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あの夢の、その先の  作者: 佐倉洸記
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レムカの朝

 レムカの朝は早い。


 この地に泊まりに来た旅行者がこぞって言う言葉だ。

 横に長く、地図で見るとほぼ楕円のような形をしているアザトワ王国の東の出っ張った尻尾のような部分にあるのがここレムカ村だ。

 東にあれば当然日の出が早くなる。アザトワ王国の首都は中心より西の方にあるので、そこと比べると約一時間くらい日の出の差があるのだそうだ。

 最西端に位置する国一番の港町からくる旅行者など日が出るのが早すぎると言って正午過ぎまで起きてこないこともしばしばだ。


 日の出だけではない。人が動き出すのもこの村では早い。

 日が出るその前から村中は音であふれだす。一日の始まりを告げる鶏の鳴き声。鬱蒼と生い茂る森の木々の間から漏れ聞こえる小鳥のさえずり。顔なじみの、年齢に似合わない胸板の厚さを誇るあの爺さんが真っ赤な鉄を打つ音。

 そんな穏やかで、まるで朝日が口笛を吹いたような音が村にこだまする。


 レムカの入口、村の西で宿屋を営むぼくの家の朝も例に漏れずとても早い。

 宿泊客が起きる前に朝ご飯の用意をしなくてはならない。

 村唯一の宿屋と言っても、こんな田舎なのであまり宿泊客は多くない。けれど朝食をうちの宿屋でとる人は案外多い。宿泊客の少なさを埋め合わせるために数年前から始めたレストランが好調だからだ。

 村の入口、逆に言えば村の出口にあるという立地の良さから近くの町に出稼ぎへ向かう人たちにすこぶる人気だ。もちろんそれ以外の人も大勢やってくる。

 これから一日町を覆うトラン山脈の地下に潜り、その薄暗い岩穴の中に眠っている鉱石を掘り出す髭を生やした、武骨な手のあの人も。まだこの村に配属されたばかりでなにをすればいいのか分からない、不安だらけだと語ったにきびがまだ残るあの青年騎士も。このレストランの客層は実に多種多様だ。


 そんなわけでいくら前日に食材の下ごしらえをしているからと言って決して朝、手が空くなんてことはない。


「母さん、A定食二つとB定食が一つお願い」


「分かったわ。B二つできてるから持って行って」


「了解」


 元々広くない宿屋の食堂はレストランとして使い始めてからも改装はしなかった。そのせいもあってこの食堂はやけに圧迫感に満ち溢れている。二人がけの机が三つと、四人がけの机が二つ。元々部屋数が五つしかなかったこの宿屋にとってはちょうど良く、こじんまりとした雰囲気にゆったりとした朝を楽しめた食堂だったが、今やそんなことを言ってられる余裕はなくなった。

 食堂を広げるどころか新しく机や椅子を置くことすらしなかったので気を抜くとすぐに宿屋の外にまで列ができてしまう。

 収入が安定するという経営者からの見方だとこの状況は手放しで喜べる状況なのだろうが、実際にホールで毎朝せっせと料理を運んでは水が少なくなっているコップを見つけ、すぐに水をつぎ足しに行くなんてことをしている側からすればたまったもんじゃない。

 経営者である母も魚を焼き、スープを器に注ぎと一人で厨房を切り盛りしているのだ。手放しで喜べるものではないだろう。目が回りそうなほど忙しいとはよく言うが実際になんども目を回している。

 ただ机と机の間は人がすれ違える程度には余裕があるのがまだ救いだ。いくら混んでもスムーズに目的の机まで料理を運んでいける。

 机の少なさも一長一短なのだ。


「はいよ、お待たせ。ヴァルトのおっちゃんはB定食だったよね」


「おう、間違いねえぜ」


 使い込んでややこげ茶色になってきた木製の机の上に川魚の塩焼きと白菜のスープ、白ご飯などをそっと置いていく。

 お盆から机に移す間に川魚のぱりっと焼けた皮とほんの少し流れ出た透き通った油が目に映った。いかんいかん。気を引き締めないと。

 うちの朝食はレストランの朝食が終わってからになるのでまだ起きてから何も口にしていないのだ。

 一瞬でも頭の片隅でご飯のことがよぎったせいかやたらと塩の効いた焼き魚の匂いが鼻の奥をくすぐりだす。ついさっきまで忙しさでうんともすんとも言わなかったはずの腹の虫が盛大に空腹を主張してくる。朝の幸せであふれたこの部屋の匂いは今のぼくには毒でしかない。


「えらく腹の空いた顔をしてるじゃねえか」


 ヴァルトおじさんが目尻にしわを寄せていたずらっ子のような笑みを見せてくる。

 毎週ここにきているからぼくがまだなにも食べていないことを知っているくせにこういうことをしてくるのだ。すでに髪のほとんどが白くなっているというのにこの人にはこういう子どもみたいなところがある。


「ヴァルトおじさん、知ってるでしょ。ぼくがまだなんにも食べてないこと。おじさんたちが早く帰ってくれないと朝食にありつけないんだよね」


「そら大変だ。じゃあ早く食べねえとな」


 なんて言っているくせにぼくに見せつけるように大口を開けてゆっくりと川魚を頬張りだす。ずっと目線をこちらに向けているからなお質が悪い。


「いけねえなあ。旨すぎて口の動きがついゆっくりになっちまう」


「どうでもいいけどさ、この前昼間っからうちでお酒飲んでたことおばさんに言いつけるよ」


「ちょ!それは!」


 トーリ勘弁してくれよなんていやに真剣みを帯びた声を背中に受けておじさんの席の近くを離れる。尻に敷かれっぱなしのヴァルトおじさんにはおばさんの名前を持ち出すのが一番だ。


 この食堂に来るのはたいがい村の人たちばかりだ。ありがたいことに母さんの料理がおいしいと口こみで広がってくれたからだ。それもあって店内にいるのは全員毎朝とまでは行かなくともよく見る顔馴染みの人たちばかりだ。

 忙しさは変わらないがこんな風に村のみんなと話をしていると幾分か楽になる。みんな本当に美味しそうにご飯を食べてくれているし、これから始まる一日が良いものになるという予感めいた温かい空気が部屋いっぱいに満ちている。

 毎朝朝食時間が過ぎて誰もいなくなった食堂の机に倒れこんで死にそうな声を出している母さんもこの雰囲気が楽しくて仕方がないからこそずっと続けていいるのだろう。


 見知った顔の常連さんに声をかけられたりせわしなく料理の運搬に会計にと動き回っているうちに窓から差し込む柔らかな朝日に照らされた影は徐々に短くなっていき、入口を開ける人の少なくなっていった。

 そして白いひげを蓄えた少し腰の曲がったおじいさんが古くなって立て付けの悪くなってきた宿屋のドアをほんの少し苦労して開け、立ち去っていく姿にありがとうございましたとお辞儀する。

 ようやくレムカの朝が終わる。

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