205
『マリちゃん。日本語を忘れそうだから、尻取りやろ』
勇者がいつも通りに昼過ぎにやってきて、専用カップに白湯を注ぐと変なことを言い出した。
「やだ」
勇者の発言は自動的に却下だ。
『マジ困ってるんだよ。自動翻訳だからこっちの言葉覚えられないし』
「召喚したヤツに苦情を言え」
『日本語喋れる人はマリちゃん以外居ないんだもん』
「いや、基本的に日本語は使ってないぞ。自動翻訳で通じてる気がするだけだ」
他の人がいる時に謎の言葉を喋るのはまずいじゃないか。だから、日本語はなるべく使わないようにしてる。だから、勇者お前よりここでの生活が長い私が日本語を忘れているハズだ。
『尻取りの"り"』
コイツ強制的に始めやがった。尻取りを甘く見るな。お前には降参しかない。
「理科室」
『ツル』
「瑠璃カケス」
『スイカ』
「寛骨」
『追加』
「管状骨」
『月』
「筋肉」
『クツ』
「椎骨」
『ツケ』
「脛骨」
『辻』
「上腕骨」
『築地』
「上顎骨」
『つくし』
「舟状骨」
『蔦』
「大腿骨」
『津波』
「水疱瘡」
『うま』
「マルテンサイト」
あ、末節骨にすべきだった。次に"ま"が来たら…って忘れるんだよね。まぁ、いいや。終わったかと思わせて"つ"が続く方が効果的かもしれない。
『とんび』
「尾てい骨」
『また、"つ"?』
「文句言うなら止めるぞ」
不満そうな顔をする勇者に不服顔で返した。まだまだ始まったばかりだ。
『…つまみ』
「三日天下」
『雷』
「リウマチ」
『…ち…血豆』
「メンデルの法則」
『クツ』
「さっき言った」
『…クツ…下』
勇者は悔しそうな顔をして言葉を続けた。
「第二中手骨」
"た"が来たらこれの系列が来ると思うハズだ。だんだん使える言葉が減るぞ。実際にはそんなに減らないが、追い詰められ感が思考を停止させる。尻取りは心理戦だ。
『…つ…積み木』
「筋骨隆々」
筋骨で止めておけば、また、"つ"にできたか。まぁ、いい。次に"き"が来たらだ。
『うし』
「尺骨」
『…つ…つ…つくね』
「猫耳」
『?…ミント』
「トウ骨」
『トウ骨って何?』
「腕の親指側の骨。小指側が尺骨」
『そうなんだ』
「降参か?始めたからには続けるか、降参以外認めないぞ」
感心したように頷く勇者を急き立てる。考える時間を与える気はない。
『いや、…えっと……付き合い』
「胃ろう」
『うり』
「燐光」
『うるし』
「踵骨」
『…つ、爪」
「目薬」
『リニア』
「あぶみ骨」
『爪先』
「胸骨」
『…付きだし』
「手根骨」
『土』
「蝶形骨」
『追試』
「膝蓋骨」
『…つ…つ…爪切り』
「立方骨」
『そんなのあるの?』
「足にな」
『…爪先立ち』
「腸骨」
『さっき言わなかったっけ?』
「さっきのは蝶形骨だろ。頭蓋骨の一部。腸骨は骨盤の一部」
『詳しいね』
「護身のためには人体構造に詳しくなきゃね」
自業自得なものも含まれるが、前世は色々あった。身を守るために身体を鍛えるとともに勉強もしていた。
『…マリちゃん、どんな生活してたの?』
「普通」
『いや、僕知らないし』
「無知を威張るな。降参か?」
『…ツナ』
「軟骨」
『土踏まず』
「頭蓋骨」
『頭蓋骨はさっき…』
「蝶形骨の説明だろ」
『そうだっけ?』
『えっと、じゃあ…角』
「納骨」
『ツアー』
「鞍関節」
『関節来たーっ。骨の名前だけじゃなくったよぉ』
勇者は泣きそうな顔になった。今回は"つ"攻めだった骨が多いが、"い"攻めなら神経の名前列挙だ。血管名で"く"もある。せっかく覚えた固有名詞を使わない手はない。
どこが致命傷になるか、どこが安全に相手の動きを止められるか、それをきちんと学んだんだ。使い方は間違っている気がするが、今後のことを考えるとここで徹底的に潰すしかない。
ちなみに鞍関節という名前の関節があるわけじゃなかったハズだ。関節の形だったな。車軸関節ってのもあった。少しずつ日本語を思い出しながらじゃないとこちらも勝てなくなる。
『佃煮』
「煮物」
『野うさぎ』
「偽関節」
『つくし』
「篩骨」
勇者は短い沈黙の後で、思い詰めたように口を開いた。
『…マリちゃん。骨って何種類あるの?』
「200くらいだよ。で、骨と骨の間は関節」
『今、何個くらい出たかなぁ』
「うーん。20?」
手根骨とか頭蓋骨とかまとめて言ったのもあるし、軟骨は違うし…そもそも200も覚えてはいないんだけどね。
『降参します』
勇者はお手上げのポーズをした。顔が引きつっている。
『つで始まる言葉が200個も思い付く気がしない』
「終の住処、椎間板ヘルニア、椎体、椎弓、追及、墜落、追撃、追跡、追突、追走…まだまだある」
『えっ、じゃあ…』
「今、言ったのは禁止」
期待させて落とす。これ重要。テストに出る。
「ってか、平和だな。勇者が尻取りをして遊んでられるなんて」
『いや、だって、僕が魔王を倒しちゃったし』
「残党の魔物討伐が終わってないだろ」
『王様から連絡がないと動けないんだよ。この辺にはあんまり残ってないし。でも、遠くまで行く案件は最近来ないんだよね。またマリちゃんと旅行したいのにさ』
勇者が口を尖らせた。だから、いい歳した野郎がやるなって。
というか、あれか。私を王都外に出せなくなったから、勇者も討伐の旅に行かせられなくなったってことか。ウザいから勇者を連れて行って欲しいんだけど。ってか、遊ばせておくくらいなら原っぱの草むしりとか廊下の雑巾掛けとかでもさせとけよ。宰相役立たずだな。
『あ、もしかして。マリちゃんって前世、女医さんか看護師さんだったり?』
私が考え事をしている間に勇者も要らんことを考えていたらしい。
「違う」
『マリちゃんの白衣姿とかちょっと見てみたい』
相変わらず話を聞かないで、夢の世界に旅立っている。
「実験する時には白衣だったが、それがどうした」
『リアル白衣の天使!』
何を勘違いしたのか、勇者は目をキラキラと輝かせている。
「マッドサイエンティストみたいと言われていたぞ」
天使と言うよりむしろ黒い羽が生えてそうと評判だった。失礼な話だ。そんなもん生えていたら羽を動かす筋肉がどうなっているのか気になって仕方ないじゃないか。
まだ天使を夢見ている勇者に空になっていたカップを投げつけて、強制的に目覚めさせた。
「尻取りの敗者は出ていけ!二度と来るな」
勇者は目を見開き、頭上のカップをテーブルに置いた。
『次は必ず勝つ』
言い残して、わずかに濡れた髪を風に揺らして勇者は帰っていった。
いや、二度とやる気はないから。




