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 一人で何か抱え込んでそうな月影を家に帰すのは心配だったのか、織姫は彼女に家に来ないかと声をかけた。月影はちょっと戸惑っていたが、結局、無言で頷いた。確か父親はいつも残業で帰りが遅いんだったか―――家に帰っても一人だし、友達もいないから黙々と思考を巡らすだけなら、まあ、誰かといた方がマシか。

 というわけで俺と織姫が一緒に住んでることもバレてしまったわけだが、月影は特にそれは気にしてないようだ。まあ、目の前でオッサンが子供に戻ったことを思えばそんな事実は大したことじゃないな。

「じゃあ、ちょっと待っててね。お菓子とジュース用意するから。あ、晩御飯はカレーでいいかな?」

「さすがに晩ご飯までごちそうになるわけには

「なに言ってるの、私達三人はチームなんだから。遠慮なんかしないの、ね?」

 腰に手を当て右手人差し指をピンと立て、ウインクする。なんかいいお姉さんぶっているが、コイツの精神年齢が月影より低いと俺は疑っている。って言うか、なんかチームに入れられてるし……

 そして織姫は、台所に行ってしまう。

 月影と二人きりの部屋の中。さっきはつい頭に血が上ってあんなこと言ってしまったが、冷静になってみるとものすごく恥ずかしい。昭和の熱血教師かよ、なんであんな台詞吐いたんだよ、なんなんだよ。

 ただただ気まずい。

 月影も、一言もしゃべらない。

「先生」

 喋った。

 いきなり俺を呼んだ。

 たった一言なのに、それは後ろから大声出された時と近いくらい心臓に悪かった。

「な、なんだよ? さ、さっきのはちょっとなんだその、勢いで言っただけで別にお前のためとかそんなんじゃねえ……」

「嬉しかった。ありがとう、ございます」

 俺の言葉を遮る様に、月影が言った。

 ゆっくりと顔を上げて俺を見るソイツの表情は、気のせいか、さっきよりほんの少し落ち着いているように見えた。

「お、おう……まあ勢いで言っただけだけどな」

「先生の言った通り、私は自分のためにオーディションを受けるつもりなんです」

「ああ、あんな奴の為に自分の時間使うこともねえよ」

 俺は欠伸しながら小指で耳をほじくる。

「けど。まあ、本当の理由ぐらいは知りたいとこだけどな」

 ほじくった耳くそを、ふっと吹き飛ばす。

 月影は俯き、黙り込む。

 だが少しして、ゆっくりと、話し出した。

「……私の母は五年前、事故で亡くなりました。事故の原因は相手の車が飲酒運転をしていて、歩道を歩いていた母を後ろから突き飛ばしたんです。ほぼ即死で……私はずっと泣きました。一週間が経っても一か月が経っても気持ちが晴れることはありませんでした。父はその哀しみを誤魔化すように以前よりも仕事に打ち込むようになり、ほとんど顔を合わせることもなくなりました。たぶん私が不良グループの仲間に入ったって気づかないと思います」

 月影は淡々と話し続ける。

 ただ、冷静なように聞こえても、小刻みに震える肩を見ればその心中は丸わかりだ。

「兄はそんな父にも私にも何も告げず置手紙だけを残して家を出ました。どこで何をしているのか音信不通で。だけど一年ほど前に、雑誌の表紙を飾る兄の姿を発見しました。それからこの一年、テレビを付ければ嫌でも兄の姿が目について、ネットの中にも兄はいて、学校に行っても兄の話題を耳にするようになりました。忘れようと思うのに、日に日に私の心の中に兄に対する憎しみのようなものが湧いてきました。けれど会って話すことは叶わない……そんな時、兄が審査員を務めるあのオーディションを知りました。文句のひとつくらい言ってやりたい、そう思った。だから私は、あのオーディションを受けようと思ったんです」

 言って、月影は、自嘲気味に笑う。

「けど、もういいです。言いたいことはさっき全部言っちゃいましたし。我がままにつき合わさせてしまってすいませんでした。今度、なにかお詫びします」

 月影は立ち上がる。

 このまま帰るつもりなのか。このまま終わらせるつもりなのか?

 本当に、それでいいのか?

 なんだかスッキリしない。黒いどんよりとした靄が俺の心の中に漂っている。

「ほ、本当にいいのか? あれがお前の望んだ結果なのか?」

 月影は何も答えない。突っ立って、唇の端を悔しそうに噛みしめただけだ。

「いいんです。兄は、もういないんです。私の知っている兄はもういないんです」

「けどよ。言いたいことは言ったが、納得は言ってねーんだろ? だったら」

「いいんです! もう、いいんです!」

 月影は叫び、勢いよく扉を開け放って廊下に飛び出した。

 と、立ち聞きしていたのか廊下に立っていた織姫が扉にぶつかりよろめき、三人分のお菓子とジュースの乗ったトレーをひっくり返した。ジュースで廊下は濡れ、ポテトチップが宙を舞う。大惨事だ。

 月影はちょっとそれを気にするようにこっちを振り返ったが、そのまま、外に飛び出してしまった。

「おい、月影!」

 俺は慌てて外に飛び出すが、月影の姿はもうない。慌ててエレベーターのところまで走っていくと、もう既に下に降りているところだった。

「あーもう! イライラする!」

 苛立ちのあまり髪を掻きむしる。

 なんでこんなにイライラするんだ。自分でもよくわからん。

 だが、このまま帰したくはない。とりあえず階段で下まで降りよう。

 と走り出そうとしたのだが……心臓がドクンと脈打ち、体が激しく焼かれるように熱くなる。そう、また、例の発作だ。こんな時にタイミングの悪い……

「お、織姫……」

 壁に手を付き必死に立ち上がろうとする。

 だが激しい眩暈と息苦しさでそれも叶わず、膝から崩れ落ちる。

「先生!」

 織姫の声だ。

 と思った瞬間、グイっと腕を引かれ、半ば強引に唇が奪われた。

 眩暈が収まり体から熱が抜け、意識がはっきりとする。体に押し当てられた大きくて柔らかな感触もはっきりとわかる。

「お、織姫……月影は」

「明日、また学校で話しましょう? こちらが何を言っても今の彼女は聞き入れられないと思います。少し一人で考える時間も必要なのかもしれません。明日、彼女が落ち着いていたら、話をしましょう?」

「まあ、そうだけどよ」

「心配なのはわかりますけど、ね?」

 ふふ、と織姫が笑う。

 なんか見透かされてるみたいで恥ずかしい。

「べ、別に心配なんてしてねーよっ」

「そうですか? とりあえず、家に帰って、先生は先にお風呂に入ってテレビを見ながら晩ご飯を待つ。ね?」

 小首を傾げて笑みを見せる織姫は、正直、可愛らしい。

 だが、そんなことは絶対に口が裂けても言いたくない。

「わ、わかったよ……」




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