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『マリちゃん。イベントぉ』
今日も勇者は入ってくるなり、訳のわからないことを言い始める。
ってか、昨日の捨て台詞のことは忘れたか?忘れたな、鳥頭だし。うん。納得した。
「その話だが、そもそも人生に盛り上がりは必要か?」
『えっ、要るでしょ』
「日々平々凡々と生活できるのが一番の幸せじゃないか?」
『いや、それにしたって、毎日毎日が同じようだとつまんないじゃん』
「じゃあ、例えば、会社を辞めるついでにちょろっと上司の所業をあちこちにばらしたら、そいつが捕まって首になって会社から損害賠償まで請求されて、それ全部自業自得なのにそれを逆恨みされて、保釈中にストーカーみたいにナイフを持ったヤツにつきまとわれるとかそういう盛り上がりでもいいのか?」
『……それって…大丈夫?』
勇者が何か言っているが、無視することにした。
「結局、犯罪行為をさらに積み重ねたんで保釈も取り消され、裁判でも負けて別荘送りになったらしい。そもそも、最初に横領やらパワハラやら手柄の横取りやら恐喝やら悪いことをやりたい放題やってバレないと思う方がおかしいと」
『…えっと、それはやっぱり…前世的な?』
「証拠掴んで関係各所に適正に密告しただけなのに逆恨みにも程があるわ」
自分で手を出すにはタイミングが掴めなかったみたいで、どこから手を回したんだか、人を送り込んで誘拐しようとしたりってのもあったな。全員捕まったけど。
狙われてるってわかってて隙を見せるわけないだろう。
『…えっと…そんな危険なイベントじゃなくて…』
危険って言っても、昨日勇者が言った魔王に拐われるとどっこいどっこいだと思うが、違うんだろうか。
しかも魔王という絶対的な強者(対勇者除く)に比べ、あくまでも人間同士なんだから抵抗手段はあるわけで。日本なだけはあってショットガンとかマシンガンとか飛び道具を持ち出されなかったし、特に大きな問題はなかった。さすがにあの速度のものを避けるのは無理だ。ライフルなんかで遠距離から狙われてもどうにもならなかっただろう。うん、平和だったわ、あの頃。今は魔法とかわけのわからんものもあるから安心できないわ。
ああ、もちろん、たとえ魔法があろうとも魔王にだって誘拐される気はないんだけれども。
『…ほら…えーと…あれだよ。クリスマスとかバレンタインとか』
「無神論者には関係ないイベントだな」
神より科学を信じるぞ。敢えて言うなら、科学の信者だ。
しかも、勇者の言うのはこの世界の宗教じゃないじゃないか。
『神様とかどうでもよくて、恋人同士が盛り上がるイベントだよ』
「じゃあ、お前と私には関係ないイベントだな」
きっぱり宣言する。恋人でもないし、なる気もない。
『夏祭りとかで浴衣で花火デートとか』
「暑い最中に仕事でもないのに出かける心境がわからん」
『マリちゃん。やっぱり社畜だったんじゃ…?』
「違う」
別に会社にこき使われてたわけではない。
「普通に楽しく仕事をしてただけだ」
『仕事って楽しい?』
「そもそも自分が楽しいって思う仕事を選んだからな」
『マリちゃんって時々よくわかんない』
勇者は首を傾げる。なぜコイツは可愛くないのにコレをやるんだろうか。
「それはだな。簡単だ。昨日も言った通り、お前のいた日本と私の前世の日本が似て非なるものだったからだよ。つまりは私たちは無関係」
わざとらしく万歳もしてみた。
勇者は少し黙った後でポンと手を叩いた。
『僕は仕事が楽しくなる前に召喚されちゃったからわかんないだけだよ。もうちょっと仕事をしてれば、きっと楽しく…なる…かなぁ』
勇者は考え込むように眉をひそめて、首を傾げ…だから、それは止めろって。
「五月病」
確か就職してから2ヶ月も経たないうちに喚ばれ たんだよな。
『うん。五月病』
勇者はため息をついた。
『結局、日本での仕事は楽しくないうちに強制的にできなくなって、魔王討伐の旅はちっとも楽しくなくて…マリちゃんと一緒の出張からやっと少し楽しめるようになったんだよ』
それって仕事の部分か。旅行気分でいなかったか。なんだか怪しいぞ。
「出張の思い出と言ったら?」
『魚にサキイカ、熊カレーにクッキー』
即答。って、それ全部食べ物だから。誰が思い出の食べ物の話を聞いた。
『そういえば缶詰めとかどうなってるの?僕、ツナマヨお握りが食べたい』
缶詰めは完全密閉で引っ掛かって停滞中らしい。本体は打ち出しで成形して、蓋は金属板を被せて端をくるくると丸めて潰しているが、収率が6割ほどにとどまっているらしい。機械化してなくて全てが手作業の割には収率がいい気がする。ただ、蓋止めの作業が一定で無い上に使う金属板が厚い分、缶切りを使うのもコツがありすぎて、開ける時は魔法でカットするらしい。しかも金属板が厚いためにかなりの重量になる。薄く丈夫な金属板を作る技術が必要になるか。
…圧延ローラーでいいのかな。ってか、圧延ローラーはできるかなぁ。それともやっぱり地道に叩いて延ばす?金属加工の技術はそんなに詳しくない。そもそも、圧延ローラーの素材は何にすればいいんだ。延ばす金属の種類によるんだろうけど、結構考えるの面倒くさそうだ。うん。まだそこまでの技術水準に達してないんだから無理はいけないな。転生者一人の情報で世の中変えられると思ったら間違いだ。ムリをしたらどこかで破綻が生じる。大きな被害を出さないように大人しくしているに限る。
「缶詰めが考案されたのはナポレオンの時代だし、技術力が追い付くまでに多少の時間がかかったらしい。当分ムリじゃないかな」
少なくともツナ缶はまだムリだと思う。でも、ツナマヨならできる気がする。だけど、ツナマヨお握りとなるとジャポニカ米がないと難しいだろう。ってか、未だに米が見つかったって話は聞いていない。
「米もないだろ」
勇者が驚いたような顔をした。もしかしなくてもコイツ忘れてただろう。米が無いことを。倒置法で強調だ。
都合の悪いことはすぐに忘れられるのは、ある意味無敵だ。学習能力に欠けるとも言える。忘れてしまったら次に活かせない。まぁ、記憶力に問題がある私が言うのもなんだが。
『……米が無い…米が…』
勇者は小声でぶつぶつと繰り返していたが、しばらくしてカップの白湯を飲み干してふらりと立ち上がった。
『今日はもう帰るね。また、明日』
「明日は仕事で外出」
力無い言葉に、冷たく返した。明日の用件は朝からだが、何時までかかるかはわからない。
『えっ、ブランちゃんと一緒にお父さんのとこ?』
妹は学校を終えた。今は、父の店の手伝いをしながら、街の人々の服を観察しているらしい。いずれは服飾関係で自分の店を立ち上げるつもりと夢を語っていた。叔母に頼んで舞台衣装の見学も始めるようだ。
「いや、個人的な仕事」
『商会関係?』
うるさい。プライバシーに関わるな。
「個人的な、仕事だ」
強調して繰り返した。これ以上の情報を出す気はない。
『マリちゃんて、家事手伝いみたいなフリして意外に仕事してるよね』
「帰るんじゃなかったのか?」
腕を組んでコクコクと頷く勇者をにらみつける。こういう時にスルースキルを発揮するのが、勇者の気に食わないところだ。ん?それってKYか。だよな。勇者って奴らは基本的にKYだよな。認めたくないが、納得してしまった。だいたいにおいて、絶対的存在である魔王に立ち向かって行こうなんて通常の神経じゃムリだわ。壊れてるか、壊れていくのか、どちらかだろう。まぁ、どちらでもいい。
とにかく、帰れ!二度と来るな!




