行儀見習いは恐れているようです 中編
寒さにハッと目を覚ました。
いつの間にか眠っていたようで、イネスは身震いをする。窓の外を見るとまだ早朝のようで薄暗く、部屋は指先がかじかむくらいに冷えていた。やはり大部屋で寝るべきだったと今更ながら後悔する。少しでも暖を取るために手をこすり合わせ、ほぅっと息を吹きかける。
昔の夢を見ていた気がする。あのときイネスは最善を選んだはずだ。そのお陰で奥様に気に入られ、いい思いをしてきた。だが、今この屋敷の中心はだんだんと変わりつつある。奥様ではなく、――ヴィヴィアナへと。
以前は奥様のお気に入りだったイネスをどうすることもできなかっただろうが、ヴィヴィアナがこの屋敷の頂点となればきっと『虚偽の申告』をしたと罰するだろう。イネスはそれが恐ろしくてたまらなかった。
イネスは伯爵領の豪族の娘だ。豪族の中では中堅で、伯爵家に行儀見習いとして来たのは礼儀作法を学ぶと同時に箔が付くからだ。そのお陰でイネスは前回の帰省の際にいい縁談が見つかり、婚約を交わすことになった。イネスよりも力のある豪族の息子で、礼儀正しい人だった。
あと半年。あと半年たてば行儀見習い期間は終わる。そうすれば婚約者と結婚し、今よりもいい生活が送れる。だがあと半年だというのに、最近はそれが酷く長く感じた。
仕事に行くことに嫌気を感じながらも着替え、大部屋で身体を温めてから持ち場についた。
お昼過ぎ、ラトルシュカというヴィヴィアナが呼んだ新しい侍女に数人の行儀見習いとともに集められた。最近、屋敷の仕事は彼女が取り仕切ることが多くなっている。侍女頭も口をだそうとしているが、ラトルシュカは采配が上手く、効率的かつ自分に合った仕事を振り分けてくれる。そして早く終わればその日は自由にしていいと言われているため、侍女頭に従わない人が段々と増えている。
「今日から数日間、こちらを運びなさい」
イネスたちが連れて来られたのはヴィヴィアナが輿入れをした際に持ってきた嫁入り道具の置かれた部屋だった。
昨晩、どうやらヴィヴィアナが伯爵の部屋の近くに移動することが決まったらしい。そのため荷物も一緒に移動させるのだが、彼女の侍女は少ないため人手が必要らしい。そこでイネスと数名の行儀見習いが駆り出されたのだ。最初呼び出されたときはヴィヴィアナに糾弾されるのではないかとびくびくしていたが、そうではなくてほっとした。
「このドレスはもう着ないので先に運び、こちらの美術品は折角ですから今度の部屋で飾りましょう。あとにもっていくわ」
ラトルシュカは最初の指示を出すと去り、カルリトヴァという別の侍女が細かい指示を出す。二人は双子の姉妹らしいが、綺麗な顔の造形は似ているのに髪型と仕草が違うので全く違う印象を受ける。だがそのおかげで誰も見間違うことがない。
カルリトヴァの言ったとおり、同僚とともに木箱に詰められた荷物を運び出していく。ヴィヴィアナの使っている客室は屋敷の中でも端の端にあるので、運ぶのは一苦労だ。
「美術品は高額のものもありますから気をつけてくださいね」
そうカルリトヴァが注意する声が聞こえた。すると、一緒に荷物を持っている同僚が話しかけてきた。
「ねぇ、高額な美術品ってなにかしらね?」
「さぁ? どうせ見栄を張っただけで安物の絵か皿よ。ヴィヴィアナ様って貴族の中でも爵位はそんなに高くない家出身って聞いているもの。この屋敷にあるものほどじゃないんじゃないかしら」
「わからないわよ! 男爵家や子爵家でもお金があるところにはあるって聞くもの! まさかルトルカスの絵とか? それなら気を付けなきゃ!」
「そんなのありえないわ! ルトルカスの作品は一財投じても買えないものがほとんどなのよ? たかが低爵位の家が持っていたとしても嫁入り道具に入れるはずがないわ! ほら、さぼってないで今日の分を早く終わらせるわよ」
引っ越し作業は三日にわたって行われるそうで、一日のノルマを終えれば今日の仕事を終わらせていいと言われている。ヴィヴィアナは日中やることがあるので新しい部屋に戻ってくることはないらしい。けれど、もしなにかあって部屋で鉢合わせることを避けるためにイネスは早く終わらせたかった。
男性の使用人がやればいいと思うほど重い荷物もあったが、女性の部屋に入れるわけにもいかず、貴重品も多いので関わる人を少なくしたいということでイネスたちが運んだ。そして、この日は何事もなく終えることができた。そして次の日も問題なく終え、手伝い最後の日となった。
カルリトヴァの指示の下、次々と木箱を運び出していく。何往復目のとき、イネスは白い布に包まれた膝丈の像を運ぶことになった。形的に人型の像のようだ。石でできているのか、少し重い。
「この仕事も今日で終わりかぁ。意外と楽でよかったのに」
歩く途中、同僚がそうぼやいた。昨日一昨日と何往復もして疲れはしたが、早い時間に上がることが出来て確かに楽だった。それに加えて特別手当も今回は出るらしいから万々歳である。だが、イネスはいつヴィヴィアナと顔を合わせてしまうのか緊張していたので、正直やっと終わることにほっとする。今日さえ乗り切ればまたほとんど顔を合わせない自分の担当場所に戻ることができる。
「あわよくばヴィヴィアナ様に気に入られて侍女になれたらって思ったのに、会うこともできなくて残念だわ……」
「アンタ、乗り換えるの早くない?」
「そんなことないわよ。イネスは奥様に贔屓にされてたからそう思うんでしょう? 私は元々ヴィヴィアナ様は気の毒だと思っていたし、我が儘言っていることも聞いたことないから仕えるのに奥様よりもずっとよさそうじゃない」
「ふんっ、もともと一人で事足りていたんだから三人いる今、新しく登用されることはないでしょ」
「わかってるけどさぁ、でも侍女に昇格したら自分の部屋が用意されたりして待遇が良くなるじゃない? 実家に帰れば結局変なジジイに嫁がされるんだから、それなら気に入られてずっと侍女でいたいわ……」
「ずっとヴィヴィアナ様が今の地位にとどまるのは無理よ。大怪我した旦那様はこの家を取り仕切れるのがヴィヴィアナ様しかいないから頼らざるをえないだけでしょ? でも治ったら、前と同じになるはずよ」
「イネスは馬鹿ね。本当にそう思っているの? 奥様は逃げたっていうのに?」
「それは……っ!」
「もういいわ。イネスはこの屋敷での仕事が終わればかっこいい婚約者が待っているんだものね? 後妻になる道しかない先が真っ暗な私とは違うわ」
同僚がため息をつくと、ちょうど荷物部屋に戻るのであろうカルリトヴァが見えて、口を閉じた。同僚はそうはいうが、イネスだってこの半年を乗り越えなければ結婚することができない。それがどんなに不安かわかるだろうか。自分だけ不幸だと思わないでほしい。
廊下の先にこの二日間で行き慣れた部屋が見えたが、なぜかその前に人がいる。中に人がいることはあっても、扉の前に立っていることはなかった。目を凝らすと、その人はヴィヴィアナの護衛だった。護衛がいるということはヴィヴィアナが部屋の中にいるということだろうか。身体をこわばらせた。――――その瞬間、横から誰かに押された。
「きゃっ!」
衝撃はそんなに強くなかったが、重い像を持っていたせいかバランスを崩し、膝をすりむいて転んでしまった。ゴンっと像が手から落ちる。
「ごめん、イネス。躓いちゃたみたいで……」
どうやら横からイネスを押したのは同僚だった。彼女は転びはしなかったようで、手を差し出してきた。だが、その目は一か所をみて固まっている。驚きに目を見開いていて、イネスもその視線の先に目をやると、さっきまで持っていた白い布からよくわからない球が転がり出ていた。―――それが先ほど持っていた像の頭だと気が付くのに数秒かかった。
『美術品は高額のものもありますから気をつけてくださいね』
初日のカルリトヴァの言葉が頭をよぎった。
明日もう一話。
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