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 俺の名は天野彦星。四十三歳・独身。

 名門天川学園の教師だ。とは言ってもスーツ着て難しい顔して小難しいことを口にするようなタイプじゃないし、食う寝る遊ぶ、飲む打つ買うがモットーの自他共に認める自堕落人間だ。一応仕事はするが、シワだらけで薄汚れた安物のシャツとジーパンに便所スリッパという見た目から完全に人を寄せ付けない人間だ。けどその方が面倒くさい人間関係とかなくて楽だし、俺はそれでいいと思っている。

 よく名門校の教師の癖に、とか、自覚を持てとか言われるが、堅苦しいことも面倒くさいことも嫌いだから理事長の説教は適当に聞き流している。俺はこの先も一人自由に適当に生きていく。人生なんて楽で適当でいいんだよ、堅苦しいことばっか考えてても疲れるだけなんだから。

 だから俺はずっとこの先も、楽に生きていくんだ。

 そう、この先も一人、楽に……

「ふひ、ふひひひひひ……できた、できましたよぉ、新しい薬が! あーっはっはっはっは!」

 昼夜問わず理科準備室から響き渡る不気味な声と、漂う怪しげな薬品の匂い。

 そこに住みついているのは、この学校に勤めて二十年になる銀河大空という名前だけならイケメンな、四十代の中年教師だ。大空の部屋……もとい理科準備室にはコイツの作った怪しげな薬品がずらりと並べられ、それに紛れるように、数々のトロフィーや表彰状が置かれている。いや、正確には、放置されていると言った方が正しいかも知れない。なぜなら薬品類は埃一つ被ることなくきちんと保管されているのに、それら表彰状類はゴミのようにそこらに転がされているからだ。

 ちなみにその表彰状の類は全て、よくわからんが、偉大なる発明をした科学者に贈られるものだとかなんだとか。そこら辺のことは詳しくないが、まあ、その表彰状が示すようにコイツの頭脳は地球上最強最悪の人物兵器と称してもいいくらい恐ろしい程の知識と才能を持っている。コイツに全人類一瞬で滅ぼす薬を作れといったらあっさり作ってしまいそうで怖い。

 怖い、けど……今はそんなことを悠長に考えている場合ではない。

「ん、ぐううう! むぐうううう!」

 部屋に置かれた簡易ベッドの上で、俺はもがいていた。

 猿ぐつわをされ、両手足をベッドに拘束されて完全に身動きが取れなくなっているが、それでも必死に逃げ出そうと俺は頑張る。今まで生きてきてこれほど必死に努力したことなどあっただろうか。いや、ない。ないけど今はそんなことどうでもいい。

「おやぁ、どうしました彦星先生。いつもいつも嫌われているあなたに、私からのささやかなプレゼントじゃあありませんか」

 大空はニヤァっと笑って、粘り気のある薬品をスプーンですくって俺の眼の前に持ってくる。臭い、生臭い、そして酸っぱいし甘いし臭いし、臭い。

「んぐ、んぐ、んぐうううううう!」

「さあ。私の実験……いえ、プレゼントをどうぞお受け取りください」

 大空はニヤリと笑ったまま俺に近づいてくる。

 やめろ。マジでやめろ。頼むやめろ。おい、俺に一体なにをする気だ? 借金なら来月必ず返すと言っておいたはずだろう。それとも冷蔵庫の中のプリンを食べたから、なんてべたなことを言い出すんじゃないだろうな。確かに勝手に食ったけどよ。賞味期限ぎりぎりだったから処分してやっただけで―――

 んぐんぐ喚く俺など無視して、大空は俺の口から猿ぐつわを引っぺがし、俺が怒鳴ろうとするのを防ぐように口の中に液体を突っ込んできた。しかもスプーンじゃない、瓶ごとだぞ、瓶ごと! 死ぬ!

「んぐうううううう!」

 俺はわけのわからない悲鳴をあげた。

 これは一体なんの薬品だ?

 下剤か、風邪薬か、はたまた毒薬か……その三つの中なら毒薬が一番可能性が高い。そのくらい強烈な刺激が俺の口と胃に襲い掛かって来た。

 すると突然扉が勢いよく開き、

「だめええええええええええええええええ!」

 校医の昴織姫が飛び込んできた。助けに来てくれたんだろうが、遅すぎる。俺はもう毒薬を飲んだ後だぞ。

 ちなみにこの昴織姫だが、美人で色白で胸も大きく尻なんか丸くぷりっとしていて太腿もむっちむち。男なら誰もが憧れる白衣と眼鏡とミニスカートの眼鏡美女だ。ちなみに天川学園で一番美しいとか言われているが、俺にはむちむちぷりぷりという印象しかない。

 そんな織姫もこんな状況では救いの神だ。

 俺は助けを求めて織姫を見る。が―――様子がおかしい。心臓がドクンと大きく脈打ち、かと思うと体中が燃えるように熱くなり、意識が遠のきそうになる。だが意識が遠のく寸前に、その発作らしきものは治まった。

 一体なんだったんだ?

 俺はベッドに手をついて、起き上がる。

 ……体が自由になっている。助かったのか? 

 俺は自分の体に何が起こったのかを確かめるべく、両手を確認した。

 小さい。異様に、小さい。しかも若々しくハリがある。四十三歳のゴツゴツして少し老けたあの手じゃない。子供の、ハリツヤのある、瑞々しい小さな手だ。 

「な、なんだこれ」

 まさか。まさかとは思うが。

 俺はおそるおそる顔を上げ、窓ガラスを見た。そこにうっすらと映り込むのは、遥か遠い記憶にある、幼い頃の俺の姿だった。歳はたぶん、五歳くらいだろうか。

「ふふ、実験は成功、です」

「ふ、ふざけんなあああああああああああああっ!」

 俺は絶叫し、ベッドから飛び降りて大空に掴みかかるが……掴んだ場所は哀しいかな、大空の太腿だった。たった五歳の身長と言えば、こんなものだ。大空は「ぐふふ」と笑いながら俺の首根っこを掴み、ひょいと持ち上げる。俺はそれでも必死に抵抗して手足を振り乱すが、一発も当てられないばかりか掠めることすらできない。

「あ、天野先生ぃいいいいいいいいいいい!」

 悲鳴を上げ、絶望する織姫。

「実験は成功しました。はい、欲しければ差し上げますよ」

 大空は俺をを織姫に投げ渡す。

 織姫は慌てて俺を抱き留め、涙目になりながら大空を見た。俺も泣きたい。

「せ、先生。なんでこんなことを」

 すると大空は分厚い眼鏡をクイと押し上げて、不気味に笑いながら言いやがった。

「ふひひ。元に戻る方法ならありますが、まあ、それは……自分達で見つけてくださいね」

「てめぇふざけんなよ、殺すっ」

「おやおやぁ? 貴方、確かまだ私に十万借金していましたよね? 全部、競馬でスったんでしたっけ」

 そう言われると、情けないが返す言葉もない。

 俺は普段から給料を好きなものにつぎ込みロクに貯金もしていなくて、そのため月末はいつも金欠なのだ。で、その俺の好きな物というのが競馬だったりパチンコだったり酒だったり煙草だったり、まあ、そういうロクでもないものばかりだ。たまにやるくらいならいいが、俺の場合、それが生活の主軸みたいになっているからどうにも金が溜まらん。やめろと言われたってやめられん。まあ、やめろと言う人間なんて誰一人としていないのだが。

「まあ、そういうわけで。しばらくはそのままでいてください。ふひひひひ」

 大空はそう言うや、窓を開け放ってベッドを踏み台にして外に飛び出した―――俺は思わず追いかけそうになるが、アイツの逃げ足の速さだけはよく知っている。大学時代も騒ぎを起こしちゃ一目散に逃げ出して、結局関係のない俺が身代わりにされたりしたことが何十回とある。思い出すと腹が立ってきた。

「ど、どうしましょう。彦星先生」

 困惑する織姫。

「知るか! とにかく今日はもう家に帰る、こんなんじゃ授業もできねえ」

「そ、そうですよね」

 と織姫は何故か俺をじっと見つめてくる。

「なんだよ。お前はとっとと保健室に帰れ」

「せ、先生……かわいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 織姫はぎゅうっと、その大きな胸にをを抱きしめた。

 織姫の柔らかな膨らみが子供に戻った小さい俺の顔を包み込む。正直、嫌いじゃないが、恥ずかしい。

「んぬぁああああ! や、やめろ馬鹿、胸、胸!」

「はうううううう! 実験には反対でしたけど、これなら大賛成かもですうううっ」

「だからやめろっつってんだろっ!」

 彦星は怒るがしかし、織姫は興奮のあまり俺を胸に抱きしめたまま、解放しようとしない。

 本当になんでこんなことになったんだか、俺はため息を吐き出した。




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