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早く、普通の体に戻りたい……
大空の野郎がどこに行ったのか見当もつかないし、今日は体調不良だとかで休んでいるし、連絡もつかないし。一体いつになったら戻れるんだろうか、なんて考えてたら気のせいか胃が痛くなってきた。
とりあえず授業は続けてみたが、いつあの発作が分からなくてヒヤヒヤする。
そんなこんなで放課後になり、俺は、発作も起こらないまま大人の姿で織姫と月影と合流することになった。この場合、子供の姿で合流して親戚の子供だと紹介された方が説明は楽だったかもしれない。
「何故、天野先生までついてくるんですか……」
月影の冷ややかな眼差しが突き刺さる。
いや俺だって一人で帰りたかったよ。だがいつ発作が起こるかわからないこの体で、織姫なしの単独行動なんて危険すぎる。いつ公衆の面前で発作を起こして子供に戻るかわからないし、そうなってしまったら、最悪どっかの研究所だの病因だの大学だのに連れて行かれて体中をくまなく検査されてしまうのだろう。まあそうなった場合、大空のことを話せばいいのだろうが……まあ、要するに、面倒なことになるのが嫌なのだ。
「え、えーと。ほら、荷物持ち? みたいな」
「……二つ以上は持たないぞ」
「えー、いっぱい買う予定なのにー」
織姫は不満そうに口を尖らせる。
お前、結構ノリノリじゃねえかよ。
「……私、今までおしゃれなんかしたことなかったから、どんなものを買えばいいのかわからないんですが」
「そっか。うん、大丈夫よ? 私がちゃーんとコーディネートしてあげるから」
余裕の表情でウインクする織姫。
お姉さんぶってはいるが、精神年齢は月影と同じかそれ以下なんじゃないかと俺は思う。まあ、コイツのことはあんまりよく知らないが。
俺達は学校の最寄駅近くにあるショッピングモールで月影の服を探すことにした。
ショッピングモールの存在は知っていたが、実際に中に入ったのはこれが初めてだ。当たり前だ、こんなとこ殆どが若い人間に向けた店ばっかりだからな。それも大半が女性向けで、男性向けなんて数える程だろう。まあ、入ったことないから知らないんだけどな……けど俺は今、自分のその偏見が正しかったと実感している。
何故なら周りには学校帰りの女子高生、あるいは、若い男女のカップルで溢れかえっているからだ。こんなとこにオッサンが混じったら、そりゃもう、白い紙に黒いインクを落したように目立ってしまう。しかもこのショッピングモールは若者の集客を狙って作られていて、流行りのブランドだとか雑貨屋だとかばかりらしい。そりゃあ、俺みたいなオッサンが来るわけがない。世の中、中年の男に厳し過ぎるような気もする。
この時ばかりは、早く子供の姿になってしまいと思った。
「あ。これ、かわいくない?」
織姫が真っ白なフリルのワンピースを手に、きゃっきゃとはしゃぎだす。
それを見て月影は頬を赤らめて、ついと視線を逸らした。
「……かわいすぎます。私には似合いません」
「そんなことないわよ。月影さん、かわいいわよ? あ、そうだ眼鏡も外してコンタクトにしなきゃよねっ」
すっかり月影より織姫が楽しんでる気がするのは気のせいか。
「おい。あっちで座って待ってるぞ」
俺はうんざりしてきて、そう言い残して近くのベンチに腰掛けた。
朝は人を脅した月影が、今は織姫のはしゃぎっぷりと着たこともないフリル満載の服を押し付けられてものすごく困惑している。その様を見るのは、少し面白いかも知れない。が、やっぱり、することもなくただぼーっとしているのは暇だ。これなら家に帰って寝ている方がよっぽど有意義な時間の過ごし方じゃないかとも思う。
と、周りを見れば、チラホラとだが、俺と同じく買い物に付き合わされたのだろう父親か彼氏らしき人が数人、ベンチに座って暇そうに携帯電話をいじっている。なんとなく、仲間意識のようなものが芽生えた。
「あれ。ねえねえ、あれ月影じゃない?」
と、聞き覚えのある声に、俺はふと目を向けた。
少し離れた場所に、見覚えのある女子高生が三人、いた。
「あん? 尾之上達じゃねえか」
尾之上真理恵。
うちのクラスの女子生徒だが、その見た目の可愛らしさは全校一とも言われている。将来はモデル志望とだけあってスタイルも抜群で、頭もいいし、化粧もうまけりゃファッションセンスも抜群という女子生徒の憧れと嫉妬を一身に浴びるような生徒だ。
まあ俺からしてみりゃただのマセガキなんだがな。
「あー、ほんとだ」
と尾之上の横にいる友人1、田中歩美が楽しそうに笑った。
「えー、あの子、あの店の服なんか着るの? 似合わなくね?」
友人2、山内洋子が、同じく楽しそうに笑って手を叩く。
「えー、そんなこと言っちゃ可哀そうよ。お洋服は誰でも着る権利があるんだから。似合う似合わないは別として、ね?」
尾之上が人差し指を口元に充て、可愛らしく首を傾げて見せている。
女って怖いな、と俺は今、痛感している。
そういえばコイツらもあのローカルアイドルのオーディション受けるとか、そんな話を聞いたような気がする。まあ職員室で誰かが噂をしてるのを小耳に挟んだだけだから本当かどうかわからないけどな。
「まさかあの子もオーディション受けるつもりかな」
田中が「ウケるー」と手を叩いてはしゃぎ、
「ローカルアイドルっても田舎娘探してるわけじゃないのにね」
山内が失笑し、
「いいんじゃない? ちょっとぐらい挑戦してみてもバチは当たらないわよ。私だって受かるかわからないけど、挑戦してみるつもりだしぃ」
尾之上が自慢のふわっふわの髪を右手で後ろに払いながら、言う。
ああ、やっぱり受けるのか。尾之上が出るんだったら、アイツの勝ち目はないんじゃないのかね……
「だよねー! 真理恵ちゃんが優勝に決まってるもんねー!」
山内があからさまに声のトーンを上げておべんちゃらを言って、
「うんうん、わかるー!だよねー!」
きゃははー、と田中が急にはしゃぎだす。
「だいたいアイツ、月影ってアレでしょ? お兄さんが家出しちゃって、父親は変な女にうつつを抜かして殆ど家に帰って来てないって話じゃない」
山内が嬉々として話を切り出す。
「マジで? そういや母親は父親の浮気が原因で自殺したんじゃなかったっけ?」
田中が嬉しそうに言う。
「えー、そうなの? なにそれぇ、かわいそー」
尾之上がキャハハ、と甲高い声で笑う。
なんちゅー話を嬉しそうに大声でしてんだよ。俺がいることにも気づいてないよな、絶対……まあ、こんなところに俺が一人で座ってるなんて誰も思わないだろうけどな。
「ねえねえ、アンジェラハートのお洋服見に行こうよー。睦月京介デザインの新作が出たからアレ着たいのー」
尾之上が歩き出すと、残りの二人もさっさと歩き出す。
なんかよくわかんねーけど、女って怖いよな。
俺がゾっとしていると、
「先生、聞いてくださいよー」
織姫が手ぶらで戻ってきた。
月影も手ぶらだ。
「なんだよ、買わなかったのかよ」
「そうなんです。月影さん、恥ずかしがっちゃって」
「……私には、もう少し地味な方が似合います」
「だめよ、勇気を出さなきゃ! それに月影さん、お化粧したら絶対にかわいくなるものっ! ライバルなんて蹴散らしちゃえ!」
「……ごめんなさい、私やっぱり」
「アンジェラハートの服とかどうだ? 俺は見たことねえけど、なんか女子高生が話してるの聞いたぞ」
正直、早く家に帰りたかった。
月影のオーディション合格だってどうでもいいと思った。
けど、さっきの尾之上達の話が妙に胸に突っかかっている。このまま月影にオーディションを諦めさせるのは簡単だし俺も楽になれるが、なぜか、それが少し気に入らない。
「あー、知ってます! そういえばモデルの睦月京介とコラボしたんでしたっけ? 睦月京介プロデュース、全国の女子高生に送る新作夏コーデ! ってテレビでやってましたよ。私も女子高生に戻りたいって思いました」
「お前が薬飲めばよかったのに」
「薬?」
月影が不思議そうに首を傾げる。
「ああ、いやなんでもねえよっ」
「な、なんでもないの! 先生最近ちょっと胃の調子が悪いみたいで!」
「あ、ああ! 胃もたれだ! 胃酸過多なんだっ」
「……そう、ですか?」
俺達二人の必死のごまかしが利いたのか、月影は訝しげな顔のまま、しかし、何とか納得してくれたようだった。
☆
アンジェラハートとかいう店に到着した時、入れ替わりに尾之上達が出て行った。手には店の紙袋……どうやらアイツらも買ったらしい。だが月影はというと、店に入るのすら躊躇われるのか、入り口で立ち止まってしまっている。俺だって入るのは嫌だが、織姫に半ば強引に手を惹かれて連れて来られてしまった。月影が嫌がっても、一緒に説得してほしいかららしい。
「おい、月影。そんなとこで突っ立って立って服は買えねーぞ」
と俺のその呼びかけにも、無反応だ。
店に入るのが恥ずかしいというより、入り口にある何かに気を取られているのか。
俺と織姫は顔を見合わせ、月影に近づいた。
「なにやってんだよ、入るぞ」
「それとも気に入ったお洋服でもあった?」
俺達二人は月影が真っ直ぐに見つめる、その何かに眼を向けた。
そこにあったのは、睦月京介という大人気モデルのポスターだった。
【睦月京介×アンジェラハート! 奇跡のコラボが今、実現!】とベタな煽り文句が書いてあり、その睦月京介とやらが片膝抱えて座ってこっちに向けて甘い微笑みを向けている―――まあ、この面でこの笑顔じゃ、月影だって見惚れてしまうわな。
整った顔に優しそうな目、色白で背も高くてスタイル抜群……なんていうか、たぶん、女の理想の男と言うのはこうであると言われているかのようだ。欠点など一つも見当たらない。
「ねえ、どうする? ここのお店、やめちゃう?」
織姫が訊くと、月影は真っ直ぐポスターに目を向けたまま、
「ううん。ここにするわ。ここのお洋服にする」
「そう? よかった、ここのお洋服、かわいいものね」
うふふ、と織姫が微笑む。
俺はゆっくりと店内を見回す―――そこにあるのは、おおよそファッション初心者が着るようなものではないだろう、フリルとレースとリボンとピンク色のオンパレードの服ばっかりだ。
「なあ、やっぱここ……やめないか? なんかすごい特殊な服ばっかなんだけど」
「ああ、これは甘ロリっていうんですよ? 知りません? ゴスロリもいいですけど、こういうお洋服もやっぱりかわいいですよね! 私ももう少し若かったらな」
「お前、いくつだよ」
「二十三です……やっぱり着るのは無理がありますよね」
織姫はしょぼくれる。
「あの辺なら問題ないんじゃねーの」
と俺は、マネキンが着ている黒いドレスみたいな服を指差した。
「あ、あれはゴスロリですね……あれも私にはもう」
「お前な、人に大丈夫だ着れるとか言ってるくせに自分はそういうこと言うのかよ。一緒に着て来い」
「え、えええええっ?」
「行きましょう、先生」
と、月影が織姫の手を引き、店の奥へと入っていく。
そして店員と何事か話した後、試着室へと案内された。
そして俺はこの甘ロリとやらの店の中で一人、居心地の悪さを感じていた。
「娘さんですか?」
うふふ、と店員が話しかけてくる。
金髪ツインテールでフリル満載のドレスだかワンピースだかかを着た店員に話しかけられ、俺は、内心ビビってしまった。なんか宇宙人に話しかけられたみたいな気分だ……
と、しばらくして、ようやく二人が試着室から出てきた。
「おい、遅かったじゃねーかっ。居心地悪かったんだぞっ……」
自分からこの店を指定しておいて、その文句はおかしいと思ったが、言わずにはおれなかった。
が、俺は、試着室から出てきた二人を見て驚いた。
「ど、どう……ですか?」
織姫が、照れくさそうに聞いてくる。
「……正直に、答えてください」
月影が睨むように俺を見てくる。
俺は正直、答えに困った。それは別に二人が似合っていないからではなく、単純に、思った以上に可愛かったからだ。織姫は普段から地味とはいかないが派手さを押えたシンプルな服装だが、少し子供っぽいがフリル満載のゴスロリ服も良く似合っている。なんていうかこう、異世界の妖艶な魔女というか、なんかそんな感じだ。だが、もちろん、そんな感想は口になんかしてやらない。
そして月影はというと、こっちはこっちで、どこぞの姫さんみたいになっている。髪の毛もいつもの三つ編みではなくツインテールに結わえられ、眼鏡も外し、うっすらと口紅が塗られている。
「ね、先生。月影さん、すごく可愛いでしょっ!」
「変じゃ、ないですか」
不安そうに月影が訊く。
「うんうん、大丈夫よ! お姫様みたいよ。だからもっと自信もって、ね!」
織姫が興奮気味に勇気づける。
俺は何故か二人を見ているのが恥ずかしくなって、思わず顔を背けてしまった。
「ね、先生。月影さん、この方がずっといいですよね」
「お? おお……まあ、な」
素直に可愛いとかこっちの方がいいとか、そういうのを言えるような人間じゃない。
俺は適当にごまかし、照れくささのあまり、またツイっと顔を逸らしてしまった。
「ありがとう、ございます……」
月影も恥ずかしそうに、俯き加減に顔をそらした。