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シンニフォン  作者: 印朱 凜
3/15

シント市

  第二部 南回帰線 


 第一章 シント市 


     1

             

 ここはシンニフォン国―Symnyfone―の首都シント。昔、神戸と呼ばれていた市街だ。ディザスター後、旧日本の関東・東海地方は被害の中心地で首都機能を維持できなかった。シンニフォン建国の際、果てしない議論の末ようやくこの地に遷都されたそうだ。元々、埋立地や空港が海上に広がっていたのだが、現在では更に埋め立てが大規模に進み、広大な平地の上に各省庁が林立している。

 僕は首都来訪の際には必ずと言っていいほど訪れる場所がある。それは今も摩耶山の高台に存在する旧跡〝ヴィーナス・ブリッジ〟である。ここからの眺めは本当に壮観で、新国家シンニフォンの繁栄を象徴しているようだ。意外と訪れる人も少なく、静かに物思いに耽るには最適の場所でもある。

 僕はディザスターの年に生まれて両親を失った。生後間もない頃、神戸在住の祖父母の家に預けられていたのだが、東京出張中だった両親は遺骨さえ残さず今でも行方不明のままだ。

 上空から街を眺めてみると分かるのだが、西の方に不気味に傾いたコンクリート製の塔が海から二本伸びているのが目に付く。これらは倒壊した明石海峡大橋の橋桁部分だが、長い間放置されたままになっており、いつしか〝墓標〟と呼ばれるようになった経緯がある。ディザスターを象徴するモニュメント、或いは死んだ人々の魂を鎮める慰霊碑の代わりとなっているのではないだろうか。現在は海底トンネルでベッドタウン淡路島市と本土は繋がっている。

 復興著しい我が国は外国人の占める割合が徐々に増えて、子供の出生率も上昇傾向にあり少子高齢化社会を克服した。

 

     2

 

 オーストラリアから航空機でシンニフォンへ直帰した僕は、軍所属の病院に入院させられて検査漬けの毎日を送っていた。一過性とはいえ記憶を失くした事実は深刻で、脳に重大な問題が発生した疑いが掛けられたのだ。

 コンタクト・ドライブ・システムはシンニフォンで開発された最新鋭のコンタクトレンズ型・非侵襲式BMI(Brain Machine Interface)―脳介機装置―なのだが、神経工学が発達した現在においてもまだまだ解明されていない未知の部分が多いシステムでもある。僕はこのシステムを使いこなして、あらゆる無人機を縦横無尽に遠隔操作するコンタクト・ドライバーとして長年訓練されてきたのだ。

 当然軍の機密事項なので私生活に及ぶまで色々と制約が多く、ほぼ実験体扱いの僕は息が詰まる毎日に嫌気がさしていた。そして自分から志願した手前、途中から投げ出す訳にもいかず坦々と訓練をこなしていたのだが、いざ海外において本格的な実戦に投入された途端、記憶を失くして遭難してしまう事態に見舞われてしまった次第である。

 

 本日は記念すべき退院日で、半日ほど自由な時間を楽しんだ後、久しぶりに出勤する予定になっている。何となく気が重いのは一週間後にシンニフォン社の社長に接見するという重要なイベントが控えているからだ。

 企業統治国家である我がシンニフォン国は、シンニフォン社の社長が即ち国家代表をも兼任することになっており、世界一忙しい職業の人間だと噂されている。国家の政治的指導を行いながら、同時に多国籍大企業の舵取りの責任を負う能力は超人的と言えるだろう。そんなアメリカ大統領をも上回る超多忙な人物と短時間でも会えるチャンスは滅多になく、とても名誉なことだとされている。

 三宮でシント・ラーメン(もっこす)を食べ、遅い昼食を済ませた後、ポートライナーで空港に向かった。中央市民病院を過ぎると巨大なホテルが視界に入ってきてエントランス前の道路が渋滞しているのが見えた。前にナビゲーターのジュリアの勧めもあって当会場で催された神経工学学会に参加し、退屈な見学をしたことを今思い出した。

 ジュリアはコンタクト・ドライブ・システムで無人機を操縦する時に欠かせないナビゲーター役を自ら担当しているのだが、その経歴には目を見張る物がある。まだ三十代半ばだが医師免許を持ち、脳神経外科及び眼科の専門医の資格も持っている。その大学病院での優秀な実績がシンニフォン社の花形部門である軍事部の目に留まり、破格の待遇で招かれたそうだ。その後は専門を活かせるBMIの研究に没頭し、その能力を余すことなく発揮している。

 コンタクト・ドライブ・システムの開発と運営に多大なる貢献をしているジュリアは、只の一兵卒である僕など取るに足らない、正に雲の上の人間とも言える女性だ。実際シンニフォン社内では上司、軍組織内の階級では上官に当たるのだが、そんなことは関係なく僕をまるで弟のように慕ってくれている。

 時には厳しく、又ある時は肉親のように優しく接してくれるジュリアは、ディザスターで両親を亡くした僕にとって、本当の家族のように大切な存在である。しかもモデルのようなスタイルに、誰もが振り返るエキゾチックな美貌を持ち合わせている。

 若い僕は、当然の如くジュリアに憧れを抱き、そして恋をした。

 彼女と初めて顔を合わせたのは随分昔になるが、ナビゲーター役を買って出て一緒に過ごす時間が多くなってきた頃から、とうとう僕は我慢ができなくなり彼女に告白してしまった。十歳以上の年齢差と立場の違いから答えはNOと決まっていたのだが、毎日のように悶々と鬱積する気持ちを取っ払うためには行動するしか方法がなかった。あの時のジュリアの困ったような、それでいて僕を傷つけないように気遣った複雑な笑顔を、今でも忘れることができない。

「次はシント空港・・・」

 車内放送でハッと我に返った僕は、急いで駅に降りた。

 シント空港はシンニフォン空軍基地の滑走路としても機能しており民間機と空軍機が入り乱れる珍しいタイプの空港である。コンパクトな空港の一角に僕が所属する飛行開発実験団・UAV運用部隊(通称―朧―おぼろ)のベースがある。

「こんな民間人が多く出入りする場所に基地を作ったらセキュリティも何もあったもんじゃない!」

 僕はオフィスのドアを開けるなり、挨拶も早々に懸念している事柄を口にした。

 我が民族は昔から防諜の重要性に関する認識が大変低いと言われ続けている。それは現代においても改善しているとは言い難いと思う。

「随分ご無沙汰だったな、田中一等空曹。開口一番に何だ」

 朧部隊の飛行実験課、松野下課長は僕をオーストラリアに派遣した責任者だ。落ち着いた人格者の風貌だが腹では何を考えているのか分からない。無論、飛行実験課とは名ばかりで、その実体は最新テクノロジーであるコンタクト・ドライブ・システムを搭載した新型戦闘UAV・・・電神を秘密裏に実戦運用する工作部隊である。

「いわばここは表向きの隠れ蓑で、機密性の高い主力は意外と海外中心だからね」

「ドライバーが暗殺されても知りませんよ」

 皮肉を込めて答えると、松野下は首をすくめて困った顔をした。

「今後の予定は木山准尉から連絡があるので下がってよし」

 木山准尉とはジュリアのことであるが、入院中の見舞い以来顔を合わせていない。プライベート用のメールアドレスさえ教えてもらっていないのは情けない限りである。仕事柄、個人の私生活も盗聴監視されているのは分かっているのだが。


     3

 

 ジュリアに会うとシンニフォン社社長、つまりはシンニフォン国家代表に非公式で接見するスケジュールをてきぱきと説明された。アメリカ系ハーフと聞いたことがあるが、あい変わらず見目麗しく聡明な女性だと改めて思う。かといって近寄り難い雰囲気もなく、病院での臨床経験もあるためか話もよく聞いてくれる。

「どうしたの?」

 不用意にジュリアに訊かれてまごついた。

「心、ここにあらずといった感じね」

 あなたに見とれていた、など決して口に出すことはできない。酷い人だ、僕が過去に告白したことなどすっかり忘却しているのかもしれない。

「我が国の最高権力者に会うプレッシャーはよく分かるわ。でも私のコンタクト・ドライブ・システムを始めとするBMIテクノロジーは国家代表が注目するほどの重要な先進技術で、あなたは初戦果を挙げた英雄よ。堂々と話してきなさい」

「分かったよ。朧部隊やジュリアの今後のために頑張るよ」

 僕が面倒そうに答えると

「私のためじゃないわ。トモロー自身のためよ」

 とジュリアは顔を上げて真面目な顔をした。

 すると偶然会話を聞いていた飛行技術課(一課)の森岡空曹が毒吐いた。

「ケッ、子供じゃあるまいし」

 彼もジュリアに惚れているという噂で、僕のことが色々と気に入らないのか常日頃、目の敵にされている。僕より軍隊経験が長く年齢も上だが階級的にはあまり差がない。

 一課の無人機をコントロールする技術はフライトシュミレーション方式でコンタクト・ドライブ・システムのようなBMIと根本的に違う旧世代の技術だが、信頼性においては一日の長がある。

 森岡空曹はその一課で毎日のようにUAVを飛ばし続ける主力に相当する男だ。彼の坊主刈りの頭部には細かい傷跡が幾つかあるが、それらは以前自ら志願して脳波を読み取る端末を外科的手術で埋め込んだ跡とのこと。SF映画のように何本ものコードを頭部の端末に接続し、機械と一体化するという初期のBMIの被検体をやっていた証拠である。   

 この方式は倫理的な問題を孕んでおり、人体組織と人工物との間の拒絶反応から来る炎症や感染の危険性も常に付き纏っていた。予想通り数回テストされただけで一般化はしなかったのだが、僕から言わせるとこの方式が流行らなかったのは、端末を埋め込んだ頭の見た目が不気味で、日常生活がお洒落じゃなかったから、の一言に尽きる。実際に手足を使わず車の運転をするテストをしていたそうだが、ダッシュボードから伸びる数本のコードを頭に挿して微動だにせずドライブする姿を想像しただけで寒気がする。

 その後、初期型BMIの開発は中止され森岡空曹は一般操縦士に戻ったのだが、非侵襲で安全性の高いコンタクト・ドライブ・システムが開発されたために立場を失ったという思い込みが今でもあるそうだ。ジュリアに対する感情は愛憎入り混じった複雑なものであろう。

「戦場を甘く見ているから記憶をなくしたりするんだ」

「何だと!」

 しつこく挑発してくる森岡空曹に遂に我慢ができなくなった。

「やめなさい、二人共。田中空曹は今、ナーバスになっているの。あまり刺激しないで」

 ジュリアが森岡空曹に注意すると彼は、やれやれといった感じのジェスチャーをした。

 お互いしばらく睨み合っていたが、ジュリアに掴まれた肩を振り解くと僕は兵舎に向かった。

 

     4


 その夜は何だか中々寝付くことができなかった。当直の者に挨拶をして格納庫に電神と呼ばれる特殊UAVを見に行くことにした。格納庫の中にはシンニフォン社インド支部で開発され、件のコンタクト・ドライブ・システムを搭載した最新鋭無人機〝ヴィマナ〟が鎮座していた。今や航空産業の中心地はインドであると噂されている。外見はシンニフォン社製の電神〝秋水〟にそっくりだが機体の大部分はインド独自の設計となっている。隊員たちは名前が発音し辛いためか〝秋水カレー風味〟などと冗談めいた名前で呼んでいる。

 航空基地は二四時間体制で普段の格納庫には整備兵等がウロウロしているのだが、今日は人の姿もなく静かであった。薄暗い照明に照らされたダークグレイの機体は小柄で、ステルス性を考慮した各パーツの幾何学的処理や、すべて一定の角度に揃えられた後退翼のシルエットが美しさを際立たせていた。この機体は無人機故に上下の区別がなく、背側・腹側どちらでも同じように飛行できる。尾翼も可変するのだが一応ランディングギアをしまうスペースのある方が下と言えるのだろうか。有人機なら丁度コクピットの在る辺りに、ボールマウントされたカメラが風防越しに確認できるのだが、正に〝ヴィマナ〟の目のように見えた。

 冷たい機体に触れると頭がはっきりしてくるのが感じられた。記憶は全て戻ったようだとドクターから説明を受けたが、実際どうなのだろう・・・不安感が込み上げてくる。

 

 眠りに着くとオーストラリア基地から離れ離れになったミナのことで頭が一杯になる。彼女は元気にしているのだろうか。幸いなことに母親と幼い弟妹のドンハとヘイスーは怪我もなく生存しており無事に再会できた、と情報部からの一報があった。

 父親のユンソンは・・・考えたくもないが野武士共に殺されたのだろう。世帯主を失ったので生活が苦しくなったに違いない。一度国際電話で連絡を試みたが、おおよそ懸念していた通り不通になっていた。もし長期の休暇が認可されれば、監視付きになるだろうがオーストラリアに家族を再訪してみたかった。

 

     5

 

 内地での平穏な暮らしの中で日常的な訓練をこなす内、月日はあっと言う間に過ぎ去り、いよいよシンニフォン社社長にして国家代表、植月康幸に接見する日がやってきた。礼服に身を包んだ僕は、いわゆるVIP待遇で政府高官用リムジンの迎えが夕刻にあった。

 シント市内は計画都市らしく碁盤の目状に区画整理されており平成京の別名がある。ちなみに道路の地下にはガイドレールが埋まっており、車をフルオートに設定すれば、一切何もしなくても安全に目的地まで自動運転してくれるシステムになっている。これは正に文字通り〝自動車〟が実現したと言えるだろう。無論、自分の意思で自由に運転することも可能だが、保険料が物凄く加算されることになる。

 夜のシント市は官公庁舎街だけに落ち着いており、山側の三宮方面の歓楽街に人々は流れていくようである。無人運行タクシーが街を行き交い、多くのスーツ姿の男女が家路に急いでいるのが窓越しに見える。

 やがて市の中心部に広大な敷地を擁するダムのようにずっしりとした白亜のビルが視界に迫ってきた。グローバルに展開する超巨大企業シンニフォン社の総本山にして、シンニフォン国の政治的中心地は、まるでコンクリートでできた城砦のような威圧感さえ漂わせている。アメリカ合衆国におけるホワイトハウスとは明らかに異質で、我が国の特異性を表すようだ。

 ゲートからは入念なセキュリティ・チェックが始まったが、国の最重要施設に入る割にはすべて自動化され、案外あっさりといった感想だ。僕のような軍属は身元チェックに時間が掛からないのであろう。しばらくして広い控え室に通され、側近連中の挨拶と小難しい話が始まったが、そこから更にビルの最上階辺りの社長室まで行くには、一体どれほど待たされることになるのだろう。

 半時間ほど待機した後、ついに呼び出しがあり、社長室の重厚な扉の前まで誘導された。この頃には緊張もピークに達し、心拍数の上昇が収まらない。大声で自己紹介と挨拶を済ませると、軍帽を握り締めた礼服の白い手袋が湿ってくることさえ感じられた。

 シンニフォン社の社長室は限られた者しか入れない。公開もされていないので秘書に案内された部屋は初めて見る世界で、高い天井から下がる国旗が妙に印象深い。シンプルかつ機能的デザインが随所に成され、まるで情報第一の司令室を思わせる空間であった。てっきり強大な権力を持つ社長の趣味丸出しのプライベートでゴージャスな部屋だと勝手に思い込んでいたので、これは意外だった。

「はじめまして、私が植月です」

 テレビで毎日見ている植月社長、シンニフォン国家代表は、年齢より若く見える。体格は小柄な方だがエネルギッシュで、柔和ながらも意思の強そうな目は自信に満ちあふれている。それでいて威圧感をあまり感じさせない辺りは経営者としての顔も持ち合わせているからであろう。殺人的スケジュールを毎日こなしていても、あまり疲れた表情を人に見せないのはさすが、の一言である。

「君の活躍は耳にしているよ、今日会うのを楽しみにしていた。資料の通りだな。もし私に息子がいたら丁度君位か・・・」

 僕は軍人らしく堂々と応じているつもりだったが、今にもプレッシャーに押し潰されそうになる。

「今日呼び出したのは他でもない。我が社の最先端テクノロジーであるBMI技術の素晴らしさを最前線で実証する君を激励するためだ・・・」

 時折見せる植月社長の鋭い視線にたじたじする。

「君は軍人だから理解していると思うが、これからの戦争はロボット達が肩代わりしてくれるかもしれない。あの忌まわしいディザスター後、人口が半減した我が国においては特に戦場の無人化を進めて人的被害を最小限に抑えるべきだ」

 続いて植月社長は茶室のような応接スペースに招いてくれた。

「時に田中空曹、外地では記憶が混乱していた時期があったそうだね」

「はっ! 療養期間を充分に頂き今は体調、精神状態と共にすこぶる良好であります」

「そうか、今日はシンニフォン国のトップと一対一で話せる折角の機会だ、何でも質問したまえ。国家機密以外なら何でも答えてやろう」

 社長は気さくな笑顔を見せてくれた。   


「・・・旧日本国を崩壊させたディザスターの原因は、定説通りブラックホールの爆発に因るものだよ。リニア中央新幹線の大深度地下トンネルと平行して建設された衝突型粒子加速機(SLC)は偶然にもマイクロブラックホールを生成し、核爆発以上の惨禍を地球規模で生み出してしまった」

「そんな危険な物を何故リニアの隣に?」

「保守・点検の面で共通項が多く、同じ資材や業者が使えたからね」

「ブラックホールなんて、俄かには信じ難いのですが・・・」

 

 その時、背後に人の気配を感じた。振り向きざまに見ると見慣れた女性の影、その正体はジュリアだった。

「なぜ、准尉殿がここに!」

 僕は面食らった。

「実は私も招待されていたの。先に到着していたわ」

「一人では何かと不安だろうから急遽呼び出したのだ」

 社長は悪戯っぽく笑った。

「マイクロブラックホールの生成は特別に珍しい現象でもないわ。例えば近世においても1908年にシベリアで発生したツングースカの大爆発。これは高エネルギーで地球に降り注ぐ宇宙線と地球上の物質が反応した末にできたブラックホールによって引き起こされた事象だと考えられているし」

「国を滅ぼすほどの危険な実験に、誰も異を唱えなかったのは?」

「素粒子物理学の分野において日本は世界のトップレベルでした。東京オリンピック後の好景気を象徴する、国の威信を賭けた一大プロジェクトに研究者達は功を焦り過ぎ、その結果、神の怒りに触れてしまったとでも言うべきでしょうか・・・」

「ディザスターによって関東地方は消滅し、東京も海底の一部となった。同時に起こった地震及び地球規模の海面上昇・・・更には成層圏にまで舞い上がった塵による気候の世界的寒冷化・・・四十年前の時もそうだったが、我が民族ばかりこうもたびたび災難が降りかかってくるのは避けられない運命なのだろうか」

 社長が続けた。

「その後、国の体を成さなくなった日本は一時的に米軍に再占領された歴史は知っているね。中央政府に代わり国家を代表する我が社の組織が、何とか対外的に独立を認めさせ続けてはいるが、北海道を始め混乱に乗じて他国に蹂躙された地域も残されている。そこで、失われた領土と国の威信を取り戻すために、是非とも君達の力が必要なのだ」

 社長の力強い言葉に背筋が伸び上がった。凄まじい権力闘争に勝ち上がってきた人物の声には不思議な魅力がある。

「時に木山君。君のコンタクト・ドライブ・システムに大変興味がある。私にでも分かるように説明してくれないか? 半分も理解できないだろうが」

 しかも女性に対しては、極めて紳士的でスマートな印象だ。グローバル企業のトップに君臨し、海外経験も長いためだろうか。

「田中君には特別にこれを見せてあげよう」

 社長は仰々しく木箱に入った黒っぽい器を取り出し、僕に渡してくれた。

 黒光りした陶器は艶やかで凛とし、素人目にも分かるほどの只ならぬ美しさを湛えていた。その内面には不可思議に星のような大小の紋様があり、その周りは青っぽく七色に輝いて見える。

「曜変天目茶碗・・・かつて日本の国宝だった三点の内、最後に残った物だ」

 僕はその言葉に緊張して手を滑らせそうになった。

「南宋時代に焼かれた名器中の名器だが、世界中どこを探しても日本に三つしか残っていなかった。徳川一族等、時の権力者に代々受け継がれて、今ではこの私が所有者だ」

 社長は自慢げにニヤリと笑ったが、大した造詣もない僕に唯一無二の貴重なお宝を惜しげもなく見せてくれるとは随分と肝が太い。

「・・・それでは社長、簡単ですが説明させてもらいます」

 ジュリアは卓上の3Dプロジェクターを起動させ手馴れた様子でコンタクト・ドライブ・システムの解説を始めた。

「眼球と大脳の間には密接な関係があります。目から入力された視覚情報は、脳の後ろの方にある一次視覚野に投射され、さらにWhat経路とWhere経路と呼ばれる2種の主な視覚経路に伝達されます。このうちWhat経路は視覚対象の認識や形状の把握、Where経路は位置や動き等、空間のどこにあるかの理解に関係していると考えられています。コンタクト・ドライブ・システムはこの視覚経路に介入し・・・」

 脳の立体画像を見ながら説明されても、かなり難しい。

「・・・ドライバーは両眼にナノテク・コンタクトを装用するだけで網膜から視神経に端を発する視路を介して、大脳に直接働きかけるように情報の入出力が可能なのです。シンニフォン社が誇るナノテクノロジーは、膨大な情報処理を行うバイオデバイスを角膜上に乗せるコンタクトレンズのサイズまで小型・透明化することに成功しました」

 社長は熱心にジュリアの説明を聞いているが、僕は眼前にある曜変天目茶碗の妖しい魅力に感心するばかりであった。ふと見上げると部屋の壁面の棚にセラーが据え付けられ、この場の雰囲気に合わない重厚なワインの瓶が並べられている。

「それは中国で大変人気のある超高級ワイン、シャトー・ラフィット・ロートシルトの2005年物だ。フランスはディザスターの影響をもろに受けて葡萄の樹が全く育たない気候になってしまった。当然ワイナリーは壊滅状態・・・醸造家も世界各地に散らばり、かつて世界最高の品質を誇っていたフランスワインも今では幻の存在だ。その中でも有名シャトーの良年ワインは愛好家が秘蔵する僅かばかりとなっている」

 社長は難解な説明を聞きつつも同時に、僕のことを気に掛けている・・・さすがだ。ジュリアは説明を中断され、流れをどう元に戻そうかとやきもきしている。

「そいつは一本数百万円もする宝石のように貴重なワインだよ。良かったら君に分けてあげてもいい。ただし条件がある・・・」

 一瞬、耳を疑うような提案があった。植月社長が我々に非公式で会見を望んだのは、やはり訳があるらしい。

「後ほど木山准尉を通して伝えることにするよ。今は彼女の素晴らしい講義に集中したい」

 そう言って笑うと、また彼女の説明に耳を傾けた。まるで学生のように研究熱心な姿勢だ。組織の上位に行くほど無能が多いという年功序列型の悪しき伝統は、この人物には当てはまらないようだ。


     6

 

 およそ一時間の会見が終わり、僕とジュリアは緊張感から解放されたものの、精神が磨り減ってへとへとになってしまった。リムジンの後部座席での会話も弾まない。

「松野下課長から正式な指令が下ると思うけど、今度のミッションは植月社長ことシンニフォン国、国家代表様から直々の命令よ」

「オーストラリアの時みたいに賊相手の危険な実戦テストじゃないだろうな」

「それは、どうかしら・・・」

 ジュリアは曇った窓ガラスに滲む夜のシント市を眺めて話をはぐらかした。僕はそれ以上知りたいとも思えず、手足を組んで乱暴に座り直した。

 シンニフォン国で一番偉い人物に会ったというのに彼女は緊張せず、全く普段通りと変わらなかった。まるで同窓会で旧恩のある担任教師と会話しているようでもあった。

 ひょっとすると初対面ではなく、特権階級を活かしてコンタクト・ドライブ・システムについての講義を密かに行っているのであろうか。あの社長ならあり得る話だ。たんまりと講義代をはずむとか言って・・・

 

 南半球と違って、こちらではそろそろ寒い季節だ。気候の寒冷化は奇跡的に止まったが、日本らしさを象徴する四季の移ろいは曖昧な物となり回復の兆しは未だ見えない。

 

 

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