしか目が行かない夫の精神状態を気遣い、心配する気持ちは本物だったのだろう。少なくとも、始めの内は。

 

 でも電話の向うで彼女自身が話した通り、慎吾が毎夜あの缶を開き、中のビデオカセットを愛し気に眺めながら、一人で長い時を過ごしているのだとしたら?


 その夫の様子を密かにドアの隙間から見つめる間、智代はどんな思いをその胸に抱いていたのだろうか?

 

 彼女も又、心に時限爆弾を抱いたのかもしれない。

 

 そして退職後、覇気を失った夫に対し、最早我慢する意味も、必要性も感じられなくなったのだとすれば……

 

 不倫の証と戯れる夫の姿が、目を逸らしてきた過去の傷を抉り、怒りの導火線へ新たな炎を灯したとするなら……

 

 今夜のパーティが持つ意味は、何もかも違ってくる。

 

 旧知の友を利用して段取りと舞台を整え、浮気の決定的証拠を事前に友里恵へ託す事で後々の切り札とする。

  

 その全てが三十年以上、亭主関白を気取ってきた夫を懲らしめ、逆に妻の足元へ跪かせるプロローグ。

 

 いきなり別れを告げるより、もっと残酷な復讐への第一歩。






 「老いた男の腹の底には別れた女の思い出が詰まっている」と忠は言ったが、なら、糟糠の妻の胸の内はどうなのだろう?

 

 寂しげで健気な智代の眼差しと、ほくそ笑む暗い微笑が交互に蘇り、その余りのギャップに譲二は困惑して天を仰いだ。

 

 そこで考えるのを止め、ようやくプラットホームへやってきた電車に飛び乗る。

 

 無駄だ。

 

 女性の中に揺蕩う感情の深淵は、所詮、男に計り知れない。妻に捨てられた「経験者」だからこそ、譲二は尚更にそれを思い知らされているのだ。                            


最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます!


次は気楽に読める感じのSFを考えています。近日中に始めますので、宜しかったらそちらもご覧ください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] おう! なんか騙された気分! そう言うことだったのね。 でも、ホントの女性の気持ちって、分からないものですよね。 (*゜∀゜)*。_。)*゜∀゜)*。_。)
[一言] 続きが気になって一気読みしてしまいました。すごく面白かったです。 主人公たちの年代設定も絶妙で、あーこの年代ってそうだよね……とリアリティを感じながら読ませて頂きました。 武勇伝、ありますよ…
[良い点] このような、妻の執念、私は経験した事があります。 定年後、ある行政機関で離婚等の相談に乗っていました。 ある女性は、夫が浮気をした時から、離婚の意思を固め、約20年かかってヘソクリを貯め込…
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