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 慎吾が自室から持ってきた四角い缶を譲二は無言で見詰め、忠は野次馬根性剥き出しの眼差しを向けた。


「何だい、それ?」


「昔、お中元とかで貰った高級な御煎餅の金属ケースよね。見た目、古臭いけど」


「実際、年季入ってんだよ」


 慎吾はテーブルの上に缶を置き、少しきつくなった蓋を爪の先でこじ開ける。


「どれどれ、中身は?」


 忠が覗き込み、すぐ興味を失ってそっぽを向いた。色褪せたノート、スペイン沿岸のスナップ写真、プリントアウトした感熱紙などが詰まっているのだ。


「醒めた顔すんな。俺の努力の結晶だぜ」


「ど~れ、どれ」


 夫同様、野次馬根性旺盛な友里恵が、早速手を伸ばす。


 中には取材当時に撮影したと思しきホームビデオの小さなカセットもあった。

 

「あ、八ミリビデオじゃない、これ」


「解像度の高いHI-8だな。小杉、お前、再生できる機械をまだ持っているのか?」


「いや、壊れて捨てた」


「だったら、今はただのゴミじゃん」


「当時の苦労や思い出がしみ込んだ代物だから、捨てるに忍びなくて」


 慎吾はさりげなくビデオカセットを缶の下の方へ押し込み、代わりに一冊を開いた。中にはビッシリ、スペイン料理のレシピが書き込まれている。


「これ全部、実際に作ってみたの?」


 慎吾は友里恵の方へ肩を竦めて見せた。


「俺、学生時代から自炊と無縁で、赴任当初はレシピ収集だけ考えていたから」


「でもこれ、サンジョセップ市場で買い物をした時の記録もあるみたいよ。ホラ、領収書のコピーも付いてる」


「あぁ、これ? え~と……」


 酔いのせいか、かなり記憶が曖昧らしい。それでも慎吾は天井を見上げ、思い出の断片を繋ぎ合わせようとした。


「うん、そうそう、確か俺が料理に挑戦し始めた頃のメモね。スペイン勤務になって半年位だから、35才の時か」


「へ~、今は昔の物語」


 やたらと茶化して慎吾の話を引き出す構えの友里恵に対し、智代は何故か少し俯き加減で表情を隠している。


「言葉はそこそこイケてたが、色々不慣れで大変だったよ。良い食材を求めて市場を歩き巡り、不慣れな部分は女手に頼ってさ。覚えてるか、智代。マドリードの部屋でレシピを試し、こうやって二人きり、ワインで乾杯した日」


「え?」


「酔いでお前の頬はうっすら染まり、恋人同士に戻ったホットな気分でその夜は……」


 ニヤリと笑ってお茶を濁す。


「お~、燃えたんだ、若き日の情熱が」


「良い話じゃない。あたしんとこの無粋な旦那にゃ、そんなの影も形も無い」


「ロマンチックな思い出に欠けるのは、ガサツな相方にも問題あるンと違う?」


 友里恵がキッと睨むと、忠は慌てて口をつぐむ。


 いつもの調子でやりあい、慎吾も楽しげだが、譲二はその輪に入らなかった。黙ったままの智代を気にしていたのだ。

 

 そして、慎吾も妻の態度に不審な面持ちを見せた時、

 

「それ、誰の話?」


 と彼女は急に声を上げた。


「はぁ? 何、言ってんだよ、お前?」


 慎吾が冗談っぽく受け、それが却って大人しい主婦の心を逆撫でしたらしい。


「あなたが日本へ帰って来た時なら、確かに私と一緒にお料理をした事、あります」


「一度じゃなく、何度もな」


「でもスペインでは違う。単身赴任中、私が日本から訪ねていっても何もしなかった。疲れた、疲れたと寝てばかりいて」


「え~、そうだっけ?」


「とぼけないで下さい! 誰か知らない女の話、私と混同するのは嫌っ! 妻として、それだけはどうしても我慢できない」


 智代が、慎吾の過去の浮気を仄めかしているのは明らかだった。


 忠はたじろぎ、友里恵は好奇心に目を輝かせて身を乗り出す。


「か、勘違いだよ、お前の」


 いつも通り慎吾はあくまで強気に出て、智代の疑惑を払拭しようとした。


「でも、あの……もし証拠があると言ったらあなた、どうなさいます?」


「そんなの、あるもんか」


 忠がさりげなく缶を閉じようとした時、日頃のおっとりした振舞いと大違いの素早さで智代の手が伸び、中から掴みだしたのは先程の八ミリカセットだ。


「もし、この中に記録されている映像を私が見たと言ったら?」


 初めて慎吾の顔がひどく強張った。


「お、お前、俺の目を盗んで、俺の部屋からカセットを持ち出したと言うのか!?」


 智代は頷きもしないし、首を横に振りもしない。


「嘘だ。俺はそれを再生できる機械を処分したし、見れる訳が無い」


「いえ、見れるわ、簡単に」


 表情が硬い智代をフォローするつもりか、友里恵が強引に会話へ割り込んだ。


「古いビデオをデジタル化して、DVDにダビングするサービス、知らないかな、小杉さん? カメラ屋なんかでやってる奴」


「いや、知ってるぞ。無論、知ってるが」


 そこで慎吾は口ごもる。


 知ってはいても、まさか妻が勝手にビデオを業者へ持ち込むなんて思いもしなかった、という面持ちである。


「見たのかよ、お前、本当にあれ?」


「答える前にお聞きしたい事があります」


「何だ?」


「再生する機械を処分し、もう見れないテープをそれでも持ち続けた理由は何? 昔、付き合っていた人への未練を、今も引きずっているんじゃないの?」


「見たんだな、お前、やっぱり!?」


「あ~、それ浮気の自白みたいなもんじゃない。最っ低! 最低だよ、小杉さん」


 友里恵が大声で追い打ちをかけた後、しばらく室内は沈黙に包まれた。

 

 只、夫を睨む智代の瞳のみ鋭い光を放ち、緊張感に皆が耐えきれなくなった時、ひょいと譲二が席から立つ。

 

「おい、慎吾、忠、キッチンの洗い場へ行こう。そろそろ後片付けをした方が良い」


 いつも通り淡々と口にした。


「お、俺に今、洗い物なんかさせる気かよ」


「言うまでもない。事後処理までが仕事の内だろ、シェフ」


 そう促し、譲二は殺気漂う妻達の視線を背に、酔いで足元が覚束ない慎吾の腕をとって台所へ連れていく。


「お、おい、俺を置いてくな!」


 慌てて忠が後を追ったのは、女性陣の真っただ中、一人で取り残される状況に恐れをなした為だろう。


読んで頂き、ありがとうございます。

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