田中友郎
7
いつの間にか自分のベッドで眠ってしまっていたようだ。まだ靴を履いたままで、服装もそのままだ。何時間か中途半端に寝たおかげで、体の節々が痛む。時計を確認すると真夜中の午前零時だった。
「いかん、シャワーを浴びてこなければ」
二十四時間シャワールームは使えるが、流石にこの時間は殆ど人がいない。軍人らしくさっさと済ませて部屋に戻ると、昼に酒保で手に入れた缶ビールを開けた。ツマミ代わりにオーストラリアで手に入れたベジマイトをパンに塗って、そのままかぶりつく・・・何だこの生まれて初めて味わう奇妙な余韻は・・・シンニフォン人の口には合わないと思われる。
「今はどの辺りを航海しているのか・・・」
規律が緩いのをいいことに、携帯端末を確認しながら、間抜けな独り言をつぶやいた。
・・・何か妙に人の気配がする。
おかしい、ドアはロックされ、周りには誰もいないはずだ。
気のせいかと半ば注意を逸らしかけたその瞬間、入口のドアがノックされる音を確かに聞いた。
「誰だ、こんな真夜中に」
尋常じゃない展開に、9㎜拳銃を右手で持ち、少々緊張した面持ちでドアを開けると、黒髪の女性が立っていた。
「ミナじゃないか! 何か緊急なことでも?」
「ええ、まあね」
どうしたことか彼女は僕の許しを得ないまま、ずかずかと部屋に入ってきた。しかも軍服ではなく、白いブラウスに短いスカートというラフな出で立ちだ。もし誰かに見られていたら言い訳のしようがなく、勘違いされそうである。
「どうしたんだい、仕事や将来について何か悩んでいるとか?」
銃を置いて話しかけたが、彼女は伏し目がちで、あまり喋らなかった。
「ああ、そうか! 昼間は済まないことをした。折角、美味しい物を食べに行ったのに、つまらないことを言って場の空気をブチ壊してしまったね!」
「つまらないことはないわ」
彼女はベッドに座り、やっと僕の方に顔を向けたが、何だか思い詰めたような表情だ。
「・・・!」
僕は彼女の姿を見て息を飲んだ。少し髪が濡れているのか、いつもより艶っぽい雰囲気を醸し出す上に、とてもいい匂いがする。クールで近寄りがたい昼間の顔とは違い、今夜は妙に女性っぽい物腰で、隙だらけなのはなぜだ。
しばらく釘付けになっていると、彼女は無言で立ち上がった。そして僕の目を見ながら、ゆっくりと近付いてくるではないか。
「・・・ミナ?」
彼女の澄んだ瞳は美しく、吸い込まれてしまいそうだ。こいつはどうしたことか、冷静な判断ができなくなってきた。
「おい、これは・・・その、つまり・・・そういうことか?」
ミナは何も答えず、上目づかいから恥ずかしそうに下を向いた。良く見ると薄手のブラウスからピンクの下着が透けて見える。その膨らみは上から3番目のボタンを左右に引っ張り、見事な曲線を描き出している。
その柔らかな先が僕の体に触れる頃、思わず両肩を後ろから抱き締めてしまった。心臓の音が自然に高鳴り、それが彼女に伝わるのが気恥ずかしく、緊張で震えてしまう自分が情けない。
そっと体を離し、両肩を持ったまま顔を近付けて唇を合わせようとするが、なぜか彼女は、そっぽを向いてしまった。
「?」
その真意が分からなかったが、構わずブラウスのボタンに手を掛けた。上から順番に外していくと、彼女の目は前髪に隠れて表情が分からなくなってきた。
露わになったブラは、透き通るような白い乳房を上品に包んでいた。ブラウスを優しく脱がし、フリル付きの肩ひもを両方ずらすと、今にも淡い色の乳首が顔を覗かせそうになる。
綺麗に包まれた高級菓子の包装を解くように、ゆっくりと・・・柔らかくも弾力のある胸に手を入れブラを外しに掛かる。
「そこまでだ」
突如、聞き慣れない口調でミナが喋った。
「!」
僕は咄嗟にベッドの上に転がり、机の上に置いた拳銃を掴んで安全装置を外した。
「・・・ミナ、いや何者だ」
狙いを定めた先には、間違いなく上半身裸の彼女がいる。だがしかし直感で、それはミナではないことは本能的に分かっていた。
「フフフ・・・何を言っているの。この体、私でしょう?」
彼女は妖艶な微笑みを浮かべ、美しい肌を見せつけた。
「黙れ! 服を着ろ」
その声に、ミナの姿をしている者は溜息をついた。
「流石だな、田中友郎君。もう感付いたのか」
「! 誰なんだ」
僕が大声で叫ぶと、観念したかのように口を開いた。
「久しぶりだな、私はチェ・ユンソン。ミナの父親だよ」
「何ぃ!」
僕は、すぐには飲み込めなかった。目の前にいるのは、どこからどう見てもミナそのもの。だが行方不明になっているユンソンの名を語っている。
「信じて貰えるかな? 娘の中に入っているのだ」
「えぇ?」
僕が混乱していると、まず銃を降ろすように言われた。
「つまり・・・君とやっていることは同じだよ、ミナとリンクして電神のように遠隔操作している訳だ」
「信じられない! では、ミナは人間じゃないのか?」
「ミナは正真正銘、私の娘で普通の人間だよ。ただコントロール用のBMIつまり脳介機装置が頭に埋め込まれているけどね」
「実の娘にそんなことをするなんて、あんた人の道から外れているぜ!」
「・・・確かに。だが脳神経工学の第一人者である私の理論を実証するために、彼女は自ら進んで被験者となったのだ」
「ユンソン、あんた前はそんなこと、一言も言ってなかったじゃないか」
「オーストラリアで君に語った私の経歴は、名前も国籍も含めて全部と言っていいほど嘘だ。ミナ以外の子供達も再婚した妻の連れ子で血の繋がりはない」
「ドンハとヘイスーは・・・」
僕が言葉に詰まっていると、さらにショックな事実が告げられた。
「ちなみに当時、君が記憶を失くしたのは、私がコンタクト・ドライブ・システムに侵入して君の脳をオーバーロードさせたからだ」
「何だと! ということは砂漠に放り出されていたのは・・・」
「錯乱して作戦地域から離れ、一人で歩いて行った」
「一体、何の目的で僕にそんなことを!」
「・・・ジュリア・木山・ヴォーリズから何も聞いていないのかな? 君のオーストラリアでの本当の任務は、私を暗殺することだったのさ。兵隊崩れ相手の訓練とでも思っていたのかね?」
「ジュリアのことを知っているのか」
「知っているも何も、彼女と私はコンタクト・ドライブ・システム、つまりは電神の共同研究開発者だった」
意外な関係が明らかにされつつある。
「なぜ、命を狙われることになったんだ?」
「後にシンニフォン国代表となる植月康幸と愛人関係を結んだ彼女は、強大な権力を手に入れ、私から研究成果とパテントを一方的に奪った。さらには無実の罪をでっち上げてまで、私の研究者としての地位を潰しにかかってきた。私はもはや国外に移住するしか、他に道がなかったのだ」
「植月社長とジュリアが愛人関係・・・」
そういえば色々と思い当たる節がある。
「電神の実現は、湯水の如く開発資金を投入することができた彼女の成果と言えるだろう。だが、オリジナルのシステム開発者は、紛れもなくこの私。野心旺盛な彼女にとっては、消えて欲しい目障りな存在・・・目の上のたんこぶと言ったところか。技術情報の海外流出を防ぐには、さっさと殺してしまうのが一番だろうね」
「ではジュリアの目を欺くため、今まで死んだと見せかけていたのか」
「実際に死んだのはチェ・ヨンウン・・・妻の親戚だがね。誰にも言わなかったおかげで、やっと復讐を果たすことができたよ」
「復讐・・・まさか、いや」
僕はその言葉に戦慄が走った。
「そのまさかだよ。ミナの脳に時々リンクして、ずっとチャンスを狙っていたのさ。今回、海賊共の侵入という最高のシチュエーションに恵まれたので、奴らから奪い取った銃でジュリアに致命傷を与えてやったよ」
「ふざけるな! ユンソン、許さんぞ!」
降ろしていた銃をユンソンに向けて構えた。だが、目の前にいる人間はミナそのものだ。
「おっと、私はここにはいない。生身の電神としてコントロールされている時は、彼女の意識はない・・・つまり眠っているような状態だ。ジュリアを撃ったことも全く記憶に残っていない。」
そうだ、ジュリアを殺したのはユンソンの意思であって、支配下に置かれたミナの精神や肉体ではないのだ。僕は歯ぎしりした。
「友郎君、ミナを色々と助けてくれてありがとう。父親として大いに感謝しているよ。ここまで赤裸々に真実を話したのは君に対する最高の信頼、そして御礼の証だと受け取ってくれたまえ」
「だまれ! 娘を使わず正々堂々と僕の前に現れたらどうだ」
ユンソンはミナの欠けた左手の薬指を残念そうに撫でていた。
「最後に取って置きの情報を君に伝えよう。今回の海賊掃討作戦で〝淡路〟が魚雷を喰らって大きな被害が出たのは、実はシンニフォン国代表、植月社長の計画通りなのだ。ヒントは社長の娘サヤカと君がよく知っているラスカーズだ」
「何を言っているんだ、ユンソン! 家族に生きていることを伝えないのか」
「さらばだ、友郎君。いつか再会する時を楽しみにしているよ」
「待ってくれ、まだ訊きたいことが山ほどあるんだ」
「・・・」
ミナは小さなくしゃみをした。そして、しばらく周囲を見回した後、自分の姿を見て仰天した。上半身裸で、ほぼ胸を露わにしている。彼女は目の前にいた僕の頬を力任せに平手打ちした。
「ちょっと、いつの間に部屋に連れ込んだの? しかも服を脱がすなんて油断も隙もないわ!」
僕は銃を慌てて隠すと、左腕で鼻血を拭いた。
「ブ、ブラが取れて全部出ていますよ」
「見ないで!」
彼女は服を掴んで逃げ出した。もう大人なのに随分と騒ぎ過ぎだ。
ユンソンは既にミナとリンクを切断したようだ。コンタクト・ドライブ・システムと同様に考えると、世界のどこから通信しているのか全く分からない。彼が同システムの発明者ならば、ジュリア方式より優れている可能性もあり、性能は未知数である。
それにしてもミナの脳に細工がしてあることは、なぜ今まで気付かれなかったのだろう。おそらく生体パーツで構成されているBMIと思われるが、CTやMRIでは描出されなかったのか。彼女のコンタクト・ドライバーとしての優れた才能と資質は、脳改造と何か関係があるのかもしれない。
「トモロー・・・」
ミナがバスタオルを巻いて部屋の隅から戻ってきた。
「私に何かした?」
「いや、何も。全然覚えていないのか」
「私、時々無意識の内に行動することがあるの。気が付くといつの間にか知らない場所にいたりして、その間の記憶は全くないの。ついこの前の戦いの時もラスカーズを捜しに行ったはずなのに、いつの間にか海賊船に乗せられていたり、本当に訳が分からない」
「ミナ、君まだ僕に言っていない秘密があるんじゃないのか?」
「・・・何のこと」
彼女は父親に脳を改造されたことを決して言わなかった。固く口止めされているのか、或いはユンソンが秘密裏に行ったことなのか、正直よく分からない。
「ごめん、それより君の父親は生きているよ。僕には分かる」
「え! 誰からの情報?」
彼女はやっと僕に笑顔を見せてくれた。
本名は分からないがチェ・ユンソン、いつか必ず追い詰めてやる。ミナのためにも・・・たとえ世界の果てに潜んでいようとも。
僕はその時、拳を握り締めて密かに決心した。
「トモロー、さっきは叩いたりしてごめんなさい。私・・・」
ミナはバスタオル姿のまま僕のベッドに座った。
「いや、どうしたんだい」
「何の心の準備もないまま、その・・・気が付けばいきなり裸になっていたので、少し動揺しちゃったの」
「へ?」
「トモロー、私のこと好き?」
「ああ、好きさ」
もしや、この展開は・・・
「私のこと、一人の女性として愛してくれるのなら、・・・いいのよ」
薄明かりに照らされた美しい彼女の精神は現在、間違いなくミナだろう。
恥じらいを帯びながらも、確かに小声で言ったのだ。
「抱いていいのよ」
僕は今夜二度目の誘惑に目が回りそうになった。
左腕でしっかりと保持されたバスタオルが少しはだけ、すらりと伸びる白い両足の根元が今にも見えそうになる。
ベッドから立たせると邪魔な布をゆっくりと取り払い、全てを露わにした。彼女を味わい尽くしたい衝動に駆られる。
「ミナ・・・」
彼女の気持ちは受け取った。僕は遂に耐えきれなくなり、彼女を両腕で力一杯抱き寄せてしまった。
今度はお互いにしっかりと目が合った。もう言葉は必要ない。僕等は唇を重ねると、まるで一つの生命体として融合を求め合うかの如く、いつまでも離れることはなかった。
顔を上げるとミナはぐったりとして全身の力が抜け、そのまま後ろのベッドに倒れ込んでしまった。
もはや体を隠すことも、目を開けることさえもできないようだった。
僕は枕カバーを掴んだミナの欠けた薬指が視界に入った時、冷静さを取り戻した。
「どうしたの?」
ミナが心配そうに訊いてきた。
僕は意を決して告白した。
「実はさっき君の父親と会話したんだ」
「一体どうやって?」
「君の脳を介してさ」
「・・・ユンソンは、父は、やはり・・・」
彼女は目に涙を溢れさせた。
「まだ幼い頃、困っていた父を助けるため私は頭の手術を受けたの」
「もういい」
「それが何だったのか今でも分からない」
僕は横になった彼女の首に手を回し抱き締めるしかなかった。
「生きていることが分かったんだ。いつか会えるかもしれない」
「そうね、オーストラリアの家族にも伝えることができるかしら」
「・・・そうだな」
僕はミナがジュリアの死に関する真実に触れた時どうなるか不安に思う。
この秘密を守るために、僕は今後全力を尽くさねばならない。
幸い調査委員会の連中の能力では辿り着けそうにないと思う。
だが、油断してはならない。いつか勘のいい人物が現れる可能性は十分にある。
ユンソンは抜け目ないので、自分の娘を窮地に陥れるような証拠は一切残していないだろう。時々リンクして彼女の周辺の様子を伺っているのかもしれない。
「おはよう!」
あの日以来、こういったミナの言葉も本当に彼女が口にしているのか、それともユンソンが言わせているのか考えるようになった。
僕はいつもユンソンに監視されているのだろうか、とても気になる。
そう考えると彼女に近付くのは難しいじゃないか。
いっそのこと全く何も知らない方が幸せだったのかもしれない。
―ユンソンめ!
ミナの脳に存在するBMIのことも秘密にしなければ・・・
おそらく手術で簡単に取り除くことも難しいのだろう。彼が死亡するか、逮捕してリンクを永久に切らなければ、彼女は本当の意味で自由な人間になれないのでは。
逆に考えれば、いつでも自分の娘と一緒にいるおせっかいな父親・・・
守り神のように、いざという時には彼女のピンチを切り抜けさせるのか。
「私を彼女にして付き合いたければ・・・」
「ユンソンをとっ捕まえて、締め上げるしかないな」
「やっぱり?」
二人だけの世界を共有できた。
僕達はもう、孤独ではなくなった。




