プロローグ
プロローグ
10時33分発特急ふじ5号東京行きは定刻通り浜松駅を発車した。車内は思いのほか混雑してはおらず、いくつか空席もあった。彼女の隣の席も空席であった。1日わずか5往復ばかりの列車でこれだけ空席が目立つのは不思議とも思えたが、昨今の政治情勢を考えれば首肯せざるを得なかった。
納得すると同時に彼女は自分がこの車内で奇異な存在ではないかと心配になった。べつに15,6ほどの年頃の少女が東へ向かうのはおかしくはない。東西交流の一環で親善試合や青年団の交流が行われるたびに、たくさんの少年少女たちが乗車していたのだ。しかし、この時期に、しかも一人で東へ向かうとなるとどうだろうか。表向きは祖母の家を訪ねるともっともらしい理由をつけて申請を行っているため係官に尋ねられても大丈夫であろう。
しかし疑いの目を向けられて調べられれば、と心配になった。後見人に出会えるまで、できる限り目立つ言動は慎もう。そのために慣れないこの長いスカートを履き、自慢のストレートヘアーをわざわざ後ろで束ねているのだ。東では風紀が厳しいらしいく、そのようにしなければ西の退廃的文化の影響を受けていると疑われる。
そのとき、おお、という声が乗客からあがった。皆左側の窓を見ている。少女は何事かと思い窓の外を見て、そして目を見張った。
彼女は、上司が珍しく気をきかせて左側の窓側席を取ってくれていたことに感謝した。そこにあったのはかつて写真やテレビでしか見たことのない雄姿であった。日本人の誇りであり、神代より語り継がれた聖なる山。山体を形作るカーブは何者にも遮られることなくまっすぐ麓まで下りてくる。頂きに白化粧をまとった富士の高嶺が、目の前にそびえていた。
目を輝かせている少女をよそに、列車は減速していた。鉄橋を渡り終わると、その巨大な山を前にして、列車は停止した。
車内アナウンスが、富士川の国境検問所に停車したことを告げた。