寝室内で、何かが動く音がする
最初は気のせいだと思った。
七畳の畳部屋。妻と二人、いつも通り部屋の真ん中に布団を敷いて寝ていると、何かの気配を感じて目が覚めた。カーテンの隙間から入る街灯の光によって、ぼんやりと見える部屋の中を、何かが動く気配を感じる。
人の気配ではない。人だったら大事件なのだが、そんな気配ではなく、何か小さいものが布団の周りを駆け回っているような、そんな感覚に襲われた。
「何? どうかしたの?」
布団から起き上がっていたおれに気づき、妻も布団から起き上がった。おれが妻に向かって人差し指を立てると、妻も異変を感じ取ったのか、ハッとした顔をしてすぐに口をつぐんだ。
妻と二人で顔を見合わせたまま、少しの間耳を澄ませていると、部屋の四隅を反時計回りに何かが動いていることが分かった。姿は見えない。でも、重たい布袋でも引きずるような、ざらざらとした嫌な音が、緩急のあるスピードでおれたちの周りをぐるぐると回っている。
おれは思い切って、枕元に置いていたスマートフォンを手に取り、目の前の壁に向かってライトをつけた。すると、そこには一匹の真っ白なネズミがいた。
ネズミはハツカネズミのような形をしていて、一定のスピードで部屋の隅を走り続けている。
「なんだ、ただのネズミか……」
おれは少しほっとして、思わず口から思った言葉が溢れでた。しかし、口にしてから違和感に気づく。足音がおかしい。
ネズミは軽快な足取りで走っているのに、部屋の中に聞こえる音は、何かを引きずるような重苦しい音なのだ。明らかに見えているものと音がちぐはぐ過ぎる。
おれは白いネズミに目を凝らす。するとすぐにもう一つの違和感に気づいた。ネズミは走っているにもかかわらず、進むスピードが遅いのだ。足は勢いよく回転しているのに、体の進み方が回転に見合っていない。それはまるで、誰かが走るネズミのおもちゃを床からギリギリの高さで移動させているような、そんな印象を受けた。
「なんだよこれ……」
不思議に思いながらおれは妻の方に目を向けると、妻は泣きそうな顔でおれを見ていた。心配になり、おれは妻に「どうした?」と声をかけると、妻は口を震わせながら言った。
「ねえ、どうして……ネズミの反対側から、音がするの?」
最初、おれは妻に何を言われているのかがわからなかった。しかし、数秒後背筋に鳥肌が立った。
スマートフォンのライトをつける時、おれはまだ寝ぼけていたのか、音に関係なく自分の正面に向かってライトをつけた。実際、足音は部屋の中をぐるぐると回っているから、一箇所を照らしていればすぐに何かがそこを通るため、どこを照らそうが特に問題はなかった。
おれが自分の正面をライトで照らした時、ネズミはそこにいた。それを見た時、おれは何も考えず足音は前からしているものだと認識した。しかし、妻に言われて気づいたのだが、音はネズミがいる反対側からしていた。
誰かが床ぎりぎりを移動させているように動くネズミ、ネズミと反対側から聞こえる鈍い足音、じゃあ今この部屋にいるのは一体……おれはそこまで考えた時、頭の中が真っ白になり意識を失った。
朝、太陽によってほんのりと明るくなった部屋でおれは目が覚めた。恐る恐る布団の中から部屋の様子を伺ったが、何の異常もなかった。妻は隣で寝息を立てていて、いつも通りの朝の部屋の光景だった。悪い夢でも見ていたのかもしれない、おれはそう思い、寝転がったまま枕元に置いていたスマートフォンを右手を伸ばして探す。しかし、いくら探してもスマートフォンは見つからない。
不思議に思い布団から起き上がったおれは、思わず目を見張り言葉を失った。
布団の近くにあるコンセントに刺していた充電器のコードは引き抜かれており、何かに引きずられたかのようにぐちゃぐちゃに絡まりながら部屋の端に転がっている。そして、スマートフォンはおれが最初にネズミを見たあたりに転がっていて、何かに踏まれたのか画面にヒビが入っていた。