32
関係者以外立入禁止
そう書かれた看板の前で俺達は立ち尽くしていた。
まあ、そりゃそうだ。相手は芸能人なんだし、追いかけたって捕まえられるはずなんてない。親父さんも厳しい顔をした警備員二人に睨まれながら立ち尽くしている。俺も織姫もどうしたものかと顔を見合わせるしかなかった。けど、このままでいいのかと言われたら、首を振る。ここまで来たのにこんな看板と厳しい顔をした警備員二人に負けてすごすご退散なんてできるはずがないだろう。
というわけで、だ。
「織姫。例の薬は持ってるな」
「え? あ……はい!」
最初は何を言っているか意味がよくわかってないらしかったが、すぐに理解してくれた。
そう、この状況を突破する術はただ1つ――――
「え、あの、これは一体……」
会場の裏手、人気のない場所まで来た俺はヤツから送りつけられて来た例の薬を飲み、親父さんの前で子供の姿になった。もちろんすっぽんぽんなので、織姫の持ってきた服に着替えながら、
「これには深い事情があるんだが1から説明するのも面倒なので『そういうもの』として理解してくれ」
「いや、あの、でも」
「とにかく。これでアイツの場所まで行きやすくなったぜ」
そう。
大人なら不審者扱いだろうが、子供のやることなんて悪気はないし、咎められるはずもないのだ。
というわけで、俺達は再び「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた看板に向かって走っていた。
「やだやだー! 会うんだもん睦月京介に会うんだもんーー! うわーーーん!」
四十過ぎのおっさん、全力で子供になりきって両手を振り回しながら警備員の横を駆け抜ける。
「あ、こら待ちなさい君!」
案の定、警備員の一人が追いかけてくる。
それに続いて親父さんが追いかけてくるはず―――と振り向いて見ると、もう1人の警備員に腕を掴まれていた。万事休すか、と思ったその時だった。
「ああ、足がもつれてしまいましたぁっ」
織姫がわざとらしくよろけて警備員の腕にしがみついた。見る間に警備員は真っ赤になり硬直した。さすがむちむち美人の巨乳だぜ……と、そうこうしている間に親父さんが警備員の腕を振り払って走り出した。織姫も硬直する警備員をすり抜けて走って来る。
作戦大成功だ。何の目的か知らんが奴から送りつけられてきた薬が役に立つ事があるとは思わなかったぞ。
「こらー!待ちなさい! 止まりなさい!」
警備員がしつこく追いかけてくる。親父さんは必死に走りながら何度も警備員を振り返り、織姫は泣きそうな顔をしてひたすらに走っている。このままじゃ捕まるのも時間の問題だ。なんとか足止めする方法はないのか───……
と考えていると、
「あーれー! こけてしまいましたあー!」
突然、織姫がわざとらしく太ももを露にずっこけた。と、警備員は足を止め、鼻の下を伸ばしながら織姫の前に膝をついた。
「だ、大丈夫ですか⁉️ ええと、あの……」
「すいません、足を挫いてしまったようで……ぐすん……」
潤んだ眼差しで警備員を見つめ、そっと、彼の腕に手を触れた。これは演技だ、と分かっているのに何故か心がもやもやする。戻って警備員をぶん殴ろうかとも思ってしまった。が、戻ってる暇はないし、それで捕まったら恥も外聞も投げ捨てて一芝居打った織姫に申し訳ない。
「って、ああ! 君、待ちなさい!」
我に返った警備員の声が聞こえた。
が、次の瞬間―――
「ここは私に任せて! 先に行ってください!」
その声に振り向くと、親父さんが警備員を羽交い締めにしていた。
「はわー! 助かりました! 先生、先を急ぎましょう!」
織姫がこっちに向かって全力疾走してくる。
「っていうか親父さんが行かなきゃ意味なくないか!?」
「私は後で必ず追い付きますので先に行ってください!」
「とりあえず先に行って睦月京介さんと話をしましょう!」
織姫が俺に追い付き、後ろからひょいと抱き上げた。
幸いなことに廊下には誰もおらず、これだけ騒いでいるのに誰も様子を見に来ない。有りがたいことだが、睦月京介がいるってのに警備が手薄すぎて逆に心配になる。
「ところで睦月京介の楽屋ってどこだ?」
「そういえばどこなんでしょう」
と織姫は立ち止まり、廊下の曲がり角からこっそり様子を伺う。俺もこっそり顔を出して、様子を見てみた。
相変わらず通行人はいないが、扉の両脇に警備員が2人立っているのが見えた。どうやらあそこが睦月京介の楽屋らしい。けど、正面突破はさすがに無理だろうし、一体どうすりゃいい?
「どうしましょう。あれでは中に入れませんよ?」
「睦月京介の親戚です……ていうのは流石に無理があるかな」
「さすがに無理でしょう……というか、たぶん私達のことはもう連絡が入ってるんじゃないでしょうかね? 迂闊に近づいたら通報されてしまうのでは……」
「もう少し作戦を練るべきだったか」
俺は頭を抱えた。
そりゃそうだ。よく考えたら、警備員だけじゃなく関係者全員に既に連絡が入ってるかもしれない。子供をダシに睦月京介の楽屋に向かった不審者がいる、と。今のところ警備員にしか遭遇してないが、最悪察に通報されててもおかしくはないだろう。けど、こうでもしなきゃ睦月京介に会うことなんてできないだろうし……
「お待たせしました!」
と声が聞こえて、そっちに顔を向けてみるとそこには警備員の制服を着た親父さんが立っていた。肩で息をして額に汗を滲ませているが、制服には一切の乱れがない。
「って、その服どうしたんだよ!?」
「はい、追い剥ぎしてきました! あ、戻ってもう一着剥ぎ取ってきましたから安心してください!」
「いやすげぇな!?」
「はい、凛太郎と話をするためですから。いやあ、消火器が置いてあって助かりましたよ」
優しい微笑みを湛えながらさらりと恐ろしいことを抜かす。
消火器でぶん殴って気絶させて追い剥ぎしたのかよ……犯罪スレスレじゃねえか……
「ではこの制服を、昴先生どうぞ」
「へっ? わ、私ですか!?」
「あー、まあ俺は子供の姿だからなあ」
「だ、だったらえっと……キ、キスを……」
「いちいち戻ったり縮んだり面倒くせぇよ。誰もいねーんだからここで着替えても問題ないだろ」
「大ありですよ! ていうかよく考えたら防犯カメラあるんじゃないですか!? こんなところで着替えたらバッチリ映っちゃいますよ!」
「んなこと言ったってしゃーねーだろ、大丈夫だよ顔なんかハッキリ映りゃしねーって」
「いやですいやですいーやーでーすーーー!」
織姫は大きな目に涙をいっぱい浮かべて駄々をこねる。
「あ、あの、早くしないと人が来てしまいますよ」
「ほら織姫、さっさと着替えーーー」
言いかけたその時、俺を抱えたまま織姫が半ばやけくそ気味にキスをしてきた。と、次の瞬間、燃えるような熱が体を包み込み、全身から汗が吹き出してくる。
俺は慌てて織姫の腕から飛び降り、服を脱ぎ捨てた。
「お、お前なあっ!」
正直、子供から大人に戻るのは楽じゃない。骨の軋む感覚と細胞が煮えたぎるような高熱が一瞬にして襲いかかってくるのだから。体がもとに戻った時にはフルマラソン完走くらいの―――いや、走ったことなんかないが―――酷い疲労感に襲われるのだ。まあ、その疲労感も少しすれば何事もなかったかのように回復するのだが。それでも、あの苦痛を味わわずに済むならそうしたいものだ。
「だ、だってこんなとこで着替えるなんて絶対やですもんっ」
織姫は表情に申し訳なさを滲ませつつ、文句を言う。
まあ確かに人目がないとはいえ、廊下で着替えなんて嫌だろう。それはわかっちゃいるが、こっちだってあの苦痛に襲われるのはごめんなのだ。
「しかし本当に、なぜ先生はそのような芸当ができるのですか?」
親父さんは目を真ん丸にしている。
「俺が聞きてぇよ。アイツがなんでこんな薬作ったのか、どうやって作ったのかな」
渋々制服に着替えながら、ぶっきらぼうに答える。
忌々しいアイツの顔が脳裏に浮かぶ。
人を見透かすような目、何を考えてるかさっぱりわからない不気味な笑み。子供の頃からアイツはいつもそうだった。何を考えているか全くわからなくて、だけど、頭はめちゃくちゃ良くて、将来は医者か研究者かなんて誰もが期待していた。なのにアイツは何故か、俺と同じ教師の道を選んだのだ。
「よし、着替えたぞ」
きゅっとネクタイを絞めて、気を引き締める。
「それじゃあ、行きましょうか」
親父さんは緊張した面持ちでそう言って、ゆっくりと歩き出す。俺も親父さんとならんで歩き出す。
なるべく不自然にならないように堂々と胸を張って警備員に近づいていく。
「あー、えっと。もう交代の時間だぞ」
俺が声をかけると、
「お、もうそんな時間か。悪いな、じゃあ休憩行ってくるわー」
扉の左側に立っている警備員が軽く手を上げて歩きだし、
「そういや不審者が侵入したらしいから気を付けろよー。睦月京介に何かあったら大変だからな」
右側に立っていたやや童顔の若い男が軽いノリでそんなことを言いながら歩き出す。
「あ、ああ、気を付けるよ」
「だ、大丈夫ですよ任せてください」
2人をぎこちなく見送り、そっと扉の左右に立つ。
親父さんと顔を見合せ、無言で胸を撫で下ろす。まさかこんなガバガバな作戦が上手くいくとは思わなかったぜ……防犯カメラも無線も全く機能してないんだな。だが、警備が手薄で助かったぜ。これで睦月京介に会える……
と、俺はドアノブに手をかけた。
すると。
「あのねえ。防犯カメラって知ってる? 無線もあるんだけど?」
「警察、もうとっくに呼んであるよ」
背後で、呆れ気味の声が聞こえた。
ですよねー、そんなに簡単に事が運ぶはずないわなあ……
これ以上の抵抗なんてできるはずもなく、俺達2人は背中を向けたまま仲良く両手を上げた。
「んじゃ、ちょっと来てもらおうか」
万事休すだ。
このまま連行されて、俺も親父さんも職を失い、路頭に迷うのだろうか……
なんて事を考えて絶望していると、
「先生、諦めちゃだめです!」
織姫が消火器片手に飛び出してきて、思いっきり粉を噴射した―――あっという間に視界が真っ白になり、警備員2人も俺達も仲良く悲鳴を上げた。
「おわああああ! 織姫、おまっ………」
「今です! 早く部屋の中に!」
「今夜は冷たい檻の中だなこりゃあ」
ドアノブを回すが、鍵が掛かっていて開かない。
まあ、そりゃそうだ。俺達みたいな不審者が入ってくるかも知れないからな、鍵ぐらいかけるだろう。だがそんなことは想定済みだ。
そう、俺には秘策がある。
とても簡単でとても素晴らしい秘策が。
すう、と静かに呼吸を整えて、
「必殺! 力業ああああああああああああ!!!」
鍵開けの技術なんてねぇ、道具もねえ、時間もねえ、頭脳もねぇ、じゃあやれることは何かと言ったらひたすら体当たりで扉をぶっ壊すことだけだ。
「私もお手伝いします!」
親父さんも、扉に体当たりをする。
男2人で頑張ればなんとかなる…………はずだ。たぶん。
「んぬおおおおおおお!」
「はああああああああああ!」
骨が折れるんじゃないかと思うくらい全力で体当たりするが、びくともしない。そうこうしている間にも、消火器の薬剤が尽きて視界が開け始めた。
「くっそ! 開けえええええ!」
俺と親父さんは扉から離れ、助走をつけて扉に体当たりした――――と、思った瞬間。
ガチャ。
突然扉が開いた。
扉に体当たりするつもりだった俺達の体は受け止める物を失い、勢いをそのままに部屋の中に倒れ込んで全身を床に打ち付けてしまった。
「ちょっと、アンタ達なんのつもりなのよ」
野太い声が頭上に降ってくる。
俺はぶつけた腕をさすりながら、反抗的に相手を睨みなつけてみた。不審者は完璧にこっちなのだが。
目の前に、原色のピンクと黄色を散りばめたド派手な服を着た金髪で長身痩躯の男が立っている。頭頂部にギラギラ輝く大きな宝石をあしらった謎のオブジェが鎮座し、その周りを巻きに巻いた鳥の巣のようなパーマで覆っている。
「邪神……?」
「はあ!? 誰が邪神よ誰が! これでもアタシは愛の戦士ラブリーエンジェルって呼ばれてるのよ!?」
「だっっっさ! だっさ! 誰だよそのセンスの欠片もねぇやつ! 愛の戦士て! ラブリーエンジェルて! きっっっつ!!!」
「んまあああああああ!!!失礼なヤツね! いいのよ、これはアタシの初恋の彼がくれた名前なんだから!」
「いや絶対本気でつけてねぇだろそれ」
「そんなことより。京ちゃんから話は聞いてるわ。貴方、京ちゃんのお父さんなんですって?」
オカマが俺の鼻を人差し指で押し潰す。
「散々放ったらかしにしたくせに、よくもまあ今更のこのこ会いに来れたものね」
「俺じゃねえよ、父親はこっちだ」
未だ床に突っ伏したままの親父さんの首根っこを掴んでオカマの眼前に突き出す。
オカマは少し訝しがった顔をしながらマジマジと親父さんの顔を眺める。
「あらほんと、こっちの方が男前じゃなーい? あと少し若かったらアタシが貰っちゃうのになあ。うふふふ」
「い、いえ結構です」
親父さんは怯えきった顔をしている。
獣に狙われた小動物を見ているようで居たたまれない。
「元一郎、うるさいぞ」
若い男の声がした。
その声が誰か、そんなこと、考えるまでもない。
声のした方向、壁際のソファに顔を向ける。
そこにいたのは、酷く冷たい目をした睦月京介だった。
当然だが、実の父親との再開に喜びを見せるわけでもなければ戸惑う様子もない。気のせいだろうか、その瞳はどこか悲しみと静かな怒りを湛えているようにも見える。
「凛太郎……」
「……僕は睦月京介だ」
待ち望んだ再会を喜び声を震わせる父親を、睦月京太郎は無情にも突き放す。
自分はもう、月影凛太郎ではない。睦月京介だ、と。それは決別を意味しているように聞こえる。いや、実際、そうなのだろう。
静寂が部屋を飲み込む。
話したいことは山程あるはずなのに、親父さんは床に倒れ込んだままの状態で言葉を口にすることもできず、悲しそうな目をしてただじっと何かを言いたげに息子を見上げている。そんな父親に睦月京介は軽蔑とも取れる眼差しを向けている。
なんで、アイツは実の父親にあんな眼差しを向けるんだろう?
なんで、アイツはあんなにも悲しい目をしているんだろう?
普通に生きてきた人間なら、そんな疑問を抱くかも知れない。
だが俺はその時、睦月京介のその眼差しにかつての自分を重ね合わせていた。
親の愛情を期待して、裏切られ、無抵抗に傷つくことしかできなかった幼い頃の自分を───
自分の心を凍らせることでしか、自分を守ることができなかった。だから周りの人間になんか1ミリも期待しないし、突き放すことで自分の心を守っていた。あの目は、あの頃の自分に似ている……期待なんかしないし、心に触れられることに嫌悪すら覚えていたあの頃の自分に似ている……
「僕はもう、貴方の息子じゃない」
無慈悲な言葉が、静寂の中に落ちて消えた。




