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教室に行くと、俺はすぐに、月影がいないことに気が付いた。
一番前の、教卓の真正面の席だから気づくなと言う方が無理な話だろう。
なんか、嫌な予感がする。アイツ大丈夫か―――と少し心配になった時、俺は、更なる異変に気が付いた。
尾之上達がいないのだ。
尾之上、田中、山内の女三人グループと月影凜子がいない。偶然であることを願う俺だったが、教室の女子達の顔がなんだか不自然に暗い。不安と罪悪感がない交ぜになったような顔で、中には薄らと目に涙を浮かべているのもいる。で男子生徒は事情をなにも知らないらしく、ダルそうに欠伸をしている。
「なあ、月影と山内達どこ行ったか知らないか? もう授業始まるんだけどよ」
俺は教科書を丸めてぽんぽんと軽く机を叩きながら聞いてみた。
だが男子生徒は「えー、知らない」だの「生徒が足りてないから授業中止を提案しまーす」だの言っている。どうやら男子生徒は本気で知らないらしい。けど女子達は、いや、厳密に言えば女子生徒の一部はなんらかの事情を知っているようだ。
「おい、池波、佐田、藤島、東郷、お前らなんか知ってんじゃないのか」
と俯いたままの女子生徒を名指ししてみる。しかし四人は俯いてふるふると首を振るだけだ。それも弱々しく。コイツら四人は例の三人グループの下に属するグループで、奴らの取り巻き的な立ち位置だ。尾之上の取り巻きが山内と田中なら、それら三人グループのすぐ下の階層で三人を取り巻きご機嫌を取り、時にはアイツらの頼みごと……というか殆ど命令に近いらしいが、それに従い動く。というなんだか面倒な女子特有の組織図の二番手にコイツら四人は属している。
「本気で知らないのか?」
聞くと、四人は震えながら俯く。
その様子から察するに、状況はかなり悪いものらしい。
「月島に何かあったのか? 尾之上達が呼び出して連れてったのか?」
確証はなかったが、俺は思ったことを訊ねた。
もう誰も首を振らない。だが、はいもいいえも口にしない。
ただ、震えているだけだ。
「おい。俺が聞いてんだ、答えろや!」
教卓に拳を叩きつけた。
机の上の教科書も筆箱も出席簿も吹き飛んで床に散らばる程の衝撃と共に、激しい音が教室中に響き渡る。今までダルそうに欠伸をしていた男子生徒も今は目をまんまるにひん剥き、女子生徒達も怯えた顔を見せている。ピンと張りつめた空気の中、俺は、四人を一人一人、じっくりと睨みつけた。
俺のしてることは、正直、教師としては最低の行為かもしれない。
「お前らは尾之上達になにか弱みでも握られてんのか?」
俺が聞いても、四人は首を振るだけだ。
「だったら答えろ。とっとと答えろ。月影はどこに連れていかれたんだ? 何があったんだ?」
だが四人は答えず、肩を震わせ、泣き出す。
尾之上達はこのクラスの中心的存在だ。だがそれは性格よくて人気があると言うわけではない。妙な言い方だが、クラスの女子を三角形の組織図にして書き示した場合、尾之上達三人はその一番天辺にいる組織のトップなのだ。ファッションセンスは抜群で見た目は可愛らしくスタイル抜群、女子の憧れでもある尾之上は山内と田中を取り巻きにして、更に池波達四人グループを下に置いている。
自己顕示欲の塊というべきか、自分が中心じゃないと気が済まない。そんな女子生徒だ。
尾之上達に嫌われたら、どうなるか? 答えは簡単だ、ハブられるどころじゃ済まずあの手この手で笑いものにされるかも知れない。女子生徒のイジメは陰湿だと、職員会議でも時々議題にあがっている。
今はまだイジメは起きてないが、その可能性は充分にある。
もしかすると今、その可能性が現実になろうとしているのかも知れない。そう、月影が、標的になったのかもしれない。
「答えろって言ってんだ、お前ら俺の声が聞こえねーのか!」
どうしたの? なにがあったのかな?
俺は優しく声をかけるような教師じゃない。
だからと言って、一人の生徒を守るためにコイツら四人を放りっぱなしにするつもりもない。もちろん、尾之上達のこともだ。
―――私は、先生が大好きですよ? 先生は自分の事をいい加減だって思ってるかもしれませんけど。私はそうは思いません。だから……自信、持っても大丈夫です
―――ね? だから、一緒に頑張りましょう?
図書室で織姫がくれた言葉を思い出す。
俺は、いい加減でダメな教師だ。今までだってロクな教師じゃなかったし、これからもきっとそうだろう。だけど。俺は、俺は……俺は、月影や尾之上の事も、このままにはしたくなかった。
俺は、黒板をぶん殴る。
黒板がビシっと音を立ててひび割れ、チョークが跳ね上がって床に落下・真っ二つに折れて転がった。
「だったら黙ったままでいろ。一生黙ってアイツらに従っとけ」
これ以上は時間の無駄だ。
四人に事情を聞いている暇があったら自分で月影を探した方が早いだろう。
俺はそう判断し、教室を出て行こうとした。
だが、その時、ようやく、
「お、屋上。屋上にいます!」
池波が、必死に、震える声で言った。
「月影さんが教室に戻って来た時、尾之上さんがあの子を指差して笑ったんです。この子もご当地アイドルのオーディション受けようとしてるって、みんなで応援してあげようねって。楽しそうに手を叩いて。田中さんも山内さんも笑って。だから私達も笑って。男の子達もみんな笑って……そしたら月影さん『性格ブスは顔にも滲み出るものよ』って言って、尾之上さんの顔にツバを吐きかけたんです……それ見て男の子達は尾之上さんのこと笑って、尾之上さん真っ赤になって怒っちゃって。それからすぐにあの子達が月影さんのこと連れ出して。後からメールで『屋上で懲らしめてあげるから、誰にも言うな。言ったらアンタがこうなる』って……頭から水かぶった月影さんの写真が送られてきて……」
池波は泣き出す。
悪い予感は大当たりした。
最悪過ぎる。最悪な事態だ。
なんで、もう少し気を付けてやらなかったんだろう。
俺は衝動的に教室を飛び出していた。
必死に、必死に、もう何年かぶりに必死に走った。息を切らしながら、通りすがりの教師に注意されても無視して、ひたすらに屋上を目指して走った。
「おい、織姫! 屋上、屋上に来てくれ!」
何故か俺は当たり前のように織姫に連絡していた。
もう自分で自分がなんだかわからない。なんでこんなに必死になっているのかもよくわからない。だが、ひとつだけ、わかることがある。俺は月影を救いたいと、そう思っているんだ。
「先生!」
屋上へと続く階段に辿り着くと、ちょうど、織姫も駆けつけたところだった。
だが俺は織姫に一瞥をくれただけで、階段を駆け上る。事情を説明する暇も惜しい。一言声を掛ける時間も惜しい。一秒でも早く辿り着きたい。




