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「…鈴木?」
思わず口に出た言葉に、相手はにっこりと笑った。
げっ。間違いない。あの微笑みは腹黒専務。パッと見た目きれいな笑みなんだけど、目が笑ってない。むしろ、今は怒っているっぽい。
うちの会社には2人の有名人がいた。他にも居たのかもしれないが、私は知らない。
とりあえず、色々手を出してはやりっ放しで、記憶力・生活力皆無な社長と、一見穏和で実務能力に長けた腹黒専務だ。専務の評には賛成するが、社長の分には異論がある。
『思い出して頂けたんですね。佐藤です』
いや、違うじゃん。ってか、専務って佐藤だっけ。まぁ、専務って呼んでたから覚えてない。鈴木だか、山本だか、とにかく結構 多い名字。覚えてないから役職名で呼んでたっけ。今と同じか。人の名前や顔の覚えが悪い。そんなとこ受け継がなくてもいいのに。まぁ、覚えたら便利かどうかはわからない。楽に覚えられた記憶はない。本当に必要な人の顔は時間をかければ覚えられるんだから問題ない。
『鈴木だか、佐藤だかって覚えるからわからなくなるんですって何回言ったことか』
ヤバい。専務が怪しい笑みを浮かべてたのは、名前を間違えたせいか。
「…魚じゃない方」
走馬灯が回る前に、謎の言葉が思い出された。何だ? 魚じゃない方って。
『よろしい。そこまで思い出したんですね』
いや、全然思い出してない。待てよ。鱸か。スズキじゃない方。えっと…
「…斉藤?」
『相変わらずのボケっぷりで』
「うるさい。腹黒専務。いつ気づいた?」
『この国のとある商会の技術力が異常なんで、転生者がいるって思いました。ラノベの基本でしょ』
笑顔で言うがラノベがそうでも、関係ないと思う。知識無双ができるほど人の記憶ははっきりしてないだろ。
素人の知識で設計図引けたら何年も時間かけて勉強する意味ないじゃん。しかも、技術水準はどうにもならない。飲料としてのアルコールの蒸留はそこそこできても、缶詰めはムリなんだ。ガラスの製造技術も未熟だから、瓶詰めで完全密閉もムリだし。回復薬とかを詰める作業はなんと魔法だ。陶器に詰めて適当なコルクで蓋して魔法をかける。これで賞味期限までオッケーって、わけわからん。あんないい加減で壊れない限りこぼれないとか、あり得ないだろ。もちろん落とすと割れる…ことが多い。運が良ければ割れないね。
リール商会で扱ってる回復薬という名のスポーツドリンクを作る時には材料混ぜて濃縮スポーツドリンクを作ったら、お任せだ。薬師の魔法でちちんぷいぷい。あの非科学的な工程を経ないといけない。しかも、薬効がないと詰められませんと来た。完全にイミフ。
「転生なんてファンタジーじゃあるまいし」
専務は小さくため息をついた。ってか、今は専務じゃないな。
『自分が転生したと気づいた段階で、他に居る可能性を考えるのは人間として自然だと思いますが』
「私はその可能性は低いと推測した」
そういえば、昔も何だかんだと議論しあったっけな。これに関してはパラメータが全くわからないからデタラメな推論しかない。
『調べていってわかったのは知識が科学技術に偏っているところと食事にいかないところ。日本食にこだわるのが転生物の基本ですよ』
「なんでだ? そこそこ栄養のバランスが取れていればどんなもんでも問題ないだろ?」
なぜ日本食の再現にこだわらなきゃいけないんだ。勇者がいつも言っているそのことが理解できない。
ってか、坂本。むしろ日本食にこだわらないなら前世が日本人じゃない方に行けよ。日本食じゃない国はいくらでもあるだろ。
『私が探していたのは、合理主義の理系で、食事に興味が薄く、面倒くさがり屋で記憶力、特に人の名前や顔の覚えが異常に悪く、トラブルに巻き込まれやすいが強運で切り抜ける女性です』
何だ、そりゃ? 悪口か。
『いや、女性でなくなっていてもいいんです。あなたでありさえすれば』
「ちょっと待て。その悪口は私のことか?」
悪口なら受けて立つ。
『いいえ。客観的な評価です』
いや、悪口だろ?
記憶力が悪いだの……えっと、要らん記憶は消去して、より大切なことを覚えた方がいいに決まってる。
『複数社員で意見が一致してました』
誰だ。腹黒専務におもねったヤツは。名前聞いてもわかんないだろうけど。
『マリちゃん。知り合い?知り合いなの?』
勇者がなぜだか焦ったように口を挟んだ。
「前世の仕事仲間」
『前世の上司です』
ほぼ同時に相手を紹介した。
『仕事関係なんだね? 一緒にテーマパークとか行く関係じゃないよね?』
勇者が安心したようにトーンダウンした。
『テーマパーク行きましたよ。一緒に夜のパレード楽しみました』
佐々木が空気を読まずに発言した。理由はわからないが否定するところだと思う。案の定、勇者が目に見えて狼狽した。
『マジで? マリちゃんて前世でも誰とも付き合ってなくて、押せ押せで行けばいつか落とせるって思って…』
テーマパーク?夜のパレード?そういえば、テーマパークとかほとんど行かないのになんで行ったんだっけ…
「あ…楽しんでないわ。人混みで疲れ切ってたわ」
『疲れきるほど…きっと朝からデート…』
虚ろな目で勇者が呟いた。ライバルだ、超強力なライバルだって独り言がうるさい。
「社員旅行だ」
楽しんでたのは同行者たちであって私ではない。
「会社始まって以来、初の社員旅行が泊まりでテーマパークだった」
力押しで社員旅行が決まったんだけど
「…なんで急に社員旅行が企画されたんだろ?」
年度予算にはなかった。ってか、前年までみんな口を揃えて、ウザい社内行事がないのがサイコーって言ってたじゃん。しかも、翌年からやっぱり無くなったのはなぜだ。行った年の参加率はスゴく良かったし、感想も総じて好評だったのに。
行きたくなかったのに、直前まで忙しかったのが、なぜかその前日である金曜から翌月曜までぽっかりと予定が空いて、強制参加させられたんだ。
『やっぱり全然気づいてなかったんですね。おチビが着ぐるみと戯れたがってたの』
専務…で、いいよね。やっぱり…がおチビと呼ぶのは、私が預かっていた親戚の子だ。そうそう、小学生を置いていくわけにいかないでしょって、連れて行ったんだ。
そういえば、すっかりはしゃいで、出会う着ぐるみ全部と写真撮ったっけな。ネズミの着ぐるみ可愛くないじゃんって思ってたけど、口に出すのはやめといたなあ。
金儲け主義っぽいし、どこに行っても人・人・人で高い金払って行列に並びに来たんかって感じで、心の中ではかなりムカついたんだけど。すげえ人工的で、ネズミだの人魚だのってつながりがわかんなくて、何がテーマなんだかさっぱりで……うん、遊園地とかテーマパークとか受け付けなかった。
「おチビって呼ぶなってあれほど…チビだってチビなこと気にしてたんだぞ」
『おチビをチビって言ってるのはそっちでしょ』
「いや、だって私の親戚だし」
『あなたの代わりに何回も送迎した間柄だし』
家から支援学校遠かったんだよな。親戚の家からも近くはなかった。普通小だと対応してくれなかったし、誰とも会話できないところでは学べない。結局、一番近いとこはおんなじで。短期の予定だったし、送迎付きで預かったんだ。
身内が私なのは間違いないから反論しようと口を開きかかけたところで、勇者が割り込んだ。
『社員旅行ならデートじゃないよね。同じ会社なら当然……あれ?…上司?専務の上司?』
腹黒専務の言葉に今頃違和感を抱いたらしい。
『はい。彼女が代表取締役社長でした』
専務の笑顔がきれいに決まった。
ってか、わりと顔よくない? 勇者の方が多分イケメンって言われるだろうけど、中の上か、上の下かそんな感じ。色の薄い金髪と碧の目がキラキラと明かりを反射して……ってか、この部屋暗いんだよね。いや、個室にしては明るいんだけど。照明を明るくして欲しければ別料金。脂代を頂きます。ちょっと獣臭いけど、調理場で肉を焼く匂いと混じるとわかんないから大丈夫。
『……社長?』
『社長です』
専務がこちらを指差す。指差すのは失礼だと散々言ったのはお前じゃないのか。
『社長~っ!』
勇者が叫んだ。重いドアが震えた。
おい、どんだけ破壊力のある声だ。これ以上、壊すな。出てけ。二度と来るな。
 




