01_いきなり求婚されました
睫毛さえも凍ってしまう真冬の雪山。
その中腹に、ポツンと一軒だけ山小屋が建っている。石づくりのその小屋に、一切火の気配はない。けれどそこには、一人の若い女が暮らしていた。
わたし、リディア・フロストである。
今日、わたしは朝からそわそわしていた。弟のルイスが、月イチで来てくれる日なのだ。
こんな山奥の小屋、しかも真冬に訪れる奇特な者はめったにいない。だからわたしは弟の訪問をとても楽しみにしていた。
床の魔方陣が光って、わたしはがばっと立ちあがった。複雑な紋様が消えたあと、そこに立っていたのは、青いローブを纏った十代半ばの少年──ルイスだった。
「いらっしゃい、ルイス!」
「姉上、お変わりありませんか?こちらは姉上へ。手土産の本になります」
「わぁ、いつもありがとう」
大事に受け取ってタイトルを眺める。「ゾンビ名探偵」と「高山の薬草図鑑」。どっちも面白そう。
さすが、弟のルイスはわたしのツボを心得ている。
「どうぞ座って。あ、凍ったシャリシャリのプリンと、凍ってカチンカチンのレモネードがあるよ。どっちがいい?」
「……どちらも結構です、姉上。お気づかいなく」
わたしの最近のお気に入りを、ルイスは丁寧に辞退した。いらないのか。おいしいのに。少し残念に思っていると、彼の顔色が優れないことに気がついた。
「ねえ、ルイス。顔色が悪いよ。大丈夫?」
「すみません姉上……真冬の雪山は、さすがにぼくでも冷えるようです」
「わ、ごめんね気づかなくて!相変わらず温度調節とか苦手なんだよね……」
急いで棚から呪符を取り出し、それを壁にぺたりと貼って部屋を温める。すると、弟の顔に血の気が戻ってきた。
「もう平気?」
「ええ。ありがとうございます」
ルイスがにこりと笑った。大丈夫そうでほっとする。
だけど、次から気をつけなきゃ。この気温はルイスでもキツイ、ということを肝に命じた。
……そう。この小屋に火の気が無いのは、ひとえにわたしのせいである。がっつり先祖返りしてしまったおかげで、わたしは、氷の魔物に限りなく近い性質を持っていた。
────なんでも、うちの何代か前のご先祖さまは、氷妖という氷の魔物と恋に落ちて、子どもまで作ったのだ。結局、氷妖は山に帰ってしまったが、その血は残り、フロストは氷の魔術を得意とする一族になった。
王家のおぼえもめでたく、わりと重宝されてもいる。
しかしわたしの場合、氷妖の血が濃く出すぎてしまった。
幼い頃はまだ良かった。氷妖の力はさほど発現しておらず、普通のひととそんなに変わらなかったから。
しかし成長するにつれて、力はどんどん強くなった。たとえば、ちょっと興奮しただけで室内に雪が降るし、気をつけないと触ったものを凍らせてしまう。
同じく氷妖の血を引く父と弟は、わたしの力がうっかり出ても耐えられた。母は他家の出身だけど、父とは従兄妹同士で、フロストの血が流れている。だから、まぁ大丈夫。
でも、こんなわたしが一般人と交わって生きていくのはかなり厳しい。うっかり他人を凍らせてしまったら目も当てられない。
というわけで、わたしは十六歳になった時、雪山の守護を名目に一人で暮らすことにした。
……それから二年。必要物資を調達しに麓の町に下りる以外は、ひたすら小屋にこもっている。
慣れてしまえば、この生活も悪くない。だけど、姉思いのかわいい弟は、わたしが一人でいるのをいつも気にしていた。
「姉上はいつまでここにいらっしゃるおつもりですか?」
「うーん、一生?」
「それはいけません。ぼくは姉上に、ぜひとも幸せになっていただきたいのです」
「幸せかぁ……」
でもこの体質だしねえ……。友達作りも結婚も無理だと思うよ。だって、家のなかに雪を降らせてしまったりするんだもんね。
「そうだねぇ。いつか、わたしにも王子様とか現れたらいいんだけど」
へらりと笑って、悲しそうなルイスの頭をぽんぽんと撫でる。今口にしたのは、もちろん、弟を慰めるための軽口だ。王子様とか、そんなものが自分の前に現れるだなんて、わたしはこれっぽっちも考えてなかったのだ。
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弟が帰って数日後。
「……あれ?」
守護している雪山に、不思議な気配を感知した。動物ではない。おそらくひとだ。
天候が荒れやすい極寒の雪山は、山に慣れた猟師でさえほとんど足を踏み入れない。この時期に登山しようものなら遭難一択だ。そもそも、誰かが山を登ってくる気配もなかった。
おそらくそのひとは転移魔術で飛んできたのだろう、とわたしは当たりをつけた。さらに、その気配を探ったが、今いる場所から動かない。
もしかしたらうっかり座標を間違えて、雪山に飛んでしまい、凍えて動けなくなったのかも。だとしたら助けなきゃ。
わたしは上着を羽織って、とりあえず様子を見にいくことにした。
気配の近くに転移魔術で飛んだ。そこは冬枯れの森の奥の方だった。
強烈な吹雪で、視界が白く染まる。通常の人間なら数歩先すら見えないような中を、気配に向かって歩いていく。ここはわたしの庭のようなもの。吹雪のさなかであっても、わたしの知覚は少しも損なわれない。
しばらく歩いて、雪に埋もれかけた黒いものを発見した。あれが探している相手だろう。
そばに屈んで、体の上に積もった雪を払い落とす。その下から現れたのは、黒い服、黒い髪。そして────この地方ではまず見ない、浅黒い肌をした横顔だった。
驚くほど綺麗な顔立ちだけど、体の大きさからいって男性だろう。うつぶせに倒れた彼の肩をそっと揺すってみる。
「……あのぅ、大丈夫ですか?」
まぁ、大丈夫そうではないよね。でも意識の確認は大事。しかし予想に反して、相手はうっすらと目を開いてわたしを見た。
その瞳が、炎を思わせるきれいなオレンジ色で、思わず息をのむ。
「見つけた……僕の花嫁」
「……………はなよめ?」
わたしは眉をひそめた。寒さで幻覚を見てるのかな。良くない兆候だ。
しかしこちらが何か言う前に、男は目を伏せて気を失ってしまった。きれいなオレンジの瞳が閉じられて、一瞬残念に思う。
……いや、今は余計なことを考えてる場合じゃない。急がないとこの遭難者が凍えてしまう。
わたしはすぐに転移魔術を使って、彼を小屋に運びこんだ。
++++++
ちなみに。
氷属性に特化しすぎたわたしは、炎属性の魔術が大の苦手。ほんの小さな炎すら出せない。だからこんな時のために、炎属性の呪符を大量に用意している。
棚に保管していた呪符を取り出し、まず部屋を暖めて、暖炉に火をおこす。
意識のない男を毛布にくるみ、じんわり温まる呪符をぺたりと貼りつけた。幸い部屋を温めた時点で、彼の顔色はかなり良くなった。長時間、吹雪の中にいたわけじゃないのかも。
血色の良くなった顔を見て、胸を撫で下ろす。
眠っている男は、おそらく二十歳くらい。わたしより少し年上かな。
初めて見る浅黒い肌は、コーヒーにミルクをたっぷり注いだような不思議な色合いで、顔立ちも品があり、彫刻みたいに整っている。
この近辺のひとびとは、金髪碧眼に透き通るような白い肌を特徴としている。わたしもそう。だから彼は南方の出身かもしれない。
彼の着ていた魔術師のローブは、目を見張るほど質が良く、それなりの地位にあることが窺えた。
男の容姿が珍しかったので、相手が眠っているのをいいことに、わたしは不躾にじーーーっと眺めていた。
暫くすると、黒くて長い睫毛がふるりと揺れた。次いで、切れ長の瞳がゆっくりと開かれ、灼熱の炎のようなオレンジ色があらわになった。
「ここは……?」
「わたしの小屋です。あなたは吹雪のなか倒れてたので、ここに運びこみました。……あなた、魔術師ですよね。転移魔術でうっかり座標を間違えちゃったんですか?
わたしが救助しなかったら、そのまま凍って雪解けのあとに発見されるところでしたよ。良かったですねー助かって」
にこにこしながら言うと、ぼんやりしていた男は、わたしに焦点を合わせた。瞳のオレンジ色、やっぱりきれいだな。
そんなことを考えていると、男はおもむろに口を開いた。
「いや、僕はこの雪山に用があって来たんだ。……もしかして、君がリディア・フロスト嬢?」
「……そうですけど」
「ほんとに会えた。良かった」
男は無邪気な笑みを浮かべた。
いや、何の用かは知らないけど、あなた遭難しかけてましたよね……笑ってる場合じゃないと思うよ。
なんか胡散臭い、と警戒レベルを上げた直後。
「僕は君を花嫁にしたくてここに来た。どうか僕と結婚してくれないか」
……いきなり求婚されました。