表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7



 ビュンっと唸りを上げ、新鮮な牡蠣の貝殻が目の前へ飛んできても、笠森譲二は表情一つ変えなかった。


 66才と言う年齢の割りに素早い反応で頭をずらすと、白髪交じりのもみ上げを掠め、貝殻は真新しいキッチンの白壁へ激突する。


 カンと金属っぽい音を立てて跳ね返り、床へ落ちた途端、磯の香りと共に粘液が飛び散った。


 身は半ば潰れたようだが、この後、どうするつもりなのか?


 綺麗好きの譲二は僅かに眉をしかめたものの、尋ねるまでも無い。大きな抗菌まな板に向かい、たった今、牡蠣を宙へ舞わせた張本人が振り返って声を上げた。


「おい、ジョニー、そいつを拾って、持ってきてくれ」


「まだ使うのか?」


「ったりめ~だろ。そいつはな、今日の為に広島から直送で取り寄せた極上品だぞ」


 言いつつ、次の牡蠣へ調理用のハンマーを振り下ろす。


 先程は狙いがずれて斜め横へすっ飛んだが、今度はうまく割れた。


会心の笑みを浮かべる小杉慎吾は譲二と同じ66才。牡蠣ならぬ蟹に似た四角い顎と、恰幅の良さが印象的な男である。


 やや下腹の目立つ体形をプロ仕様の胸当て付きエプロンで包み、台所に所狭しと並んだ食材を粉砕……いや調理しているのは、彼が今夜、ホームパーティのシェフを気取り、腕を奮っているからだ。


「お~、ひでぇ。牡蠣が床でベチョッとなってらぁ」


 そう言って台所を覗き込んできたのは、やはり同い年の竹ノ内忠。


「おう、お前でも良い、忠。そいつを拾って持ってこい」


 新鮮な分、牡蠣の水気が多く、まだ床に水気を散らしている。


 見た目の悪さに閉口し、忠は譲二の隣で牡蠣を見下ろして、

 

「ま~、中身をぶちまけた訳じゃね~し、料理にゃ使えるだろうけど。ちょい貧乏臭くね~かな」


 とぼやく。


 そんなツッコミに慎吾は動ぜず、牡蠣の殻をまた一つ叩いて曰く、


「貧乏? 俺が料理をする時点で、リッチ&ゴージャスはお約束なのよ」


 などと嘯く。


「お前の場合、そのセレブ気取りがいっちゃん鼻につくわ。なぁ、ジョニー」


 俺にふるな、と言わんばかりに譲二は忠から目を逸らした。






 ちなみにジョニーとは、彼が慎吾達と知り合って間もなく付けられたあだ名である。


 名前の漢数字を音読みする安易な代物だが、クールで素っ気ない譲二の印象に合っており、仲間内で定着している。






「ゴージャスが前提とは言え、無駄はいかんだろ。我々の世代は、もったいないお化けを背中にしょって育った世代だぞ」


「ねぇ、小杉さん、別に世代のせいにしなくて、良いンじゃないの?」


 貝殻の前で佇む忠の代りに、彼の妻である友里恵が台所を覗き、慎吾へツッコミを入れた。壁を隔てたリビングルームに座っていて、男達の会話が耳に入ったと見える。

 

「招待された立場でナンだけど、あたしは嫌よ、落ちた貝を料理に入れるなんて」


「そうかい? それパエリアに使う奴だからさ、後で良く熱を通すんだぞ」


「パエリアなら貝殻ごと鍋に入れちゃうでしょ? 見たとこ、他にシーフードも山ほど有るんだし、無理して使わなくても」


「そこはホラ、勿体ないお化けが」


「だ~から、大丈夫とかじゃなく、嫌だって言ってるの、あたし」


 ムッとして友里恵は髪をかき上げた。


 妻の手が上がった途端、忠が条件反射的に両の掌で頭を抱えたのは、彼の恐妻家の側面と、普段の弱~い立場が偲ばれる。


「ねぇ、智代。あんたも自分のダンナに何か言ってやって」


「ええ……まぁ、そうね」


 曖昧な声が聞こえた後、友里恵に促され、地味だが上品なアイボリーのワンピースで小柄な体を包んだ慎吾の妻・智代も台所へ入ってくる。


 良く言えば豪快、悪く言えば大雑把に処理された食材や散らばった台所を眺め、


「あのぉ……これ、今夜は使わないで、私達二人の時に何か工夫しますね」


 と、牡蠣の貝殻を拾い上げ、小皿に乗せて冷蔵庫へ入れる。許可を求める前に動いたのは、頑固な夫と長年暮らし続けてきた妻の経験値の賜物だろう。


「そうやっていつも首を突っ込むなよ。今日は俺に任せるって約束だろ」


「ええ……」


 相変わらず荒っぽい手際で食材を扱う慎吾に、智代はそれ以上口答えできない。二人が並ぶと巨漢の慎吾の肩の下に智代の顔があり、所謂ノミの夫婦の趣がある。


「慎吾、お前のやり方を見てりゃ奥さんだって黙ってられないぜ」


 見るに見兼ね、珍しく譲二が横から他人の会話へ口を挟んだ。

 

「牡蠣の殻を向く時、お前、硬い奴を叩いて強引にこじ開けてるだろ。最初に少しナイフを入れる手順を加えれば、そう荒っぽくしなくて良いんだ」


「ナイフだけ? ハンマー抜き?」


「そう、まず牡蠣を皿に置き、キッチン鋏で先端の方をちょこっと切って、その隙間からナイフを……」


「そいつぁ、面倒臭ぇや。俺は本場スペインの住人から教わったんだ。皆、もっと大雑把にやってた」


「少なくとも日本の流儀にあわんと思う。何なら俺が一つやってみせようか」


 譲二は慣れた手さばきで牡蠣を続けて開けて見せ、その手際に忠は唸り、友里恵は思わず拍手した。


「やっぱり凄いのね、ジョニーさん」


「一人暮らしにも慣れたから、これくらいはね」


「ウチの亭主と大違い」


 友里恵の冷たい視線を浴び、忠は肩を竦めて笑う。


「まぁ、俺、世の使えないオッサン、代表だから」


「そうやって、す~ぐ開き直る」


「多分、掃除も洗濯も何~んもしないで、家はゴミ屋敷になっちまうんだろうな、俺、女房に逃げられたら」


 忠の言葉は実に呑気なトーンだが、「女房が逃げる」辺りのフレーズで傍らの友里恵がハッとし、表情を曇らせた。


「あ、こらっ!? そういうNGワードを使っちゃ」


「え、あ、いやその……逃げられたとかじゃなく、ジョニーの場合はあれね、円満離婚、綺麗さっぱり後腐れなく」


 と忠はゴチャゴチャ言い出し、


「あんた、全然フォローになってない」


 友里恵が漫才のツッコミ宜しく夫のオデコを叩き、言葉を止める。でも、一旦生じた気まずい雰囲気は変わらない。


「いいよ、俺が定年そうそう、妻に出て行かれたのは厳然たる事実だから」


 忠が肩身の狭そうな顔で頭を下げた。


人が死なない日常のミステリーに再挑戦してみました。

殺人は無いけれど、それなりに「怖い」話にしたいと思っています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ