17
差出人を確認すると、確かに銀河大空だった。
あの野郎、そうだ、全部あの野郎のせいじゃねーか!
俺は発狂しながら乱暴に箱を開封した。千切れた紙が部屋を舞ったが、そんなこと気にしてる場合ではない。
「あ、あの。中身は?」
「こ、これは!」
嘘、だろ?
まさか、これは―――
「解毒剤じゃねえか!」
ビンのラベルには堂々「解毒剤」と書かれていた。
「マジか! やったああああああ!」
俺は大急ぎで蓋を開封し、手の中にザラザラと薬を出した。そして一気にそれを飲む―――
「待ってください先生、それ解毒剤じゃないです!」
「ぶぼほおぉおおおお!?」
口に含んだ解毒剤……ではない何かを思いっきり吐き出す、むせ返る、織姫の手から手紙をふんだくる。この間、五秒ほど。
拝啓 天野彦星君へ
元気にしてるかな? 子供の姿にはもう慣れたかい?
君には悪いことをしたね。これはお詫びのしるしだ、受け取ってくれ。
あ。瓶には解毒剤って書いちゃったけど、アレ間違いだから。アレはほら飲んだらいつでも子供に戻れる的な若返りの薬だから。これで女湯にも入り放題だね、子供の姿を利用して昴先生にあんなことやこんなことし放題だね。ああ、そうそう―――私はちょっと今旅の途中なので、いつ戻れるかわからないよ。学校には長期療養と嘘を吐いたから安心してくれ
「ふっざっけるなああああああああ!」
怒りのあまり俺は手紙をちぎり棄て、うおおおお、と叫びを上げながら頭を抱えて悶え転がった。
「せ、先生落ち着いてください!」
「落ち着けるか、本当、なんなんだよ!」
「まあでも、薬があればほら、何かに使えるかも? 的な」
「なにに使うんだよっ? 女湯に入れってか!」
「い、いえそれは……」
「アイツは昔からそうだよ。何考えてんのか全くわかんなくてよ、いっつも俺にちょっかいだして。だけどここまで人に、俺に迷惑かけるようなこと……いや、あったな。小学校の遠足で珍しく弁当のおかずをわけてくれたから食ったら毒キノコで笑って泣いて吐いて暴れて崖から落ちて危うく死ぬとこだったんだ! それだけじゃない、鶏小屋の掃除をしようと小屋に入ったらアイツの作った妙な薬を飲まされたニワトリ達が俺の体をつつきまくって、危うく死ぬとこだったんだ! それに、あれもこれもそれも、ああ、思い出したらキリがない!」
「お、落ち着いてください先生」
床に散らばった薬をかき集めながら、織姫がなにか言ってくる。
だが俺の怒りは収まらない。まるで栓が外れて押さえつけられていた水が一気に噴き出すように、心の底から怒りが湧き上がってくる。
なんで今まで忘れていたんだろう。
なんで今まで忘れてアイツとそれなりに仲良くこんな歳まで一緒に来てしまったんだろう。考える程にアイツにも自分にも腹が立つ。この怒りを、どこにぶつければいいんだ? どうすればいいんだ?
「ああ、もう!」
俺は苛立ち、床を殴りつけた。
「落ち着いてください、先生!」
と―――織姫が、再び俺の顔を抱きしめた。
豊かな胸に包まれた瞬間・俺の意識は怒りではなく光の速さでそっちへ移った。
なんかもう、自分が情けない。けどまあ、男として、この状況を喜べない人間はいないだろう。正直、アイツにたいして怒りはある。だが……胸に抱かれて優しく頭を撫でられていると、少しずつではあるが、気持ちが治まってきた。
母親って、こんな感じなんだろうか?
ぼんやりそんなことを考えながら、俺は、織姫をそっと抱きしめた。
翌日―――
学校につくなり俺は、月影を探した。
すぐにいた。教室のいつもの席で、無表情で小説を読んでいる。
走れメロスを呼んでいる。なんでメロスなんだ、あれか、兄を信じて待っていたら戻ってこなかった的な意味もあるのか。なんて考えながらじっと観察していたら、突然、月影が「先生。うっとうしいです」と、氷のように冷たい声で言ってきた。
まあ、そりゃそうだ。俺は教卓に両手で頬杖を付き、一番前の席に座っている月影をじっと見下ろしているのだから。鬱陶しくないわけがない。
「いやあ、ちゃんと登校してきたなあって」
「……チームは解散しました。もう、用事のない時は話しかけないでください」
「チームリーダーの織姫が解散宣言してねえのに」
「私は脱退しました」
オーディションを受ける気は全くない、という意志がひしひしと伝わってくる。
教室を見渡せば、月影の方を見てクスクス馬鹿にしたように笑う女子グループの姿が嫌でも目に付く。もうオーディションを受けようとしていたことが、教室中に知れ渡ってしまったらしい。
正直、月影は、このクラス、いや、この学校の中じゃダントツ一番で可愛いと思う。だが三つ編みに眼鏡に無表情に走れメロスという四十苦がコイツの可愛さを隠してしまっているのだ。いや、走れメロスは関係ないか……
「先生。走れメロス、読んだことありますか?」
「は? ああ、まあ。俺は現国の教師だぞ」
「メロスは約束を守りました。きちんと、親友の元へ帰ってきました。用事を済ませたら、きちんと、帰って来たんです」
「お前の兄ちゃんは、夢を叶えても戻らなかったってか」
「……すいません、この話はやめましょう」
月影は本を掴む手に凄まじい力を込める。
その力で本が歪んでくしゃくしゃになったが、気にしていない。無表情のまま、冷たい視線を本に送っている。
「けどな、月影」
「どうせ私なんか、無理に決まってるんですから」
そう言って月影は本を閉じ、机にしまった。
と同時に、始業のチャイムが流れた。
生徒達が慌ただしく席に着き、俺も、なんだかスッキリしない気持ちのまま出席簿を開けた。教室を見渡すと、女子生徒達のどこか薄汚れた笑みが月影に向けられていた。
本当に、このままでいいのか?
いや、いいわけがない。
じゃあ、どうすればいいんだ……?
俺には、わからなかった。