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「や、やっと止まってくれましたあ」
織姫は大きくため息を吐き出した。
このローカルアイドルオーディションの会場で、まさか、あんな呪いの歌を歌うとは。作詞作曲自分でしたのだろうか。いや、そんなことは今はどうでもいい。俺はずっと俯いていたいくらい沈み込んでいたが、なんとか顔を上げて月影を見た。月影は酷く冷たい目を、じっと、正面の人物に……そう月影凜太郎に向けていた。
「凜子! もういい、お前の気持ちは分かったから。だからそんな歌を歌わないでくれ!」
親父さんが悲痛な声で叫び、訴える。
すると、審査員席の睦月京介がゆっくりと立ち上がり壇上へと歩み出た。会場はどよめき、視界の女性も驚いた顔を見せた。
「凜太郎……」
親父さんは、懐かしい息子の姿に、少し声を震わせた。
テレビや雑誌でその姿を見ることはあっても、こうして、実際にその姿を目にするのは一年ぶりのはずだ。もしかすると、今にも駆け出したい気持ちを必死に堪えているんじゃないだろうか。その証拠に、眼に薄らと涙が浮かんでいる。だがそれを堪えてきつく拳を握りしめ、衝動を抑え込むように椅子に腰を落した。
一方の睦月京介は司会の女性からマイクを受け取り、月影と向かい合い―――月影は温もりを一切感じさせない、底冷えするほど冷たい眼差しを彼に向けていた。しん、と会場が静まり返る。
「まさか、君が書類選考を突破するなんて思わなかったよ。まあローカルアイドルのオーディションだから半分地元のイベントも兼ねてるんだけど……それでも、あの地味で引っ込み思案の君が、そんな格好をしてこんな場所に立つなんてね。そんなに僕に会いたかったのかい?」
月影をあざ笑うように肩を竦め鼻を鳴らす睦月京介。
と、次の瞬間。月影の平手打ちが睦月京介の左頬に炸裂した。静まり返った会場に乾いた音が響き渡る。
「私は……貴方の為にここに来たわけじゃない。私は私の為に……ただ貴方に一言文句を言いたかっただけよ」
「文句? 一体、君が僕になにを言うつもりなんだい」
「わからないの? 自分が誰にも責められることのない男だとでも思っているの」
「さあ?」
「貴方は! 貴方は私達を捨てた! お母さんが死んでからお父さんはずっと仕事に逃げて家に帰って来るのはいつお夜遅くて! 私だって寂しかったのに、お兄ちゃんは私を無視して! そして、何も言わずに家を出て行った! なんで! なんで! なんでなのよ!」
いつもはクールな月島が、目に涙を浮かべて子供みたいに叫んでいる。
まるで押さえつけていた感情が爆発したみたいな、あるいは我侭を言う子供みたいに。
「どうして僕が責められなくちゃいけないの。僕達子供から目を逸らして逃げ出した父だって、責められなきゃいけないんじゃないの」
「父さんだって辛かった。私だって辛かった」
「じゃあ僕は」
「兄さんだって辛かった、そんなのわかってる! でもだからってっ」
「だから、ってなに」
今までの挑発するような口調とはまるで違う、どこか怒りを含んだような冷たい声が月影凜太郎の口から発せられた。それに驚いたのか、月影はハっとした顔をして月影凜太郎を見上げた。
「父親は子供から目を逸らして家に帰らない。妹は妹でいつもいつも泣いている。そりゃあ兄としてちゃんと妹を支えなきゃって思ったさ。だけど僕だって辛かった。学校のこと、将来の事、夢の事……相談したくても父さんは僕達から目を逸らすばかりだし、泣いてばかりの君を支えなきゃいけないし、いつしか僕は何もかもが嫌になっていったんだよ。僕のこと、誰が支えてくれるんだろうって。こんなにも不安なのに、辛いのにって。じゃあ僕も逃げてしまおうか、この現実から。そう思って僕は家を出たんだよ」
「兄さん……」
「捨てた、って君は言ったよね。でも僕は家族を捨てたわけじゃない。自分勝手だと思うだろうけど、僕は自分のために家を出たんだ。家族だからっていつまでも一緒にいなきゃいけないわけじゃない、辛いのに無理して支え合わなきゃならないわけじゃない。家族として機能してないのに、ただそこで自分の時間を消費していくだけなのに、僕がそこにいる理由なんてないじゃないか」
月影凜太郎はそう言うと、ゆっくりと、客席に顔を向けた。
親父さんを真っ直ぐに見ている。
「父さん。僕はもう、貴方の家族には戻りたくない」
そう言うと、凜太郎はふいと踵を返して去って行ってしまった。
「り、凜太郎!」
親父さんは慌てて立ち上がり、狭い座席の間を人の足に躓きそうになりながら凜太郎を追って走り出す。俺も織姫も急いで親父さんの後を追う。




