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『……社長……社長…』
勇者よ。ぶつぶつ言うの不気味だから止めて欲しいんだけど。
『で、社長。今は何をやっているんですか』
「親の手伝い。今は社長じゃないから、そう呼ぶな」
この世界に会社っていう組織ないし。
『マリアンヌ嬢』
あ、うん。そう来るか。まぁ、確かに私の方が若いけどね。嬢とかこそばゆい。
『本当の職業は何ですか?』
って、おい、裏の職業ある前提かよ。あるけどさ。長い付き合いで隠し事はバレやすいんだけど、現世では初対面だから何とかなると思う。
「マジに父のとこの店番だって。バイトは知ってるでしょうけど、叔母の仕事のアドバイザー? ってほどではないけど……少しは収入あるかなぁ」
ウソではない。リール商会とかから収入があるが自分で管理してないから、よくわからん。契約書類から、収支、税金までお任せだ。借金さえ背負わなきゃ問題ない。それだけはないように免責条項だけは確認している。リール商会の事業はあくまでもリール商会の責任で行われていて、意見を出した私は責任を取る立場にない。それを形にするもしないもリール商会が決めることで、そのリスクも負う。拡大できているところを見るとそこそこ賭けはうまく行っているんだろう。跡継ぎ候補になれとも言われたしな。ヤダよ。そんなリスキーなの。跡継ぎ居なきゃ閉めればいいじゃん。拡大戦略はリスキーだけど、楽だ。それがうまくいかなくなった時の方向転換が難しい。さらに言えば、縮小するのはもっと難しい。下手に縮小しようとすると潰れるんかと勘違いした奴らが取り付け騒ぎを起こす。安定経営のための合理化だとバカに判らすのは困難だ。まぁ、あれだ。そもそも拡大しなきゃいいんだ。銀行が煩いけどって、それは前世の話か。今は銀行が無い。自前の金でやってる分には問題ない。って思うけど、取引先というのも意外と厄介な存在で…。ん? リール商会の今後を私が考える必要はないな。終了。
『マリちゃんが社長だったなんて聞いてないっ』
言ってないし。言う必要もないし。そもそも前世の話なんてしてもしょうがないじゃないか。とっくに終わった人生だし。少なく見積もっても20数年前には終わってる。前世で会社を経営してたからって、この世界で役立てるものなんて多くない。常識から違うんだし……物理法則は同じであって欲しいけど、魔法とかあるしなぁ。
『ヒントくらい出しててくれてもよかったじゃないかぁ~』
「出してたじゃないか」
勇者が涙を流しながら苦情を口にしたので、きっぱりと反論する。
「社畜じゃないって何度も言ったろ」
『社長は飼う方ですね』
専務も同調した。
「社長はいいぞ。どんなに働いても労基から苦情が来ない♪」
『ロウキ?』
『労働基準監督署ですね』
経営側は労働基準法で保護される労働者じゃない。
『年間350日働こうが、週に100時間以上働こうが、お咎めナシの自由を得たんですから、社長になって正解でしょ』
「今もだね。労働基準法がないって幸せ」
『…単なる仕事人間……ってか、間違ってるよ、それ!仕事しすぎだって!』
勇者がなんか騒いでいるが、問題ないだろ? 経営者なんだし、ホントに最初の仕事辞めて良かった。上司はバカだし、人事はうるさいし…
『あ、そうそう…』
専務……今は専務じゃないんだよな。名前なんて言ったっけ。まぁ、いいや……が、自分の荷物をごそごそと探り一つの包みを取り出した。
『出会えたら渡そうと開発しときました』
黒くない笑顔で渡されたそれを開封した。黒っぽく薄く板状で若干粉っぽく固い、そして独特な香り…これは…
「ジンジャークッキー」
彼は大きく頷いた。
『保存が効くバージョンです』
包みをテーブルに置いて一枚だけ手に取った。両手で割って固さを確認して口に運ぶ。確かに水分量が少なく保存に適しているようだ。噛み砕いていくと生姜の香りが口の中に広がる。
口元がわずかに上がるのを感じる。それを目にしたのか、専務の顔からこわばりが取れて笑顔になった。
「結構好きな味だわ」
一応、感想を述べた。
『小麦粉でなら作ったことがあったんですが、ライ麦粉とハチミツでのレシピにするのに手間取って、安定して作れるようになるのに5年かかりました。専用の竈も開発してあります。と言うか竈の開発に時間がかかりました』
含みの感じられない笑顔を見せた。っていうか、私が試食している時、息を止めてたよな。緊張してたんか。
『炭じゃなくて薪で焼く難しさを学びましたよ』
「電気とかガスとかサーモスタットとか便利だもんね。それが使えないと厳しい」
前世でも決められた温度で調理するなら多少はやらないでもなかったのだが、自分で火加減とか言われるとやる気失せて……あ、もちろん、調理したのは子供のころの話で働き始めてからはそんな暇あったら別のことしてたわ。主に仕事とか仕事とか仕事とか…うん。仕事が好きなんだよね。
「これ量産するの?」
食べ続けるかどうかは入手のしやすさと価格によるな。さすがに高過ぎるなら買わない。でも、冒険者のおやつに良さそうだな。ほんのり甘くてほんのり温まる。火を使えないところで便利か。何でもいいから食べれば熱代謝で体温上昇するし。保存が効くなら、さらに便利だよな。
ライ麦なら小麦よりは安価だし、そんなに高くないのかなぁ。量産したら単価は下がると思うし。個人だと量産化には限界があるな。うーん。
『むしろ、リール商会で竈の技術まで買いとって頂きたいと。冒険者用の非常食の一種としてバンバン売りましょう』
むしろ専務は乗り気だった。レシピや竈の開発にかなり力を入れていたから叔母のところに高く売る気か。ってか、何で叔母のとこ? 自分の国で売らなかったのはなぜだ。
『…なんで…なんでクッキーなんだよぉ!』
しばらく静かになっていた勇者がうつむきながら低い声を出した。俗にいう地の底を這うようなってこんな感じか。
『そこは、米だろ?味噌だろ?醤油だろ?カレーだろ?ラーメンだろ?……』
勇者は途中から早口になり、多分、料理名なんだろうと思うものを結構長い間叫んでいた。聞き取れなかったし、聞く気もなかった。つまり、部屋にいる勇者以外の2名はきっぱりはっきり耳を塞いでいた。いや、だって、うるさいんだもん。ムリ、ムリ。食べ物のことになるとなんでこんなに騒がしいんだか。
『なんでですか!?』
とうとう、勇者は専務の肩をつかんで詰問を始めた。あんなに前後に揺さぶったら、答えるどころか気持ち悪くなるんじゃないだろうか。本当に考えナシだな。
『ストップ、ストップ、ストップ』
専務が反対に勇者の肩に手を伸ばして制止を企むが、力の差は歴然である。
ふと、うちの店で吐かれても困ると気づいた。とっさに勇者の頭をはたいた。
「止めてやれ。それ以上やると吐くぞ」
勇者の表情が普通に戻った。いや、なんかおかしな表情だったんだ。何かに取り憑かれたような……まぁ、食べ物の話を熱く語っている時は、わりとそんな感じだけどな。
『…だって、日本食の夢が…』
だから、いい年をしたヤツが『だって』とか使うなって。口を尖らして拗ねてみるとかキモいだけだぞ。
「日本食、日本食ってそれがそんなに大事か?」
『大事でしょ!日本人の心だよ』
勇者が力を込めて叫ぶが、理解できない。専務の方を見てみた。肩をすくめて首を横に振られた。
『1ヶ月米を食べなくても気にならない人には絶対にわかりませんよ』
そうか。ならわからない。海外に行くと現地の料理しか食べない私には理解するのはムリだと考えるのを放棄した。1ヶ月だろうと半年だろうと日本食にしようとは思わない。辛くない限り現地の料理を食べていた。うん。勇者とは根本的に何か違うんだな。
それはさておき、勇者うるさい。出ていけ。二度と来るな。
 




