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深呼吸。軽く目をつぶり、ゆっくり見開く。
手にした棒は鍛錬場にあるもの。男性が握るのにはやや細いと思うが、女性の冒険者が槍の練習に使うものかもしれない。
『始め!』の声に合わせて動く。身長とほぼ同じ長さの棒は相手の眉間に当たる。しかし、身体ごとわずかに反らされたために威力は落とされた。
体勢を整え、相手の剣を最小限の動きで避け、喉元を狙う。
体重がない分、倒すためには急所に確実にダメージを与えるか、相手の重心を支え切れないくらいずらすしかない。急所狙いはことごとく微妙に外されて決定的なダメージには結び付かない。足払いをかけても、こちらへのダメージがあるだけなのはわかっている。体重差がありすぎる。むしろ足を狙う為にムリした隙を狙われる。
15分でへばった。
超マジの15分はツラい。
降参の合図をして、座り込んだ。呼吸がままならない。
『疾風のマリー怖っ』
誰かの声が聞こえる。
顔を上げられない。
『俺だったらあそこまでムリ』
有効打すら与えられないのに、バカにしてるのか。確かに相手の攻撃は全て避けた。当たったら飛ぶ。間違いなく軽く飛ぶ。
逆に私がどんなに頑張ったとしても軽すぎて相手の重心を動かすのはキツい。物理的に。
私の得意が速攻だと知っている相手だが、どの急所を狙うかはその時の気分だ。癖は作らないようにしている。防ぎ切れるものではない。だが、それを最低限の動きで防御された。
つまりは………未熟なんだよね、私が。
何も身長57mの巨体を相手にしてるわけじゃないし、相手に加速装置が付いてるわけじゃないし…一応、普通の人間相手なんだから、ムリなハズはない。三下相手なら何とかなるレベルでしかない。
……父にしごいてもらうしかないのかなぁ。
まぁ、町娘ならこの程度でいいのかもしれない。有事に招集されても困るしね。
人体の重心はだいたい骨盤の中くらい。ならそこから上を狙えば支持基底面から外すことは楽なハズ。まあ、肩から上なら楽だと思う。思うが、自身の体重の倍以上で身長も30cm以上高いとなると色々策を練らないと…その辺りが甘いんだろうな。弟とやっても所詮は馴れ合いなんだと現実を思い知らされる。弟と私の身長差はだいたい20cm。そこからわずかに10cmちょっと高いだけだ。だが、身長が伸びれば体重も増す。しかも、相手は立派な骨格に強靭な筋肉の持ち主だ。場数も踏んでいる。商業ギルドに属する町娘とは比較にならない。
雑魚な魔物に勝てたって王都から一人で出歩けるレベルにはほど遠い。騎士団に守られながら安全な旅をする程度のか弱さだ。
誰かが水をくれたので、一口飲んでノロノロと立ち上がった。邪魔にならないように端に移動する。隣に先程までの対戦相手が座った。鍛錬場の入口で最初に声を掛けてきた冒険者だ。
『疾風の。トップスピードが上がったな』
汗を吹きながら慰められた。
「…」
無言で首を横に振った。まだ会話できる状態じゃない。
『今日こそはヤバいと焦ったぜ』
慰めは要らん。
呼吸を少しずつ整えながら、顔を上げる。
次の対戦が始まっている。他人の動きを見て、取り入れられるものは取り入れて自分を高めなければならない。最終的に自分の身を守るのは自分だ。か弱い妹も守らなければいけない。
私は基本的には頭脳労働者だ。兄のようにはなれないし、脳筋なんて真っ平ごめんだ。だからと言って、知恵と勇気だけで全てが片付くわけではない。ある程度の力は必要なんだよね。
「そういえば……ここでおじさんたち以外とやったことない」
見回しても顔見知りばかり。予約するとこのメンバーのうち誰かがいて、コテンパンにやられるか、せいぜい互角の勝負をするかだ。
『おじさんってさ、お兄さんって呼んで』
「おじさんのくせに図々しい」
『俺、このギルドで一番の冒険者なんだけど』
「はいはいはい。言うだけなら何とでも。それに一番かどうかとおじさんかどうかに因果関係ないし」
『言うだけじゃないし。それに疾風のとそんなに年変わんないよ』
「私の方が年下って事実は揺るがない」
『だいたいさ。マリーの比較対象はアレだよ』
『…守護者か』
『アレに匹敵するとしたら魔王じゃね』
『一番か二番かじゃなくてアレより強いかどうかじゃ…』
いつの間にか、周囲に人が集まっていた。
『守護者、勇者とやって負けたとか』
『でもさ、結局のとこ守護者も勇者もマリーが従えてんだろ』
『マリー最強』
「ちょっとおじさん達!人聞きの悪い」
こんなにか弱い町娘をつかまえて何を言う。振り返り睨み付けた。
『マリーなら二人を従えて国を取れる』
『マリーが国取りしたら、冒険者やめて騎士団に入ったるわ』
『お、それいいな』
冒険者たちの軽口は続いた。
「いや、国なんて要らんわ」
きっぱりはっきり。
『やりたい放題できるぞ』
「なわけない。経営の方がめんどくさい。ただの町娘が一番楽」
『ただの町娘じゃねぇだろ』
『どこの世界に勇者を手玉にとる町娘がいるんだ』
『そもそも兄が…』
「いい加減、兄の話題は止めろ」
苛っとした。
ぎゃあぎゃあと適当なことを言っていた冒険者たちが一瞬にして静かになる。ちょうど、次の対戦が終わったらしく、視界に動くものはない。
『マリー?』
『コイツ最近ウチに入ったんだけど、手合わせしない?』
誰かが一人の冒険者の背中を押した。確かに新顔かもしれない。見たことがない気がする。ただ、なぜか怯えているので、そのせいで勘違いしている可能性もある。元々、他人の顔を覚えるのは得意ではない。
『や、ムリっす。死にたくない』
「すー君?」
小首を傾げた。似てない気がするが、そうだと言われたらそうなのかもしれない。
『すー君って誰っ?』
「…えっと、騎士団で語尾に『っす』って付ける人」
『全然違う』
冒険者が揃って首を振った。
「有名人なんだ、すー君」
ここにいる冒険者が認識できるくらい有名だったんだな。
『騎士団にこんな熊みたいなヤツはいないだろ!』
『コイツが騎士に見えるか?』
『騎士団に入ったことはないっす』
熊には見えない。あくまでも人間だ。さらに首を傾げた。
『…マリー』
『人の区別つかないからなぁ』
そんなことはどうでもいい。そろそろやらないと時間無くなるじゃないか。
私はここにからかわれに来たわけではない。身体を鍛えに来たんだから。




