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『場所を変えて話しませんか?』
と、ご飯食べながらの話し合いを要求され、仕方なく母の勤める食堂、つまりは自分がオーナーの店に連れて行った。
食堂の片隅のテーブルを希望したが、受け入れられなかった。ギルマスの顔を立てて、個室をキープしたけど、二人きりとか普通はあり得ないから。仮にも、自称か弱い女性だよ。仮とか自称とか付いてるのは冒険者(仮)だから。嗜むくらいで全然弱いけど、仮免持ってるしね。魔物だって王都に出てくる雑魚しか倒したことない。
いつも一緒に鍛錬するおじさん達に圧勝することもない。たまに勝てる相手もいるけど、むしろ負け込んでいる。これでいっぱしの冒険者を気取ったら痛すぎるわ。
対する相手は、商人として流れてきただけのことはあって、そこそこの魔物とか倒せそうな体格してる。まぁ、そうじゃないと今ごろ生きてないけどね。生き残ることが一番の成功の証。どんなに稼いでも死んじまったら、使いようがないしね。
男は頼んだ〈カレーではない何か〉と黒パンを食べながら、首をひねっていた。
『これって何が足りないんでしょうか?』
そんなん知るか。独り言っぽいし、無視した。
『どう思います?』
今度は明らかにこちらを向いて話しかけて来やがった。
ってか、これって足りないのが原因なのか?それとも配合比が間違ってるのか、さらには根本的に何か違うのか、そこからわからん。
「さぁ?これって最初からこんな味ですよ。勇者様曰く『何かが違う』ですが、何と比較しての話なのかわかりません」
勇者からレシピをもらったことは調べがついているだろう。叔母のところにスパイス配合を回してから、分配金だけは商業ギルドに入るし、完全に放置している。
元々カレーなんて食べ慣れてないし、材料のスパイスも色んな種類のを使うとしか知らないし、勇者の思うカレーにはどうせライスが必須だろう。何もかも違う。家族の希望でこの〈カレー〉を作った時には、私がパンではなく、茹でジャガイモを付け合わせにしている。この世界にはジャガイモがあって便利だ。茹でてしまえば、家族が自分で食べられる量を調整できる。パンは家で焼くことはめったになく、買って来てるからちょっと面倒。パン職人さんの生活に貢献さ。全部、自分の家で作るって選択もあるけど、野菜や肉まで生産するわけじゃないし、分業も悪くない。経済は回さないと回らない。
「私より調理人にでも聞いたらどうですか?私は食事作りはスープくらいで、凝ったものを食べる時にはここに来るんで」
素っ気なく、しかし、きっぱり切り捨てる。カレー談義を繰り広げる気はない。
黒パンにチーズ、ポトフの食事に視線を落として、口にパンを放り込みコミュニケーションを拒否した。
『〈カレー〉食べないんですね?ここの名物料理がいくつかあるらしいじゃないですか。それは?』
名物料理?勇者の言う〈日本風〉のバッタもんのことか。
「特に食べたいと思いません」
会話が続きにくいように否定した。
『珍しいものは苦手ですか』
うわ、コイツ勇者並みにしつこいわ。話しかけるなって気配を丸出しで食事してんのに邪魔しやがる。
ここには話に来たハズって知るか。私には用がない。それでなくても、かわいい妹と夕飯を食べられないことを不満に感じてる。今日の帰りが読めないから、野菜スープを作ってきた。今ごろ、弟妹で仲良く食べてるんだろうな。あ、私が居ないのをいいことに弟が干し肉三昧してるかも。地味にそのままでかじりつくの好きなんだよね。しょっぱいって思うんだけど。帰ったら倉庫を確認して補充しなきゃいけない。
そんなことを考えていたら廊下を走る音が聞こえ、轟音と共にドアが飛び込んで来た。
『マリちゃぁ~ん!』
なんか叫び声が聞こえたような気もするが……気のせいだ。
そんなことより問題は、蝶番ごとドアが逝ったことだ。ドアは交換だな。蝶番は……これ、高いんだけど。金物ってだけで、そこそこの価格だし、特注品だぞ。自慢の逸品だ。
『マリちゃんが男連れ込んだって聞いてっ!』
幻聴がスゴい勢いで近づいてきたので、すっと横に動いて避けた。
『…勇者?』
ちっ。
やっぱり見えるのか。幻覚で片付けようと思ったのに、異国の商人にもアイツの姿がわかるらしい。
ってか、なぜ勇者だとわかるんだ。世間一般には勇者の特徴はそんなに知られていないハズ。黒髪なのはすぐにわかるから、みんな知ってるけど、黒髪だけならあちらこちらにいる。そりゃ、茶髪金髪に比べると少ないけどね。赤毛だって、私レベルなら普通だ。兄とか弟ほどに赤いとちょっと珍しくなる。黒髪より少ない。
ああ、コイツが日本からの転生者なら勇者の顔でわかるか。そこそこイケメンだけど、明らかに日本人顔な勇者。勇者に働きかければいいのに、なぜか周囲の人に勇者の言っていることがこちらの言葉に聞こえるような謎の言語翻訳。おかげで勇者の口パクと聞こえる音声にズレが生じている。周囲の人にとっては自分の得意言語に聞こえるのが便利らしいが。10人の違った言語を使う人が集まっていたとしても一回で話が通じるのは便利だな。
話を聞いて笑ったのは、動物相手には言語翻訳されないために色々苦労したらしい。犬とかが言うことを聞かない。そりゃ日本語で命令されたってわからんわ。まぁ、馬の方は動作でイケるから乗りこなせるようになったけど、犬には未だに無視されることが多いと聞く。
まぁ、そんなことはどうでもいい。口の動きと聞こえる言葉の差違に気づけば、勇者であると推測するのは容易だ。まして、それが日本語の動きならば。私のように読唇術が使えなくても、勇者ははっきりと口を動かして喋る方だからわかりやすい。モゴモゴと喋るタイプは読みにくいし、聞き取りにくいんだよね。今は勇者の日本語を直接聞き取るのは難しい。自動翻訳されたものしか認識できない。チートで二重音声とか言語切り替えとかできるとおもしろそうだが、残念である。一番得意な言語に翻訳されるのって便利なようで不便だな。20年以上この世界で育ってきた私にとって一番得意なのは母国語である。つまりは勇者にとっての異世界の言語。正確な発音ができているかは別にして日本語を発することはできる。しかし、勇者の発言は自動的に変換されてしまう。以前やった尻取りは勇者の口の動きと変換された言葉から、元の単語を類推して、日本語で返していた。
『マリちゃん。僕というものがありながら、別の男とデートだなんて酷いよ』
涙目で勇者がなじった。
いや、お前とは何の関係もないし、そもそも現在進行形で仕事だからデートでもない。
ああ、勇者超ウザい。
「ギルマスに頼まれた仕事の邪魔しないで」
あくまでも冷静に返す。仕事中に個人的な苛々を表に出すのは良くない。特に勇者は仕事には無関係だ。
『仕事?冒険者ギルドの?』
勇者はきょとんとした。
いや、何で仮免者がギルマスに仕事を依頼されなきゃいけない? この世界の冒険者ギルド仮免は無責任が相場だ。ぶっちゃけで言うと、鍛錬場と鍛錬相手の時間借り権に過ぎない。もちろん、依頼を受けたければ受けることは可能である。受ければその依頼に関して責任を負わなければならないが、鍛錬場を利用しているだけなら、通常の国民の義務と大差無い。つまりは罪を犯すなと税金払えだ。本業で脱税すると冒険者ギルドからも違約金を請求される。不名誉と引き換えに資金調達できるシステムである。もちろん、仮免者の脱税による不名誉なんて冒険者ギルドには痛くも痒くもない。違約金をせしめる言い訳だ。そんな内情を鍛錬に行った時にギルマスから聞いた。商業ギルドの方がエグいですよとの注釈付で。そりゃそうだと納得したのは何年前だっただろうか。
「商業ギルドの」
『えっ?マリちゃんって冒険者じゃん。なんで商業ギルド?』
驚いたかのように勇者が言った。ってか、目を見開いたし、マジに驚いてるよね。
「違うわ。商店の跡取り娘」
『えっ、冒険者ギルドの期待の星じゃないの?』
「商業ギルドの期待の星だよ」
ゆくゆくは商業ギルド内部で力をつける予定だ。冒険者になる気も勇者の配偶者になる気もない。
『そんなぁ。勇者を引退したらマリちゃんとあちこち冒険して回るつもりなのにぃ』
「断る!」
私の夢は商業ギルドの会計として妹たちの幸せを見ながら平凡な人生を歩むことだ。商業ギルドの役職になるが少数派だという事実には目をつぶる。
『とりあえず、場所を変えませんか』
商人が扉を指した。壊れた扉の向こうの廊下には店主と表向きのオーナーが困った顔をして立っていた。
わかっているだろうが、壊したのは勇者だ。修理費は本人に請求するなり、管理責任者たる国王に請求するなりしておけ。泣き寝入りだけは認めない。視線でそれだけ伝えると空いていた隣の部屋に案内された。
明日っからでも勇者出入り禁止にしたい。商売的には可能だが、物理的にムリなその願望に心の中で「勇者帰れ!二度と来るな」と叫ぶだけにとどめた。




