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 子供に戻った俺を抱えて保健室に戻ってきた月影を見て、織姫は物凄く驚いた顔を見せた。まあ、当たり前だ。まさかこんなことになるとは俺も思ってはいなかったからな。

「せ、先生! えっと、月影さんっ?」

 織姫は慌てて月影から俺を奪い、

「バレちゃったんですかっ?」

「ああ。セクハラ覚悟でキスをしてくれと頼んだが断られてな」

「当たり前ですよ、そんなの! キスなら私がいくらでもしてあげますからっ」

 そう言って織姫は俺をぎゅうっと抱きしめる。

 なんかさらっと恥ずかしいこと言われた気がするが、まあいいか。

「あの。これは一体、どういうことですか」

 月影は酷く困惑した顔を見せている。

 無理もない。こんな状況を瞬時に理解し冷静に受け止められる人間なんてこの世のどこを捜したっていないだろうから。俺自身、未だに自分の置かれたこの状況を理解できない―――いや違う、理解したくないのだから。願わくばこれが夢でありますように、何度そう願っただろうか。

「どういう、って言われてもだな」

 銀河大空に妙な薬を飲まされ体が子供に戻った、と説明するのはもちろん簡単だが、その理由すら現実離れしていてとうてい理解しがたいことだろう。きっと話を聞かされた相手は「どこの名探偵ですか」と真顔で聞き返すに違いない。

「えっと。銀河先生に変なお薬を飲まされて、体が子供に戻っちゃったの……って言っても、信じられないよねえ」

 織姫が説明してくれたが、月影はやっぱり信じられない様子だ。

「そ、そうですか。確かにあの先生はちょっと変わっていますし、あり得る話だとは思いますが……あの、元に戻るにはどうしたらいいのでしょう?」

「あ、うん。ちょっと恥ずかしいんだけど、こうやって」

 織姫は説明しながら俺の体を少し持ち上げて、恥ずかしそうに軽く唇に唇を触れさせた。

 次の瞬間、俺の鼓動が激しく脈打ち、そうして、ゆっくりと―――やっと元の姿に戻った。

「ってワケだ、わかったか?」

 と月影の方に体を向けると、見る間に彼女の顔色が変わってゆく。

 真っ青な顔をして思いっきり嫌悪に表情を歪ませ、のけ反っている。

「せ、先生ダメですよお洋服着ないで月影さんの方を向いちゃ!」

 と足元に落ちた俺の衣服をかき集めながら織姫が叫んだことで俺はようやく己が一糸まとわぬ姿だということに気が付いた。マズイ、マズイ、非常にマズイ―――女二人の前で四十過ぎのオッサンが己のイチモツをさらけ出し、「わかったか?」と偉そうに腰に手を当てているのだ。こんな状況で誰かがこの部屋の扉を開けたら俺は、死ぬ。社会的に、確実に、死ぬ。

 しかし人間と言うのは不思議なもので、こんな時に限って、

「織姫先生ー! 怪我しちゃいましたあ!」

 鼻の下を伸ばした男子生徒が嬉々として保健室の扉を開けるという最悪の事態が起こるのである。

 だが。その思春期間只中の男子生徒が扉を開けきる前に、俺の眼前に、無表情の月影が迫った。俺の顔面を右手で押さえ右拳を鳩尾に叩き込み、むせ返る俺をその勢いのままベッドに叩きつけ、まるで踊るような華麗な動作でカーテンを閉め切ったのだ。

 コイツ格闘技かなんか習ってたっけ?

 そう思うくらい、彼女の動きは一部の隙もない程完璧だった。

「つ、つきかっ……」

 四十一歳独身教師、全裸でベッドにうずくまり、女子生徒に侮蔑の目を向けられる。この状況を幸せと思える種類の人間もいるだろうが、俺は生憎とそんな性癖は持ち合わせてはいない。ただただ、情けないと思うだけだ。

「黙ってください」

 しっ、と人差し指を俺の唇に当てる月影。

 いつの間に織姫から奪ったのか、俺の服を乱暴に顔にかぶせてくる。

「とっとと着てください。醜いものは好きではありません」

 小声でそう言いながら、ぷいと背を向ける月影。

 俺は大急ぎで服を着て、最後に、適当にネクタイを締めた。普段からネクタイなんて飾りみたいなもんで、きっちり締めたことはない。だから着替え終えた俺の首には、いつも通りだらしなくゆるんだネクタイがぶら下がっていた。

「もういいぞ、月影」

 俺も小声で月影に知らせる。

 そうして振り向いた月影は、何故か、眉間にシワを寄せた。

 もう服はきちんと着たし、何も文句を言われることはないと思うのだが。

 と思っていると月影はベッドに片膝をつき、ズイと身を乗り出してきた。

「お、おいなんだよ!?」

 月影が俺の足の間に入り込む形で、急接近する。

 と思ったら、

「ネクタイ。結ぶのヘタなんですか?」

 そう言って、俺のネクタイを手際よく結び直した。

 相手は女子高生、ただの子供だ。だがこうも間近に迫られると、妙に照れくさい。

「下手っつうか、面倒なだけだ」

「貴方は教師です。ならばネクタイくらいきちんと結ぶべきです」

「だから面倒なんだって」

「私は面倒という言葉が世界で一番嫌いです。ほら、結び直しました。明日からはきちんとしてきてくださいね」

 そう言って月影は俺からゆっくりと離れる。

「先生、月影さん。もういいですよ?」

 と、カーテンの隙間から織姫が顔を出す。

「おう。んじゃ、とっとと教室に行くか」

「はい」

 月影が静かにうなずく。




 そうして再び俺と月影は、二人きりになった。

 ホームルームも始まり人気のなくなった廊下を、二人で無言のまま歩き続ける。

 気まずい、という思いはもうなかった。

 ただ、色々と聞きたいことがあった。

「なあ、月影」

「なんでしょう」

「えーと、俺の体の事は」

「理解と言うより、現実を受け止めざるを得ない状況でしたので。銀河先生に薬を飲まされ子供に戻った、という事情は理解しました。まあ、それでも、信じられない気持ちの方が大きいのですが」

「あー、あのよ。このことは誰にも」

「喋って欲しくないのなら、最後まで協力してください。それだけです」

「お、おう。わかった」

 俺の体の事はまあ、これでいいとしよう。

 ただ俺はひとつ、ずっと引っかかっていることがあった。

「なあ。お前さ、本当になんでご当地アイドルなんて」

「秘密、全部、バラされたいんですか?」

 質問はぴしゃりと遮られた。

 よほど理由を聞かれたくないらしい。

 月影は余計なことは聞くなと言わんばかりのオーラを全身から放ちながら、真っ直ぐ歩いて行く。そんな彼女の背中を俺は「可愛げのない女だよ」と呆れ顔で見ていた。

「しっかし、ご当地アイドルなあ」

 俺はポケットから携帯電話を取り出すと、そのコンテストを検索してみた。

「特別審査員・睦月京介……って、月影、コイツのファンなのか?」

 そういえば昨日、アンジェラハートの店に飾ってあった睦月京介のポスターをじっと見つめてた気がする。

 だが……



 先生は、過去を変えたいと思ったことはありますか?



 なんとなく、その言葉が引っかかった、

 いや。アイツも気まずくて何か適当に話がしたかっただけだろう。

 あんまり深く考えるのはやめておこう。

 俺は気にしないことにして、携帯電話をポケットに突っ込み歩き出した。




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