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序:マヨイミチ

数年前に某新人賞に応募してみた作品です。二次選考で落ちたものですが、今読み返してみるとどうしてこんなものを送ろうという気になったのか不思議でなりません。

ダークファンタジー、ミステリー、いくつかの視点から語られる長編です。

 序:マヨイミチ


 願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ

 来む世には心のうちにあらはさむあかでやみぬる月の光を


 -西行-


 

 街頭を瑞々しく彩る青葉が光彩に照らされ一層活き活きと輝いている。その背後にはこれほど空色が相応しい空が他にあるだろうか、と思うくらい突き抜けた青空が満面の笑顔でわたしを見つめている。

 優しい風がわたしの肌をなぞっていく。抱き上げた子犬に頬ずりする感覚。ひなたぼっこしている猫を膝に置いて微睡む感覚。プリンの海で泳いでいるような……そんな美味しそうな海、食べ尽くしてしまうかも。

 ともかくこのまま歩きながら昼寝ができてしまいそうだった。意識が混濁し、自分の身体が自分の支配から遠ざかっていく瞬間が好きだった。

 と、半分溶けてしまった周囲の景色に突如として飛び込んでくる黒い塊があった。閉じかけた眼をこすってこじ開けて見向いた。

 身体を流れる液体と同じ色をした二つの丸いお目々と視線が交わった。真っ黒な毛玉の塊に、くっついた長い耳。何をするでもないのにもそもそと動かしている小さな口。

 アリスだった。アリスはわたしの唯一の友達だった。

 ――やあゞ今日はおぜうさん。良い御天気ですね。

 ――然うですね。ここまで良い天気だとうとゞしてしまいますわ。

 そんな会話をかわしたかもしれない、かわしたくなるような様子でわたしとアリスは見つめ合った。絶えず動作している口の動きが可愛らしいのに、微動だにしない緋色の眼球が不気味に感じられた。

 どこから出てきたのだろうか、わたしは四方を見回した。街路樹が並び、挟んだ先には車がほとんど通っていない車道があった。さらに先には店舗やテナントビルが狭からず広からず整列していた。少し離れた位置に雑木林に続く細道があった。林を抜ければ水面ヶ百合高校があった。

 雑木林から出てきたのだろうか。

 再びアリスへ。これでもかというほど見つめられた。

 黒ウサギは突然きびすを返し、長い後ろ足で灰色を蹴り上げて駆け出した。

 わたしは顔面を『あ』の発音をする形に歪めた。自然と足が動いて飛び跳ねていく黒い塊を追いかけていた。

 わたしが追いかけてくるのを確認するかのように振り返った。赤目を瞬き、つんと澄まして進行方向を向き、ぴょいこらぴょんぴょん。歩道を疾走し、車道を突き抜けていった。

 ――待ってよー。

 わたしは内心で叫び声をあげた。

 一瞬だけ歩を止めた。後ろ脚で顔を掻き、尻尾を左右に振ってまた走り出した。馬鹿にされたと思った。

 わたしの声が聞こえたのか、先ほどより若干ゆっくりめの速度でアリスが先行していく。迷路みたいに入り組んだ住宅街を黒い塊が転がり進んでいく。それを眉間にしわを寄せたわたしが追いかけていく。

 逃げるというよりはわたしをどこかへ誘っているような感じだった。わたしとしては跳ねる度に揺れる小憎たらしいお尻を掴んで抱き締め、お前はどこからきたのだと問い詰めたい一心だったものだから足を止めるわけにいかなかった。

 ジョギングのようなテンポで一匹と一人が連なっていく。

 若干、身体が熱を帯び始めた頃、いきなりアリスが進行方向を変えて家屋の塀に突っ込んだ。

 瞬間的に嫌な映像が脳裏をよぎって目を逸らした。

 だが、かさりぱさりと乾いた音が耳を障っただけで衝撃的な音声が聞こえることはなかった。ぎこちなく首を音の向きに傾げると黒い塊がなくなっていた。

 塀だと思っていたのは背の高い垣根だった。

 アリスの消えた位置まで移動すると垣根に穴が開いていた。高校生以上が通るには小さすぎ、小学生高学年が通るにもやや小さく、アリスが通るには快適な大きさだった。

 前屈みになってトンネルを覗いてみる。

 暗がりの中で飛びでそうになった内臓の色を宿した眸子が輝いていた。こちらを向いてくくく、と声を殺しながら嗤っていた。

 このやろー!

 わたしは頭から蒸気をあげて穴に身を投じた。影に飲み込まれ視界が狭まった。四つん這いになって土の地を進行した。待ちかまえていた葉や枝が四肢を攻撃してきたが強引に突き進んだ。

 黒の身体がお尻を振り振り、のっぺり歩き出した。

 まるでブルドーザーか巨大芝刈り機かという体で狡猾な小動物を追跡した。哀れな枝葉たちはせめてもの抵抗としてわたしを刺すが儚くもその命を散らしていった。土に埋まっている蝉の幼虫を掘り起こしてしまったならば申し訳ねぇと思った。

 アリスは光が差し込む場所に進んでいた。長い耳を腕のように動かしてわたしを招いた。

 頭を俯けて進んでいく。この頃には冷静さを取り戻していたため葉の先が足の先を舐めただけで身体を震わせ、枝の先が身体を触れようものなら痛みに悶えそうになった。這々の体でようやく出口に到達した。

 垣根のトンネルを抜けると雪国であった、なんて文学的な一節があったようななかったような気がするが、とまれ目についたものは深々と降り続いている細雪だった。

 いや、それは青空を覆い隠さんばかりの桜の花びらだった。風の気まぐれに任せるがまま、花唇は流れ落ちていた。痛烈な花の芳芬が鼻腔をくすぐり、そのさらに奥部に入り込んで刺激を与えた。脳みそがとけてしまったみたく意識が心地良くゆらめいた。

 脱力感が全身を支配していく最中、わたしを取り戻させたのは手に奔った痛楚だった。液状化したものを一斉にホースでかき集めて急速冷凍するように慌てて我を構築すると、手を甘噛みしているアリスの姿が映った。

 その噛みつきが気持ちよかった、のはさておいてわたしはウサギを両腕で捕獲した。胸元に抱き上げてやるとそこが元々の居場所だったくらい自然に腕の中に収まった。またじっとわたしの顔を見ていた。

 ――何だよこの野郎。

 そんな言葉を指先に込めて顔を小突いた。

 しばし黙ってわたしのなすがままにされていたが、やおら指に噛みついた。今度は強くて痛かった。とんだS気質だ。

 アリスは身を丸め、取っ手つきの黒い球状の塊と化した。車の後部座席に無造作に置かれている、少々値が張るクッションだと言われても誰も気づかないかもしれない。

 さてわたしはようやく立ち上がった。その折、頭から葉っぱが落ちてきたので頭を振り回し、アリスをホウキ代わりに頭と顔を払った。胸元に戻ってきたアリスは緑葉をくわえていた。

 土壌はいつしか芝生に張り替えられていた。庭、というより庭園という表現が当てはまりそうな広い空間には手入れされた大小様々な樹木の姿が見えた。前方には鈍色の外壁をもつ家屋が確認できた。手前には大きな窓が備え付けられ、リビングルームらしき空間があったが、それ以外は窓一つなく見ようによれば牢獄さながらの外観だった。

 先ほどまで葉が乗っていた頭の上に桜色の雪が積もっている。

 どこから降り出しているのだろうかときびすを返した。

 背中に戦慄にも似た寒気が走った。

 周辺を幽玄の内部へ誘う霊木だった。同時に怨嗟も憎悪も悲哀も、全てを吸引して掘削してしまう大地の化け物だった。ふてぶてしく老獪な枝の全てに無数の桜花が寄生しており一つの山となっていた。山から際限なく顛落するのは無窮に散華し続け、無限に増殖を続ける花の弁だった。

 まだその樹木までは多少の距離があったにも係わらず、空恐ろまでの存在感でわたしを威圧していた。アリスまでもが驚いたように耳を顔をあげて怪物の姿見を血漿色の眼球に焼き付けていた。

 ――何て壮大なんでしょう。

 ――うん、そうだね。

 怪木が見せる耽美にふける午後の一匹と一人。また少し眠たくなってきた。

「何やお前、どっから入ってきたんや」

 のんびりさせてくれなさそうな大きな声が背後から聞こえた。

 反射的に背中を丸めてうずくまり、黒い友達と同じ体勢をとった。殴られると思った。

「何もせんからこっち向けアホ」

 今すぐにでも殴りそうな声色で言われた。

 わたしは恐る恐る起立しながら背後を振り返った。そこには髪の長い女の人が立っていた。わたしと比較すると背丈も高かった。目付きが鋭く、細長かった。年頃はさほど変わらなさそうだが気難しい顔をしていた。

 彼女はわたしを見るや否や、口をへの字に曲げた。

「汚いガキやなぁ。人ん家の庭に無断で入んなよ」

 悪意がなかったことを主張するため、わたしはひたすら頭を下げた。頸椎が拍子で折れてしまいそうなほど何度も下げた。

「何やそいつ。生きとるんか」

 続いて抱き締めているアリスに注目が向いた。

 アリスは血漿眼で女の人をじっと見据えていた。耳を動かした。彼女も負けずに見返し、何だか怖い人が因縁をつけあっているように見えた。

「何ずっと見とんねんコイツ」

 抑揚が怖かったのでかばうように抱き直した。顔を腕で押しつぶして柔らかい身体の中に押し込んだ。ひたすら耳を動かして抵抗していた。

「いや、別にそんなん相手に怒るつもりなんないけど」

 ほっ、と溜め息をつく。

「お前ここら辺の子?」

 ぶるんぶるん。

「どこの小学校? 中学校?」

 ぶるんぶるん。

「……てか、何か言えよ。うちが一人で喋ってアホみたいやないか」

 苛立った口調にわたしは怯え、首を振るしかなかった。

「バカにしとるんか?」

 目に涙が溜まってきた。

 どうして一つ足りないだけでこんなに不愉快に思われないといけないのだろう。

 わたしは泣いた。泣きながら口元で指を交差させてばつ印を作った。

 彼女は長く美しい髪を撫でつけながら考え込む素振りを見せた。イーっとした眼から不意に光が失われ、陰りを宿した。

「ごめん、そういうことか」

 わたしは髪を振り乱し、左右に首を振った。髪についた桜の花びらが落ちた。

 ようやく顔を出すことに成功した黒ウサギは葉っぱを囓りながらまたわたしを見ていた。

 女の人がやおら移動して桜の大木に近づいていった。彼女は花びらのヴェールが気にならないのか、至極平然と歩いていくものだから驚きだった。大木の根元まで歩いていった彼女は太い幹に腕を預け、ばつが悪そうにわたしを見た。

「家は?」

 口調までもが憐憫混じりになっていた。

 私は涙を拭きながらかぶりを振った。

「そっか」

 彼女の視線が徐々に下がっていつしか俯いていた。

「この隣に孤児院があんねんけど、行ってみたら?」

 ぶるりんぶるりん。

 そっか、と女の人は髪を撫でながら囁いた。その合間にも粛々と雪は降っているのだが、不思議なことに女の人の髪に結晶が積もることがなかった。

「この木見にきたんやろ? バカデカい木やし、目立つよな」

 友達を追いかけて気づけばここにいたなんて言えずわたしは曖昧に頷いた。何より数分前に目を吊り上げていた彼女が目を垂らしているので否定できなかった。

「もう十年以上、花咲かせてへんのにたまに満開になっとる気がする」

 彼女は額に腕を当て、そのまま幹に寄りかかった。

「いつか咲くんかな」

 わたしは小首を傾げて女の人を見た。アリスも女の人を見た。脚がずれてきたので抱き直した。

 深々、森々。ただしんしんと。

 彼女が強く短い溜め息をついた。表情をあげ、自分の頬を一度ぶって強い目付きを作り直した。わたしに近づいきた。長い髪の毛がふわふわと揺れていた。目の前で停止した。わたしの頭の上に手を置いて撫で回した。柔らかい指先がわたしの髪の乱していった。

 温かかった。

 こんなにも温かい指先を感じたのは初めてだった。頭の中までがにわかに熱をもち、それは徐々に顔を真っ赤にしていった。首筋に熱いお湯が注がれたようだった。

「ここにおると怖い悪魔に殺されるから早ぉ出て行き。で、気が向いたら孤児院行ってみ。うちの友達もおるし悪いとこやないはずやから。じゃあな」

 まとめて早口で吐き出すとにこりと笑ってくれた。きびすをめぐらせた。

 怪木のむこう側に歩いていった。

 ついていこうか、いくまいか、しばし悩んだ。けれども、しばらくするとに彼女の元に女の子が近づいていった。眼鏡をかけた、髪を編んだ子だったけど、何だか二人は似ているように見えた。眼鏡をかけた子が彼女の手を引ったくって強く握った。困惑混じりの苦笑を浮かべる彼女を尻目に、楽しそうに話しながら庭園の奥へ消えていった。

 絶え間なく吹雪く桜の弁と、不気味に蠢動する巨大な化け物と、アリスとわたし。

 立ちつくした。

 やっぱり、そんなもの。

 髪についた花びらを払うのすら面倒だった。甘い芳香が再び強くなってきた。

 手元の黒い塊を強く抱き締めた。苦しそうに脚をばたばたさせながらわたしを凝視した。赤い、黒い、変な目。

 ――どうしました?

 ――うん、ここってどこなんだろう。

 ――此処ですか。此処はマヨイミチです。

 ――マヨイミチ? 迷い道……。そう……わたし、迷子になっちゃったんだね。

 ――然ういう事です。

 ――別にいいや。

 ――あら、どうしてです?

 もう一度友達を強く抱いた。笑いかけると小首を傾げて凝視していた。

 ――疲れちゃった……。

 ――そう……それならばこの桜の樹にお願いしてみるのも一興かもしれませんね。

 見上げた眼界いっぱいに映っているのは、今まで見たことのない巨大な桜。

 甘ったるい、匂い。

 芝生の上に座り込んだ。アリスを膝の上に置いたが、逃げようともせず真っ赤な目でわたしを見返してきた。花びらが顔の上に落ちてきた。風も吹いていないのに、枝葉が大きくざわめいていた。

 無償の願いなんてあり得るはずがない。

 必ず代償と呼ぶに等しい応報が身を焼き払っていくことだろう。わたしはそれを知っていたから、恐ろしくて、恐ろしくて何も願わないことにしていた。

 でも、もう一度だけ、どうなっても構わないから願ってみたくなった。

次の章へと続きます。

読み返してから随時アップ予定ですので、気に入っていただけたならばまたご覧ください。

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