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「ちょ、ちょっと待て。アンタ―――月影の兄貴なのか?」
「ええ、まあ。凜子を見かけたもので、少し話をしようかと」
「ふざけないで!」
凜子は織姫の腕を振りほどき、睦月京介に迫った。
「話? 今まで全然連絡よこさなかったくせに。父さんがどんな気持ちでいるか知ってるの?」
「ごめんよ。僕はその話をするつもりはない」
睦月京介は再びサングラスを掛け、凜子に背を向ける。
「は? じゃあ、なんで声かけたのよ。なんで呼び止めたのよ。なんの話するつもりだったの? まさか笑って世間話でもするつもりだったの?」
「……さあ? ちょっとした気まぐれ、だよ。君がオーディションに書類を送って来たと聞いたからね。僕に会いたいのかなって」
口の端に嫌味な笑みを浮かべる睦月京介。
普段は殆ど感情を見せない月影もこの時ばかりは怒りを露わに相手を睨みつけている。そりゃそうだ、どんな理由があるかは知らないが嫌味ったらしくそんなことを言われたら俺でもイラっとする。
「会いたい? 会いたいわけないでしょう? アンタは私たち家族を捨てたのよ! 仕送りだけして、顔も見せない、電話も繋がらない! メールを送っても返信もない! なのに今更なに、私なんかがオーディション受けるのがそんなにおかしいの、だからわざわざ笑いに来たの!」
「さっきも言っただろう。気まぐれだよ、ただの」
睦月京介は月影を馬鹿にするようにクスクス笑い、車の扉を開ける。
コイツがなんで月影を呼び止めたのか、理由は知らない。本当に気まぐれだったのか、それとも馬鹿にしに来ただけなのか。理由なんてわからないが、ただ、俺は、このままさっさと帰したくはなかった。
「ちょっと待て」
睦月京介の肩を掴んで引き止めると、ソイツは少し不思議そうに振り返る。
「お前がなんで凜子を呼び止めたのか、その本当の理由はわからねえ。けどな。本気で何かに立ち向かおうとする人間を馬鹿にするんじゃねえよ。コイツがどんな勇気を振り絞って織姫に化粧の仕方を教わりに来たか、どんな気持ちで入ったこともねえ服屋に入ったか、アンタにわかるのか?」
脅しに来たことはもう忘れてやった。
俺が知っているのは、月影が本気だと言うことだけだ。
だから俺は、どうしても言ってやりたかった。
睦月京介の胸倉を掴み、そのまま車のシートに押し倒す。ここで騒いで野次馬に写真を撮られたりするのはごめんだ。だが、俺は、どうしても言ってやりたかった。
「勘違いするな。コイツはお前のためなんかに化粧するわけじゃねえ、お前のためなんかにオーディションを受けるわけじゃねえ! コイツはただ、自分のために、前に進んだだけだ!」
月影の本当の気持ちは知らない。
だが、たとえどんな理由があろうと月影が必死の思いで織姫のところに来たのは知っている。やり方は間違っていたが、本気だからこそ月影はあんなにも必死になっていたんだろう。月影が例え睦月京介に会うためにオーディションを受けるのだとしても、そこには誰にも笑うことのできない想いがあるはずだ。
「待ってろ、月影は―――必ず決勝のステージで堂々アンタの前に立つ!」
そうだ。
どんな理由があろうとも、笑っていいはずがない。
クラスでも影が薄くていつも下ばかり向いているアイツが、やり方は間違っても必死の想いで前へ進もうとしたんだ。ソレを、誰が笑っていいんだ。
なんかよくわからないが、今俺は物凄く腹が立っている。
俺は勢いに任せて捨て台詞を吐くと、思い切り車の扉を閉めた。
「行くぞ、帰るぞ!」
なんでこんなに腹が立つのか自分自身よくわからない。
けど、今は、とっととこの場を離れたかった。だから俺は二人を振り返りもせずさっさと歩き出した。後ろで織姫が「せ、先生!」なんて俺を呼びながら駆け寄ってくる足音が聞こえた。少し振り向いてみると、ちゃんと月影もいた。
「お前の兄貴、イケメンだけど残念だな」
そんな嫌味も言いたくなる。
だが月影は、
「昔は、とても優しかったのですが」
そう呟いたきり、俯いて何も言わなくなった。
ものすごく寂しそうな、いや、哀しそうな目をしている。
だから俺はもう、それ以上、何も言わなかった。