前編
気がついたときには寺の門前に立って居た。
ぼうっと突っ立って、腹が立つほどに青い空を眺めていると、だんだん昨夜の記憶が甦ってきた。
村が襲われた。目の前で、家族が殺された。
恐くて、
恐くて、
恐くて。
必死に走った。走った先に、この門が見えた。そうして気がつくと、ここに居た。
「どうした、童っぱ。何か用か。食い物なら他の寺へ行った方が確実だぞ」
法衣を着た、厳つい中年の男が声を掛けてきた。坊主らしくない口調だが、法衣を着ているからには、やはり坊主なのだろう。
「俺をここに置いてくれ」
俺は坊主をひたと見据えた。
「親はどうした」
「殺された。昨日、目の前で。俺だけ生き延びた。当てがない。だからここに置いてくれ」
坊主は少し考えてから、歳は、とだけ聞いた。
「七つ」
「名は」
「伊助」
坊主は一言、着いてこいと言って、寺の奥へと歩き出した。
「儂は永斎と申す。ここには小坊主は居らぬ。儂一人だ」
歩きながら、永斎は言う。
「儂は元々、武家の出身でな。ほら、出家者ってやつだ。この寺も、儂の祖父さんが建てた物」
本堂の前に来たとき、永斎はぴたりと足を止めた。何だろう、と無言で本堂を見上げる。そんな俺を見て、永斎はニヤリと黒い笑みを浮かべた。
「ここを掃除しておけ、伊助」
それだけ言うと、永斎はどこへやら去っていった。
※※※
その日から、本堂の掃除と飯作りは俺の仕事になった。
朝は日の昇らない内に朝餉を作り、その後永斎と伴にお勤めを済ませ、朝餉の片づけ、昼食は無いので、それから夕方までに本堂の掃除を終わらせる。そして夕餉。何とも単調な毎日だった。
そんな毎日を淡々とこなしながらも、頭の中は憎悪の念で一杯だった。だから武家の出身だと言う永斎に、暇を見つけては武道を習いに行ったし、書物も、永斎に字を教わってからは内容を問わず、役に立ちそうな学問書は片っ端から読みあさった。
仏殿を掃除しながら、己の復讐劇に思いを馳せるという矛盾した日課。これでは釈尊にも俺は救えまいと、内心苦笑する。
しかし復讐を思い描いてはみるが、肝心の相手の居場所が解らない。それ以前に、俺の家族を奪った奴らが何者であるかさえ解らない。もどかしい思いだけがつのった。
「下らないことは、考えるな」
寺へ来て数年経ったある日、俺がいつものように矛盾した日課をこなしていると、珍しく永斎が声を掛けてきた。
「考えてなどいません。何も」
俺は動揺するでもなく、さらりと言ってのけた。しかし永斎は俺の応えを聞いて、軽くため息をつく。
「…儂の部屋へ来い」
説教が始まるのかと、少々うんざりしながら永斎の後をついて行く。
部屋に着くと、意外なことに菓子と茶を振る舞われた。
「明日あたり、空から槍が降るかもしれない…」
ぼそりと呟く。それでも永斎の地獄耳には届いたようで、軽く頭を拳骨で叩かれた。
「…で、何ですか永斎様。ただの茶飲み友達に俺を誘った訳ではないのでしょう」
「解っておるだろう、儂がお前をここに呼んだ理由くらい」
「解りませぬ」
俺は何食わぬ顔をして、永斎を見返した。
「しらを切るか。ならそれでも良い。しかし怨恨を繰り返して何になる。何をしたところでお前の家族は戻っては来るまい」
「…お前に、俺の何が解る」
自分でも驚くような低い声で呟く。手のひらに爪が食い込むほど拳を握りしめる。
「解らぬよ、お前の気持ちなぞ」
──所詮他人ごとでしかないのだ
腹立たしくて、唇を血が滲むほど噛みしめる。
「儂はお前に比べれば裕福な家の出であるし、父母や家族を殺されたこともない。幸いにして、戦に赴いても死にはしなかった。ただ爺さんだけが戦でおっ死んでいたが、それも儂が生まれる前のこと」
「…何が言いたい」
目の前の男を殴り倒してしまいそうな衝動を必死に押さえながら、一言呟く。対して永斎は、まぁ聞けと俺を制す。
「儂は、お前とは違う人間だ。育った環境も違うし、考え方も違う。だからお前の気持ちなぞ儂には解らぬ」
「……」
俺は永斎の意図が解らず、ただ黙っていた。
「だからこそ儂は、お前と言う存在を外から眺めることが出来る」
益々意味が解らなくなって、眉をひそめる。
「人と言うものは不完全でな、独りでは自分すら見失のうてしまう。お前は今、自分自身、本当にを仇討ちを望んでいるのか」
永斎は、ひたと俺を見据えた。
「儂にはそうは見えん。儂には、今のお前はただの…」
永斎は口角を吊り上げ、下卑た笑みを作る。
「復讐心に操られる、傀儡にしか見えぬ」
そう言って、永斎は部屋を出て行った。広い部屋の真ん中に、一人ぽつんと取り残される。
「傀儡…俺が…」
永斎の言葉が、ぐるぐると頭の中を巡っていた。
自然と、乾いた笑いが口から漏れた。
※※※
その日は雨だった。雨の日は床が濡れるなどして仕事が増えるので嫌いだった。俺は照る照る坊主を軒先に吊して、それに向かって悪態をつくことをせめてもの気晴らしにしていた。
案の定、床に泥が付いている箇所を発見して、悪態をつきながら拭き取りにかかる。
「……ッ」
思いの外しつこい汚れに、舌打ちをする。
やっと床を拭き上げたところで、突如、男の喚き声と荒々しく廊下を走る音が聞こえてきた。
「誰かッ、助けて…」
永斎の声でないことは確かだ。誰だろう、何かあったのだろうかと声のする方へと駆けていく。
本堂を覗くと、一人のずぶ濡れの男が永斎に縋る格好で居た。見たところ、近隣の村人のようだった。かなり取り乱している。
「どうなされた」
永斎は驚くでも不愉快そうにするでもなく、淡々と男に事情を聞く。
「村が…ッ、襲われた…ここから東にある村だ…」
その言葉を聞いて、ぴくりと身体が反応する。
「どんな奴らだ」
気がついたときには、俺はそう言って本堂の中にずかずかと入っていた。
「伊助、おま…」
「どんな奴らだ」
永斎に最後まで言わせず言葉を重ねる。
「…一人だった…神威党と言うらしい…」
「…神威党」
何度もその名を頭の中で反芻させる。
「家にいきなり訪ねて来た…妻が戸を開けた。そうしたらいきなり……」 男の顔がだんだん青ざめていく。
「顔は見たか」
男が頷く。
「伊助ッ」
永斎が怒鳴ったが、その声も無視する。
「…頬に傷のある男…それでも、人を殺すような顔には見えなかった…」
男はそこまで言うと、がくりとその場に崩れた。
俺は雷に打たれたような衝撃を受けた。背筋がすぅっと寒くなり、肌が粟立つ。
──同じ奴だ
そう、確信した。確信した瞬間、俺は自室へと脱兎のごとく、駆けた。後ろから永斎の怒鳴り声が聞こえたような気がしたが、無視した。
自室の障子を乱暴に開け放ち、脇目もふらず一点へと目を向ける。部屋の隅、布にくるんである細長い棒状の物。それを手に取ると、俺は雨に濡れるのも構わず外に飛び出した。
「伊助」
寺の門前まで来たとき、永斎が俺の名を呼ぶのが聞こえ、足を止め振り返った。振り返ったのは、その声にあまりにも抑揚がなかったから。もしかしたら単に、雨の音でかき消されていたのかもしれない。永斉もまた、雨に濡らされるがままにそこに立っていた。
「行くのか」
何も言わず、ただ頷く。
「行けば、もうここに戻ってくることはならぬぞ」
再び頷く。頷いてから俺は、一度だけ、永斎に向かって深く頭を垂れた。
俺はついに寺から出た。それは実に、五年振りのことだった。
何も考えず、ただ東へと駆ける。持ってきた細長い包みを胸にしっかと抱きながら、口元は歪んだ笑みを湛えていた。
寺からそう遠くない場所に、その村はあった。小さな、見るからに貧しそうな村。思考の隅で、自身が住んでいた村と、無意識のうちに重ね合わせていた。
遠巻きにしばらく村の様子を見ていると、雨の間に人影が見えた。
胸に抱いていた細長い包みを解く。布の中からするりと現れたそれは、紛れもなく人を斬るための道具。永斎から剣術を習った際に貰い受けた一振りだった。
音もなく、静かに抜刀して、人影が見えた方に向かってゆっくりと歩き出した。
※※※
その村からはもう死臭しかしなかった。物音も悲鳴も聞こえない。
目に付く家々を片っ端から覗いてはみるが、そこにあるのは、この惨劇の物言わぬ証人達だけ。
──もう立ち去ったか
奴はもうここには居ないのではないか、そんな不安が頭を過ぎる。雨の音しか聞こえないと言う焦りがつのって、無意識のうちに舌打ちをする。
土砂降りの雨の中、村の真ん中に突っ立って辺りを見回す。
──立ち去ったのなら、追うまでだ
例え地の果てだって、奴の息の音をこの手で止めるまでは。
「餓鬼が物騒なモン持ってンじゃぁねぇよ」
決意したとき、背後から間延びした声が聞こえた。即座に振り向き、刀を構える。
刹那、息をするのも忘れた。
思わず大きく見開いたその目に映ったのは、五年前に自身の家族を奪った、紛う事なき敵の姿であった。頬の傷、一見優男に見えるその顔。雨の中に、そいつは立っていた。
「良い構えだ」
言って男は微笑んだ。
「…殺す」
俺の言葉に、男は大声で笑い出した。
「何が可笑しい」
「…ッ、いやーわりィ。見事に俺の読みが当たったもンでな」
「…読み」
俺は眉を顰める。
いつの間にか、日は傾き始め、辺りは一層闇を濃くしていた。しかし雨はいっこうに止むことを知らない。雨だけが俺と男の間を隔てていた。
「お前、五年前のあの汚ぇ餓鬼だろう。俺ァ覚えてるぜ。俺があの時、逃げるお前を見逃したのは何故だと思う」
男は一旦言葉を切る。その間も、俺は構えを解かなかった。ただ、無言で言葉を促す。
「きっと、お前は俺を殺しに来ると確信したからだ」
男がニヤリと笑う。
「解っていて、何故生かしたッ」
予想外の言葉に愕然としつつも、反射的にそう叫んでいた。
──いっそ一緒に殺してくれれば、どんなに楽だったことか
そう思ったのは、一度や二度ではない。この世に一人縫い止められて。残されるが故に、余計に苦しい。
「何故だろうなァ。俺もよく解んねぇ」
「何故俺の家族を殺した…」
男はおもむろに、すらりと抜刀する。それを見て、俺は身を堅くする。
「お上の命令。それ以外に何もねぇよ。あの村を潰すこと、それが俺らの仕事だった、それだけだ。さァ、餓鬼。その刀は飾りじゃねぇんだろ。さっさと来いよ」
罠かもしれない、一瞬戸惑う。しかし、向かってくる男の鈍く光る刀身を見た瞬間、背中に戦慄が走った。まるで雷に体を貫かれたような、そんな激しい感覚。
「あァァァァァァァッ」
弾かれたように唐突に、絶叫しながら刀を振ると、無数の雨粒がすっぱりと切れていくのが解った。
そんな感覚の後に、手元に伝わる鈍い感覚。刀の刃を伝って柄まで流れてくるなま暖かい朱を見て、俺は我に返った。
俺の刀は男の胸を貫いていた。その事実を受け入れた瞬間、俺は世界が色を失ったような気がした。初めて人を斬ったのだ。憎い相手だとしても、怖くないわけがなかった。
視線をゆっくりと上げて男の顔を見ると、男はニヤリと笑った。
「餓鬼…名は…」
「い…伊…助…」
掠れた声で答える。その間も男の体からは血が溢れていた。
「伊助…ありきたりな名だなァ…俺の名ァやるよ…」
だんだん弱まる男の呼吸。恐怖で無意識のうちに涙が流る。
「神夜ッてンだ…俺もこの名を…お前と同じように…」
男は咳き込み、血を吐き出した。男の身体には依然、俺の刀が刺さったままで、男の体重を支えきれずに、男がその場に膝を折るのと同時に俺もその場に崩れた。
「覚えておけ…餓鬼…人殺しは…人殺しとしてしか生きられない…それ以上にも…それ以下にも成れはしねぇ…」
それだけ言うと、男はゆっくりと目を閉じた。 降りしきる雨音が止んだのはいつだったろうか。不自然なほど辺りは静まりかえっていた。
※※※
あの日から三年、俺は生きることに疲れていた。
今ならあの男が言っていたこと、あの男が俺を生かした理由、あの男の過去が手に取るように解る。何故なら、俺はきっとあの男と同じ運命を辿っているだろうから。
戦うことしか生きる術を知らない俺は、戦場でしか生きられなくなっていた。そして気がつけば、かつての神威党と同じような存在になっていた。
生きることが辛い、しかし自ら死ぬ勇気も持ち合わせていない。あの男も、神夜もそうだったのだろうと思う。だから俺を生かしたのだろう。
そんなことを考えながら、夜明け前の森の中を歩く。仕事の後で、足がふらふらしていた。
やっと自分の住むあばら屋が見えてきたとき、戸口の前に何やら黒い影が見えた。靄で霞んで、よく見えない。
猪が戸口の前で寝ているのかと思ったが、違った。子供だ。小さな、餓鬼。
死んでいるのかと思ったが、どうやら眠っているだけのようだった。
──口減らしか…
別段珍しいことではなかった。子を育てきれずに山に捨てに行く、自分の育った村でもあったことだ。大方捨てにきたところに、この小屋があったと言うところだろう。
何となく放ってはおけなくて、小屋の中に運び込む。思っていた以上に、その身体は軽かった。
俺は餓鬼が目を覚ますまで、じっとその顔を見ていた。目を覚ましたとき、この餓鬼はどんな反応をするだろう。そんなことを、取り留めもなく考えていた。
結局餓鬼が目を覚ましたのは、日が高くなってからのことだった。きょとんとした顔で事態を把握しようとしているのが面白い。
俺は、餓鬼の身体があまりに軽かったのを思い出して、飯の入った椀を目の前に置いてみた。餓鬼は、それが食べたくて仕方ない様だったが、警戒して口を付けないつもりらしかった。
「ほぅ、なかなか賢い童っぱだな」
幼い割にしっかりしている。いや、しっかりしていると言うより、聡いと言った方がこの子供には合っている気がする。
「食え、安心しろ。何も盛っちゃぁいない」
それでも警戒して口を付けない餓鬼が面白くて、俺はいたずら半分で椀の飯を食べ出した。
「あ」
餓鬼は、泣きそうな顔をしてこちらを見ていた。話を信じなかったことを後悔していると言う風だ。
「ほら、大丈夫だろ。そんな顔すんな、まだ飯はある。さぁ、食えよ」
言うと、餓鬼は驚くほどの速さで椀を取ると、一気に飯をかき込み始めた。おかしくて、つい笑いが堪えきれずに表情にだしてしまう。
「そんなに急くな、飯は逃げん。時に小僧、名は何と言う」
聞いた瞬間、餓鬼は手をぴたりと止め、何とも生意気なめでこちらを睨んできた。
「…こぞう、ではない」
「えッ…お前、女か」
髪が短いので、てっきり男だと思っていたが、違ったようだ。心なしか、餓鬼が怒っているように見える。
「つばき」
「え…」
「わたしのな《・》」
俺を見る、ひたすら真っ直ぐな瞳が面白くて、そうかとだけ言って椿の頭を撫でる。
「俺は神夜」
「…かなや」
「今日からお前は俺の弟子だ」
「……で…し」
ただの軽い気持ちだった。独りで居るのにも、人生にも飽いていたから、暇つぶしが欲しかったのかもしれない。何となく嬉しくて、椿の頭をわしわしと撫でていると、またあの真っ直ぐな瞳が俺をとらえた。
「かなや…わたしは…ここでなにをすればいい」
とても、幼子の言葉とは思えなかった。思わず頭を撫でていた方の手を止める。
「お前、聞かないのか。自分がどういう状況なのか」
少し驚いて言うと、椿は一瞬目を伏せたが、直ぐにまた真っ直ぐに俺を見る。
「わかっている。だからいわん」
目前の幼子はそう、言いはなった。その姿がかつての己と重なる。複雑な、何とも言いようのない感情が洪水のように押し寄せてきて、耐えきれずに俺は椿を抱きしめた。
「お前がそう言うのなら、俺は何も言わない。でも、これから俺が言うことをよぅく聞いてくれ。お前はこれから俺と伴に…」
椿の顔をしっかり見据えるために、ゆっくりと身体を離す。
言葉を継ぐのに一呼吸置く。
「“人を殺す仕事”をするんだ」
言って、内心自嘲する。己は何がしたいのか、と。
俺の言葉に、椿はと言うと──笑った
綺麗に、儚げに、彼女は微笑んだ。驚いて、一瞬惚ける。
「いいよ……おしごと……わたし…なにをすればいい」
いったい何を考えているのか。彼女の笑顔は、早朝の森に立ちこめる靄のようで、そこからは何も読みとることが出来なかった。
昔の俺を見ているようで、少し悲しかった。




