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「今は兎に角、ここを片づけて時間を稼ごう。下手なタイミングで戻ると、忠も慎吾も二人から離婚を切り出されかねない」
「え、友里恵まで一緒に!?」
「忠、お前の奥さん、ムードに流されるタイプだろ。勢いって怖いぞ。用心しとくに越した事はない」
「経験者は語る、か……」
今度は肩を竦めたりせず、譲二は重々しく頷いた。
早速、忠はフロアの掃除、慎吾は洗い物を始めたが、酒の酔いが残っていたり、およそモチベーションが上がらなかったりで、どうにも捗らない。
サボタージュ寸前のトロ臭さに、譲二は柄にもなく叱責の声を上げた。
「慎吾、お前、今日を切り抜ければ何とかなると甘く見てるな。でも、女性は簡単に忘れてくれない。常に反省を形にしないと」
「これ以上、どうしろってンだ?」
「今日から暫くお前が台所の洗い物を一手に引き受け、過去の許しを乞うが良い」
「あ~、面倒臭ぇ! そんじゃ、好きな晩酌もろくにできなくなるじゃね~か」
「さっきも言った通り、夫が家事を手伝わないのが離婚原因の第一位だよ」
「でも、下手すりゃ料理を作るより洗い物をこなす方が長い時間、掛かるんじゃねぇの?」
「下手しなくても時間は食うさ」
「ううっ、益々面倒臭ぇ!」
「反省する良い機会を貰ったと思うんだな。そういう面倒をお前は30年以上、奥さんへ押し付け、食後の晩酌を一人気儘に楽しんできたんだから」
「世のダンナって、大抵そんなモンじゃね~の?」
「残念だが、時代は変わった」
「ううっ……」
「コレを機に、少し晩酌の量を減らしたらどうだ? もう俺達、勢いで飲める年じゃないんだし」
慎吾はため息交じりで頷き、後は黙々と洗い物を続けた。
台所の後片付けは想像以上に長引き、譲二と竹ノ内夫婦がマンションを出たのは午後十時を過ぎた頃である。
それまで剣呑な空気が和らぐ事は無い。
パーティのお開きに当たり、慎吾はセンスのないジョークを飛ばしてカラ元気を取り繕ったものの、智代は俯いたまま、夫へ笑顔を見せようとしなかった。
小杉家があるマンションを出て、最寄りの東京メトロ南北線・地下鉄入り口へ向い、夜の路地を辿る譲二、竹ノ内夫妻の足取りは重い。
修羅場に終ったホームパーティは、六十代半ばの体と心に大きな疲労と倦怠感を残していた。
午後11時近くなっても開いているコーヒー・チェーン店の灯りに誘われ、ドアを潜って取り合えず休憩。小さめのスツールへ腰を落とした忠は、トレイへ載せた砂糖たっぷりのカプチーノを啜り、浮かない顔で譲二へ訊ねた。
「なぁ、ジョニー、慎吾の奴、あれで良かったのかな?」
譲二は肩を竦め、俺に聞くな、と身振りで示して砂糖抜きのブレンドコーヒーへ口をつける。
代りに友里恵が呟いた。
「智代さんの気持ち次第だけど、きっと前途多難よね」
「どうにも収まり処が見えねぇよな。ジョニー、離婚経験者の立場から、何ンかコメント頼むわ」
「経験者か……まぁ、敢えて言うなら」
辟易しながら答えようとした時、譲二が羽織るライトジャケットの胸ポケットからスマホの着信音がした。
見ると智代からだ。
一瞬、忠、友里恵と顔を見合わせ、譲二は電話へ出る。
「智代さん、今夜はご苦労様。慎吾の奴、あれからどうしました?」
「洗い物で疲れたみたい。自分の部屋へ転がり込んで、そのままグッスリ寝てます」
極力、柔らかい口調で話す譲二に対し、答える智代の声はいつも通り穏やかで、怒りは感じられない。
先程までの剣呑さが嘘の様だ。
「それじゃ、あいつ、あれから酒は?」
「飲んでいません」
「一滴も?」
「はい」
電話から漏れる智代の声に、耳を澄ませていた忠が頷く。
「そんじゃ、今夜の俺たちの仕掛けは、一応あれで成功って事か」
「一応、今の所ね」
そう言い、忠の隣で友里恵もほっとした表情を浮かべる。
「最初、あたしが彼女から悩みを打ち明けられた時、ジョニーさんまで話を広げたのは正解だったわ」
「俺達だけじゃ、こんなペテンは考えつかね~もんな」
「オイ、ペテンとは人聞きが悪い」
忠のツッコミに譲二は苦笑し、携帯電話をスピーカーフォンに設定、友里恵達との会話に智代も参加できるようにする。
「最近、慎吾の酒量が増え、精神的にも酷く不安定になってる、なんてさ。長い付き合いでも見た目じゃ判らない」
「あんにゃろ、強がりだし、見栄っ張りだし……内心がどうあれ、外面をやたら良く見せたがるモンな」
自分の事はさておき、忠が呟いた。
「ふふっ、それにしても今日、パーティに集まった慎吾さん以外の全員が口裏を合わせ、智代さんから頼まれた通りのお芝居を演じていた事を、もしあの人が知ったら、どんな顔するんだろ?」
「あ、オイ、バラすなよ!」
「バラしませんよ。あたしだって、色々と前準備をして今夜に臨んだんだもの。自分でぶち壊したりしないわ」
「うん、確かに二人とも名演技だったよ」
「でしょ? もっと褒めて」
譲二へ返す友里恵の悪戯っぽい声と忠の高笑いを聞き、一層、張り詰めていた気持ちが揺れたのだろう。
電話の向こうで智代は感謝の言葉を繰り返した。
古い顔馴染みとは言え、夫婦間の悩みにこれだけ親身になってくれるとは、彼女も思っていなかったのかもしれない。
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