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 結局、学校に帰って校長と話をしたり尾之上達の親を呼び出して話をしたりとなんだかんだと結局何もかもが終わったのは夜の七時を過ぎていた。それから月影の父親から電話があって少し話をし、駆けつけた娘の姿に驚いた自分がきちんと見ていなかったせいだと電話口で泣かれてどう言葉を掛けていいのかわからなくなったが、それは俺の責任もあるし、とりあえず今は娘さんの傍にいてあげてくださいと言っておいた。あの父親の様子から、仕事が忙しくて帰って来るのが遅いとはいえ、けして娘を心配していないわけではなさそうだ。

 睦月京介のことも聞いておけばよかったかな。

 俺はちょっと後悔した。

「先生、終わりました?」

 と、誰もいない職員室で帰り支度をしていると織姫がひょっこり扉から顔を出した。

「って、お前まだいたのかっ?」

「だって発作が起きたらどうするつもりだったんです? 連絡くれるかと思って保健室でお菓子食べてました」

「太るぞ」

「ひどいですっ」

「まあ、今んとこは大丈夫だよ。とっとと帰って晩飯にしようぜ」

「そうですね。腕によりを掛けちゃいます!」

「って、もう八時半か。外食にするか、おごるぞ。いつも世話になってるしな」

「いいんですか?」

「なにが食いたい、フランス料理かラーメンか居酒屋か」

 リクエストを聞きながら織姫のもとへ歩いて行く。

 フランス料理、とは言ったものの生まれてこの方一度たりともそんな店に入ったことはない。よく考えたらこんなボロい服で入れるのかどうかも怪しい。ちょっと見栄を張り過ぎたかもしれない。

「えーと、えーと、それじゃあ」

 人差し指を口元に当て、うーんと考える織姫。

 普段から自分で作って食べているからか、外食といってもピンとこないらしい。

「先生のおすすめはなにかありますか?」

「俺が決めちゃ意味ないだろう」

「だって決められないんですもん」

 むう、と口先を尖らせる織姫。

「なにかないのか、こう、こういうのが食べたいとか」

「じゃあ、居酒屋で」

「フランス料理とかカフェ飯とか言うかと思った」

「オシャレなのはよくわからないので……」

「まあ、たまには酒でも飲むか。今日は疲れたしな」

「はい!」

 織姫は嬉しそうに、満面の笑みを浮かべる。

 正直に感想を言おう。可愛い。思わず抱きしめたくなるくらいには、可愛い。だが絶対に、そんなこと口にはしない。してやらない。何故なら恥ずかしいからだ。そして確実にセクハラになる。まあ、今まで散々キスしたりなんだりしてるんだし今更な感じもあるが……だがそれは俺が勝手にしていいことじゃない。好き勝手にそんなことしだしたら、ただのセクハラオヤジになる。

 ということで、俺はその気持ちをグっと押さえつけ、居酒屋に向かうのだった。




「月影さん、今回こんなことになっちゃったですけど、尾之上さん達はどうなるんでしょう。休学、とかですか?」

「一週間の停学処分だよ。教育委員会に訴えるとかなんとか言ってたけど、アイツらの親はこっちに頭下げて平謝りしてたわ。まあ俺も尾之上にはやり過ぎたかもしれないし、教師として担任としてきちんと指導できてなかったんだしそこはきちんと謝った。もちろん月影の父親にもな」

 駅近くにある居酒屋「呑兵衛」のカウンター席で酒を飲みつつ刺身を食べながら、今日の出来事を話した。月影がオーディションに出ると言ったこと、父親から電話があり月影の事をかなり心配していたこと。尾之上達の処分のこと。

「俺は教師失格だよ。あんなことになる前に気付けば月影だってあんな目に合わずにすんだし、尾之上達だって停学にならずにすんだんだ」

 いろいろ話しているうちに少し酒がまわって来たのか俺は自然と弱音を吐き始めていた。

 織姫は俺の話をうんうんと時折相槌をうちながら聞いてくれていた。

「いい加減でだらしなくて、生徒のこともロクすっぽ見てやれてない。昔っからそうだよ、俺は。四十も過ぎて何一つとして変わっちゃいない。ガキの頃から自分しか見えてないのかもな」

「でも今日の先生、ちょっとかっこよかったですよ?」

「頭に血が上って見境なくなってただけだろ」

「他の先生って生徒の事キツく叱れない人、結構いるじゃないですか。でも先生はハッキリと怒ったし、本気で月影さんのこと心配してました。先生が自分のことをどう言おうと、私は先生のこと尊敬してます。きっとそれは月影さんも一緒だと思いますよ」

「だったらいいけどなあ」

「素直に頷かないとは思いますけどね」

 クスクスと織姫が笑う。

 ぼんやりと、俺は、昔の事を思い出した。

 親に捨てられたこと、いらない子だと言われたこと……今までそんな話一度だって他人に話したことはない。その話を知っているのは俺と同じく施設で育った大空だけだ。この話を他人にすることは一生涯ないだろう―――俺はずっとそう思っていた。なのに、酒のせいか、俺は、自然と口を開いていた。

「なあ、織姫。お前に俺の親の話したことあったっけか」

「へ? ご両親、ですか?」

「俺の母親はなあ、俺のこと棄てたんだよ。男作ってな、いらないって言って駅のホームに置き去りにしたんだよ。戻ってくるって言って、それっきりだ」

 何故だが唐突にそんな話をしたくなった。

 ぐいと酒を喉に流し込み、俺は続ける。

「俺は人間を信用しないって決めた。俺はガキの頃から他人なんか信用しないで生きてきた。なのに教師になった。理由は単純なもんで、俺みたいなガキの心の支えになりてぇって思ったから―――なんて崇高な理由じゃなくてな、なんとなくだ。まあ、四十も過ぎて母親に会いたいだの甘えたいだのとはさすがに思わねーけど、それでも時々未だに女々しく考えちまう。母親が男と出逢わなきゃ、俺は未だあの人の傍にいれたんだろうかって。オッサンが気持ち悪いよな」

 酒のせいとはいえ、なんで自分がこんな話をしているのか全く分からない。けど、どんどん勝手に口が動く。

「……こんな体になって。あの頃の、棄てられた時と同じ体になって。夢の中で鮮明にあの頃のことを思い出すようになった。いやだ、置いて行かないでくれ、俺はここにいる、いい子にするからお願いだからって。あの頃の俺は男の存在にも、自分に対する母親の愛情が微塵もないことにも気づいてたのにな。それでも縋りつこうとするんだ、人間てバカだよな」

 なんでこんなことコイツに話してるんだろう。

 他人に話したことなんて一度もないのに。

 と織姫は、そっと、俺の手を握って来た。

「人間は弱い生き物なのです。年齢なんて関係ないんです。無理に強くならなくてもいいんです。ゆっくり、ゆっくり、時間を掛けて乗り越えて行けばいいんです。寂しくなったり甘えたくなったら、また私がぎゅうってしてあげますから」

「お前……」

「歳を重ねるだけで人は強くなれないと思うんです。大きな問題があって一人で乗り越えられなくても、きっと、誰かの支えがあれば乗り越えられる。でも今まで先生は、抱え込むだけでそれを話せる相手がいなかったんです。でも私には、話してくれた。だから私は先生の支えになりたいと思うし、先生が甘えられる人になりたいと思うんです。だから……私でよければ、いつでも甘えてください。愚痴を聞かせてください」

 織姫の笑顔は、まるで俺の心を撫でてるみたいに優しく温かい。

 なんでコイツは俺を受け入れてくれるんだろう。なんでここまで優しくしてくれるんだろう。不思議だったが、その笑顔に、嘘も偽りもないことはわかった。

 本当になんで、こんな弱音はいてんだろう。

 でも、気のせいか気持ちがすっきりしている気がする。





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