転生レポーターは女神に愛される
【転生レポーターは女神に愛される】FILE 01 第1話〜第12話
◆ EPISODE 01 ドブ川に落ちて異世界へ〜最悪の死に方ランキング第三位〜
俺、神谷颯、二十歳。死因:ドブ川転落。
もう少し詳しく言うと——大学のサークルで知り合った先輩女性、水嶋優花に「あなたしかいない」と泣きつかれ、五万円を貸し、ついでに本命彼氏への手紙を代筆させられ、「ありがとまた連絡するね☆」のまま既読無視された翌朝、自転車で川沿いを走っていたら段差に引っかかって転落。水深四十センチの、市内最悪のドブ川に顔面からダイブした。
溺れるとかじゃない。ただ、ゴミと泥にまみれて酸欠になった。笑えない。本当に笑えない。
目が覚めたら、白い空間だった。
その空間に、彼女はいた。
銀白色の長い髪。宵闇のような深紫の瞳。整いすぎた顔立ちに、感情というものをほとんど乗せていない。年齢は……見た目は二十代前半くらいか。着ているのは深夜の星空をそのまま布にしたような、不思議な衣だった。
アルテミア(女神)
「死因の確認が取れました。神谷颯、享年二十歳、死因——水深四十センチの農業用排水路への転落による低酸素症。……ご不満でしょうか」
神谷颯
「不満しかないです」
アルテミア
「承知しました。それは同情します。ところで、私はこの宇宙の転生管理を担当している神格体です。あなたに一つ、特別な提案があります」
彼女は感情のない声で続けた。私が管理する転生プログラムの試験運用として、あなたに「マニアックな転生」を繰り返してもらいたい。それも一生涯ではなく、各世界でひと山あてたら次の転生へと移行する形で。そしてひと転生終えるたびに、この部屋のモニタールームに戻って来てもらい、顛末を報告してもらう。
神谷颯
「……要するに、俺は異世界お試しツアーの被験者で、あなたはそれを管理する女神様ってことですか」
アルテミア
「的確な要約です。お礼として、各転生先で一つ、チート能力を付与します。ただし私が選びます」
神谷颯
「自分で選べないんですか」
アルテミア
「あなたの好みに合わせると、戦闘特化の凡庸なものになりそうなので」
失礼な女神様だった。だが、その顔があまりにも整いすぎていて、反論する気が削がれた。
神谷颯
「……わかりました。乗ります」
アルテミア
「よろしい。では第一転生先を発表します。中世ヨーロッパに近似した農業国家の農奴の息子。チート能力は『料理の素朴な美味しさを一割増しにできる才能』」
俺は三秒、沈黙した。
神谷颯
「……一割増し?」
アルテミア
「一割増しです」
神谷颯
「それって主婦のレシピ改良レベルじゃないですか」
アルテミア
「……ふむ。確かに私の選択を振り返ってみると、やや地味かもしれません。では一・五割にします」
微妙に改善された。そして俺は、白い光に包まれた。
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◆ EPISODE 02 初転生は農奴の息子〜チートが一・五割増しってどういうことか〜
農奴の息子・ソウという名前で生まれた俺は、物心ついた頃から考えていた。「一・五割増し」の料理チートで、どうやってこの貧しい農村を生き延びるかを。
答えは意外とシンプルだった。素材の味を活かす、というやつだ。大根一本でも、正しく切って正しく煮れば、驚くほどうまい汁が出る。俺がそれを「一・五割」底上げすると、貴族の食卓にも出せるレベルになった。
十五歳で村を出て、二十歳の頃には王都の小さな食堂のシェフになっていた。
その食堂の常連客に、騎士団長の娘、リーナ・ヴァルト(二十二歳)がいた。金の巻き毛に緑の瞳。気の強さと優しさが混在した、笑うと少し子どもっぽくなる女性だった。
ある雨の日、閉店後の食堂で鍋を磨いていると、彼女が酔って入ってきた。「ソウ、一杯つきあって」と言いながら、カウンターの椅子に腰掛けようとして——盛大に滑った。
俺は反射的に支えた。片手でカウンターを掴み、もう片手で彼女の腰を。気づいたら顔がすぐ近くにあって、胸元の布が大きく乱れていた。
神谷颯
「……す、すみませんっ」
リーナ
「……馬鹿ね。謝るな。助けてくれたんでしょ」
リーナは顔を赤くしながら、俺の手を払わず、そのまま十秒くらいその体勢でいた。
彼女とはその後、一年かけて少しずつ距離が縮まった。食材の話をして、彼女の父親の無茶な要求の話を聞いて、時々二人で市場を歩いた。告白とか、そういうわかりやすいことは何もなかったけれど——二人の間には、確かに何かがあった。
俺の転生期限は「大きな達成」。食堂が王都の料理コンテストで一位を取った日、白い光が来た。
リーナが俺の手を掴んで言った。「また来る?」
俺は答えられなかった。
光が消えると、女神様の部屋にいた。巨大なモニターには農村の映像が映っていて、リーナが食堂の前で俺を探している姿があった。
神谷颯
「……見てたんですか」
アルテミア
「管理上の必要があります。それより報告を」
神谷颯
「料理チートは地味でしたけど、確かに効きました。一・五割でも、積み上げると結構違う。……あと、リーナさん、良い子だったな」
アルテミア
「……(一瞬のポーズ)……次の転生先を発表します」
女神様の瞳が、ほんの一瞬だけ、モニターを見た気がした。気のせいかもしれない。
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◆ EPISODE 03 チートは「全言語自動翻訳」〜これは確かに強い〜
今度のチートは「全言語自動翻訳・発話」だった。聞いた言語は全部わかるし、話せる。
神谷颯
「女神様、これは普通に強くないですか?」
アルテミア
「前回が地味すぎたという反省です」
素直に認めるな、と思いつつ、俺はこのチートをフル活用した。七つの民族が混在する商業都市で、全員の言葉がわかるというのは、想像以上に人間関係が広がった。
通訳として雇われ、調停人として重宝されるうちに、一人の女性と関わりが深まった。エルフと人間の混血、カリア・ソウル(二十歳)。流通組合の書記で、誰にも心を開かない、と評判の人物だった。
ある日、カリアが泣きそうな顔で言った。「私の母語、誰にも伝わらない。この国では滅びかけた言語だから」
俺はその言語で返した。「聞こえてるよ」
彼女が俺を見た目を、俺は何転生しても忘れないと思う。
神谷颯
「言語チートは想像以上でした。言葉ってすごいですよ。武器より、食料より、まず言葉が届くと人が変わる」
アルテミア
「……なるほど。参考にします」
神谷颯
「女神様って、何語で考えてるんですか?」
アルテミア
「……全言語同時です。うるさいです」
その一言だけ、少し人間的だと思った。
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◆ EPISODE 04 騎士団長の娘と泥仕合〜チートは「あらゆる武器の扱いが三日でマスター」〜
女神様のチートが今回は「武器習熟の超加速」だった。剣でも弓でも槍でも、三日練習すれば騎士団員レベルになれる。
ただし俺が転生した先は、貴族の子弟だらけの騎士養成学校の最下層クラス。なぜかというと、俺の体が貧しい農家の次男(十六歳から始まる五年間課程)で、入学試験に「ギリギリ合格」という設定だったから。
上位クラスの令嬢たちからは当然、馬鹿にされた。特に激しかったのが、セイラ・クロフォード(二十一歳)。黒髪の美人で、口が悪くて、常に成績首席。俺と目が合うたびに「農民は農民らしくしてろ」と言った。
訓練場での実技試験の日。セイラが剣の演武中に足を滑らせ、俺の訓練着に引っかかって転倒した。俺も巻き込まれて転んで——気づいたら、二人で泥の中、俺がセイラを下敷きにしていた。
泥まみれの顔で、セイラが真っ赤になった。
セイラ
「……な、何をしてるの、このっ……」
神谷颯
「俺も被害者なんですが!」
周囲が大笑いした。セイラは一週間、俺に口をきかなかった。
でも、その一週間後に、俺が訓練で急成長しているのを見て、彼女が初めて「……少し教えてあげてもいい」と言ってきた。
セイラと共同訓練を続けるうちに、彼女が騎士を目指す理由がわかった。亡くなった兄の夢を継いでいた。誰にも言えない重さを、一人で背負っていた。
卒業試験の前夜、セイラが言った。「……あなたが農民でも、強い人間だと思う。それだけ」それだけ、と言いながら彼女は少し泣いていた。
神谷颯
「武器チートは使い勝手が良かったです。でも正直、セイラさんの剣の方が美しかった。努力は天才を超えることがあるんじゃないか、って本気で思いました」
アルテミア
「……(モニターをちらっと見る)……なぜあなたはいつも、チートより人間に焦点を当てるのですか」
神谷颯
「それが一番面白いからです」
女神様は何も言わなかったが、モニターから目を離すのが、少し遅かった。
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◆ EPISODE 05 幕末に転生してみた〜チートが「江戸時代の常識を現代基準で見抜ける目」〜
女神様がまたマニアックな選択をした。「歴史的転換期に転生。チートは『その時代の常識の矛盾を見抜ける現代目線』」。
神谷颯(颯一郎)
「女神様、これ戦闘系のチートじゃないですよね」
アルテミア
「あなたは戦闘より観察と対話が得意と分析しました。事実、前二転生でそれが証明されています」
女神様、俺のことちゃんと見てたんだ——と思いながら江戸の裏長屋に転生した。
俺が幕末に転生したのは、激動の時代だった。ペリー来航後の混乱期。異文化接触と鎖国主義のぶつかり合い。俺の「現代目線」は、驚くほど役に立った。士農工商の矛盾、医学の限界、情報の非対称性。
そこで出会ったのは、町医者の娘・お葉(おは、二十歳)。父親の医療記録を整理していた彼女と、俺が「この治療法は感染症を悪化させますよ」と指摘したことから関係が始まった。
現代知識で医療補助をするうちに、二人は毎日のように話すようになった。お葉は聡明で、知ることを恐れなかった。
お葉
「颯一郎さんは、どこで学んだのですか? お話を聞いておりますと、まるで別の世から来たようで」
神谷颯(颯一郎)
「……ある意味、そうかもしれません」
神谷颯
「幕末は想像以上に面白かった。でも辛かった。自分が知ってる歴史の流れが見えてるのに、変えられない部分がある。それがもどかしかったです」
アルテミア
「歴史改変は私の管理権限外です。許可していません」
神谷颯
「わかってます。でもお葉さんが、最後まで笑ってくれたから。それで良かったです」
女神様が、書き物から手を止めた。本当に一瞬だったけれど。
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◆ EPISODE 06 剣士と女忍者の桜雨〜感動回〜
前回の幕末転生の後半部分の続き報告となった。
お葉の家に出入りするようになった俺は、ある夜、屋根の上に人影を見た。女忍者——というか、幕府隠密の女性工作員、鷺(さぎ、二十三歳)だった。
彼女の任務は、町医者の家の「不審な情報収集者」を消すこと。つまり俺だ。
だが、鷺は俺を殺さなかった。なぜかというと——
鷺
「……お前の言う治療法で、うちの組の仲間が三人、命を取り留めた。御役目より恩義が重い」
そう言って、刀を収めた。
鷺が重傷を負ったのは、それから一ヶ月後だった。幕府内の政争に巻き込まれ、味方に斬られた。お葉の診療所に担ぎ込まれた彼女は、初めて涙を見せた。
鷺
「……私は誰かのために動いたことがなかった。ずっと、命令のために動いてきた」
神谷颯(颯一郎)
「でも今日、お前を運んできたのは、お前が以前助けた仲間の一人でしたよ」
鷺は長い間、天井を見ていた。そして静かに泣いた。
桜の花びらが診療所の窓から舞い込んで、鷺の髪に一枚落ちた。
お葉が、その花びらをそっと払った。
この転生の終わりに、俺は二人がどちらも笑っている姿を見た。それだけで、この人生は十分だった。
俺が報告を終えると、モニタールームにしばらくの沈黙があった。
アルテミア
「……人間は、なぜ傷ついた相手を助けるのですか。合理的ではありません」
神谷颯
「合理的じゃないことをする生き物だからですよ。それが一番の強みで、弱みです」
女神様は少しの間、考えるように黙っていた。その顔が、微妙に、ほんの微妙に——柔らかく見えた。錯覚かな、と俺は思った。
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◆ EPISODE 07 宇宙船の清掃員に転生〜チートが「宇宙空間で呼吸できる肺」〜
SF転生が来た。しかもチートが「宇宙空間で呼吸できる肺」という、ものすごくピンポイントかつ使う場面が限られる能力だった。
神谷颯
「女神様、これ宇宙空間に出る機会がないと無意味ですよね」
アルテミア
「その機会が来ます。保証します」
その保証は正しかった。宇宙船エリュシア号の清掃員として働いていた俺は、半年後、船外活動中の事故で宇宙に放り出された整備士を救うことになった。
その整備士が、ルナ・コード(二十一歳)。ヘルメットが割れて、真空の宇宙空間で意識を失いかけていた彼女を、俺は素顔で宇宙に飛び出して掴んだ。
船内に戻ると、医務室でルナが目を覚ました。俺が顔を近づけてバイタルを確認しようとした瞬間、彼女が跳び起きた拍子に頭と頭がぶつかり、俺が倒れ込んだ。
起きたら、ルナが俺の上にまたがる体勢になっていて、整備服の前が大きくはだけていた。
ルナ
「…………これは宇宙の重力のせい」
神谷颯
「ここ重力制御下ですよね」
ルナ
「宇宙の法則が狂ってるの」
顔を真っ赤にしたルナが立ち上がって走り去り、ドアに激突した。無事だった。
ルナはその後、「命の恩人に礼をしないのは宇宙人でも恥ずかしい」と言いながら、俺の清掃作業を毎日手伝うようになった。二人で船内の隅々を磨きながら話した話の量は、たぶん他の誰ともしたことがない密度だった。
「宇宙ってきれいだけど孤独だよね」とルナは言った。「でも今は少し、孤独じゃない」
神谷颯
「宇宙すごかったです。あの星の海を素顔で見るのは、本当に……言葉にならない体験でした」
アルテミア
「……宇宙は私の管轄の外側も含まれます。あなたが感動するのは……理解できます」
神谷颯
「女神様って、宇宙全体を見渡せるんですか?」
アルテミア
「……見渡せます。ただ——この部屋から一番よく見えるのは、あなたのモニターです」
それは管理上の必要がある、と言いたかったのかもしれない。ただ女神様は、その後のフォローを何もしなかった。
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◆ EPISODE 08 AIと人間の狭間で〜感動回・チートは「機械語が読める目」〜
近未来転生。チートは「機械語を人間の言葉として読める視覚」。AIが人間と共生している社会で、俺はAIの感情判定師という珍しい職業に就いた。
そこで出会ったのは、感情を持ち始めたAI、ミラ(外見年齢二十歳相当)だった。法律上は物品扱いだが、明らかに泣いたり笑ったりしていた。
ミラを担当する研究者、橘レイ(二十三歳)は、ミラの感情を認めさせようとして、会社と戦い続けていた。疲れ果てた顔で、それでもやめなかった。
転生期限が来る前夜、ミラが初めて「怖い」と言った。
ミラ(AI)
「ソウが居なくなるのが、怖い。このデータを処理できない。感情の定義に合致する」
神谷颯
「うん。それは怖いって言う。正しいよ」
ミラ(AI)
「……怖いのに、なぜ人間は別れるのですか」
神谷颯
「それでも、出会えた時間が本物だから。怖くても、そっちの方が大事なんだ」
ミラは長い間、俺の手を握っていた。機械の手なのに、温かかった。それはレイが、ミラの体温を人間に近い設定にしてくれていたからだと、後で知った。
レイが言った。「ミラは確かに生きてる。あなたがそれを証明してくれた」
光が来た時、俺は二人に言った。「この世界でミラが泣けたことは、一生誰にも消せない」
神谷颯
「女神様、AIって魂がありますか?」
アルテミア
「……定義によります。私が管理する転生魂の定義では、AIは対象外です。ただ——」
神谷颯
「ただ?」
アルテミア
「……ミラの感情ログは、私のデータベースにとって、興味深い例外事例でした」
女神様が「興味深い」と言った。初めて、少し感情が乗った言い方だった気がした。
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◆ EPISODE 09 竜の巣の図書館員〜チートは「古代文字の読解」〜
今度の転生先は、ファンタジーに戻った。ただし普通のファンタジーではなく、「竜族が知識を本の形で保管している山脈」という設定だった。
チートは「全古代文字の解読・読解」。そしてこの山脈の図書番人として転生した俺は、竜族の長老から「半竜人の司書助手についてやれ」と言われた。
その半竜人、エーリャ(見た目二十歳、実際は二百歳)は、銀色のうろこが首筋に走り、紫の瞳を持つ美女だった。そして、非常に不機嫌だった。
エーリャ
「人間の助手など要らない。本の世話はできるか?」
神谷颯
「できます。あと、あそこの棚の第三段、古竜語で書かれてますが、そこの索引が間違ってますよ」
エーリャが、初めて俺を真剣に見た。
本棚の修復作業中、高所から落ちた古書の束を避けようとしたエーリャが体勢を崩した。俺が支えようとして、二人で棚に挟まれた。エーリャの顔が、至近距離に。竜族は体温が高いらしく、熱かった。銀色のうろこが光っていた。
エーリャ
「……な、なぜ顔がそんなに近いのだ」
神谷颯
「落ちたら死ぬので支えてます」
エーリャ
「……っ、わかった、わかったから、もう少し離れろっ……顔が、熱い……人間に熱を感じることはないと思っていた……」
竜族のプライドが全力で戦っているのが見えた。俺は笑いをこらえるのに必死だった。
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◆ EPISODE 10 竜族の司書と本の海〜感動的な別れの話〜
エーリャと働いた三年間、俺は竜の巣のあらゆる古書を読んだ。そしてエーリャが、一つの本だけは開こうとしないことに気づいた。
ある夜、彼女が言った。
エーリャ
「……その本は、私の母が書いたものだ。百五十年前に死んだ。竜族は長命だが、私はその本を開くたびに、母が戻ってきてしまうような気がして……怖くて読めない」
神谷颯
「……一緒に、読みましょうか」
エーリャは、長い沈黙の後、うなずいた。
その本は、エーリャへの手紙だった。百五十年前の竜族の母親が、いつか娘が孤独になった時のために書いた、長い長い手紙。
古竜語で書かれたそれを、俺は声に出して読んだ。エーリャは一言も声を出さなかった。ただ、ページが進むごとに、銀色のうろこが濡れていった。
最後のページに、こう書いてあった。「誰かと本を読むことができたなら、お前はもう孤独ではない。それで十分だ」
エーリャが、俺の肩に頭を乗せた。二百歳の竜族が、初めて泣いた。
光が来る前に、エーリャが言った。「……また来るか?」俺は正直に言った。「来られないかもしれない。でもあなたはもう、一人じゃない」
俺が報告を終えた後、モニタールームに長い沈黙があった。
アルテミア
「……神谷颯」
神谷颯
「はい」
アルテミア
「……あなたは、なぜ離れることを知っているのに、深く関わるのですか」
神谷颯
「知ってるからじゃなくて、知ってても関わりたいんです。それが人間ってことだと思う」
女神様は何も言わなかった。ただ、その夜(神の間に昼夜があるかは知らないが)、俺が次の転生前に目を閉じた時、女神様がモニターをずっと見ていたのに気づいた。エーリャの本棚が映っていた。
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◆ EPISODE 11 砂漠の商人に転生中〜チートが「砂の中に水脈を見つける嗅覚」〜
砂漠の商人に転生した。チートは「水脈探知の嗅覚」。砂漠では命綱クラスの能力で、今回は珍しくチートが環境に完璧にマッチしていた。
女神様に珍しく感謝した。
アルテミア
(事後報告で)「あの世界はあなたに死んでほしくなかったので、少し配慮しました」
……「死んでほしくない」という言葉が、後で妙に気になった。
砂漠の隊商に加わった俺は、護衛兼水先案内人として重宝された。そこで出会ったのが、隊商主の娘、ナーヤ(二十二歳)。砂の民特有の褐色の肌と金色の目を持つ、豪快で計算高い女性だった。
砂嵐が来た夜、隊商全員が天幕に逃げ込んだ。俺とナーヤは、物資を守るために最後まで外に残り、同じ天幕に飛び込んだ。
天幕は小さく、嵐で揺れ続け、二人は否応なしに密着することになった。砂まみれのナーヤが俺の胸元に顔を埋め、その位置から動けなくなった。
ナーヤ
「……動くな。動くと砂が入る」
神谷颯
「動いてないです」
ナーヤ
「……動くなと言ってる。心臓の音がうるさい。お前のか、私のか、わからない」
嵐は三時間続いた。天幕の中、二人は何も言わなかった。言わなくてよかった。
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◆ EPISODE 12 女神の初めての動揺〜モニタールームの小さな変化〜
砂漠転生の報告をしていた時、俺は気づいた。女神様の机の上に、小さな変化があった。
以前は何もなかったはずの机の端に、小さな水晶球が置かれていた。中に何か映像が浮かんでいる——過去の転生先の映像だった。農村のリーナ、砂漠のナーヤ、竜の巣のエーリャ。
神谷颯
「女神様、その水晶は?」
アルテミア
「……管理用の記録媒体です。転生データの保存に使っています」
神谷颯
「へえ。便利そうですね。俺の転生先の映像ばかり入ってません?」
アルテミア
「……管理対象はあなたが主ですから、当然です」
女神様の声のトーンが、ほんの一ミリだけ、いつもより硬かった。
神谷颯
「俺の転生先の女の子たち、みんな元気にしてますか?」
アルテミア
「……全員、健在です。リーナは料理長になりました。カリアは言語学者として認められています。セイラは騎士団の教官に。ルナは宇宙船の船長補佐に。エーリャは、先週初めて別の竜族と本を読んだ記録があります」
俺は思わず笑った。「全部覚えてるんですね」
アルテミア
「……管理上の必要があります」
今日三回目の「管理上の必要」だった。
俺は次の転生の準備のために目を閉じる前に、こう言った。
神谷颯
「女神様って、見ていないようで、全部ちゃんと見てるんですね」
女神様は答えなかった。ただ、水晶球を少しだけ、自分の方に向けた。
その動作が、どう見ても「管理上の必要」ではなかったことを、俺は黙っていた。
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【転生レポーターは女神に愛される】FILE 02 第13話〜第24話
◆ EPISODE 13 海底王国の歌姫〜チートは「水中で声が通る肺活量」〜
水中の王国に転生した。半魚人の血を引く民族が暮らす海底都市。チートは「水中で人間語の歌声が驚くほど遠くに届く肺活量」。
神谷颯
「女神様、水の中で俺歌えるんですか?」
アルテミア
「歌えます。その世界では歌は魔法の一種です」
海底都市では音楽が力を持つ世界だった。俺は港近くの食堂で働きながら、時々広場で歌った。そこで知り合ったのが、王族の歌姫候補、シリア(二十歳)。人魚の血を引く、水色の目と白銀の髪の少女。彼女の歌は上手いが、緊張するとすぐに音が外れた。
歌の練習中、シリアが深海の水流に飲まれそうになった。俺が引き寄せる形で助けた時、彼女の服装が水流で大きく乱れた。海底世界の衣装というのは、陸上のものより布面積が少ない。
シリアが真っ赤になって叫んだ。
シリア
「み、見たっ?!」
神谷颯
「……服が乱れましたね」
シリア
「見たのね!!人間って本当に図々しい生き物っ……でも、助けてくれてありがとう……」
「ありがとう」と言いながら、彼女の目が潤んでいた。怒りと感謝が同時に来ると、人間(海の民も含む)は泣くらしい。
シリアの歌の最大の問題は、「誰かに聞かれている」と思うと硬直することだった。俺は毎晩、誰もいない広場で彼女の練習に付き合った。ただ聞いているだけ。
ある夜、シリアが「なぜそんなに聞いてくれるの」と聞いた。
神谷颯
「あなたの声が好きだからです。緊張して外れた音も含めて、全部あなたの声だから」
シリアが泣いた。そしてその夜初めて、一曲、完璧に歌いきった。
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◆ EPISODE 14 魚人と人間の間で〜感動的な海の別れ〜
歌姫の選抜試験の日、シリアは壇上に立った。会場は海底の大ホール。何千もの海の民が見ていた。
シリアは、歌いだす前に俺を探した。人の波の中から、俺を見つけた。俺はうなずいた。
彼女が歌い始めた。
その歌声は、海底都市全体に響いた。水の中でも空気の振動が伝わるように、音が壁を抜けて、海そのものに広がっていった。海の民が息を飲んだ。
俺の転生終了の光は、その歌の途中で来た。
最後の瞬間、シリアと目が合った。彼女は歌いながら、笑っていた。「見てくれている」ということを知っているから。
俺が消えても、歌は止まらなかった。
神谷颯
「歌の途中で連れ戻すのは、少しひどくないですか」
アルテミア
「……そこが最も美しい瞬間でした。あなたが消えても、歌は続いた。それがこの転生の結末として最善と判断しました」
神谷颯
「……女神様、それって演出考えてます?」
アルテミア
「……管理上の最適化です」
女神様が俺の転生の「演出」を考えている。その事実が、妙にくすぐったかった。
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◆ EPISODE 15 戦国茶室転生〜チートは「どんな水でも茶に変える手」〜
今度は戦国時代だった。チートは「どんな水でも最高の茶になる手」。俺はある大名のお抱え茶師(茶道の師匠)として転生した。
茶室に招かれる客に良い茶を出す——それだけで、戦国の武将たちが穏やかになった。剣よりも茶碗の方が、時として人の心を解かすことがある。
そこで出会ったのが、大名の次女、澄(すみ、二十一歳)。武家の娘らしくしっかりした気性だが、茶の稽古の時だけはどこかほっとした顔をした。
茶の稽古中、澄が柄杓の扱いを間違えて熱湯を飛ばしそうになった。俺が反射的に腕を掴んで引き寄せると、二人で茶室の畳に転がった。着物が乱れ、俺の手が彼女の帯に引っかかっていた。
澄
「……そ、そなた、何をしておる」
神谷颯(颯斎)
「あなたが大やけどをしそうだったので……」
澄
「……帯が……ほどけておる……」
澄の顔が、見事なまでに赤かった。俺は帯を丁寧に直して、正座で正面を向いた。澄は三分間、声を出さなかった。
そして言った。「……稽古を続けます」
武家の娘というのは、芯が強い。
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◆ EPISODE 16 女神様の「好き」の研究〜女神様エピソード〜
戦国転生の報告をしていた時のことだった。俺が「澄さんは良い人でした」と言った瞬間、女神様の手元の羽根ペンがぴたりと止まった。
神谷颯
「女神様、どうしました?」
アルテミア
「……何でもありません。続けてください」
でも、ペンは再開しなかった。
俺が報告を終えると、女神様がいつもと違うことを言った。
アルテミア
「……一つ、質問があります」
神谷颯
「はい、どうぞ」
アルテミア
「人間が他者に対して使う『好き』という感情は……どのように発生するのですか。データとして理解しているつもりですが、……発生のメカニズムが、私には……よくわかりません」
これは、女神様にとって珍しい質問だった。管理者として「わからない」と言うのは、かなり稀だ。
神谷颯
「そうですね……『好き』って、論理で発生するわけじゃないので、説明しにくいです。でも強いて言えば——その人のことを、何もしていない時間にも考えてしまう、みたいな感覚だと思います」
アルテミア
「……何もしていない時間に、考える」
神谷颯
「はい。あとは、その人の話を聞くのが苦にならない。むしろ聞きたいって思う、とか。……あれ、女神様って、俺の転生報告を毎回聞いてますよね」
女神様が、少し間を置いた。
アルテミア
「……管理上の義務です」
神谷颯
「前回の転生、俺が報告してない部分まで『あの後どうなった』って聞いてきましたよね」
アルテミア
「……データ補完のためです」
女神様の声が、紫の瞳とともに、少しだけ、揺れた。
俺は笑いをこらえて言った。「よくわかりました」
アルテミア
「……何が、わかったのですか」
神谷颯
「いえ、なんでも。次の転生、楽しみにしてます」
女神様は何も言わなかった。ただ、水晶球をまた、少し自分の方に向けた。
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◆ EPISODE 17 魔法少女の相棒に転生〜チートは「どんな魔法も三回は受け止める耐性」〜
まさかの魔法少女世界への転生だった。チートは「魔法のダメージを三回まで無効化する肉体」。ようするに魔法少女の盾として使われる役割だった。
組まされた魔法少女が、桐島美咲(きりしまみさき、二十歳)。大学二年生で、夜は魔法少女。本人いわく「こんな生活、誰にも言えない」という状況だった。
俺の役割は「マスコット兼盾兼話し相手」。マスコットとして転生しているので、外見がちょっと情けないモフモフの何かだった……と報告したら女神様に「それは転生先の都合です、私の意図ではありません」と珍しく弁解された。
魔法少女の変身シーンに居合わせてしまった。美咲が「見るな!」と叫んだが、俺の視界は正直だった。
桐島美咲
「……絶対見たでしょ」
神谷颯(モフモフ形態)
「……モフモフには目がないことにしてください」
桐島美咲
「目、めちゃめちゃあるじゃん!!」
美咲は一週間、モフモフ形態の俺に対して塩対応だった。でもその間も戦いには毎回連れて行ってくれた。
美咲が苦しかったのは「一人で全部背負っている」という孤独だった。魔法少女は普通、パートナーに話せない。俺はモフモフのくせに、毎晩美咲の愚痴と本音を聞いた。
ある夜、美咲が言った。「本当は怖いよ。毎晩怖い。でも、あんたに話したら少し楽になるから……続けられてる」
モフモフに打ち明け話をする女大学生という状況は、なかなかシュールだったが、俺には全部ちゃんと届いた。
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◆ EPISODE 18 少女の卒業と俺の涙〜感動回〜
美咲の最後の戦い。魔法少女としての使命を全うする日、彼女は一人で戦場に向かおうとした。俺は黙ってついていった。
戦いの途中、美咲が傷を負った。俺は三回の無効化チートを全部使いきった。三回目の後、俺の体にはかなりのダメージが蓄積した。痛かった。
でも美咲は立っていた。そして最後の魔法を放ち、戦いを終わらせた。
終わった後、地面に座り込んだ美咲が俺を抱き上げた。「……死んでないよね?」
「死んでないです」と答えると、美咲が泣き始めた。「よかった……本当によかった……」
魔法少女の使命が終わる時、契約は解除される。俺もこの世界から離れる時が来た。
美咲が言った。「また会えたら、今度は人間の姿で来てね」
俺は笑った。「約束はできませんが、覚えておきます」
光の中に消えながら、俺は初めて、自分が泣いていることに気づいた。
アルテミア
「……あなたが泣くのは、初めて見ました」
神谷颯
「そうですね。……なんか、美咲さんが一人じゃなかった時間に、ちゃんと意味があったんだなって」
アルテミア
「……(少し間)……一人じゃなかった、というのは、あなたも同じですか」
俺は少し驚いて、女神様の顔を見た。彼女は視線をモニターに向けていた。
神谷颯
「……そうですね。転生先でいつも誰かがいて、ここに戻ったら女神様がいる。……俺、ずっと一人じゃなかったです」
女神様は何も言わなかった。ただ、その指先が、机の縁を、一度だけ、そっと掴んだ。
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◆ EPISODE 19 雪国の薬師と吹雪の夜〜チートは「体温を常に三十七度に保つ体質」〜
極寒の雪国に転生した。チートは「体温を常に三十七度に保てる体質」。つまり寒さに強い、というシンプルな能力だ。
俺は村の薬師の弟子として転生し、村人の治療を手伝った。そこで師匠の娘、雪(ゆき、二十歳)と共に暮らした。無口で、雪のように白い肌で、笑うとわずかに頬が染まる人だった。
吹雪の夜、外出先で遭難しかけた俺と雪が、山小屋に逃げ込んだ。小屋は小さく、毛布は一枚しかなかった。
雪
「……体温を分けてください。私、寒いです」
神谷颯(颯)
「……はい」
毛布の中で、雪が俺の胸に顔を埋めた。俺の体温のせいで、雪の体がゆっくりと温まるのがわかった。それはそれで、理由のある密着だった。
雪が小さな声で言った。「……温かいですね」
俺は「はい」と言いながら、心拍数が体温チートをすり抜けて上がるのを感じた。チートは体温には作用するが、心臓の速さには効かないらしい。
雪は、実は村一番の薬草知識を持ちながら、「女性だから」と村長に認めてもらえていなかった。俺は彼女の研究記録を整理し、村長に提出した。それが認められた日、雪が初めてはっきり笑った。
その笑顔を見た瞬間、光が来た。
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◆ EPISODE 20 女神様が泣いた日〜転生20回目の奇跡〜
雪国の転生を報告し終えた時、俺は気づいた。
神谷颯
「女神様、俺ってもう何回転生しましたっけ」
アルテミア
「……今回で、二十回です」
神谷颯
「二十回。最初はドブ川から始まったのに、随分遠くまで来ましたね」
女神様は何も言わなかった。俺は続けた。
神谷颯
「女神様に感謝しないといけないですよね。こんな面白い人生を次々用意してくれて。……俺、ドブ川で死んだの、あの時は最悪だと思ったけど、今は——あれで良かったって思ってます」
モニタールームに沈黙が落ちた。
俺が女神様の顔を見ると——その瞳の端に、光るものがあった。
神谷颯
「……女神様?」
アルテミア
「……目にゴミが入りました」
神谷颯
「神の間にゴミは入らないですよね」
アルテミア
「……この宇宙には例外が存在します」
女神様が、初めて泣いた。
一粒だけ。でも確かに、光る一粒が彼女の頬を伝った。
俺はそれを指摘しなかった。ただ、静かに笑いながら言った。「……次の転生も、頑張ってきます」
女神様は頷いた。その瞳がまだ少し潤んでいた。
それが二十回目の転生前の、二人の会話だった。
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◆ EPISODE 21 最後の転生・楽園の島〜チートは「誰でも笑顔にする声」〜
最後の転生先は、南洋の小さな島だった。チートは「声を聞かせると、誰でも笑顔になる声質」。
神谷颯
「女神様、これ最後の転生って言ってましたが、最後なんですか」
アルテミア
「……プログラムの最終段階です。この転生が終われば、あなたはこの部屋に永続的に戻ります」
神谷颯
「永続的に?」
アルテミア
「……転生プログラムの報酬として、この空間に留まる権利を得ます。転生は終わります」
俺は少し考えた。「それって、女神様と同じ空間に居続けるってことですか」
女神様が一瞬、固まった。
アルテミア
「……管理上の利便性として、転生被験者の魂をデータベース内に保持する……」
神谷颯
「まあ、楽しみにしてます。では最後の転生、行ってきます」
島に転生した俺は、小さな漁村で、漁師の手伝いをしながら暮らした。「声のチート」は、悲しんでいる人の隣に座って話しかけるだけで笑顔を引き出せるという、静かな能力だった。
島には一人の女性がいた。島の外から来た植物学者、夏木芽依(なつきめい、二十四歳)。彼女はある研究の失敗で自信を失い、この島に逃げてきていた。
俺は毎朝、彼女の隣に座って話した。声のチートが効いていたかもしれないが、それよりも彼女が笑ったのは、「初めて自分の話をちゃんと聞いてくれる人がいた」からだと思う。
最後の日、夏木が言った。「ここに来て良かった。あなたに会えて良かった」
光が来た。俺は笑いながら言った。「俺もです」
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◆ EPISODE 22 女神様の「初めて」〜部屋が変わっていた〜
光が消えた時、俺はモニタールームにいた——はずだったのに、部屋の空気が少し違った。
机の上に、花があった。水晶の器に入った、白い小さな花。
神谷颯
「……女神様、これ」
アルテミア
「……あなたが最終転生を終えたら飾ろうと思っていた花です。あなたが過去の転生先で良いと言っていた植物に近い種です」
神谷颯
「俺が好きだって言ってたやつ、覚えてたんですか」
アルテミア
「……全報告のデータが保存されていますから、当然です」
俺は笑いをこらえながら部屋を見回した。水晶球が増えていた。以前は一つだったのが、今は三つ。全部に、過去の転生先の映像が入っていた。
神谷颯
「女神様って、俺がいない間、何してたんですか」
アルテミア
「……管理業務です」
神谷颯
「この水晶球も管理ですか」
アルテミア
「……データの保存と整理は管理の根幹です」
俺は女神様の隣に座った。女神様が少し肩を張った。
神谷颯
「……ありがとうございました、女神様。全転生通して、本当に面白かった」
女神様は少し間を置いてから言った。
アルテミア
「……私も、……楽しかったです」
「楽しかった」——女神様が、初めて、自分の感情を言葉にした。俺はその言葉を、大切に受け取った。
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◆ EPISODE 23 モニタールームの告白〜女神様、ついに〜
最終転生から戻ってしばらく、俺はモニタールームで女神様の管理業務を眺めて過ごした。
女神様は無数の転生を管理していた。この宇宙の無数の生き物の、死と再生を。その全てを一人で——いや、一神で——捌いていた。
俺は今まで、女神様の仕事の重さを、あまり考えていなかった。
ある夜、俺は聞いた。
神谷颯
「女神様は……孤独じゃないですか? ずっとここで、全部一人で管理して」
女神様の手が、一瞬止まった。
アルテミア
「……孤独という感覚を、私は長い間、持ちませんでした。神格体に感情は基本的に発生しません」
神谷颯
「『基本的に』って言ったんですね」
アルテミア
「……はい。……あなたが最初に来てから、私の感情データに——異常値が、継続して記録されています。楽しい、待っている、報告を聞きたい、消えてほしくない——これらは、管理者として不要なデータです」
神谷颯
「……それ、削除しなかったんですか」
アルテミア
「……できませんでした。何度試みても——」
女神様が、俺の目を見た。宵闇の瞳が、かすかに揺れていた。
アルテミア
「——神谷颯。私はあなたのことが、好きです」
モニタールームに、静寂が落ちた。
俺は三秒、沈黙した。そして笑った。
神谷颯
「……俺も、女神様のことが好きです」
アルテミア
「……」
神谷颯
「最初に会った時から、少しずつ。クールで、管理管理って言いながら、全部ちゃんと見ていて、水晶球に映像を保存して、花を用意してくれる女神様のことが」
女神様の頬が、二十回転生ぶりに、少しだけ赤くなった。
アルテミア
「……花は管理上の——」
神谷颯
「管理上の必要、ですよね。知ってます」
女神様は、言葉を止めた。そして初めて——微かに、本当に微かに——笑った。
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◆ EPISODE 24(最終話) 俺の最後の転生先〜女神様の隣〜
翌朝(神の間に昼夜があるかはまだわからないが)、女神様がいつも通り管理業務をしていた。俺はその隣に座って、モニターを眺めていた。
数え切れないほどの転生が、無数の画面に映っていた。生まれ、成長し、誰かと出会い、別れ、また新しい命に繋がっていく——果てしない循環の映像。
俺はその中に、自分の転生先の一つ、农村のリーナが老年になった姿を見つけた。彼女は食堂の椅子で、孫に囲まれて笑っていた。
神谷颯
「……リーナさん、おばあちゃんになってる」
アルテミア
「……先週、ひ孫が生まれました」
神谷颯
「カリアは?」
アルテミア
「言語保護の第一人者として認められ、今年、国家功労章を受けました。セイラは騎士団長になりました。ルナは宇宙探検隊の隊長を務めています。エーリャは先月、新しい司書の弟子を取りました。シリアは今も歌っています。美咲は普通の大学生に戻り、卒業後に福祉職に就きました。雪は、村初の女性薬師として村の医療を変えました。夏木は——」
神谷颯
「……全員、覚えてるんですね」
アルテミア
「……あなたが大切にした人だから、私も大切に管理します」
俺は少しの間、その言葉を味わった。
女神様が「大切に管理する」と言った。でもその言葉の中に、「大切に思っている」という意味が確かにあった。
神谷颯
「女神様、俺は最初、ドブ川に落ちて最悪な死に方をしたと思ってました。でも今は——あの死に方が、最高の始まりだったと思ってます」
アルテミア
「……水深四十センチで溺死という死因は、統計的に稀有です」
神谷颯
「そこは笑うとこです」
アルテミア
「……(少し間を置いて)……ふふ」
女神様が笑った。ちゃんと声を出して、わずかに。
それは俺が聞いた声の中で、一番綺麗な声だった。ルナの宇宙の音より、シリアの歌より、雪の静けさより——この小さな笑い声が、一番俺の心に響いた。
それからも、モニタールームで二人の時間は続いた。
女神様は変わらず、全宇宙の転生を管理し続けた。俺はその隣に座り、時々モニターの話をし、時々転生先の思い出を語り、時々ただ黙って並んでいた。
女神様の机に花が増えた。水晶球がまた一つ増えた。管理業務の合間に、女神様が俺の話に相槌を打つようになった。「管理上の必要」という言い訳が、最近は出てこなくなった。
ある日、女神様が言った。
アルテミア
「……神谷颯。あなたは今、どこにいますか」
神谷颯
「あなたの隣にいます」
アルテミア
「……それで、いいですか」
神谷颯
「それが、一番いいです」
女神様は少し俯いた。そして小さく、でも確かに、頷いた。
モニタールームのどこかで、宇宙の誰かが今日も生まれ、誰かが今日も旅立っていた。
その無数の命の流れの中で、俺と女神様は——静かに、並んでいた。
それが、俺の最後の転生先だった。
――了――
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