7.おとぎの神
1.
さっきから私は、誰もいない診療所の前で行ったり来たり、はたまたしゃがみ込んでみたりと不審な行動を繰り返している。
「先生は今日もお休み…つまんないよ」
先生に出会ってからの私は、この聖部診療所へすっかり入り浸ってしまっていた。
常識的に考えてありえないとは思う。けどこの先生、仕事している素振りが全くないのだ。
まるで患者が私しかいないみたいに(ありえないけど)いつ来ても客は誰もいない。
でも流石に迷惑じゃないかなと、一度先生に聞いてみたことがある。
「気にするな。私は暇だ!」
…この人の将来が心配だ。
今日、聖部診療所は休診日となっている。私が患者として訪れる時はいつも開いているが、遊びに来るとたまに不定期の休みを取っている。診療所件自宅らしきこの建物の中には、今は人がいる様子はない。
ガチャッ
「!」
思わず身構えてしまう。誰も居ないと思っていた診療所のドアが開いた。でも…
「…?先生?」
「しーちゃんはお休みだよー」
…少しだけ開いたドアの隙間に、人影はない…どこから声が?しかし変わった声だ。
「こっちこっち」
下の方から声が聞こえる。視線を下の方へ…
「ひぃ!」
…いた。何かいる。何か変なのいる!
「失礼だねー君。怜ちゃんがそんな子だったとは私がっかりです」
ウサギのぬいぐるみらしき物体は酷く不満気にこちらを見上げる。
何でこんなに馴れ馴れしいんだコイツは。しかし私の名前を知っているとは驚きだ。
これは…
「先生ってもしかして、魔法使いだったりする?」
「発想がファンタジーだねー怜ちゃん。そんなわけないでしょー。しーちゃん無能だし」
無能…てかしーちゃんて。
「ま、入った入った。あ、それとお願いが一つあります」
手招きしながらウサギが何か喋っているこの状況はファンタジー以外の何物でもないんだけど。
「なんでしょうウサギさん。私人参なんて持ってませんよ」
「怜ちゃん、ウサギに人参やり過ぎると下痢するよ。じゃなくて」
「抱っこしてくれ!」
…。
謎のウサギを抱えて、私は診療所の中に案内される。
実際に抱きかかえてみると、見た目はどうやらただのぬいぐるみだ。特に生き物の暖かさなんかも感じない。口も動かない。どっから声でてるんだ。コレはあれか、宿っちゃったのか。そんなに古いものには見えないけど。
「怜ちゃん抱かれ心地最高だよー。特におっぱ」
ビスッ
耳と耳の間にチョップしてやる。
「落とすよ?」
「スミマセンでしたー」
うわ、反省してねえ。
…
すっかり特等席になったソファで、私はウサギに話しかける。シュール。
だが返事は返ってくるので問題ない。
「しーちゃんって…詩子先生の事?」
「詩子だからしーちゃん。でも呼ぶと超怒るよ怖いよー」
そういえば最初詩子先生って言った時、ちょっと嫌そうな顔してたかも。
うたこでもダメなら、名前自体、好きじゃないのかな。
「今日はしーちゃん忙しいので、私がお相手致しますよ」
「それはどうも。っても、特に何もないなぁ」
振り返ってみれば、いつも適当にダベっているだけだったのだ。
突然代理と言われてもなぁ。
「…ねぇウサギさん、お名前は?」
「私はライブラのロイズ。以後よろしくねー」
「んー、ロイズって男の子?女の子?」
ウサギのぬいぐるみのロイズは腕組みをしながら、
「一応性別は女ですよー」と答えた。
一応ってなんだ。
「…ライブラってこの診療所の名前だよね。ロイズちゃんは従業員さん?」
ロイズは首を傾げるとハッとしたように言った。
「しまったー、まぁいいかー」
「?」
「『ライブラ』って名称はねー、むかしむかーしに存在した組織の名前から取ってるのです」
組織?ライブラリアンとか…司書さん?
「怜ちゃんは神様の存在を信じるかな?」
うわ、胡散臭い。
「トイレの時とか、信じてるよ」
「ぶっちゃけるねー。ライブラってのは、神様達の組織なのさ」
「神様の組織?神様が何人もいるの?」
神様が複数存在する神話は多いけれど、随分俗っぽいなぁ。
「神様って言っても、万能じゃないのです。最初の神様は万能といってもいい位の力を持っていたけど、世界を全て管理することは出来なかったの」
神妙に語るウサギ。シュールだなぁ。
「それで、神様は自分を7つに分けて、それぞれに力を分け与えて、複数で世界を管理することにしましたー」
「へー。それで、なんでライブラなの?」
「まだ説明の途中だよーこのせっかちおっぱ」
ビスッ
「動物虐待はんたーい」
ぬいぐるみの分際で何を言う。ソレをいうならこっちはセクハラ反対だ。
「イタタ…そんでね。世界の均衡は保たれていったのです。いつしか自身達を、均衡を保つ者、天秤の調停者と称し、組織はライブラと呼称されるようになっていきます」
「ライブラって、なんだろ、天秤座だとしてもリーブラだよね」
「うーん、なんだっけ、膨大な知識と、天秤から取った造語だとか何とかって爺さんが言ってた」
ウサギのおじいさんは物知りか。おじいさんも喋るのかな。見たい。
「ライブラの由来は分かったよ。じゃあ、ウサギさんやっぱりここの従業員さんって事?」
「ん、まあそういうことにしておいてちょーだい。そいでね」
まだ続きがあるらしい。
「神様達はある時、とんでもないものを生み出しちゃうわけ。それが8番目の神様」
「7人じゃ足りなかったの?」
「人が増え過ぎて、とうとう力が及ばなくなりつつあったんだね。それで新たに神様を生み出そうということになったのさー」
「でも何の因果か、8番目の神様は、あらゆる人の負の感情を持って生まれてしまったのね。その力は7人の神様達を凌駕する圧倒的なものだったのです」
「神様の内ゲバに発展するの?」
「内戦というか一方的だったけどね。そんで、神様達は世界の均衡どころの騒ぎじゃなくなった」
…なんかファンタジーです。ゲームかなんかの話なんじゃないかと思えてきた。
「神様達は傷ついた身体から最後の力を振り絞って、自分達の模造品、コピーを作ってね、ある力を与えたの。その代償として、他に何も持たない無能力者として、彼女は生まれた」
力を与えられた無能力者。意味が分かりかねる。
ウサギの話は淡々と続いていく。
「その模造品を使って、見事8番目を封じることに成功したのでしたー」
「…え?終わり!?」
「終わりでーす」ウサギはおどけてみせる。コイツ。
「神様はどうなったの?8番目は?」
「神様達は模造品が無力化した8番目を封印した後、力を失って眠りにつきましたー。今この世界には神様は存在しません」
「封印された8番目の神様は、どうなったんだろうねぇ。以上。ご清聴ありがとーございましたー」
色々と腑に落ちない。まあ神話なんてそんなものなのかもしれない。
模造品はどうなったんだろう。
ロイズは手を差し出す。これは握手かな?ふにふにした手に自分の手を重ねる。
「お近づきのあくしゅー」
今更?ロイズの精神年齢は一体。
「それにしてもしーちゃんはいいね。私も呼んでみたい」
「怜ちゃんならきっと呼ばせてもらえるよ、しーちゃんのお気にだからねー」
ほうほう。お気にとな。
「おい…何をやってるウサギ」
「おお、おかえりしーちゃ」
ガッ
「おーおー手が滑った」
「み、耳に穴が…風穴が…」
…よし、呼ぶのは止めておこう。
「次言ったら両耳ちぎってなんだか分からないぬいぐるみにしてやるからな」
「申し訳ございません」
土下座するウサギ。なんだこれ。
…
怜をもう遅いからと帰らせたあと。
「なんでお前が来てるんだよ」
目の前のウサギは腕を組んでデスクの上でふんぞり返っている。耳の風穴が痛々しい。私がやったのだが。
「詩子、ちょっとマズイね。事件が顕在化しちゃったのはいただけないなー」
「終末病の模倣犯か。あれは私達が関与するべきじゃないだろう?」
ロイズは目を細め、神妙な面持ちで口を開く。
「怜ちゃんにかまけ過ぎたね。『神様』は見つかったの?」
「いや…検討はついているんだが」
口調は知らず重くなる。
「あたし達もね、把握はできていない。それが逆に意味するところ、分かるかな」
「あんたら弱ってるんだからそりゃ見つけられない事もあるんじゃないのか?」
「ふっふっふ、舐めてもらっちゃあ困りますなぁ。これは8番目の力だよ?こっちも全力さね」
カッコつけてもウサギはウサギだ。可愛いだけだ。しかしそうなると…
「ロイズ、神様もどきは多分、『この中』だ」
「なんだ、分かってたの。まあここは怜ちゃんの中に作られた君の結界みたいなもんだから、彼に感知されることはないだろうけど」
私もヤキが回っていた。
怜の神様否定ばかりに気を取られて思考レベルが大幅に低下していた。
あくまで一般人並の知識しかない私が焦ってしまってはどうしようもない。
古澄に会いに行ったことは有益だった。お陰で、見ないようにしていた関係性が、確実性を帯び始めた。
「怜の力、あれも8番目の能力とみて間違い無いだろう。人を食らう力。終末病と違って、存在消去までは至らないようだが」
「詩子、君の親としてあたしは忠告しておくけど」
ロイズは私を見て、俯くとこう呟いた。
「あの『暴食』は、君の手に余るよ。君は死なないが、帰ってこれないかもね」
ロイズの表情は動きませんぬいぐるみなので