2.終末病
どうも終末病患者です
-ねぇ、知ってる?終末病の噂。○○の××に行くとね、神様が現れて天国に渡らせてくれるらしいよ。なんで病名なのかって?なんでも、誰でも連れて行ってくれるわけじゃなくて、本当に落ち込んで落ち込んで絶望してる子じゃないとダメなんだって。いや、結局さ、それがそういう幻覚を視ちゃう人の事を終末病って呼ぶらしいよ。現世に絶望して、この世の終末を迎える、だとかなんとか。噂にしちゃ凝ってるっていうかよく分かんないよね。
世の中には恐怖が渦巻いている。隣人が殺人鬼かもしれない。横断歩道で信号を待っていたら気まぐれで突き飛ばされるかもしれない。白線の内側にいても関係なくミンチになる可能性は否定出来ない。ほんの僅かな悪意と偶然が容赦なく人を殺す。そんな噂が飛び交っているのもさもありなん、というべきか。この世は絶望に満ちている。
「おかしいな…今日『渡る』と思ったんだが」
聖部詩子は気を紛らわすように頭を掻きながらポケットの中の煙草を弄る。
通例から今日『渡り』が行われるはずだった。件の噂『終末病』の指定場所であるこの場所で前日の夜から張っていたのだが、何の異常も力の発動も感じられない。
確かに情報は正しかったらしく数人の男女が集まっていたが、いつまで経っても何も起こらないことで諦めたのか、三々五々の彼らはその内散っていった。
一人追って話を聞いてみても良かったがリスクが高いと踏んでやめた。
誰もいなくなった事を確認し、それからも少しの間待ってみたが、何も起こらない。
これはアテが外れたか、と詩子は独りごちると、診療所兼自宅へ車を走らせる。
「まぁ、『渡り』が終わるのであれば、私の仕事も一段落だがね」
とはいえ、嫌な予感は消えない。終末病の元凶である『神様』は毎週決まった時間に必ず同じ場所で人を消す。文字通り消してしまうのだ。その存在そのものを『神様』は消す。
噂の特定から前回の決行日にこの場所に辿り着いた時は一足遅く、おそらく『渡った』と思われる人間の持ち物が落ちていた。が、それは数時間の後に消失してしまった。その落ちていた財布の中の身分証で名前と住所を確認し、その人間の個人情報を調査した。ほどなくして判明したその人物はいわゆる一般人であった。その後日常的に関係があった人間を数人当たってみると、誰一人としてその彼の事を覚えていないのだ。知らないと言ったほうが正しいのかもしれない。どうやら『渡る』ということはこの世から消えるということらしい。噂を顧みれば、この世の終末を迎えるとのことだがこれではいまいちナンセンスと言わざるをえない。現世に絶望して噂にすがった彼らは、この世に未練を感じていたはずだ。彼らは望んで『渡って』いるのだろうか?
噂が絶望した人間達を集める為の餌であるなら多少噂の内容がどうであれ人は集まっているのだから目的は達成されているのだろう。だが先程の数人を除いて恐らくは帰ってきていない。帰ってこないのか、帰ってこれないのか。本人達の意図とは違う結末を『神様』は強いている?
『神様』と呼ばれる存在が個人なのか複数なのかは、今のところ判明していない。噂は決まって『神様』の呼称が使われている事、それとなんとなくだが、自分の感がそう言っている。異能者は一人、神を気取って人を境界の向こうへ渡らせている。そして恐らく、連れて行かれた彼らは帰ってこれないのだ。
「-----っ!」
市内を走る車の中、詩子は強烈な力の発動を感じる。
「…こりゃとんでもないモノを引いてしまったかね?」
発動地点へと車を走らせる。この辺りは一戸建てやアパートなどが林立している。早朝のこんな市街地で一体何が起こっている?
ほどなくしてアパートの一室に辿り着く。
部屋の中からは力は感じられない。先程のは残滓程度のものだったのだと悟る。未だに周囲からはあの時感じた怖気の残滓が残っている。室内の人間は生きているのだろうか。
慎重に部屋のドアの前に立ち、試しにドアノブを回す。開いている。
弱々しい命の感触を感じて、不安は希望へと変わる。
(まぁそれとは別に、嫌な予感はするな…)
などと考えつつ身体の方は躊躇なく踏み込んだ。部屋の中は静まり返っているが、電気は付いている。直感に頼って風呂場を覗くと、手首を切って力なく浴槽に寄り掛かる女性がいた。
息はまだあるが、これは少しマズイ。傷口を若干『治療』し、湯船から引き上げ出血を抑える。
「恐らく力の発生源はこの子だろうが、ひとまず病院に行ってもらうしかないな…えっと」
119番で住所を伝え、氏名は、と電話を掛けながら適当にその辺りを探すと免許証が出てくる。
「詩井 怜…ね」
…
その後詩井怜は病院に運び込まれたが、すぐに意識を取り戻すことはなかった。
出血が酷かったが、治療は問題なく執り行われ、身体に異常を残すことはなかった。
心を除いては。
翌日。
「…詩井怜さんの病室はどちらでしょうか?」
知り合いを装った詩子は怜の病室へと赴いた。
依然として意識不明のまま、怜はベッドに横たわっていた。
頭を撫でながら、詩子は呟く。
「渡りもどうやら一時休戦のようだし、しばらく君の方を診ようじゃないか。怜」