■第8話 母親
毎朝、キッチンの食卓テーブルの上には千円札が3枚置いてある。
グラスの飲み口を逆さにして、その紙幣がとばないよう押さえて。
イタリア製の高級クリスタル・ブランドの、それ。
大手有名化粧品メーカーで役職に就く母親が愛用しているグラスだった。
高級ブランド品のストレッチコットンジャケットを着こなし、同じブランドの
レザートートバッグを、嫌味にならないようさり気なく持つと、
『また、高校生の息子がいるようには見えないって言われちゃったわ。』
と、真っ赤な唇でハヤトに得意気に呟く母親。
嫌忌すら憶えるその赤色を、感情がない空虚な目で見ていた。
この三千円で、毎日ハヤトは昼食と夕食を買っていた。
学校に行く途中の、いつものコンビニ。
菓子類の棚裏にあるやたらと日持ちするパサパサのマズいパンと、
缶コーヒーを買う。
冷気流れる要冷蔵コーナーに並ぶサンドイッチ類の方が、まだマシなのは
分かっていたが、コンビニ飯に美味しさを求める自体バカらしく感じていた。
昼休み。
友達が母親手作りの弁当を、さも当たり前に頬張る姿をぼんやり見ていた。
(腹に入れば、どうせおんなじだ・・・)
乾いたパンを、口に入れ、数回噛み、飲み込む。
それの繰り返し。
たまに無性に友達の食べる、形の悪いおにぎりが美味しそうに感じ、
一口もらってみる。
朝に握ってから時間が経ったそれは、湿気で海苔がしっとりし過ぎて
唇や歯にくっ付く。
中央にあるはずの紅鮭は、片側に寄ってしまっていてすぐに有り付けた。
(手作りなんか、いつから食ってないんだろ・・・)
自席のイスに浅く腰掛け背もたれに寄り掛かり、首を反って教室の天井を
眺めていたハヤト。
自分でも気付かぬうちに、小さな溜息が漏れていたようだった。
遠く後方でそれを見つめる視線があったことなど、ハヤトは知る由もなかった。