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 ●一年目 三月の話



 ……--------------


 ……--------------

 

 ぼんやりと、一定の間隔で唸る低い音を聞いている。

 …瞼はまだ持ち上がらない。

もう朝なのだろうか。それにしては周りがやけに静かだ。

 夢の中の、膜が張ったみたいな静寂の中に、ザリ、ザリ、と室内履きが床を滑る音だけがしている。サンダルで、リノリウムの上を歩いている音。高校生の時教室がこんな音で満たされていたような気がする。

 ……意識が中々はっきりしない。気がつくと最初に考えていたことがどこかへ行ってしまう。

 一番近くにある音はモーター音のような、聞こえるか聞こえないか程度の低い小さな音だった。多分何かの機械の音……だろうか。耳をすませばヴーー、という音がずっと、小さく鳴り続けている。

 そしてその音から一枚壁を挟んだ向こう側で、これまた小さく足音が聞こえている。何人かいるようで、何を話しているのかは聞き取れないがうっすらと話し声らしい音も聞こえる。全部が気にせずに眠れそうなくらいには小さな音量だ。なんとなく気配を感じる程度。

 なんだかすごく思考がはっきりしない。

 自分が何かに横たわっているのは分かる。しかし自分は確かに昨日、自室の布団の中に落ち着いたはずだった。間違っても人がいるような場所で寝ていたわけではない。

 

 ……--------------。


 ……------------------------。


 …………いけない。またぼんやりモーター音に浸ってしまった。いまいち起動がうまくいっていない。そんな感覚に陥る。いつの間に自分はパソコンかなにかになったのだろうか。

 しかし、そろそろ真面目に起きなければデートに遅刻してしまう。デートの日は普段よりちゃんとメイクをして、洋服も多分中々決まらないから時間がかかる。もちろん昨日準備はしてあるのだが、いざ姿見の前に立つとやっぱり納得がいかないのが女子ゴコロだ。

 それに天気予報では今日は雪だと言っていた。積もっていなければいい。だって久しぶりのデートだ。少しでも足元が良いに越したことは無いのだ。

 でも、積もっていたら積もっていたでちょっと楽しいかもしれない。

 まあ、なんにせよ。

 起きてみなければ分からない。雪なのか、晴れなのか、積もっているのか、いないのか。

 目を開けて、まずは今日着ていく洋服を決めなきゃ……

 

 ----そうして彼女はようやく、ゆっくりと瞼を開いた。

 

 

 最初に目に入ったのは薄青い天井。しかしよく見れば薄青いのは天井ではなく、自分と天井の間に一枚挟まっているもののようだ。ガラスなのかアクリルなのか、透明な板だ。

 そして次に目に入ったのは、その薄青さの向こう側からこちらを覗いている人物だった。

 何かを喋っているらしい男性が二人。どちらも自分よりは年上に見える。マスクを着けた、お兄さん。

 その内の一人が慌てたように近くの機械で何かを操作し始める。中からではその手元は見えるはずもなく、しかし未だにぼんやりと視界を動かすしかできない彼女には特に気になる動作でもなかった。

 ふいにどこかから、プシュ、と空気が抜けるような音がした。それと同時にモーター音が大きくなる。

 ヴーーーーーーーーーー…、という唸り声が響く。ガシャ、と最後にようやく機械らしい音を立てて、それは沈黙した。

 もう一人、操作係ではない方のお兄さんがひざを折って自分と視線を合わせる。彼が着けているマスクのせいで少しくぐもった声がした。

 「……明坂さん、わかりますか。明坂さん。」

 わかるけれど。

 明坂さん、というのは私のことを指している。多分。私の名前は明坂京あけさかみやこという。

 それはわかるけれど、一体これはどういう状況だ。それに関しては全く分からない。

 ようやく完全に動き出した私の脳みそが正しければ、私が寝っ転がっているのはいわゆる酸素カプセルのような近未来的な形のベッドだ。ドーム部分はさっき収納されたようなので、今はメタリックパーツに囲まれたただのSFベッドになっているが。

 そしてSFベッドをSFベッドたらしめているものが、周りに設置された無数のモニターとそれに連なる無数のコードだ。その内のほとんどはSFベッドに繋がっている。さらにその内の何本かは私の体に繋がっていた。

 腕に刺さっている何本もの針に、白いシールのようなもので固定されたコード。それは着ている服を通って素の肌にくっついている。両腕と、両太ももに大体は集中しているようだ。

 (なんだこれ……)

 そして横たわったまま動かない私をどう捉えたのか、お兄さんは私の手を両手で包んできた。お兄さんの薄いゴム手袋越しの手はその感触も相まって、何か別の生き物のような奇妙な生温かさを私に伝える。

 「明坂さん、明坂さん。聞こえますか?聞こえていたら手を握ってください。」

 聞こえます。聞こえますけれどね。とりあえず私は彼の手を握る。

 「苦しいところや、痛いところはありますか?あったら手を握ってください。」

 「…や、あの、特にありません。」

 このままでは私が喋れないのだと誤解させてしまいそうだったので、大人しく私は会話を試みることにした。さすがにイエスかノーの答えだけで状況を把握することはできない。

 案の定私が喋れないと思っていたらしい彼は、しかしあからさまに驚くこともなく一瞬動きを止めただけだった。

 そしてどこかから紙が何枚か綴じられているバインダーを取り出すと、ベッドの下にあったらしい丸椅子に腰かけ、柔らかい口調で話し始めた。

 「驚いた。…おはようございます。自分の名前はわかりますか?」

 「…明坂京です。」

 「年齢は?」

 「二十一歳です。」

 「誕生日は?」

 「九月十日。」

 「二十一引く七は?」

 「十四。」

 …馬鹿にされている、わけではなさそうだった。お兄さんはいたって真剣な表情で淡々と質問を投げてくる。

 その後も大学の名前だの母親の名前だのを色々と聞かれて、五分ほど質問攻めにあったところでようやく彼は私から目線をそらした。

 「…うん、意識もはっきりしていますね。どうしますか?とりあえず検査に回ってもらう感じでいいんでしょうか。」

 さらさらと手元のボードに何かを書き込みながらお兄さんがお兄さんに尋ねた。

 声をかけられたのは先ほどベッドの操作をしていた方のお兄さんだ。三十代半ばくらいに見える彼は少し思案した後に答えを返した。

 「うーん……、それでいいんじゃないか。とにかく診てみないことにはどうしようもないしな。じゃあ、、俺は班長と検査方に報告してくるから、しばらくこっちは頼むよ。」

 そう言うと彼は返事も待たずにさっさとと部屋から出て行ってしまった。

 残されたのは、もう一人のお兄さんと、私の二人きり。

 細いシルバーフレームの眼鏡に、黒髪のボブ、というのだろうか。耳にはかけられないくらいの長さで、髪の毛が伸びているけれど切りに行くのが面倒だ、と言いそうなヘアースタイル。マスクをしているので表情は分かりづらいが、眼鏡をかけているからかやけに目つきが鋭い。若干怖い。年は二十代の後半か三十代前半くらいに見える。

 そこまで無遠慮に観察したところで、ばっちり彼と目線があった。

「っ、」

 なぜか勝手に心臓がどきりと跳ね上がる。そんなにカッコいいわけでもない彼の顔を見て何を思ったというのか。最近は彼氏以外の異性と話すことがなかったから、久しぶりすぎて心臓に来たのかもしれない。我ながら異性に耐性が無さすぎる、と慌てて目線をそらしたが、一方的な気まずさが少し残った。

 「……どうかしましたか?」

 その見た目に反して、口調はゆったりと柔らかいものだった。

 その声はなんとなくどこかで聞いたことがあるようにも思ったけれど、どこで聞いたのかは思い出せない。俳優か誰かの声と似ているのかもしれない。

 何も答えない京を見て彼もしばらく黙っていたが、ハッと何か思い出したように顔を上げた。

 「すみません。僕は上木といいます。明坂さんの…そうですね、主治医、だと思っていただければ。なにぶん驚いていたので自己紹介を忘れていました。」

 すみません、と彼はもう一度告げた。しかし自己紹介とは言うものの、分かったのは彼の名字だけだ。

 まあ笑顔こそなかったが、確かにお医者様然とした、落ちついた人のようだ。

 だが、

 「……主治医、ですか?私は、何かの病気なんでしょうか。」

 医者というならばここは病院なのだろうか。病院で寝ていたというならつまり私は入院しているということだろう。しかし、病気になった記憶もなければ病院に来た覚えもない。……本当に、なにがどうなっているのやら。

 「病気、といえばそうなんですが……」

 と、彼の持っている小型の四角い端末が着信を告げた。そのまま耳に当てて会話をしている。携帯電話だろうか。さすが医者、というべきなのか、私の知っているそれよりもかなり薄型で、感じからして高性能なものに見える。携帯電話特有のボタンも無い。

 会話が終わったのかトントン、と端末の画面を指でたたくと、彼は次の予定を告げた。

 「検査の準備ができたようなので、まずは体に異常がないか検査をしましょう。明坂さんの状態についても検査をしながらお話しします。歩けるかもしれませんが、一応ここは車椅子で移動します。……立てますか?」

 立てますか、と彼が振り向いた時にはもう私は立ち上がっていた。

 「立てますね。……では、遠慮せずに座ってください。ちょっと恥ずかしいかもしれませんが、検査室まではすぐですから。」

 からからと車椅子をこちらに押して来た上木は、そんな私を見て苦笑した。


 彼の言う通り、検査室までの道のりはなんとなくそわそわとしたものになった。

 知らない間に私は病気になっていたようだが、全く自覚がないので自分としては健康そのもの、……つまりは小さな擦り傷に大げさな包帯を巻きたがる子供のような、寝不足で辛いとアピールしている大学生のような、そういう気持ちになった。それと、検査室までは結構遠かった。

 「……あの、まだ検査続くんですか?」

 「うーん。もうちょっとですから。」

 からからと、私を乗せた車椅子の音がよく響く。

 検査室から検査室へと移動するのは、これで四回目くらいだろうか。一部屋で三つくらいの検査を行っているので、もう一生分の検査を受けたような気分にすらなってくる。

 初めの部屋を出たときには恐らく朝だった。というのもこの病院、時計を設置している部屋が極端に少ないらしく、今のところ行く先で時計を目にしたことがないからだ。だが廊下を通るたびに窓の外では日差しの色が変わっていくから、多分朝、昼、八ツ刻、そして今は夕方だろう。

 しかし、部屋を出る度、窓から外の景色が見える度に思う。

 (…外って、こんなに色んな色があったっけなぁ。)

 もはや勝手に進む床くらいの認識で背後の彼の存在を頭の中から追い出し、ぼんやりと窓の外を見つめた。

 最初に目を開けた時にも思ったのだ。

 分厚いガラスを通して見た彼ら二人の顔は、久々に目を開けたからか--自分ではそう思わないが--なんだか色んな色が複雑に絡み合ってできているように見えたのだ。

 日差しの色は雄弁に時間を告げているし、植えられている植物のひとつひとつが色とりどりの葉や花を付けている。まばらにしかいない外を歩く職員らしき人たちは、皆様々な目の色をしていた。

 世界はこんなにも鮮やかな色をしていたんだっけ……。

 「あれ?」

 ここは何階だったっけ。というかもしかして私はコンタクトをしたまま寝ていたのではないだろうか。思い出してみれば朝から物が見えなくて困ったことがない。普段はコンタクトか、眼鏡がなければ一番前の席での板書だって怪しいくらいなのに。

 「…大丈夫ですか?」

 急に声を上げたからか、頭上の上木が声色だけ心配そうに尋ねた。この人はさっきから「もう少しですから」「すみません」とか殊勝な言葉を並べるくせに、申し訳なさそうなのは口調だけなのだ。心配もまた然り、である。

 「あ、すみません。なんでもないです。」

 それに京はへら、と笑顔を添えて返す。実際にただ声が出てしまっただけだったし。何かがあったわけではない。笑顔は……まあ対人関係は何事も印象が大事だろう。癖みたいなものだ。

 「そうですか?何かあったらすぐに言ってくださいね。」

 そう言うと、またからからという音だけが廊下に響く。引きが早いのはいいことだ。彼ともっと話してみたいとかいう思いも私にはないし。

 自動で流れる景色を横目に、からからからから、と長い廊下に規則的に鳴り続けるその音は、なんだかあのカプセルの中のモーター音みたいだなと京は思った。


 「…うん。特に異常なし。今日の検査はこれで終わりです。お疲れ様でした。」

 検査室の技師が告げる。一応お礼を言ってから、車椅子に腰かけた。

 京が検査から解放されたのは、あれからさらに三部屋ほど巡った後だった。

 空腹時にしかできない検査もあるから、と言われ朝からご飯を食べることすらなく一日検査漬け。点滴は打っていたから肉体的に問題は無いらしい。精神的には微妙な所だが。

 しかし、今まで病気らしい病気をしたこともなく、病院に行くことすら稀だった京にとってこれだけ検査に回されることはただただ疲れるだけだった。家に帰りたい、と途中からは念仏のようにぶつぶつ唱えていた。その度に「もうちょっとです」と五回は言われたので、上木の「もうちょっと」はもう信じていない。

 「慣れないことで疲れましたよね。お疲れ様でした。今日はこれで終わりなので、部屋に戻って、夕食をとって、就寝です。」

 「えっ、今日帰れないんですか?」

 思ったよりも素の声が出てしまった。

 だってこれが終われば帰れると思って頑張ったのに!というか異常が何もないのになぜ帰れないのだろうか。そういえば検査中に状態を教えると言っていたが、それも聞いていない。

 「すみません。まだ検査が全部終わったわけではないので、そうですね…最低でもあと一週間くらいは入院です。何か欲しい物とか、不満とか、あれば僕に言ってください。あ、早く退院させろというのは無しでお願いします。」

 一週間。そんなにこの苦痛しかない検査生活が続くのか、と京は絶望した。

 「あの、なんでこんなにたくさん検査が必要なんですか?私、どこも痛くもないし、悪くもないと思うんですけど……それに、なんでここにいるのかも知らないし。私、昨日は普通に自分の部屋のベッドで寝たはずなのに気がついたら入院、って……。説明してください。--さすがにこのまま何も聞かずにここにいたくはありません。」

 首だけ振り返って、車椅子を押し続ける上木に向かって言い放った。

 家に帰せ、と叫ばなかっただけ冷静だったと思ってほしい。一日中何も言わずに我慢していたのだ。念仏は唱えたけれど。

 それに、間違ったことは言っていないはずだ。寝て、起きたら別の場所で目を覚ましたなんて。暴れて逃げ出さなかったのは私にその度胸がなかっただけなんだから。普通の人間ならまず拉致か監禁かと慌てふためくところだと思う。

 「……すみません。今日は起きたばかりで検査も続いて疲れているでしょうし、もう夜ですから。明坂さんの状態については明日必ず説明します。明日は聞かれたことにはすべて、隠さずに答えます。だから、今日はもう休んでください。ね?」

 いきなり声を尖らせた私に、驚くでもなく、子供に言い聞かすような声色で、そのくせ敬語でなだめにかかるその男がこの瞬間はひどく憎たらしく思えた。いくら丁寧に柔らかい言葉で話されたところで、結局こちらの要求を呑む気はこれっぽっちもないのだ。

 「……………………分かりました。明日、必ず説明してください。」

 せめてもの反抗にたっぷり間を置いて、できる限り尖った声を出してやった。そんな私はやっぱり子供なのかもしれなかった。

 「はい。必ず。……さ、着きました。何か必要なものがあればそこの電話で繋がりますから、いつでも遠慮なく電話してください。内線を押して、六番です。」

 そして上木は、夕飯をもらってきます、と言って部屋から出て行った。

 朝起きた部屋とは違う部屋だ。七、八畳くらいだろうか。

 相変わらずSFベッドだが、さっきの部屋よりコードは少ないしモニターもない。こちらはカプセルにはならないらしく、普通のベッドがちょっとメタリックになったくらいのものだった。ベッドの他にはやたらと薄い壁掛けのテレビと三段のチェストが一つ。それに小型の冷蔵庫らしきものと、壁側にはクローゼットまである。冷蔵庫の中にはペットボトルの水とお茶が何本か入っていて、さらに驚いたことに浴室とトイレまであった。これはもう入院部屋というよりは普通の一人暮らしの部屋のようだ。

 一通り部屋の造りを確かめた後、なんとなく外の空気を吸いたくなって窓を開けた。検査の途中に上木に確認したところ、ここは三階らしい。それなりの高さにあるこの部屋からは窓の外がよく見える。

 弱い風が時折カーテンを揺らす。京の髪も一緒に揺れる。窓に映るのは見慣れたセミロングの髪と、見慣れた自分の顔。入院着の上から羽織っている薄いカーディガンも、少しだけふわりと揺れた。ちなみにこれは備え付けのクローゼットの中に入っていた。

 ----どうして私は今こんなところで風に当たっているんだろうか。

 眠る前、最後にきちんと記憶に残っているのは自分の部屋のベッドで毛布にくるまったところだ。天気予報で雪が降るかもと言っていたから、寝る前にはどうか積もりませんようにと祈ったかもしれない。

 それが起きてみれば入院生活だなんて、これが胡蝶の夢というやつなのか。こちらが夢か、あちらが夢か、どちらも本当か。

 今日は……今日なのかよく分からないが、デートの約束があったのに。彼はデートの約束を反故にしたところで怒る人でもないけれど、今頃心配しているかもしれない。連絡だけでもさせてくれないだろうか……

 そんなことをつらつらと考えていると、コンコン、と扉がノックされた。

 「どうぞ」

 顔も向けずに入室を許可した。どうせ入ってくるのはあの人なのだ。まだ怒っていることをアピールしておいても罰は当たるまい。

 「……もうそろそろ春ですけど、さすがにその恰好では寒いんじゃないですか?もちろん、気にならないなら開けておいてもいいんですが。」

 そんな京を見ると、彼はなんでもないようにそう言った。分かっているのか、そうでないのか。多分彼は分かっていてそういう物言いをしているように見える。

 京は何も答えなかった。ただ、風が髪を撫でるのに任せていた。

 「今日は栄養ゼリーですが、明日の検査結果が良ければ普通のご飯になりますから今日は我慢してください。それと、一緒に置いてある薬は寝る前に必ず飲んでください。飲んでなかったら明日質問には答えませんからちゃんと飲んでくださいね。」

 その後も、部屋の設備は自由に使っていいだとか、セキュリティの関係で夜になるとロックがかかるから何かあったら電話を使えとか、言うだけ言って上木は去っていった。その間京はずっと窓の外に目を向けていたわけだが、さすがに馬鹿らしくなったので上木が部屋から消えた後は言われたとおりに過ごした。申し訳程度に甘みのあるゼリーを飲んで、遠慮なくシャワーを浴びて、ベッドに入る前には薬を飲んだ。そうしてベッドに横になれば、あっさりと眠気が京の意識をさらっていった。

 上木が「もうそろそろ春だ」と言ったことも、風が昨日よりも暖かかったことも、木に茂る葉が青かったことも、最後まで気がつかない振りをした。


 

 

 --明坂京は、いたって普通の女子大生である。

 「普通」というのにも色々とあるだろうが、あくまで世間一般の「普通」の域から出ない、という「普通」である。実家のアパート暮らし、母一人子一人、一般的な女子大生よりは少し多めにアルバイトをして家にお金を入れる。どちらかというと「苦しい方寄りの普通」であったかもしれない。

 ……これは夢なのだろうか。幼いころの記憶から順番に、くるくると情景が流れていく。不思議とその全てを鮮明に見ることができた。これが走馬燈というものなのかもしれない。

 まだ一軒家に住んでいたころ、お隣さんに一つ下の男の子がいた。小、中学校と同じ学校に通っていたが、思春期を迎えたころからは話をすることもなくなった。しかし、彼とは巡り巡って後々再会することになる。何の因果か同じ大学の先輩後輩として、だ。どこにでもいる普通の知人以上幼馴染未満。そう言えば苗字ではあまり呼ばなかった。彼のことは昔から「チカ君」と呼んでいた。名前の内の一文字から取ってチカ君だ。まあ、彼のことは置いておこう。

 小・中が過ぎ、高校生になるとアルバイトを始めた。両親が離婚をしたのもこの頃だった。ある程度私が自立したこと、父が浮気相手と子供を作ったこと、そして父の借金。実はかなり前から話し合いは進んでいたらしいが、まあ様々な大人たちの事情が絡んだ結果、この頃離婚に踏み切った。持ち家を手放して、父と離れ、母と二人での生活が始まった。それ以来父には会っていない。慰謝料や養育費、生活費に借金の返済など、お金は一切渡してもらっていないようだ。この時ばかりは母が何を考えているのか分からず、なぜ自分から進んで苦労したがるのか不思議でしょうがなかった。だって母だけではない。私だってかなり大変になった。それで、ようやく普通の生活水準を維持して生活できるようになる頃には高校の卒業が目前に控えていた。三年間の高校生活はアルバイトに費やした。

 しかし、大変だ大変だと言ったってもっと大変な人はこの世に山ほどいるし、なんだかんだ借金をして大学にも入った。母とは割と良好な関係を築いていると思う。少ないながらも友達だっている。今のところ単位を落としたこともない。

 周りの人間よりかはいくらか苦労をして、いくらか色々なことを考えたが、それでも私は普通に生活していた。多少の不満はあれど、楽しいこともたくさんあった。

 だから、こんなよく分からないことが起こることは想定外だったのだ。この先も変わらずに私は普通の生活をしていくものだと思っていた。いや、そんなことすら思わなかった。そんなことを考える必要もないと思っていた。だって普通に生活していくことは私にとって当たり前のことだったのだから。

 明日は雪が降らないといいな。電車が止まってしまうかもしれないし、なにより靴がびしゃびしゃになるし。明日はデートの予定なのだから、コンディションは良い方がいいに決まっている。

 私が「明日」に期待したことなんてその程度だったのだ。

 それなのに、「今日」になってみれば私の世界は様変わりしていた。ここはどこ、あなたは誰。私の日常はどこに消えた。

 夢の中なのに異様に寒い。背中に冷たいものが吹き抜けて、思わず自分の体を抱きしめる。

 

 ……そういえば寝る前に窓をきちんと閉めなかったかもしれない。

 春の朝の冷たい風を浴びながら、夢うつつに思った。


 

 「……ぅ、」

 ------ピチチチ、チチッ、

 鳥の鳴き声がやたらと頭に響いた。うるさい。

 しょうがなくぼんやりと目を開け視線だけで周りを見回して、ああ、自分の部屋じゃなかったんだっけ、と京はため息をついた。あくびも出ないほどの深い眠りだった。覚えていないけれど、もしかしたら何か夢を見たのかもしれない。目尻に少しだけ涙が乗っていたので、容赦なく寝間着の袖で拭った。

 空調管理がされているのか風が吹き込まなければ寒さを感じることはなかったが、その心地の良さが妙に癪に触って早歩きで半開きだった窓を全開にした。初春らしい柔らかな日差しと冷たい風が容赦なく降り注ぐ。

 爽やかな朝だ。でも希望の朝ではない。決して。

 忘れてはいない。今日こそ上木から話を聞かなければいけない。すなわちある程度の心構えをして臨まなければこちらが丸め込まれる。一日接しただけでもなんだか彼は非常に食えない感じがしたのだ。戦闘準備は万全にしていかなければ。

 コンコンコン、とノックの音がしたのは丁度その時である。

 「…………。」

 出るか、出まいか。京は扉の鍵を睨み付けた。

 多分扉の向こうで律儀に三回ノックをしたのはヤツだという確信があった。なぜか。

 しかし居留守、というかまだ寝ていますという体を装う方向に脳内会議が収束しかけたところで、なんとヤツは扉の鍵を開けて部屋に入ってきたのだった。睨み付けていた扉の鍵がひとりでに回り始めた時にはさすがにびっくりしたが、よくよく考えてみれば一応入院中の身なのだし主治医ならそりゃあ鍵くらいは持っているだろう。というか病室に内鍵が付いている方がおかしい気もする。

 そして堂々と部屋に入ってきた主治医サマは窓際に佇む私の姿を見て、「……朝からそんな所にいて寒くないんですか?」と事もなげに言った。むかつく。

 「またゼリーで申し訳ないですが、朝食です。で、朝食をとって用意ができ次第八番に連絡していただけますか?そんなに急がなくても大丈夫ですが、あんまり遅いとまた僕が鍵を開けて入ることになるのでよろしくお願いします。」

 そう言って上木は昨日と同じようにゼリーのパックが乗せられたトレーをチェストの上に置いた。勝手に部屋に入ることをしっかりと脅しの材料に使ってくる辺りが食えない男たる所以だろうか。

 「……分かりました。八番ですね。あの、昨日の約束、覚えてますよね?」

 とまあ心の中ではボロボロにこき下ろしていようが、それを表に出せるほど京の肝は据わっていない。いくら意気込んでみても、いざ口から出てくるのは萎れた口調の伺い言葉だけだ。

 しかしすぐにまた胡散臭い返答が返ってくるかと思われた上木の口は、意外にもなかなか開かなかった。答えをためらうような、何と答えればいいのか考えているような間だったが、

 「……もちろん。ちゃんと答えますよ。だからしっかり用意してくださいね。」

 結局はそんな無難な言葉に落ち着いたようだった。なんだかその答えの中に含みを持たされているような気もしたが、そこまで理解できるほど京は彼のことを知らないし、それを求められているわけでもなさそうだったので、はい、とだけ返事をした。

 京がそのためらいの意味を理解することになるのは、その一時間ほど後のことだった。


 

 

 「端的に言うと、今は明坂さんが思っているよりも約四年後の世界です。」

 真面目な顔をして彼はそう言った。

 「……えー、と。……どういうことですか?」

 よく理解できなかった。


 「そのままの意味です。起きてすぐに、僕は明坂さんに『年齢は?』と聞きましたね。明坂さんは二十一歳だ、と答えた。でも、違うんです。戸籍上、明坂さんは今日の時点で二十五歳です。」

 やっぱり何を言っているのかが全く理解できなかった。目の前の彼が自分と同じ言語で喋っている気がしなくて、何か遠い世界の話を聞いているようだった。

 「……でも、私は一昨日のこともちゃんと覚えています。自分の部屋で、普通にベッドで寝たはずです。何の病気もしていなかったし、そんな、四年、って……。」

 「……季節が、変わっているでしょう?」

 「っ、」

 それは、考えまいとしていたことだった。自分の部屋で寝る前のニュースでは「明日は雪だ」と言っていたのに、冬にしては暖かい日差しに気温。「もう春だ」と言う上木の言葉。違和感は様々なところにぽつぽつと染みを付けていたが、そもそもこの場所にいることすら説明がつけられなかったので、深くは考えなかった。考えないように、していた。

 それが、蓋を開けてみたら四年後です、なんて。今日びそんなドッキリは流行らないんじゃないだろうか。

 「四年前の……厳密に言うと四年と少し前の一月に、明坂さんは交通事故に遭いました。恐らく覚えていないと思いますが、雪の日にスリップした乗用車に追突されたんです。記憶にないのはそのショックからでしょう。そしてそのまま昏睡状態に陥りました。」

 「交通事故……昏睡……?」

 まったく覚えていない。記憶を探ってみても、一番最後はやっぱり眠る前のベッドの中だ。

 「恐らく今の時点では信じられないでしょうが、証明するものはたくさんあります。後で、欲しければ用意します。ーーーー明坂さんの病名は『進行性進化症』。」

 なんだか彼は病名を告げることを、……彼がそういう役目をやらされているということに何も感じていないようで、それがまた現実味の無さを感じさせた。ただ淡々と進む事実のすり合わせに、一方的に私の心がすり減っていくだけだった。

 「今のところ、治療法は見つかっていません。進行を遅らせる方法もありません。……というのも、この病は病ではないかもしれない、というのが大方の研究者の意見です。」

 「……?」

 「進行性進化症は、その名前の通り『進化する病』です。」

 「病気がどんどん進化していく、ってことですか?」

 「いえ、進化するのは病気ではなく明坂さん自身です。」

 「は?」

 堪えきれずに疑問の声が漏れた。

 「人間を進化させる病なんです。ですが、症例が少なすぎてその症状は未だ解明されているとは言えない状況です。世界的に見ても非常に珍しくて、明坂さんを含めても現在は世界で七人しかいません。」

 「あの、ちょっと待ってください。進化させる?どういうことですか?私交通事故に遭って、それでちょっと目が覚めなかっただけなんですよね?それに世界で七人って、そんな……」

 「明坂さんが混乱するのは分かります。しかし、全て本当のことです。これまで話したことも、これから話すことも、全て本当のことです。」

 「…………。」

 「話を続けますね。」

 そうして、彼は淡々と、殊更丁寧に噛み砕いて説明をした。

 「進行性進化症」……過去に遡ってもも十二人しか確認されていない奇病である。原因は不明。ある日なんらかのショックをきっかけとして昏睡状態に陥り、そして目覚めた彼らは「進化を始める」。

 ある者は常人を超えた力を手に入れ、ある者は特殊な身体能力を手に入れた。

 ……最初にその病にかかったのは、外国に住むある青年だったそうだ。

 今から二十年ほど前、彼は仕事中の事故で頭部を強打。それにより昏睡状態となり、……そしてその二年後唐突に目覚めた。

 彼が昏睡状態に陥ったとき、町で一番大きな病院の医者は「自分では原因が分からない」と都会の大きな病院への紹介状を書いた。都会の大病院でも意識の回復は見込めず、彼に関わった医者たちは全員が頭を抱えた。

 そんな折、最初に彼の異変に気が付いたのは彼を担当する看護師の一人だった。

 一つ目の異変は彼の見た目が全く変わらないことだった。

 彼がその病院に入院して一週間が経っても、二週間が経っても、一か月が経っても、彼の髪が伸びることはなく、筋力の衰えすら見られなかった。体から垢の臭いがすることもなかった。ひたすらに、昏々と彼は眠り続けた。ただ事故で負った傷だけは治っていった。

 これは普通ではないと、看護師は医師に報告した。医師は知り合いの研究者へと相談を持ち掛け、研究者はぜひ彼の病を解明したいと彼の家族に持ち掛けた。

 貧しく、働き手を失い生活に困窮した家族は二つ返事で了承した。そして多額の金と引き換えにひっそりと研究機関へ検体として売られた彼は、幸か不幸か研究しつくされ、結果として彼の病名は新たに作られることとなった。

 「進行性進化症」。

 昏睡状態の彼の体は、ただ酸素を取り入れているように見えるだけの空の器だった。細く呼吸はしているものの、それは文字通り「吸って」「吐いている」だけだった。呼吸によって取り入れられるはずの酸素はただ鼻から口へ抜けていくのみで、心臓も機械でしか観測ができないほどに遅く、そして小さく鼓動を打つだけだった。

 しかしそれは彼の命を断つことはなく、つまるところ昏睡中の彼の体はほとんど「時間が止まっている」状態だった。髪は伸びず、排泄がされることもなく、汗をかくこともない。傷だけが治ったのは、そのまま身体の時間を止めればいずれ健康に害を及ぼすと病気が判断したからだろうか。傷の周りの細胞とそうでないところのものを比較してみると、やはり細胞年齢に開きが見られた。

 そんなこんなで彼は世界でただ一人、未来へのタイムワープを果たしたというわけだ。

 そして突如昏睡から目覚めた彼は、まるで何もなかったかのように、彼にとっての「昨日の続き」を始めた。検体として金で売られたことも、誰にも何も分からない奇妙な病気になったことも飲み込んで、生命機能に何の後遺症を残すこともなく、その日から緩やかな進化を始めた。

 報告されているだけでも、筋力の増加、知能指数の上昇、視力の改善やその他様々な項目での改善、上昇、という言葉が並んだ。進化というには地味な変化だが、彼の基礎能力が全体的に底上げされたことはデータだけでも見て取れることだった。

 なぜ彼にだけこのような現象が起きたのかは未だ分かっていない。原因も、治療法も、メカニズムすら何もわからない。それがこの病気であった。

 「僕はこの病気の研究を始めてもうすぐ十年になります。ですが、未だにほとんどのことは解明できていません。研究の進みは非常にゆっくりとしたものです。残念ながら、進行を止める方法は未だ見つかっていません。」

 「あの、今聞いた限りだと何か悪いこと、というか、悪い症状?みたいなものは特にないような気がするんですけど。治療が必要な病気なんですか?」

 「……それも分からないんです。」

 ここに来て、初めて彼が少し困った顔をした。

 「先ほどもお話しした通り、病気の一例目が見つかったのが二十年前のことです。その彼を引き取った機関が研究成果を発表したのが十年前。……残念ながら、日本では我々の機関が進化症研究の最先端です。向こうの方でも、その後めぼしい成果は上げられていないそうです。患者第一号の彼についても、その後の報告は上がっていません。これから明坂さんにどういう症状が出てくるのかは分かっていないし、もしかしたら症状なんて出ないかもしれません。それも、分からないんです。研究者として恥ずかしい限りですが、それが現状です。……ここまでで何か質問はありますか?」

 質問と言われても、ここまで分からない分からないと言われてしまえば大抵のことは分からないのだろう。質問のしようが無い。

 「……特には。」

 特に質問がないからと言って理解できたわけではないということは是非分かっていただきたい。目の前の医者に。

 「そうですか。この後でも、何かあればその都度聞いてください。それで、今後の明坂さんの生活についてなんですが、」

 「せいかつ……生活、って、……ここ、四年経ってるって言いましたよね。」

 「?そうですね。新聞とか持ってきましょうか。それか何か……」

 上木が何かを提案してくれているようだが京はそれどころではない。

 四年も入院していたのだとしたら、入院費、いや、そもそも保険は適用されるのだろうか。たしか新薬や認定されていない病気というのは適用外になるのではなかったか--

 ザッ、と顔から血の気が引くのが分かった。

 未知の部屋で目を覚ましても、病気の告知をされても未だに現実味を感じなかったが金銭が絡めば話は別だ。

 「ああ、携帯の日付を見せれば早かったですね……明坂さん?」

 「……あの、私の入院費とかって、その……どうなっているんでしょうか。」

 上木がきょとん、とした顔をした。しかしすぐに納得のいった表情になった。

 「残念ながら、保険は適用されませんので治療費としてのお金は下りていません。ですが、……その前に、この場所の説明をしましょうか。」

 「え、あの、はい……?」

 そう言うと上木は立ち上がり、近くの棚から一冊の冊子を持ってきた。

 A3くらいのパンフレットのような大きめの冊子に、表紙には「内藤情報化学研究センター」と書いてある。

 「ここには入院施設もありますが病院ではありません。一応国立の、研究機関です。僕が所属するのはその中の『人体研究科第三班』と呼ばれる班です。三班では進化症の研究をメインに行っています。そして、明坂さんは三年前この施設に移送されました。」

 これがどういうことか分かりますか、と上木が聞いた。

 「いや……すみません。私あまり頭はよくないんで……。どういうことですか?」

 頭のいい人にはバカが理解できないポイントが分からないんだよなぁ、などと考えながら返す。しかしここが研究施設だからと言って何だというのだろうか。

 「向こうの青年と同じです。明坂さんはここに入院しているのではなく、検体として引き渡されたわけです。なので入院費やお金の心配は今のところはいりません。」

 「はぁ……なるほど。そうなんですね。」

 それはよかった、と京は息をついた。

 「……あの、ここは怒るところだと思うんですが。」

 「……そうですか?」

 寝てるだけで給料が発生しているなんて。心苦しいがこちらが怒るところではないだろう。どうやらバカにも頭のいい人が分からないポイントは理解できないらしい。

 「いや、怒らないならそれでいいんですが……。」

 上木は京の言動が理解できないらしく複雑な顔をしている。

 しかし、別に京だって何もわからないから怒らないわけではないのだ。

 彼の言動や状況からして、何年か寝こけていたというのは本当のことなのだろう。その間に勝手に金で売られたことに怒らないのかと聞いているのだろうが、京からすればそれは見当違いというものだ。

 例えば本当の意味で金で買われたというなら、何だというのだろう。

 交通事故に遭って、知らぬ間に病気になって、知らぬ間に入院していたわけで、そこに京の責任は一切無いと言ってもいいかもしれない。しかし、そんなことを言っても京の体だ。結局は京が責任を持つしかない。

 意識がない間の京の世話をするのは母しかいない。しかし、明坂家は良くも悪くもお互いに自立した関係の親子だった。京は母に何かをしてもらうことに抵抗を感じていたし、母も極力京に頼ることをしなかった。

 だから、母が京について何か苦労を背負い込まなくてすんだということはありがたかったし、今後自分の負担が少なくて済むというのもありがたかった。それに今後一切会えなくなるというわけでもないだろうし。

 病気になったことは誰も悪くない。だから、京は彼に怒るどころかお礼を言いたいくらいだった。まあ未だ病気の実感がないのでこれは現実逃避と言うのかもしれない。

 「まあ、怒らないならいいんです。僕もこの後の提案がしやすいので。」

 「提案?」

 上木から一冊の冊子が渡される。今度はA4の十ページくらいだ。

 「率直に言うと、このまま検体として研究に協力していただきたいんです。待遇の詳細はそちらの冊子に書いてあります。」

 ペラペラとめくってみれば、冊子には報酬や拘束時間などが記載してあるようだった。

 「あの、今すぐに答えろというのは無理、です。状況もよくわかっていないし、頭の整理もついていないので……。」

 「はい。もちろん返事は今すぐにではなくて大丈夫です。検査入院、というか検査期間が少なくともあと五日はあるので、できればその最終日までに返事をいただきたいと思っています。その間に説明が必要でしたら、その都度お答えします。とりあえず、ご一考いただければ。」

 そういうと上木はまっすぐに京を見つめた。

 「これから先、同じ病気になる人たちのためにもぜひ有意義な研究をしていきたいんです。どうか前向きに考えていただけないでしょうか。……よろしくお願いします。」

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