お嬢様はお命じになるようです
旦那様が目覚めなくなってから早半月、比較的北に位置するこの伯爵領に雪の季節がやってきた。
伯爵領では初雪を『雪の乙女の吐息』と言って、秋終わりに花の精霊に恋をした雪の精霊が恋煩いのため息で雪を降らせているのだという。自分が目覚める冬になったはいいが、起き抜けに一目惚れした花の精霊は春を待つために蕾となって眠りについてしまっていた。相手に気持ちを伝えたいのにその機会はなく、想いだけは深く降り積もっていった。それが冬の間で、春が来て花の精霊が目を覚まし、想いを伝えて恋が実ると雪が止むのだそうだ。だから、雪の乙女の恋が早く成就して雪が止むようにと願う祭りが朝から晩まで行われている。別館からは見えなかったが、本館に移った今では部屋の窓からよく見える。
この地域特有のアヒルの泣き声のような不思議な音を出す楽器と、太鼓の音が響き、外はとても賑やかだった。伯爵家の屋敷は愛人が来てから祭りの日だけは一部が解放され、窓の外で領民たちが出入りして玄関前の広場で大きな焚火を囲んで楽しそうに踊っているのが見える。
「初めて祭りを知ったときは、あそこに火矢を打ち込みたかったわ。そうすれば、少しは温かくなって雪も解けるだろうと思って」
あの時は初めて迎える北国の厳しい寒さと、伯爵家の恩恵を受け、そして伯爵領の一員として伯爵家を支えている領民たちへの憎さで大きな火が見たくなったものだ。別館の窓から見える木の中でどれが一番弓を作るのに向いているのか調べたのは今では懐かしい。
「今もそう思われますか?」
「まさか!」
もう流石にない。伯爵家に住んでいるという理由だけで領民に当たるのは良くないと分かっているし、ヴィヴィアナが火だるまになってほしいと思う人たちは定まっている。強いて何か言うとしたら、雪の乙女に恋なんかに身を落とすのではないと注意しておきたいくらいだ。
「今年も参加されないのですか?」
「当然よ」
参加するわけがない。彼らが待っているのは伯爵と、その愛人なのだから。行く分には構わないが、愛人と少しでも比べられでもしたら結局購入した弓で広場に人型蝋燭が量産されてしまうことは目に見えている。行かないことで彼らの寿命を延ばしてあげているのだ。――それに今日は祭りよりも大事なことがあるのだから、彼らに割く時間はない。
半月前、家令に実家から人を呼んでもいいという許可をもらった。本来は許可など必要ないのだが、今後ヴィヴィアナが行動するにはそれが一番だと判断したからだ。そのためにはここの使用人は信用できないと家令に改めて分からせなければならなかった。だから、ヴィヴィアナをよく思っていない侍女ランキングトップ10にランクインする侍女から比較的頭の弱いものたちを選んで言伝を頼んだ。すると案の定彼女らは行動し、墓穴を掘ってくれたおかげで家令から欲しい言葉を引き出せたわけだ。そもそも馬車に置き去りにされることは想定内だったので、実は厚着していたし、顔には血色の悪いメイクを施していた。メイクは家令が退出中にショールで拭い、震えは全て演技だ。つまり、家令たちはヴィヴィアナの手のひらの上で転がされていたわけだ。真実を明かしてねぇねぇ今どんな気持ち? と聞きたくなるくらいには愉快である。
家令を煽ってプライドをへし折るのはまた今度するとして、今は許可を得たことで呼んだ人たちが重要である。手紙は誰かしらに確認されている可能性もあったので、昔馴染みを数人お願いしますとしか書いていない。昨夜到着したらしいが、ユリィは会ってからのお楽しみと教えてくれなかった。そのせいで昨日はなかなか寝付けなかった。子爵領から馬車で六日もかかるのだ。着いた彼らも休息と荷ほどきが必要だ。だから約束は昼前にしてある。
領民たちを眺めていれば過去の恨みを思い出して少しは落ち着くと思ったのだが、そうもいかなかった。
「そろそろお昼ご飯かしら?」
「そう何度も確認されなくても、お昼はまだですよ」
「わ、わかっているわ! 少し確認しただけよ!」
まったくユリィはすぐからかおうとするんだから! と口先を尖らせるヴィヴィアナは随分と嬉しそうだった。ユリィもついつい幼い頃を思い出して笑ってしまう。この屋敷に来た頃はずっと塞ぎ込んでいて、復讐を糧に少しは明るい顔をするようになったが、ころころとこんなに表情を変えるのを見るのは婚前以来だ。それだけ楽しみということだ。
「さて、こちらの準備は整っていると彼らを急かしに行ってきますわ」
「だだ、大丈夫よ! みんなだって休まないといけないのはわかるもの……」
つい項垂れてしまう。時間がこんなに長く感じたのはいつぶりだろうか。仕方がないから本でも読んで時間を潰そう、と椅子に腰を掛けたところ、バーンといっそ小気味いいくらいの音を立てて扉が開かれた。
「お嬢様に会うためなら休息なんて必要ありません!」
赤く燃える炎のような綺麗な髪をした女が無遠慮に部屋の中に入ってくる。
「お嬢様、お久しぶりです! ラトが参りました!」
意気揚々と高らかに宣言し、ラトと名乗った女は手を広げた。ヴィヴィアナはその意図をすぐに理解して胸に飛び込んだ。
「会いたかったわ!」
「随分とお辛い目に遭ったと聞いています。ラトが来たからにはもう大丈夫ですよ」
ぎゅっと抱き締められて、そのぬくもりに安心した。ラトは兄の乳兄妹で、ヴィヴィアナにとっては姉のような存在だ。主従分け隔てない家風もあって、昔からこうしてよく抱き締めてくれた。
「姉さんったらぁ、先走るなんてずるいよぉ」
「約束の時間を守っていただかなければ」
「……ん」
「リト! ソイ! カーニャ!」
扉の奥からぞろぞろと入ってきて、歓喜にヴィヴィアナはみんなの名前を呼んだ。三人とも子供のころから特別仲の良かったものたちだ。誰かしらが来てくれると思っていたが、まさか全員来てくれるとは思いもしなかった。彼らは実家で重要な仕事を担うものたちだからだ。
「みんな、よかったの? だって、ラトとリトは兄様たちの侍女だし、ソイは子爵領の内政補佐をしてるし、カーニャはお母様の護衛があるじゃない!」
このままでは子爵領で支障があるだろう。それは望んでいない。だが、ソイと呼ばれた灰色の髪の男は穏やかに笑って首を振った。
「先日、僕たちがお嬢様のところに行くと辞表を出したところ、最後の命令だと伯爵夫人付きに任じられ、一斉にクビになったのです。なにも問題ございません」
問題ないわけがない。だが、実家に送った手紙でここまで精鋭を送ってくれるとは、家族も相当伯爵の仕打ちが頭にきているようだ。それが嬉しくて、なんだかくすぐったかった。彼らが来てくれれば計画の成功は間違いないだろう。ラトの腕の中で、ほくそ笑んだ。
「貴方たちが来てくれて嬉しいわ」
ラトから離れると、四人は並び、ヴィヴィアナに片膝をついた。まるで舞台の一場面であるかのようだった。部屋は静まり返り、そこにユリィも加わり、ソイが代表して「我らにお命じ下さい」と恭しく首を垂れた。
「ええ、我がルトルカス子爵家の精鋭たる貴方たちに命じます。わたしを侮辱した彼らに――――報復を」
「仰せのままに」
嘘か真かわからない次回予告
ついに奴が目覚める―――。
coming soon.....