03_あたたかいものの威力
……突然やってきた押しかけ婿候補と、わたしは三日間、一緒に過ごさねばならないらしい。
なんてこった。
全力でお断りしたいが、魔術の力量差がありすぎて、追い払うことも出来ない。逃げても追跡される気がする。こわい。
ただ、国王の手紙を持ってたし、身元は確かなんだろう。だからってさぁ……陛下……!
頭を抱えたその時、ラークのお腹が、くぅ……と鳴いた。
「ごめん、遭難したらお腹が減ったみたいだ」
そりゃ減るよね。うん。
「…………なにか食べるものを用意しますね」
一刻も早くこいつに帰って貰いたかったわたしは、ここで一計を講じることにした。
「うちの食事、いつもこんなんですよ」
凍ったパンにハム、パリパリになった野菜サラダのようなもの。そして、かちわり氷のレモネード。それらをテーブルに並べて、にこりと微笑んだ。
どうだ参ったか。フロスト家の嫡男でさえこれは遠慮するんだからな。常人にはきつかろう。
「へぇ……面白いね」
しかし、ラークはそれらを見てもまったく動じず、皿の上に手をかざした。すると、見る見るうちに、凍っていたハムやパンや野菜が解けて、常温になっていくのがわかった。
レモネードはふわりと湯気を燻らせて、ホットレモネードに早変わり。
……なんだこれ。信じられない。絶句してその光景を見つめていると、ラークが品よく微笑んだ。
「……冷たいものを温めるのは、わりと得意なんだ。さっき、雪山では油断しちゃったけどね。ではいただきます」
唖然としているわたしをよそに、彼は旺盛な食欲で料理(と呼ぶにはかなり簡素なもの)を平らげていく。
なんということでしょう。完全に作戦失敗だ。
「おいしかった。ご馳走さま」
食後のホットレモネードを飲みながら、ラークがふう、と息をつく。氷像のように固まっていたわたしの耳が、ここでラークの独り言を拾った。
「……これで、デザートがあれば最高なんだけど」
「デザートならあります!!」
氷像からのいきなりの食いつきで、ラークも「どうしたの?」とびっくりしていた。しかし、わたしの青い瞳はある一点をガン見している。
……わたしは甘いものに目がない。だからデザートは各種常備している。ただし冷たいもの限定だ。
「デザートは出すので、その代わり……」
ごくりと喉を鳴らして、気がついたらわたしは交換条件を申しでていた。
+++++
「おいしい……!」
一口飲んで、感動のあまり涙ぐんだ。おいしすぎるよ……ホットレモネード。さっきラークが飲んでたやつ。
一方、男の手前には、シャリシャリジェラートライチ味がたっぷり盛られた器がある。これが我々の交換条件だ。
感情が高ぶったせいで、雪の結晶がわたしのまわりを舞っている。けれど、ラークがいるからか、白い結晶は降り積もることなくすっと溶けてしまい、部屋が凍りつくことはなかった。
「あなたの魔力の影響を受けてるのかな、レモネードが凍らない……!わたしが触れてるのに、温かいままなんて信じられない!」
掲げるように持ったグラスを見つめ、感動に震えていると、
「……僕と一緒にいたらいつでも温かい食事や飲み物が手に入るよ。だから僕と結婚しよう」
「しません」
天使のような笑顔で、悪魔のように魅惑的に囁きかけるラーク。瞬時に真顔に戻ったけれど、心はちょっぴり揺らいでいた。
────人間の血を引いているわたしは、生粋の氷妖のように常温が苦手とか、暑さで溶けてしまうとかはない。暑ければ空気を冷やせばいいしね。
そして本音を言うと、雪山で一人暮らしを始めてから、家族と住んでいた頃のような、凍ってない食事や飲み物が恋しくなることもあった。
料理を温めるていどなら、炎属性の魔術道具でやれないこともない。でもわたしの魔力は氷の力が強すぎて、炎系の道具はすぐ壊れてしまうのだ。
まぁ、食事が凍っていてもわたしの場合は支障がないし、魔術道具だって安くない。壊しちゃったらもったいないしね……と自分に言い聞かせて、長いこと諦めていた。でも。
温かいものがもう一度飲めるなんて…………!
グラスを握りしめて感極まっているわたしに、ラークはにこにこと声をかけた。
「僕も、さっきみたいなジェラートがいつでも食べられたら嬉しいな。僕の国は暑いし、氷魔術を使える魔術師はほとんどいないから、冷たいものは究極の贅沢品なんだ」
「……あなたがここにいる間で良ければ、いつでも出しますよ」
そんなのお安い御用だ。レモネードのお礼になるならいくらでも出す。
笑顔で言ったら、ラークはなぜか「ぐはぁ……不意打ち」と言いながらエア喀血していた。
「君の理想の男は?」
ジェラートを食べ終わった男は、ホットレモネードを大事にちびちび飲んでいるわたしに、直球で恋愛観を尋ねてきた。
「わたし、恋愛とか結婚とか、そういうのが自分の身に降りかかるなんて想像したこともなかったんです。だから、よくわかりません……」
返答に困って男を見上げると、彼は「わぁ……」と呟いて片手で顔を覆った。
「君の上目遣いは強烈だね……」
「……?」
「かわいいってことだよ」
何を言ってるんだこいつは。物理的寒さに強いわたしの腕に、鳥肌が……
動揺したわたしのまわりに、一瞬ブリザードが吹き荒れた。だがすぐに沈静化する。どうやら、ラークが意識して打ち消してくれたようだった。
「ほら、僕たち相性がいいんだよ。結婚しよう」
「無理です」
なるべく無表情を装ったけれど、ラークはわたしの態度がほんの少し軟化したことに気づいた様子だった。
肩をすくめて笑うと、空っぽになったわたしのグラスを見て、「僕は他のを何か貰おうかな。君の分も取ってくるから待ってて」と立ち上がった。
ラークは保冷庫にあったチョコレートアイスを溶かして、ホットチョコレートを作ってくれた。心がとろけそうな、甘い香りが小屋いっぱいに漂う。
渡されたマグにそっと口をつけて、甘くてほんのり苦いその飲み物を味わう。…………至福。そう、今年の春、山で生まれたタヌキの赤ちゃんをモフモフして以来の至福だ。
「気に入った?」
「…………ええ」
「明日はスープを作ってあげるよ。こう見えて、料理は得意なんだ」
彼はそういって、光が溢れるような綺麗な笑顔を見せつけた。まずい。完全にわたしの弱点を把握されている。敵は胃袋を掴む作戦に出た。そしてその効果は絶大だった。
……初日にして、わたしは早くも陥落しかけていた。だっておいしいんだもん。ホットチョコレート。
とろりとしたココア色の飲み物を堪能しながら、しばらく他愛ない話をしていると、いつの間にか夜が更けていた。
わたしは元々少食だ。甘いものをとってしまったので晩御飯は控えて、そのまま寝ることにした。
ラークは当然のように、「僕はソファで構わないよ」とほざいた。泊まる気満々である。
国王命令でもあるので仕方ないが、この小屋に赤の他人を泊めるのは初めてで、なんだか落ち着かない。そして本当に寝る段になって、ラークは紳士的に申し出た。
「誓約は命に代えても守るから安心していいよ。おやすみ、リディア」
「……おやすみなさい」
一人暮らしになってからすることの無かった挨拶を交わして、自分の寝室に移動する。
扉をパタンと閉めて、深くため息をつく。石の壁で区切られているせいか、ラークの炎の魔力は、ここには影響していないようだ。薄暗くてしんと冷えきった、いつも通りの寝室を見回す。
それが何となく寂しく感じてしまったのは、ここに来てから初めてだった。今までそんなの、考えたこともなかったのに。