■第37話 そこには無かったもの
ミノリは、あの頃のことを思い返していた。
mossoに裏切られた気分で、泣き暮れた日々。
毎夜、やさしく流れたあのPC画面に向かい合った時間は、
まるで虚無だったのだと。
しかし、その忌むべきアカウントは何故か消せずにいた。
すべてを消去して、すべて無かったことにだって出来たはずなのに。
ログイン状態を非表示にしたまま、ハヤトと交わした言葉を最初から
最後まで読んだ。
何度も。
何度も。
何度も・・・。
何十回、何百回読み返しても、そこには、無かった。
ハヤトが嘘をついたことは、一度も、無かった。
勝手にミノリが早とちりをして思い込んでいた事はあっても、ハヤトが嘘を
ついた事はあの8か月間の間、一度も・・・
”好きだよ ”
ハヤトがひとこと紡いだ、その言葉。
ミノリが捉えたその意味とは、全く意味合いが違うものだったと今更気付く。
ミノリは思い切って、PC画面を立ち上げサインインした。
しかし、その画面には ”mosso ”は不在の表示。
(電話してもメールしても、
家にも訪ねてみたけど、アイツ、いなくて・・・。)
タケルが俯き呟いた顔が脳裏に浮かぶ。
ミノリは自室のドアを乱暴に開け飛び出すと、西空が紅く燃えるような
日没の街を全力で駆け抜けた。
(きっと・・・
きっと、あそこだ・・・)
自宅から少し行った先にある長い坂道を、息を切らせて駆けあがる。
肺が爆発しそうに苦しいけれど、その足を止めはしない。
すると、丘の上に古びた神社が現れた。
鳥居の前で立ち止まり、体を屈めて乱れた呼吸を整える。
そしてひとつ息をつくと、目の前にそびえる80段の石段を一気に駆け登った。
鬱蒼とした木々に囲まれたその神社。
夕空の下、手水舎の細く流れる水が涼しげに光っている。
ひと気のまったくない静まり返った神社の境内。
夕陽を受けそれは橙色に染まっていて、延々響く虫の音だけうるさいほどで。
ゆっくり、神社の裏手の細い道を進むミノリ。
走り続けたことで呼吸は乱れていたけれど、その心は凪いで穏やかだった。
ほんの少し覗く大きな岩の形。
殆どは若緑にしげるサカキの葉に隠れてしまっている。
それをかき分けた先に、見えたもの。
岩の上にポツンと座り、膝の上に紙袋を乗せたハヤトの寂しげな背中だった。