お嬢様は計画を変えるようです
お久しぶりです。
突然の異動やら転居やらなにやらでなかなか書く時間がありませんでした。
年末でやっと時間が確保できるようになってきたので少しずつ投稿再開です。
1月中に終わらせることが一応の目標です。
最近、旦那様の様子がおかしいような気がする。それは先日視察から戻ってからだ。努めて元気なふりをしているが、それが演技であるとヴィヴィアナが見破れないわけがない。演技であればなんでも見破る自信があるから、旦那様の下手な笑顔でなにかを隠しているとお見通しだ。だが理由をなんとなく探ってみたが、口を噤んで答えてはくれなかった。距離感もなぜかおかしくて、いつもより一歩引かれている気がする。さて、どうしたものか。
ヴィヴィアナは筆に絵の具を付けると、キャンバスにそれを滑らせた。何度か筆先を小刻みに動かして浮かび上がりつつある白い猫の繊細な毛並みを表現する。この猫は子爵領の屋敷に住み着いた次兄の猫だ。小説の題材になると一週間ほど付かず離れず追いかけていたのをよく覚えている。あの時は結局屋根から落ちて怪我をして中断されたのだった。幸いかすり傷程度で済んで大きな怪我はなかったが、それをきっかけに書きたいことが思いついたと包帯の巻かれた手で新作を描き始めた。それを心配性な長兄がこっぴどく叱ったのだった。懐かしい。
最近なんだか、無性に絵が描きたくなる。この前描いたのは子爵領の庭だった。父がこだわりを持ってデザインしているそこを自分の部屋から見下ろすと一つの模様のように花も生垣の形も完成されていて、とても美しかったのをよく覚えている。筆をおいて、窓から外を眺めた。今は春真っただ中だというのに、綺麗な花の庭は整えられているが質素で、その奥には森と山しかない。本当につまらない場所だ。
ポーンポーンと時計の鐘が鳴る音が聞こえた。時計の針はおやつの時間を差している。身体も糖分を摂取しろとお腹を鳴らした。
「今日の旦那様の予定はどうだったかしら?」
鈴を鳴らしてユリィを呼び、そう聞くと、どうやら旦那様は今日は執務室で一日中業務をこなすそうだ。そういえば朝、一緒にお茶をしないかと誘ったが断わられたのだった。もう一度改めて誘うのもありだろうが、押しすぎるのも良くない。
ヴィヴィアナは、小さく息を吐いた。
「ソイを呼んでちょうだい。聞きたいことがあるわ」
ついでにお茶とお菓子も用意してもらった。ソイはそう時間も置かずに現れた。
「お待たせいたしました」
「今、お菓子も来たところだから大丈夫よ。それよりも聞きたいことがあるの」
「伯爵についてですね?」
「そうよ」
ソイも優秀だ。ヴィヴィアナがなぜ呼んだのかすでに察していたらしく、すぐに答えた。
「私は私情で仕事を疎かにする馬鹿は嫌いですが、どうやら伯爵はその馬鹿のようです。数日前から仕事が手についておりません。書類を処理するスピードは早いのですが、ミスが目立ってまるで使えません。元々使えない家令と言い、主従揃って役立たずです」
「その家令となにか話していたりしないのかしら?」
「特には。あの家令にそこまで主人を見抜く能力はありませんので」
「そうよね」
ユリィ特製のクッキーを一枚口に運ぶ。今日はレーズンの入ったもので、少し香るラム酒と相まって美味しい。
旦那様がヴィヴィアナを避けている原因だが、おそらく自信のなさからきているのだろう。演技で培ってきた人間分析能力がそう言っている。旦那様は元々当主になる予定のなかった次男であるし、歳の離れた兄が優秀だったというから尚更自信がない。ヴィヴィアナが以前の旦那様を求めていて、それは今の自分ではないとでも思ってるのだろう。正直、ヴィヴィアナはどちらでもいいというのに。
この対処はどうするのが一番いいのだろうか。今まで一定距離を保ってきたが、夜中に起こされるという迷惑事件もあったことだしもっと親密さを求めてみようか。だが、それは今の旦那様にはあまり良い方法とは思えない。計画を変えたほうがいいかもしれない。
「一点、報告がございます」
悩んでいるヴィヴィアナにソイはそう切り出した。
「なにかしら?」
「先ほど首都から手紙が届きました。国王陛下より建国記念祝宴の招待状が届きました」
「そういえばそんな時期だったわね」
ヴィヴィアナは興味のなさそうに返事をした。建国記念祝宴は一年に一度この時期に国王陛下主催で行われる。招待されるのは各国の大使やこの国の主要な貴族たちだ。もちろん主要な貴族に伯爵である旦那様が含まれていないわけがない。今までは療養を理由に呼ばれたパーティーは断ってきたが、国王陛下から直接招待があればそう簡単に辞退することは出来ない。
「旦那様はこのことを知っているの?」
「どうやら偶然居合わせた愛人の侍女たちが受け取って届けたようです」
「こちらに最初に回してほしかったというのに……。相変わらず目障りね」
最近大人しくしていると思ったが、そうではないらしい。そろそろ手を下すときかもしれない。
ヴィヴィアナは思案しながら頬に手を当てた。正直面倒ではあるが、建国記念祝宴に参加しないわけにはいかない。だが、これは好機かもしれない。社交界は魔境だ。前の旦那様は家族を殺された後から伯爵領を守るためになんとか潜り抜けてきただろうが、何の知識も経験もない今の旦那様が老獪な貴族や他国の大使たち相手にやっていけるだろうか。結果は目に見えている。だからそんな不安なときに煽ればいい。見た目は大人でも心はまだ十七の少年。きっとこちらの思う通りに動いてくれるだろう。
ふっと自然に笑みが浮かんだ。
「ちょうどいいわ。祝宴は一月後でしょう? すぐにドレスの用意を」
ラトを呼び、どんどん指示を出していく。もちろん優秀な侍女たちはすでに動き出し始めてくれているようだ。さすがである。
ソイには旦那様と社交界の以前の旦那様について情報をすり合わせるように指示を出した。しかしすぐに部屋を出ていく事はせず、ソイは座っていたヴィヴィアナの近くまでやってきて膝をついた。身長の高いソイが膝立ちをするとちょうど目線が合った。
「今日も絵を描かれていたのですか?」
小さな子供を心配してるかのような瞳だった。なんだか昔に戻った気分だ。
「ええ、お兄様の白猫のことを思い出したの。あの子は元気かしら……」
「僕が発つ前の様子しかわかりませんが、相変わらずご主人様のアトリエで寛いでいらっしゃいました」
「動物は鼻が利くというけれど、絵の具の臭いで満ちたお父様のアトリエにずっといられるならあの子はもう嗅覚がいかれてしまったのね」
「そうかもしれませんね。……それよりも、お嬢様はお疲れのように見えます」
「そうかしら?」
そんなに疲れているつもりはなかった。だが思い返せば最近よく夜中に起きる。今朝、ユリィも疲れているように見えると言っていた気がする。そんなに顔色が悪いのだろうか。そっと頬に触れるが、本当に体調が悪ければ優秀な侍女たちが休ませるなりしてくれるだろう。気にする事はない。
「特に支障はないわ。ソイは仕事をお願いね」
「…………はい」
何か言いたげだったが、ソイはその場を後にした。
建国記念祝宴までやることはたくさんある。頭の中でそれを羅列すると普段だったらうんざりする気分になるが、今はむしろ楽しみだった。今の旦那様との膠着状態を打開できるからだ。旦那様の心を掴むのはそう遠くない気がした。




