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短編No.01-20

No.07 チャンスの神様

作者: 藤夜 要

 最初にあいつが気になったのは、生徒総会で隣同士の席になった時だった。

 あいつは、誰もが嫌がる整美委員の副委員長で、オレは応援団の副団長。何で役員の席順がその順番だったのかは判らないけど、とにかくあいつが突然オレの議事録に落書きを始めたんだ。

『宮下って、望月の彼女って、ホント?』

「はぁ?!」

 し、しまった……っ、斜め手前の保健委員長が活動計画を読み上げてる最中だった。

「宮下ー、私語はやめろー」

 マイクにオレの声が思い切り入ってしまって、いきなり先生に怒られた。……ちっ。

 (てめ、こら雅之っ、お前の所為だかんなっ!)

 オレはあいつの議事録に、そう落書きをし返してやった。あいつはそれを、椅子の背もたれにもたれ、反り返った恰好のまま、見下すように黙読すると、人の顔を見て「にやっ」としやがった。

 その「にやっ」に……や、やられた……ちくしょ……。


 総会が終わり、役員で椅子と簡易机の片付けをしてる時、初めて雅之とまともに話した。クラスも違うしオレは部活に入ってないし。存在は知ってても喋った事は一度も無かったんだ。

「何でお前がオレの事知ってるんだよ」

 普通に疑問を口にしたつもりなんだが。奴は丸くてでっかいタヌキみたいなくりくりお目々を更に大きく見開いて、その後、馬鹿にした様に爆笑しながら言った。

「お前、全然気付いてなかったのかよ。書道教室、同じトコに通ってるじゃん」

「嘘、マジ?! オレ、全然お前見た事ねぇ!」

 オレ、誰かとつるむとかなかったから、教室の連中を眺めるなんてした事、ない。だから、雅之が同じ教室に通ってるなんて、今の今まで気付いてなかった。

 お互い、普段は制服だから気がついて無かったんじゃねーの、と雅之は苦笑して、んじゃ、後は宜しく! と巧みに片づけから逃げてった。

 呆然と見送るオレのところへ、女子がわらわらと集まって来る。

「ちょちょちょちょっと?! 綾乃、何で藤堂君と喋ってるの?!」

 は……?

「し、知らね。向こうが勝手に喋って来た」

「え――――っっっ?!」

 何だよ、おい……。

 オレはその後クラスの女子に、半ば無理矢理音楽準備室に軟禁された。




 どうもオレは愛だの恋だのに疎くって、雅之がそんなに人気があるなんて事に全然気付いていなかった。

 何でもあいつは全学年から人気があって、誰もが嫌う整美委員も、今年はどのクラスもくじ引きで決めたらしい。くじ引きで決めた理由が

『藤堂君も、くじ引きで整美委員に決まったから』

 というから、女子のその何でも一緒がいいのっ、っていう“つるむ”習性がすげー不思議。

 バスケ部のマネージャー候補が多過ぎて、顧問の先生はマネージャーは男子限定にしたんだとか。

 あんなタヌキ顔の何処がモテ系なんだ? と言ったら、全員から平手で引っ叩かれた。

 あいつのバスケのフォームが好きで、三年間ずっと応援団に所属した。でも、喋ったのは今日が初めてだ、っつってんのに、誰も信じてくれなかった。

「嘘よ。藤堂君が用も無く女子と喋るなんて、見た事なんかなかったんだから」

 よりによって総会の時にやらかしてくれたもんだから、目撃してた女子軍団が、狭いこの部屋に集まる集まる……。

「あのさー……オレだから、じゃないの、それなら」

 女と思ってないからダチ気分で喋ったんじゃないの、と答える事で、オレはようやく解放された。

「あ、そっか。そうよ、ねぇ~。よかったぁ~。綾乃が彼氏、とかあり得ないし」

 おい、それはそれで何気に結構傷つくぞ……。


 まあ、そんなこんなでオレはようやく解放されて、その日はどうにかそれで終わった。




「おぉ……ホントにいたよ……」

 次の日曜日、いつもの時間に書道教室に行くと、ホントに雅之がきったねえ字を書いていた。

「センセ、こいつっていつから此処に通ってたの?」

 先生に聞いたら、オレとほぼ同じ、小学校に上がってから、だって。全然気付いていなかった。

「お前、女の癖にそーいう言葉遣いだからさ、覚えられ易いって自覚しとけよ」

 そう言って、人が折角セットした半紙に、へのへのもへじを書きやがった。

「あっ、てめ、この野郎! お前の半紙、一枚寄越せ!」

「ケチな事言ってんなよ、この男女」

 ……先生に、二人揃ってゲンコを食らった……。


 それから、あいつが気になり始めた。っていうか、あいつの存在を知り始めた。

 毎週日曜日は一緒に書道、実は数学の成績が落ちて、今年から通い始めた数学塾にもあいつはちゃっかりいやがった。

「お前はまあ大丈夫だろうけど、此処の先生、気をつけろよ。前に生徒に手を出して、パクられたって噂だから」

 そんなこんなで、此処の帰り道も、途中まで一緒に帰ったりしてた。

 それでも、オレのこんなキャラのお陰で、女子に妬まれる事はなかった。

 まあ、そりゃそうだな。この間なんか雅之と喧嘩してさ。あいつの回し蹴りが顔面に入って、生まれて初めて鼻血噴いた。

「雅之っ! きっさま、それが女子にやる事かっ!」

 鼻血ぶーのまま奴の胸倉を掴んでグーで殴る。

「てめえの何処が女子なんだよっ! ざけんな! この男女!」

 周囲の男子がオレらを止める。

「藤堂、お前、いい加減にしろよっ。宮下はあれでも一応女子だぞ!」

「あれの何処が女だよ! 胸ない、色気ない、口が悪い! 髪の毛伸ばしたって意味ないしっ!」

 こここここのやろ、人のコンプレックス刺激しやがって……っ!

 もう一度殴りかかろうとしたら、幼馴染の望月に止められた。

「あーやーのっ。ストップ。ほら、まずは鼻血拭いて。恥らえって、そこは」

 だから藤堂に男女とか言われるんだよ、と言われて、何故かグッサリと脳天に弓矢が刺さった。




 その日は雅之とは帰らなかった。どうせ途中で分かれ道になるし、まあ関係ないけどね。

 オレの為に、吹奏楽部の練習をサボって、望月が一緒に帰ってくれた。

「何が喧嘩の原因よ? 綾乃が喧嘩なんて珍しいじゃん」

 正々堂々がモットーのオレ。“自分から喧嘩は絶対しない”が、ポリシーだった。だけど、今日はちょっと、虫の居所が悪くて、何か雅之の八つ当たりが許せなかったんだ。

「……喜美江から雅之宛の手紙を頼まれたから、それ渡したら、ざけんな、とか言われてさ……。意味わかんねえし、むかっ腹立ってたから、余計頭に来て、最初にオレが手を出した」

 オレの徒歩に併せて自転車を押してた望月が、呆れた顔をして立ち止まった。

「……そんだけ?」

「……そんだけ……」

 同い年の癖に、下に三人も弟がいる所為だろうか。望月は何だかオレの兄貴みたいに、くしゃ、と俺の頭を撫でて「ちゃんと明日は謝りな」と言って笑っていた。

「綾乃はもう、廉兄ちゃんの真似をしなくていいんだからね」

 と、余計な事を言いながら。


 廉兄ちゃんは、オレの八つ上の兄貴だった。オレが七歳の時、ボールを追いかけて道路に飛び出したオレを助けて死んだ。

 あんま思い出したくない事だけど、母さんが一時期オレを“廉”と呼んでいた。今はもう、母さんの心の病も治って“綾乃”と呼んでくれるけど、五年近く廉兄ちゃんを演じてたオレに、今更女に戻れって言われても、何だか全然しっくり来ない。

 母さんは、オレに罪の意識を持って、一生懸命女の子をさせたけど、却ってオレには苦痛だった。

 結局妥協出来たのは、このセーラー服と、髪を長く伸ばす事。


 ――あれの何処が女だよ!


 好きでこんなんなったんじゃないさ、ぼーけ、ターコ、バカ之。




 その晩、バカ之から電話が来た。

『よー、男女。鼻血はいい加減止まったかー?』

 そんなに永遠に流してたら死ぬわっ!

『まあ……今日は、悪かった。マジで入ると思わなかったから……』

 あら? 何かやけに素直じゃねーか……。

「お、おお、オレこそ、ごめん……」

 つ、釣られて謝っちまったぃ。

「何でお前、あんなに怒ったんだよ?」

 喜美江、いい子じゃん、手紙くらい読んでやれよ、と言ったら、すげえむっとした声で言い返された。

『その気が無いのに受け取ったら、そんなん偽善じゃねえか。それって正義に反するだろ』

 う。耳が痛い。

「その気になるかどうかなんか、付き合ってみなきゃわかんねーだろ? 女に困ってないからそんな綺麗事言えるんじゃん」

 オレが女子の妬み買う前に、さっさと誰かに決めちまえよ、って言ったら、すんげえ長い沈黙が訪れた。

「……もしもし? おーい、雅之~、寝てんじゃねえよ」

『寝てないっす。あ、そだ』

 あれ? こいつ、今、すげえ無理矢理話題変えなかったか?

 そう思いながらも、今度のバスケの大会の話に花が咲いてしまうオレらだった。

 ちょっと、反省した。明日は大会だっつーのに、喧嘩して嫌な想いさせた事。

 明日は、いつも以上に声を張り上げて、あいつの為に応援してやろう。


 雅之からのその電話は、考えてみたら初めてで。何だかとっても、嬉しかった。――預かった手紙を喜美江に返すのがすげえ度胸要るけど、雅之の言う通りだ。その気が無いのに受け取るのは、中途半端な優しさで、余計に喜美江を傷つけるよな、って、思った。

 生半可な気持ちで預かった罰だ。正々堂々ひっ叩かれて来よう……。

 ……鬱だ……。




 でも、そんなの比べ物にならないくらい、もっと鬱な出来事が起こった。

 週末に開かれた、雅之の中学最後の県大会試合、すげえ接戦だったのに、同点になっちまって、フリースローで負けちゃった……。

 最後の試合、昨夜のお詫び、そう思って、今までで一番心込めて応援出来たつもりだったのに。

 皆が帰っても、選手達が制服に着替えて出て来ても、雅之だけは、体育館から出て来なかった。

 オレは団長に部員を頼んで、白手袋に応援団のねじり鉢巻、たすきのまんま、雅之を探しに体育館へ戻った。


「雅ゆ……」

 奴は、一人でフリースローをしてた。百発百中、それもライン上よりもっとゴールから遠い、まあるい円の外側から。


 ダン……ッ! ザシュッ!

 ダン……ッ! ――ザシュッッ!


「ばーか……。何今頃パーフェクツってんだよ」

 オレが声を掛けると、紺のランニングユニフォームのままの雅之は、オレが先生だと思ったのか、すげえビックリした顔して振り向いた。

「何で――宮下が泣いてんの?」

 あれ――? ホントだ……。

 でも。

 そう言う雅之も、でっかい目を真っ赤にして、悔し涙を流してた。


 体育館の端っこに座り込んで。

 雅之は胡坐でドリブルしながら、オレは手持ち無沙汰で、外したたすきを弄びながら、ただ何となく、そこに居た。随分と長い事、そこにいた。

「お前さあ、セーラー服にたすきは、ねえだろ?」

 でも、お前の声が、一番通る。お前の声が、一番聞こえた。

「ありがとさん。へーきだよ、俺、別にもう落ち込んでないし」

 たすきをタオル代わりにして顔を何度も拭いてるオレに、いつの間にか充血も無くなるくらいに気持ちの復活した雅之は、今まで聞いた事も無い穏やかな声でそう言うと、オレの首に汗くっさい自分のスポーツタオルを掛けて、ぐいっ、と自分の方に引き寄せた。


「こーやって、またチャンスの神様、掴まえるさ。高校に行ったってバスケは出来る。全国大会は、高校にもある」


 知ってる? チャンスの神様って、前髪しかないハゲなんだぜ。


 タオルから手を離して立ち上がり、突然突拍子もない事を言い出す雅之の言葉に、オレは泣きながら噴き出した。

「何だよ、それ。いきなり過ぎっ」

「いいから聞けよ。――俺さ、今回は、バスケについては、神様の野郎の前髪を掴み損ねたとは思うんだけど、もう一個の方に、チャンスの神様はチャンスをくれたんだと思うんだ」

 お前、覚えてる? お前の死んだ兄ちゃんが、チャリの荷物の置き引きに遭った事、と、突然話がまた飛んだ。

 ってか、何でこいつ、そんな事まで知ってんだ……?




 廉兄ちゃんが亡くなった年の夏、兄ちゃんはオレをチャリで公営プールに連れてってくれたんだ。そん時に、チャリに置きっぱなしにした荷物を盗まれた。

 慎重な廉兄ちゃんらしくないその凡ミスもやっぱりオレの所為。

 オレと同い年位の男の子の、水着姿の背中をビックリしてマジマジと見て言っちゃったんだ。

「廉兄ちゃん、あれ、すっごいぐちゃぐちゃ。気持ち悪~い」

 入場券を窓口で買っていた兄ちゃんは慌ててオレの口を塞いだけれど、その男の子の耳に入ってしまって、その子は見る見る泣き出した。

 兄ちゃんは、荷物どころじゃない。その子のお父さんに平謝りして、オレもそんな兄ちゃんを見て、何て酷い事を言っちゃったんだ、って、怖くなって泣いちゃったんだ。

 その男の子のお父さんは、オレに叱る事もなく、オレの前でしゃがむと目線を合わせて、優しい瞳でこう言った。

「これはね、この子が悪いんじゃないんだよ。おじさんがちゃんと注意して見てあげなかったから、お料理をしているお母さんに突然この子が抱きついて、熱い油を被ってしまったんだ。だから、この子も君と同じ普通の子だよ。気持ち悪く思わないでやってね」

 オレは素直に謝った。そのお父さんらしいおじさんと、その男の子に。

 あの子、何て名前だったっけなぁ……。

 酷い事を言ったのに、その子は「いいよ」って言って泣き止んでくれて、オレはホントにほっとしたんだ。その子の「にかっ」とした顔で、ほっとしたんだ。

「綾乃が悪いのに、許してくれてありがとう」

 思わず、笑みがこぼれるほど安心して、オレもそう答えたのを覚えてる。

 それからチャリに荷物を取りに戻ったら、思いっ切り何にもなくなっていた。オレの所為で罰が当たったと思ったんだ。


 って、いやだから、何でそれを雅之が……あ?!

「雅之?! あれって、雅之だったのか?!」

「うぃうぃ」


 ――俺らって、実はとっくの昔に逢ってたんだぜ。


 奴はそう言ってランニングを脱いで、二度目ましてのケロイド状の背中を見せた。――いやだからあのその別の意味で目のやり場に困るんですが。

「俺は、綾乃が女の子だ、って知ってる。兄ちゃんの振りしてる、ってのも、知ってる。自分の事、ホントは名前で呼ぶんだってのも、全部、ずっと、小っちぇえ頃から、知ってる」

 だから、もう無理して「オレ」とか言ってんじゃないよ、と言いながら、雅之はオレの前にしゃがみ込んだ。オレが首にかけたまま握り締めてるスポーツタオルを、この手を外して手繰り寄せる。

 てか……ちょっと待て……このシチュエーション、ちょっとオレ的には……っ!!


 “chu”


「チャンスの神様の前髪、Get――!」


 やってる事がえげつない癖に、雅之は子供みたいに、ガッツポーズを決めていた。

 何が起こったか解らないまま顔から火炎放射を発してるオレが、彼をふと見上げると、そのケロイドさえも西陽に反射して輝いて見えた。……キレイ、だった。

 そうか、春先一番であった生徒総会、あん時のこいつの「にやっ」に“やられた”って思ったのは、その……何だ……。


 惚れちゃったんだ……。


 明日から卒業までの、女子の総すかんを想像したら、ほんのちょっとだけ、気が滅入った。

 けど、まあ……いっか。


「なーなー、も一回。今度はちゃんと」

 そう言って、今度はホントにその、あの、何て言うかほら、映画やドラマで見る様な……。

「いやんっ」って感じのキスをした。――「いやんっ」な感じって、どんな感じだっつーの。

 あん時泣いてた、ちっちゃいケロイドの男の子は、こんなに汗臭くてごつくてがたいのいい、綾乃を丸ごと包んじゃう大きな男になっていたんだ。

 なんて事にドキドキしながら、オレは奴の心地よい拘束に酔っていた。




 学校では、相変わらず罵り合いながら喧嘩をする。それはあいつの気配りで。

 喜美江や他の女子には悪いけど、でも、チャンスの神様を追っ掛けて、前髪掴んだもん勝ちだ、って雅之は言う。

 せめて高校に行くまでは、皆には内緒にしておこう。

 そんな事を言いながら、帰り道の黄昏時、周りを確認しては“chu”とする。

 何だかちょっとこそばゆいけど、だけどでも、それでいいのだ。

 ちょっとずつ、オレも女の子に戻っていく。


 折角チャンスの神様の前髪を、雅之と一緒に掴んだんだもんねっ。

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