十五年経ちました。お元気ですか?
──これは、俺が小学二年生だった頃の話だ。
その日、俺は家で一人留守番をしていた。
留守番には慣れていた。両親は共働きだったから、平日学校が終わると、夕方になって母が帰ってくるまで俺は家に一人だった。
普段通りに宿題をしていると、階下で電話が鳴っているのが聴こえた。
俺は慌てて受話器を取りに行った。
こういったことは、よくある。
父か母のどちらかか、留守番をしている幼い息子を心配して電話をかけてくるからだ。
もしも電話の相手が知らない人でも、「お父さんとお母さんはいません」と言うだけなので、俺は電話に出ることに躊躇いを持っていなかった。
───その日受話器越しに聴こえてきたのも、全く知らない大人の声だった。
『もしもし、Kさんのお宅でしょうか?』
女の声だった。
営業っぽいというか、よく化粧品が云々といった宣伝の電話に、声のトーンなどがよく似ていた。
しかし、大体がまず自分の肩書を名乗ってくるのに対し、こうして「〇〇さんのお宅でしょうか?」という確認から入る電話は初めてだった。
父か母の知り合いかもしれない、と思った。
「はい、そうです」
自分が次に言う言葉は決まっていた。
相手が両親どちらかの知り合いであろうとなかろうと、俺にできる対応は一つだけ。
お父さんとお母さんはいません───言い慣れたそのセリフを、今まさに口から出そうとしたその時。
電話の女が言った。
『遅くなってすみません。十五年経ちました』
俺は「お」の形の口のまま停止した。
十五年? 俺が生まれる前だ。
一体なんのことだろう?
いきなり訳のわからないことを言われ、俺は混乱した。
もしかして、これが不審者というものだろうか。
学校で習った対処法だと、確か──。
『Hさんはお元気ですか?』
H───俺の祖父の名前だった。
なんだ、おじいちゃんの知り合いか。そう一瞬納得しかけて、よくよく考えてたらおかしなことに気が付いた。
祖父は、先月亡くなっているのである。
彼が病気していることは知っていた。
せっかく会いに行っても、いつも椅子に座っているか、ベッドで寝ているかだったし、晩年はずっと入院していた。
記憶の中の元気だった頃の姿ですら、薬を飲む姿と自分で自分に注射をしている姿くらいしかない。
彼の知り合いなら、そのことを知らないはずがない。
仮に亡くなったことを知らないのだとしたらまだわかるが、「お元気ですか?」なんて聞いてくるのは少しおかしい気がした。
「……おじいちゃんは、この前死にました」
身近な人が亡くなったのは、初めてだった。
悲しい記憶を思い出しながら答える。
すると、受話器の向こうの声は、
『そうですか。それは良かった』
───冷たくそう言って、電話を切った。
ツー、ツー、という音を聞きながら、俺は受話器を握ったまま立ち尽くしていた。
しばらくすると、ふつふつと怒りが湧いてきた。
人が死んで、「良かった」だと?
大好きだった祖父を馬鹿にされた気がして、無性に悔しかった。
今の俺ならかけ直して怒鳴ってやるくらいだったが、当時の俺はその機能の存在を知らなかった。
それから、一週間。
またあの女から電話がかかってきた。
例によって、俺は家に一人だった。
『Kさんのお宅ですか?』
「! そうです!」
受話器を取って、俺は思わず息を呑んだ。
その喋り方と声から、前に電話をかけてきた女と同一人物だとすぐに気付いた。
今度こそ「お父さんとお母さんはいません!」と言って切ってやる。
二度と声なんか聞きたくない。
──そう肩を怒らせていた俺に、女は言った。
『あなたは、☓☓君ですね?』
女が呼んだのは、俺の名前だった。
「え……?」
『☓君ですね?』
いきなり自分の名前を呼ばれ、俺の体は硬直した。
何も言えない俺に、女は機械的に名前の確認を繰り返す。
思わず、「そうです」と答えてしまった。
『十五年経ったら、また連絡します』
そして電話は切れた。
俺は、再び受話器を持って立ち尽くした。
───あれから、もう十一年経過した。
今の俺は十九歳。
小学生の頃に受話器越しにたった二回聞いただけの声なんて、もう忘れてしまった。
でも、あの出来事だけは覚えている。
十五年───俺が二十三歳の時。
四年後の俺に、一体何が起きるのだろう。