彼女との出会いとその意義
「横に座ってもいいかしら?」
その声に振り向くとそこには一人の女性が立っていた。
肩まで伸びた黒髪、整った目鼻立ちと流麗なスタイル
女優かモデルをしていても不思議ではない程のその容姿は
一般的に美人といわれる類のモノなのだろう。
手には白いプラスティック製のトレイを持っており
その上に乗っているドンブリからほのかに湯気が見えているところをみると
俺と同じ〈日替わりうどん定食〉を注文したのだと想像がつく。
「ああ、別にかまわないよ」
俺がそっけなく返事するとその女性は少し微笑み、同じテーブルの椅子へと腰を下ろす。
こういった何気ない所作にも人間性が現れるというが
そういう意味では少なくともこの女性は平均値以上のポテンシャルがあるのであろうと感じ取れた
まあそんな推察に意味など無いが。
昼時の学生食堂とはいえピークを過ぎた今の時間帯ならば空いている席は他にもある、ワザワザ俺の隣に来たという事は……
「ねえ、貴方が沢渡直哉君?」
ほら来た、やはり俺目当てか……やや食傷気味のそんな言葉が頭に浮かぶ
すぐに返事をするのも億劫であり、こんな時は少しだけ間を開け冷淡な口調で返事する事にしている
暗に〔鬱陶しいから俺に構わないでくれ〕という空気を出す為だ。
少しの沈黙の間周りの学生達の話す声が聞こえてくる。先日の合コンで会った女性がどうだとか
ソシャゲの課金がどうとか、ファッション雑誌の付録がどうとかいう
どれも取るに足らないくだらないモノばかりである
日本最高峰といわれているこの帝都大学ですらこの有様だ
こんな者達が将来日本の中枢として働く事を思うとゾッとする
まあ俺にはどうでもいい話だ。不意にそんな事を考えつつ散々勿体つけた挙句に素っ気無い態度で答える事にした。
「そうだけど、俺に何か用?」
すると彼女は軽くため息をつき、めげる事も無く語り掛けてきた。
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃない、貴方あの沢渡夫妻の息子さんでしょう?」
やっぱり……俺の自己紹介の前に俺の親の事から話そう。
俺の両親は物理学の世界では有名で、二年前【ゲベルド素粒子の発見とその証明】という論文で世界を震撼させ
ノーベラ賞も確実といわれていた人物である。
惜しくもノーベラ賞の受賞とはならなかったものの、受賞の選定をしている【ノーベラ委員会】の一人が
〈沢渡夫妻がノーベラ賞に選ばれないのは間違っている〉という旨の意見を出して世間を騒がせたのである。
それが発端となり【ノーベラ委員会】は世界中から非難を浴びる事となり
俺の両親は〈幻のノーベラ賞受賞者〉などと呼ばれた。
それにより日本でも一躍有名人となり、夫婦揃ってテレビなどにも度々呼ばれる事になった。
〈日本の物理学の為になるのであれば……〉という理由で渋々ながらもテレビ出演する事となった両親だったのだが
一般の人間に【素粒子論】など語っても興味をひかない為、聞かれる内容はもっぱら
〈ご夫婦の馴れ初めは?〉とか〈普段どんな生活をしていますか?〉といったあまり意味のない
どうでもいい事ばかりであった。
そんな時、メディアが目を付けたのは事もあろうに俺だったのである。
【沢渡夫妻の遺伝子を継ぐ天才美少年】などという陳腐な二つ名を付けられ勝手に特集されたのだ
最初はさすがに一般人の学生という事もあり顔や名前も伏せられていたのだが
何処の誰が始めたのかは知らないがSNSを中心に俺の顔と名前
出身校や大体の住所などのパーソナルデータが次々と流出し拡散された。
そうなるとマスコミも開き直ったかの様に俺の事をさらし始めた、そのおかげで普通に道を歩いていても。
「写真、いいっすか?」
「握手してください」
などという馬鹿まで現れ始めたのである。俺は芸能人でも何でもないし、有名人になりたいという願望など毛頭ない
何より俺は人とのコミュニケーションが苦手なのだ、今風に言うと【コミュ障】と呼ばれる人間にカテゴライズされるのだろう。
それ以来、俺に言い寄って来る女性が急激に増えた。最初は食事に付き合ったりテーマパークに出かけるなど
一般的なデートと呼ばれる事をしていたのだが正直言えばとにかく退屈でつまらなかった。
テレビや芸能人などの全く知らない話題など聞いていてもその手のことに全く興味のない俺にとっては苦痛でしかなかったし
映画やおしゃれな店など行っても何の感慨も沸かなかった、フッションの話などまるで異世界の価値観とすら思えた程である。
正直そんな事をしているぐらいなら勉強している方が余程有意義と思えた
ここまで説明すればわかってもらえると思うが俺は世間一般的にはいわゆる〈変人〉と呼ばれる人間である。
俺は両親を尊敬しているし将来父や母の様な物理学者になりたいと思っている
そして何より両親の事を理想の夫婦と思っているからだ。そんな価値観の相違が伝わったのであろう
言い寄ってきた女性達も二、三度デートすれば自然と離れていった。ある女性などはデート中に
「私といる事がそんなに退屈なの⁉だったら最初から断りなさいよ‼」
などと逆切れされ食事中にもかかわらずテーブルを激しく叩いて席を立つとそのまま怒って去っていった
以前から薄々感じていたのだがこの時ハッキリとわかった、俺は普通の人間とはかなり違う感覚の持ち主で
変わり者、変人といった類に分類される人間なのだと。
それ以来近づいてくる女性にはワザと邪険な態度で接しそれとなく拒絶するよう心掛けている
今風に言うとこれは【塩対応】というらしい。
幸い俺以外の世間一般の若者は若者は空気を読むという事に長けている者が多い。
特に女性の大半はそのスキルを持ち合わせている割合が非常に高い為
こうした態度を取っていれば大体の場合、必要以上話さなくて済むからだ
またこの女もいつもの様なミーハー気分で声を掛けてきたのだろうと思っていた
だからこそいつもの様に素気なく言葉には出さないが明らかに邪険に対応した。
だがそんな俺に対し彼女は予想外の言葉を返してきたのである。
「私貴方のご両親を尊敬していてね、一度【ゲベルド素粒子の発見とその証明】の論文について話してみたかったのよ」
これが宮脇麗香との初めての出会いであった。
今更だが自己紹介をしよう。俺の名前は沢渡直哉。帝都大学物理学科の三年生である。
都内にある一戸建て住宅に家族と住んでいる。両親は【日本物理学界の第一人者】と呼ばれているが
家や生活は何処にでもある一般家庭と何ら変わらず、ごく普通の生活をしている
〈大学に入ったら念願の一人暮らし〉などと言っている人間が実に多いがどうにも理解に苦しむ。
一人暮らしとなれば食事、洗濯、掃除など全ての家事を自分でやらねばならず
しかも家賃に水道光熱費、食費と余計に金がかかる。
その点親と同居していれば家事を手伝ったりバイトの金を家に入れたとしても
〈相互負担〉という形でその辺りの負担がかなり軽減できるからだ
そもそも自宅から遠い地方への通学というならば致し方ないが、そうでないのであれば一人で暮らすメリットが何も見当たらない
何故世間一般の大学生がワザワザ効率の悪い生活を選択をしたがるのか甚だ疑問である。
まあこういった考え方自体が世間とズレていると言われる原因だろうか?
「あら直哉、今から大学なの?」
出かけようとしていた俺の背中に声を掛けてきたのは母の沢渡美也だ。
「ああ、今日は午後からの講義しかなくてね。母さん達は今日、明日は泊りだっけ?」
「そうなのよ、明後日からから京都で学会があって今晩からあっちで泊まる事になるから……
テレビに出てからというものこういうお誘いが多くって、以前は前日か当日に行っていたのにね
やっぱりテレビなんか出るんじゃなかったわ」
右頬に手を当てながら疲れた表情を見せる母。父と母は大学院生の時知り合い、お互い認めあいながら結婚へとたどり着いた
巷では〈天才夫妻〉などと呼ばれているが、父も母も家の中ではいたって普通の人間だ。
父はゴルフや将棋が好きな何処にでもいそうな父親であり
母は連続ドラマが大好きでこうして出かける時にもドラマの録画は忘れない
どうやら最近お気に入りの俳優が電撃結婚したとかで父に向かって嘆いているのをつい先日見かけた。
そんな父も母も家庭内で仕事の話をしているのを見た事がない
家に仕事は持ち込まないという決まりを作ったのはそれだけ二人にとって家庭を大事に思っている証拠だろう
それを結婚した時に決めたのか、俺が生まれたから出来たルールなのかは知らないが。
「じゃあ行ってくるよ、母さん」
「行ってらっしゃい、気を付けてね。食事は冷蔵庫に入っているから
チンして食べなさい、足りなかったら戸棚に入っているパンかカップ麺でも食べていてちょうだい」
「ああ、わかったよ、母さん達も付き合いはほどほどにね」
「全くよ、今から少し気が重いわ……」
軽くため息をつく母を尻目に俺は大学へと足を向けた。
帝都大へは自宅から電車で十五分もあれば行ける距離だ、この東京という都市は電車でほとんどの所へ移動が可能な為
俺的には気に入っていて生活をするにおいて非常に便利だとつくづく感じる
人が多すぎる事を除けば世界で一番過ごしやすいのではないだろうか?とさえ思う。
俺と母は東京生まれの東京育ちだが、父は幼少の頃、岐阜県の田舎で生まれ育った。
「こんな人とビルに囲まれた都会にずっと居ると、たまに昔を思い出す
こんなゴチャゴチャした所よりも田舎の雰囲気がひどく懐かしいよ……」
などと愚痴っぽく嘆く時がある。尊敬する父だがこの感覚だけはどうしても理解できない
忙しさと疲れでノスタルジックになっているのだろうと推測しあえて反論はしないが。
大学に着くといつも決まった事を作業の様にこなす毎日だった
特に親しい友人がいる訳でも無くサークル活動をしている訳でも無い
バイトをするほど金に困っていない俺にとって、親から与えられる小遣いだけで充分事足りた
俺にとって大学とは勉学をする所であり帝都大卒業の資格を得る為だけのはずだった、そう彼女に会うまでは……
「あら、今日は遅かったのね?」
「ああ、色々あってね」
昼時の学生食堂、この帝都大の学生でも普通に空腹になる
ザワザワとにぎやかな会話が辺りから聞こえてくる中で俺は彼女の前の席に腰を下ろす
彼女とはもちろん宮脇麗香の事である。
先日この学生食堂で彼女に話しかけられて以来、昼時にはこうして話す事が多くなった
大学で誰かと話すことなどほとんどなかった俺にとって軽いカルチャーショックともいえる事態である。
先日彼女が話しかけてきた内容【ゲベルド素粒子の発見とその証明】
は三年前に俺の両親が発表した論文でノーベラ賞確実とまでいわれた高度なモノである
今まで色々な口実で俺に近づいて来た女はいたがまさかこの論文を引っ提げて俺に近づいてくる女が居る事に正直驚いた
それと同時に〈何て身の程知らずな女だ……〉とも思ったモノだ。
両親の事を心から尊敬している俺にとってこの論文内容は宝ともいえるものであり
日本広しといえど自分程この論文について勉強した学生はいないと自負できる
だからそんな俺に対してにわか覚えの知識で挑もうなど百年早い……などとナメてかかっていた。
しかし彼女と話してみて五分でそんな考えは吹き飛んだ。この女は今まで俺が見てきた女とは訳が違う
いや女とか男とか関係なしにモノが違う、そう思い知らされるほど彼女の知識や見識は素晴らしいモノだった。
この一見モデルと見間違うほど見た目の美しい女性
しかしその見た目からは想像できないとんでもない頭脳に俺は猛烈に興味が湧いてきた
彼女も俺と話す事に意義を見出してくれたのか、それ以来彼女とはよく話すようになったのである。
昼時の学生食堂はもちろんの事、どちらから誘うでもなく食事に行ったり大学のベンチで話したり
深夜のファミレスで一杯のコーヒーだけで夜中まで話した事もあった。
その会話の内容は年頃の学生とはおおよそかけ離れたモノばかりであったが
彼女と話す事はとても有意義であり素直に楽しかった。
同い年の女性でこれ程までに感性が合い同じレベルで話の出来る者など居るとは思っていなかったからだ
世の中は広いと改めて思い知らされたものだ、それが宮脇麗香への率直な感想であった。
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