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「おはようございます、先生」

 織姫の声に起こされて、目を覚ました。

 体が子供だからか、寝覚めはよかった。

 だから俺はすぐに、気が付いた。未だに織姫の胸に顔を埋めたまま寝ていることに。しかも仰向けになった織姫の胸にしがみ付くように、だ。とんだド変態じゃねえか……この状況に気付いた瞬間、俺の顔は燃えそうな程熱くなっていた。興奮じゃない、ただただ恥ずかしかっただけだ。

「ば、馬鹿野郎っ」

「先生、一晩中離れなかったんですよ?」

「言うなあああああああああっ!」

「それより早く起きないと、学校遅刻しちゃいますよ」

「もういいよ、俺は今日、学校休むから」

「そんなのだめです。ほら、早く顔を洗って来てください」

 織姫が起き上がったので、俺はそのまま織姫の膝に座り込んだ。

「けどなあ、もう、もとに戻るのも面倒なんだよなぁ」

「そんなこと言ってたら本当にずっと子供のままになっちゃうかもですよ?」

「それはそうだけどよ……気のせいか子供に戻る感覚が短くなってる気がするんだが」

「気のせいですよ、きっと大丈夫ですって」

 織姫は笑顔で小さくガッツポーズする。

 そうは言っても不安なものは不安だ。まあこんな薬を作れるんだ、もとに戻る薬ぐらい簡単に作れるだろう。とっとと大空を見つけて無理やりにでも造らせなけりゃな……

 俺はうんざりしながらため息を吐き出し、仕方なく、立ち上がった。




    ☆




 学校に到着すると、さっそく、織姫は月影とオーディションについて話し合いを始めた。

 何故か俺まで保健室に呼び出されたが、織姫の一方的な作戦を聞いているだけで特に三人で熱く話し合いという展開にはならない。だが月影は真剣に話を聞き、メモを取っている。

 ちなみに作戦というのは化粧の仕方だの、肌の手入れの方法だの、要するに美容に関することだ。だから俺が口出しできることは、一切ない。

「―――というわけ! わかった? 月影さん。夜更かしは絶対にダメ、スナック菓子なんてもっての外よっ? 食事は野菜を中心に、三日に一度のパックも忘れずに! ボディーローションも忘れちゃだめよっ? お小遣いじゃちょっと苦しいかも知れないけど、全てはお肌のためなんだから。いい? 可愛いお洋服を着るだけじゃダメ、内面も、そしてお肌も美しくなきゃいくら可愛いお洋服を着てもみっともないだけなのよっ! 美しく! 美しく! どこまでも美しく! いいっ?」

「わかりました。オーディション合格のために、頑張ります」

 メモし終えたノートを懐にしまいつつ、真剣な眼差しで深く頷く月影。

 その様子から、月影がどれだけ本気なのかがわかる。生半可な気持ちで挑むわけじゃなさそうだし、まあ、それなら俺だって応援してやらないこともない……けど、そんなことは口にしない。

 と、その時。

 廊下から誰かの話し声とクスクスと笑い声が聞こえた。

 見ると扉の硝子越しに尾之上達三人が俺達―――というか月影を見ながら笑っているのが見えた。どうやらオーディションを受けることを感づかれたらしい。

 面倒なことにならなきゃいいがな……

「えっと、オーディションはいつだったかしら」

「……来月の、六日です」

「ああ、そうだったわね。七月かー、水着審査もあるのかしら」

「それは向こうが指定した水着だそうです」

「そっか。じゃあ、プロポーションにも気をつけなきゃね! ジョギングと食事制限! でも無理はしないように!」

「わかりました」

 月影は小さく頷く。

 まあ正直、昨日の大変身にはびっくりした。きちんと化粧してしゃれた服着て歩けば男の方から勝手に寄ってくると思う。もちろん本人はそんなもの望んではいないだろうし、興味もないのだろう。理由はよくわからないが、あのコンテストで優勝することだけが月影の望みなのだろう。

 だが本当に、一体なんで、いきなりご当地アイドルなんかになりたがったんだ? 聞いても教えてくれないだろうが、気になる。

「……なにか?」

 と、月影がじっと俺を見る。

 眼鏡の向こうから真っ直ぐに俺を見るその目は、ただただ冷静で、冷たささえ感じられる。だがけして俺を軽蔑したりさげすんだりするわけじゃなく、単に感情がないというだけだ。普段からそうだが、この月影凜子という女子生徒は、全くと言っていい程感情を表に出さない。根暗というより他人に無関心と言った方が正しいだろう。

「なんでもねえよ。それより休み時間終わるぞ」

「……わかっています。それでは昴先生、また放課後よろしくお願いします」

 言って月影はペコリと頭を下げた。

「うん。一緒に頑張ろうねっ」

 織姫は高校生に戻ったような若々しい笑顔を弾けさせた。

 そうして俺と月影は、一緒に教室へと向かった。

 その間、無言。特に話すこともないから仕方ないのだが、なんとなく、気まずい。

 なので俺は必死に会話を探してみた。

「あーえっと、今日は随分と天気がいいなあ」

「午後からは雨ですよ」

「そ、そうだったな。ああそういえばお前、英語の授業、ちょっと躓いてるみてーだけど、大丈夫か?」

 とりあえず教師っぽいことを言ってみた。

「問題ないです。自分の苦手な場所をきちんと把握し、試験に向けて適度に勉強をしています。予習と復習も欠かしていません」

「そ、そうか。さすが委員長、だな」

「……先生」

 と。月影が、足を止めた。

 さすがに無理に話かけたのが不味かったのだろうか。心なしか表情が暗くよどんでいるようにも見える。

「あ、ああなんだ? いや成績は学年でもトップクラスで、全く問題ないけどよ」

「先生は、過去を変えたいと思ったことはありますか?」

「は? 過去を? なんで」

「……いえ。なんでもありません。忘れてください」

 月影は独り言のようにそう言って、歩き出す。

 一体なんなんだ。もしかしてオーディションに出たいなんて言いだしたのには、なにかよほどの理由があってのことなんだろうか。少し気になったが、俺が、それを深く追求していいのかどうかわからない。いや、やめた方がいいだろう。聞きづらい、そんな雰囲気ではない、もうその話はするなと月影の背中が語っている。無理に聞けば、織姫との例の写真をばら撒かれる恐れがある。

 あんまり、触れない方がいい……

「ま、まあとりあえず教室に急ぐぞ。時間ないしな」

 なんて言って俺は月影を追い越した。

 ―――どくん、と、大きく心臓が脈打つ。

 体が焼けるように熱くなり、呼吸が苦しくなり、激しい眩暈が襲ってきた。

 俺は全身を飲み込むような激しい発作に耐え切れず、その場に倒れ込んでしまった。

「先生! どうしました、大丈夫ですかっ」

「だ、大丈夫だ。それより、保健室……」

 そう伝えるので精いっぱいだった。

 言葉を口にするのも苦しく、全身の血が沸騰してるみたいに激しい熱に襲われる。

 だめだ。だめだ。このままだと、月影の目の前で、俺は、子供の姿に戻ってしまう。いや別に戻っても事情を話せばいいだけなのだが、そうすると、織姫と暮らしてることがバレてしまうし、そうなると全男子生徒から恨まれたり校長に事情説明を求められたり色々面倒なことに―――って、そんなことを考えている間にも俺の体は縮み始める。

 マズイ。

 このままだと、本当に、子供に戻ってしまう。

「お、おい月影っ……」

「すいません、すぐ他の先生を呼んできます」

 月影が走り去ろうとする。

 俺は慌ててその手を掴み、引き止めた。

「ま、待て月影……」

「放してください、すぐに救急車をっ」

「お、俺と」

「俺と?」

「俺と……俺と、キスしろ」

「……すいません、聞き取れませんでした」

「俺と、キスを……しろ……」

 とんだド変態教師よ。

 周りに誰もいないことだけが救いだ。

 さすがの月影も目を真ん丸にして驚いている。

「な、なにをおっしゃっているんですか? 確かに先生には協力してもらっていますし、感謝はしています。ですが、キ……キスはちょっと」

「そ、そういうことじゃねえ。とにかく、話は後だ。いや理由は聞くな」

「すいません、やっぱり救急車を」

「いいから、早くっ……じゃねえと、体が―――」

 言っている間に、体の熱はピークに達し、そして一気に、体は若返る。

 体が縮み、月影の手を掴む俺の手が、ゆっくりと離れてゆく。

 月影は、目を真ん丸にして、間の抜けた顔をして立ち尽くしている。無理もない、目の前で四十過ぎのオッサンが子供に戻ったんだ。こんな状況、夢か盛大なドッキリかのどちらかとしか思えないだろう。

 ああ、やっちまった。

 すっかり子供に戻った俺は、来ていた服の中に座り込んだまま、無駄だと知りつつその場を取り繕うための作り笑いを浮かべてみた。

 普段は沈着冷静で他人にも無関心、表情なんてピクリとも変えない月影も、さすがにこの状況には人間らしく間の抜けた顔を見せてくれている。

「え、えーっとだな、月影」

「……はい……」

「とりあえず保健室、連れてってくれや?」

「……はい……」



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