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 昼休みを月影がどこでどう過ごしているのか俺はまったく知らないが、聞こえよがしの悪口で溢れる教室にいるのは辛いだろうし、いくらアイツでも静かな場所に行きたいと思うだろう。そう考えると、次にアイツが行きそうな場所は図書室しかないと思った。

 で、図書室に来て見たんだが。

 思った通り、アイツはいた。結構広い図書室なのだが、その一番後ろの窓際の席―――窓から差し込む日差しを浴びて、色白で整った月影の顔がまるで少女人形のように神秘的に見えた。だが黒髪おさげに眼鏡という見た目が、アイツの魅力を完全に掻き消している。せめて眼鏡を外して髪をほどけば、また違って見えるのだろうに。

「おう、月影。ちょっといいか?」

 と声を掛けてみるが月影は本に視線を向けたまま、「オーディションは受けません」と一言スパっと返してくる。

「気持ちはわかる。だがこのままでいいと本気で思ってんのか?」

「短い間でも協力していただいたことは感謝しています。ですがもう放っておいてください。このままオーディションを受けたところで何も変わらないんですよ」

 月影は小さくため息を吐くと、本を俺に押し付けさっさと歩いて行ってしまう。

「お、おい! 月影待てって!」

「……兄弟だからって分かり合えると思わないでください。それができない人だっているんです」

 その声は冷たい。

 なにもかも諦め、もう、僅かな希望も信じていないみたいだ。

「ねえ、月影さん。もう一回だけ頑張ってみない?」

 織姫がダメ元で聞いてみるが、月影は何も答えずに去っていく。

 人を説得するのは苦手だ。教師生活の中でこんな場面に何度も遭遇したが、その度に、何度も頭を抱えた。俺はどうやって、生徒と向き合ってきただろうか。テレビドラマに出てくるような熱血教師でも、学園漫画に出てくる理解のある優しい先生でもないけれど―――

「そっか、そうなんだよなあ」

 俺は一人納得し、呟いた。

「なにか言いましたか?」

「俺、アイツ苦手なんだよな」

「に、苦手ってそんな。先生」

「昔の俺にちょっと似てるんだよ」

「昔の先生に、ですか?」



 あの子なんか産まなきゃよかった



 聞こえてくる母親の、憎しみのこもった声。

 手を引かれてやってきた駅のホーム。

 待てど暮らせど戻らない母。

 いつか。どこかで。迎えに来てくれる。だから待とう。

 ずっとずっと待って、そうしたら、いつか、昔みたいに笑える日が来る。

 期待して、諦めて。それでも期待して―――いつの日か俺は、期待なんてしないフリをした。自分を棄てたあの女を恨むことすらせず、自分の中から消し去った……はずだった。どこか冷めたふりをして、大人に期待なんかしていないふろをして、冷たく人の手を払いのけた。

 遠い昔の話だ。

 期待なんかしても無駄だと思っていたわけじゃない。

 期待するのが恐かったのだろう。

 きっと月影もそう、同じなのだ。

 俺達がどれだけ立派なことを言って手を差し伸べ続けても、月影は冷めた目をして通り過ぎるだろう。あの頃の俺のように。

「先生、大丈夫ですか?」

「情けねえよなあ、ほんと」

 何年教師やってるんだろう。

 別に教師という仕事に誇りを持ってるわけじゃないし、子供達を愛し全身全霊でぶつかっていくような人間でもないが……それでも、俺は教師だ。あんなガキの一人ぐらい、どうとでもしてやれるはずなのに。

「ったく。放課後、もっかい話してみるわ」

 と俺は歩き出す。

 が、織姫が「先生」と俺を呼び止め腕を掴んだ。

 なんだ、と振り向くと、織姫は俺の手を取りその手を自分の胸に引き寄せた。

「おおおおおい、なにやってんだよっ?」

「先生は、情けなくないです。先生は立派な教師です」

「織姫……」

「先生。先生は、自分の思うように、自分が正しいと思うことをぶつければいいんです。月影さんにとってどの選択が一番正しくて一番幸福なことなのか……きっと彼女も、先生も、わかっているはずです。余計なことは考えず、昔の先生みたいに……ね?」

「昔の?」

 俺が訝しげな顔をすると、

「うわあうあうあうあ! いいいえ、あの、きっと昔の先生ならって」

「そうか? ……まあ、確かに、大空に薬飲まされてお前と暮らすようになって、なんか心に余裕がなくなってたかもな」

 と俺は織姫の胸から手を離し、

「サンキュ」

 ぽんぽん、と頭を撫でてやった。

 瞬間、織姫は頬をほんのりと赤らめ、驚いた顔で俺を見上げた―――ふと、懐かしい感覚が蘇る。夕日の射す廊下、俯いた一人の少女、俺はソイツの頭を撫でて―――

「おい、お前……昔どっかで」

「せ、先生っ」

 織姫は急に大声を出し、俺の胸にしがみ付いてきた。

「おわ! 急にどうしたんだよっ?」

「あの、えっと……」

 と織姫は俺の胸にぎゅっとしがみついたまま、

「―――私は、先生が大好きですよ? 先生は自分の事をいい加減だって思ってるかもしれませんけど。私はそうは思いません。だから……自信、持っても大丈夫です」

「お前……」

「ね? だから、一緒に頑張りましょう?」

 織姫はひょいと顔を上げ、無邪気に笑う。

 その笑顔を見た瞬間、不覚にも、少しだけ胸がドキッとした……ので、俺は慌てて織姫を引き剥がし、さっさと歩き出した。

「とっとと行くぞ、もう授業始まる!」

 本当に情けない。

 こんな歳になって、あんな若い女の笑顔ひとつに耳まで熱くなるなんて。

 本当に、情けない。

 が、そんな俺の気持ちなんか知らないのだろう、織姫は俺の横に追いついて、幸せそうににこにこ笑っている。なにがそんなに楽しいのか、俺にはまるで理解できないが。




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