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あの夢の、その先の  作者: 佐倉洸記
19/33

遭遇⑤

今回は話の都合上少々短くなっております

次回更新は水曜日です

 駆け寄ってナオトに触れる。手に粘ついた赤が張り付いてくる。それはまだ温かく、さほど乾いていなかった。どこまでも生々しい感触が手のひらに広がる。

 地面も、真っ白だった衛士服も全てが赤に染まっている。目の奥で赤が弾ける。


「ナオトッ!目を覚ませよ!!」


 呼びかけても返事がない。目頭が熱くなる。

 どうして。

 どこで間違えた。

 ぼくは。

 意味のない言葉の羅列だけがぐるぐると回っている。サイクロプスに襲われた時なんて目じゃない。自分以外の誰かが、自分にとって大切な人が失われるというのはこれほどまでに辛いものなのか。

 むき出しの心に針を突き立てられたような感じが消えてくれない。ナオトの姿を見てからずっと耳鳴りが止まない。


「ナオト!」


 頬を熱い感触が伝う。ああ、ぼくは泣いているんだ。ごちゃまぜのはずの心のどこかでやけに冷めたぼくがいる。


「うるさい……」


 小さな声が真下から聞こえる。固く閉ざされていたナオトの目が薄く開いている。ぼくを見据えている。

 生きている。

 そう分かっただけで堪えていた涙が堰を切って流れだす。情けないとは思うのだけれど一向に止まってくれやしない。

 どうしようもなく嗚咽が漏れだす。自分ののどがなっているのが分かる。

 ああ、友達が生きていてくれるというだけでこんなにも涙が止まらなくなるものなのだ。ぼくはそれを知らなかった。

 これが悲しい涙でなくてよかった。嬉しさを身体の中だけに留めておくことが出来なかったのだ。それならば仕方ない。それならばこの流れる涙は止めなくていいのだろう。


 ナオトが苦しそうに、それでも笑顔を見せてまた言葉を吐き出す。

 その言葉は消え入りそうだったが、ぼくの耳にはなによりもはっきりと聞こえた。この世界中にその言葉以外に音はないみたいだった。


「吾が背子と 二人し居れば 山高み 里には月は 照らずともよし」


 その言葉はしんとしみ込んだ。どこか懐かしい。黒い短髪が見えた気がした。

 より一層ナオトは柔らかく微笑む。それはまるで風に揺れ、しなる藤のようだった。


「良かった……。平坂、生きてたんだな……」


 誰だ。平坂って。

 聞いたことがないはずのその名前は耳の奥でずっと反響している。

 懐かしさと一緒に痛みがこみあげてくる。

 なにかが音を立てて壊れた気がした。


「ナオト、今のって……」


 続けようとした言葉は、宙ぶらりんのままぼくの中から出てこなかった。

 ナオトがもう一度ゆっくりと目を瞑る。小さく聞こえてきたのはかすかなナオトの寝息だった。疲れ果てたか、怪我のせいで寝てしまったのだろう。


 いやそれどころじゃない。

 また頭が痛む。気分が悪い。地面が揺れた気がした。

 先ほどまでの高揚感は空の彼方に吸い込まれてしまったのか、すっかり消えてしまった。そしてその後に残ったのは深い深い霧だけ。

 もがいても、どれだけ目を凝らしてもその先になにがあるのか分からない。そんな叫びだしたくなるような感情がこびりついて離れない。

 どうして、どうしてこんなにも藤の花の匂いがするのだろう。

 頭が痛い。

 自分が自分じゃないような感覚がする。自分が自分の身体からどんどんと引き離されていくような嫌な感覚がする。


 何かを知ることは今の自分を壊すことと同じだと言ったのは誰だったか。

 今までの自分と何かを知った後の自分では必ずどこかに変化がある。それが例え目に見えないものだとしても確実に何かは変わっている。

 この痛みはそういう痛みなんだろうか。

 自分が壊される痛み。

 自分が変えられていく痛み。

 痛みはさらに増していく。

 藤棚が目の前でそよいでいる。


「トーリ、大丈夫か」


 ノルマンさんの声で目が覚める。藤の匂いは消えたけれど、まだ頭の痛みは消えない。

 開きかけた重いドアを何度も素手で叩いているようだ。頭の一番深いところがじんじんする。

 けれど今、大切なのはぼくのことなんかじゃない。ナオトの傷を診てもらわないといけない。

 痛みを必死に振り払う。


「すみません、もう大丈夫です。ナオトを村まで連れてってやりましょう」


 ぼくとノルマンさんでナオトを担いで村まで戻った。

 けれどその道中もずっとナオトの言葉を思い出していた。もう少しで思い出せそうなのに、そのあと少しに手が届かない。

 もどかしさがずっと胸の中に広がっていた。

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