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あの夢の、その先の  作者: 佐倉洸記
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もう一度よろしくとさようなら

 目を開けるその前にまず音が戻ってくる。ひどく重く、それでいて乾いた音だ。命の潰える音がする。


「トーリ、大丈夫か!」


 肩に添えられた皮手袋ごしの手の感触が伝わってきて、それから僕はゆっくりと目を開けた。

 瞼を閉じていて暗闇に慣れた目に不意に飛び込んできた夕暮れの太陽の明るさにまた目をつぶる。戻ってきた。そう実感が湧く。


「大丈夫だよ、ナオト」


 出た声は自分が思っていたよりも随分穏やかな声だった。酷く錯乱して倒れこんだはずで、それはほんの少し前のことだったはずだけれども落ち着きを取り戻すことが出来た。

 もちろん胸の中にある悲しみは消えることなく残っているし、それは容易くなくなるものではないのだろうけれど前を向くことは出来る。そう確信していた。

 ここまで心の中を整理することが出来たのはやはりあの夢の中の出来事が大きいと思う。自分がしなければいけないことが明確になった。なにより、彼はきっと。


「間に合わなくてごめん。何より、その……」


 僕の気持ちを推し量るように小さな声で話だしたナオトの視線の先には僕に隣に横たわる母さんがいた。僕が落ち込んでいるから黙っているのだと思って何か話そうとしてくれたのだろう。

 その気遣いが嬉しくてこんな時なのにほほが緩む。本当に僕はいい友達を持ったな。短い金髪がいつかの坊主頭と重なる。


「母さんのことは大丈夫。ちょっと混乱したけど、もう落ち着いた。大丈夫」


「お前が大丈夫だって何回もいう時は大抵大丈夫じゃないんだよ、ばか」


 ああ、ほんとにナオトには敵わない。どれだけ隠そうとしても全部ばれてしまう。

 心の整理はついたけど、それはやっぱり前を向かないとと頭で無理やり言い聞かせたもので傷は疼いたままだ。

 精一杯いつもと同じように微笑み返したつもりだってけれどナオトにはたぶん全部ばれている。ナオトの目にも光るものが見えて僕もようやく引っ込めたはずのものがつられて流れ落ちそうになるから困りものだ。

 変わったものと変わらないもの。一概にどちらがいいかは断ずることは出来ないだろう。けど僕は変わらなくて良かったと思う。ナオトがこうして近くにいてくれて本当に良かった。

 だから話したかった。

 こんな時だけど、ちゃんとナオトには話したかった。


「なあ、ナオト。僕さ、全部思い出したよ」


「え?」


 急に話し始めた僕をナオトが訝し気な顔で見る。その顔すらも今では、そう言えば前世でもこんなナオトの顔を見たことがあったっけと思い出して、何故だか笑えてくる。


「昔のこと。前世のこと。学校のこと。そしてあの日のこと」


 訝しげだったナオトの顔が徐々に驚きに変わっていく。僕は少し息を吸い込んで、それが肺に届いたのを確認してから続きを話す。


「忘れてた、というか思い出さないようにしてたんだと思う。あの日、ナオトの手を掴めなかったことを、目の前で救えたはずの命が自分の力不足のせいで救えなかったことを思い出すのが怖くて記憶に蓋をしてたんだ。楽しかったことも、忘れてはいけなかったことも沢山あったはずなのにね。ごめん。そしてあの日、ナオトの手を掴めなくて本当にごめん」


 そこまで一呼吸で話した。途中で言葉を切るとまた忘れた振りを続けようとか思う自分の弱い部分が大きくなって、ナオトに自分が思っていたことを全部話せなくなりそうだったから。

 ごめんと言って下げた頭を恐る恐る上げてみる。ナオトは泣いていた。

 堪えようとしているけど、どうにもならなかったと言う様にぽろぽろと涙を零していた。落ちていく涙の滴が夕焼けに赤く煌めいた。


「そんなの、どうだって……。というか謝りたいのは俺の方で。急に昔の話とかしだして、トーリを混乱させて。あの日のことだってトーリは何も悪くなくて、むしろ手を伸ばしてくれたことだけで十分嬉しくて」


 鼻をすすりながら話すものだからナオトの声はとても聞きやすいものだとは言えなかった。でも僕は一言一句聞き逃すまいと耳を傾け続けた。


「昔っからずっと平坂からは貰うばっかで、俺からは何も返せてなくて。今回だって、平坂の大切な人を守ることが出来なくて。だから、そんな、ごめんなんて平坂が言う必要はなくて」


 だから、とナオトはまだぐしゃぐしゃの顔で僕を見据える。


「ありがとうってずっと伝えたかったんだ」


 すとん、と胸のつっかえが落ちた気がした。

 たぶんナオトは僕のことを責めないだろうと思っていた。ナオトは優しいから。それでも謝りたかったのは自分のエゴだ。

 でもありがとうなんて言ってもらえるとは思わなかった。あの時伸ばした手は無駄じゃなかったんだとそう思えた。きっとずっと誰かに言ってほしかった言葉だった。

 お前のしたことは無意味じゃないんだと誰かに言ってほしかった。その言葉をくれるナオトにはやっぱり敵わない。

 僕の方こそずっとナオトには貰ってばっかりだ。

 自然に涙が頬を伝った。

 二人して子供みたいに泣いた。その度に心が軽くなっていくのを感じた。

 山際に沈みゆく夕日が僕らの影を長く伸ばしていた。


 何分間か散々泣いた後で少し恥ずかしくなって二人して笑った。


 それから僕は目が覚めてからずっと言おうと思っていたことを話し出す。


「あのさ、ナオト。僕はもう平坂透里じゃないし、ナオトだって北上直人じゃない。僕はトーリ=ユーフラテスだし、ナオトだってナオト=クレールだ」


 また突拍子もないことを話し出した僕をナオトは何も言わずずっと黙って見ている。辺りはもう暗くなってきている。


「あの頃とはもう姿形は違うし、育ってきた環境だって違う。考え方とか性格も違うかもしれない。けれど、だからこそもう一回ちゃんと言っておきたい」


「僕と友達になってください」


 何の気負いもなく、ナオトに握手を求める。これはただの確認だ。僕らは昔と違う人間になった。でも変わらないものがあると、変えたくないものがあると確認するための儀式だ。

 ナオトもそれを分かって口元を綻ばせる。それは昔懐かしくもどこかちょっと違う初めて見る笑顔だった。


「前世で友達だったとか関係なく、初めて料理を食った時からこんな優しい味を作るやつとは友達になりたいって思ったんだぜ。そんなの当たりまえだろ」


 わざわざ手袋を外して握手をしてくれたナオトの手はやっぱり昔とは違うもので、でも温かくて懐かしいものだった。

 気恥ずかしくて、でも嬉しかった。


「ナオト、僕はヴァルトおじさん達を助けに行きたい。逃げてきた人たちの中にいなかったし、ここまでに姿も見ていない。大切な人たちなんだ。手伝ってくれないか」


「当たり前だ」


 ナオトならそう言ってくれると信じていた。その言葉を聞いただけで心強かった。


「ちょっと先に歩いて行っておいてほしい。すぐ追いつく」


 僕が何をしたいかすぐにナオトは分かったようだった。ほんの少しだけ僕を心配してか表情を曇らせたけど、何も言わず頷いて先に歩き出してくれた。

 その心遣いがありがたかった。


 僕は隣にいる母さんの方を向いて別れの挨拶をする。言葉に出さず、心の中で語り掛ける。そっちの方が母さんに届く気がした。


 母さん、すぐに弔ってあげることが出来なくてごめん。でも守りたい人がいるんだ。ヴァルトおじさん達、それにあの人も。

 本当に今までありがとう。僕は母さんの子供でよかった。

 ずっと見ていてほしい。僕がこれから生きていく姿を見守っていてほしい。

 本当に、ありがとう。


 今、母さんの身体を教会に連れて行ってあげることは出来ない。だからせめてもの遺品代わりに母さんの指からエメラルドの指輪をそっと外し、ポケットの中に入れる。僕が傍にいるよと言いたかった。


 また零れそうになる涙を袖で拭ってナオトが歩いていった方向に身体を向ける。母さんに背を向ける。

 すぐにまた戻ってくるから。そう呟いて、僕は駆けだす。


 母さんが見守ってくれている気がした。

残り四話を予定しています

最後まで応援よろしくお願いします

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