レプリカ・クリアネス
「ルーちゃん。何で」
領地の執務室で溜まった書類仕事に精を出していたシェルディナードに、応接テーブル近くのソファに腰掛けたサラがそんな言葉とジト眼を向けた。
「ミウ、が、本気で……これまで、頑張ってきてたの、知ってる、のに」
「そうだな。知ってる」
書類に署名する手を止めて、シェルディナードはサラを見る。
「なら、どうして」
「ミウ自身が決めたから」
端的な言葉。
そこには冷たさも温かさもない。
ただ事実だけを言っている声音だ。
サラは小さく唇を噛む。
「…………」
不服をありありと表に出したそれはサラとしては非常に珍しい表情だ。
そんな様子に、シェルディナードは対照的にクスッと笑った。
「これは、ミウ自身が決めた内容で、クリアされた際の結果もまた、ミウ自身が指定した。なら、当事者同士の事に俺達が口を出す事じゃねぇと思うけど?」
「……納得、できない」
「つってもなぁ……」
それはシェルディナードの結婚についてミウが相手に待ったを掛けて、そして負けた結果の話。
既に結果は出ていて、ミウも受け入れている。
なら、当人達以外が割って入るものではない。
サラとて常ならシェルディナード以上にそのスタンスのハズだ。
(サラはミウには甘いからな……)
自覚があるのかどうかはわからないし、ミウが聞けば怪訝な顔をするだろうが、サラはミウに甘い……と言うか、特別扱いをしているとシェルディナードは思っている。現にこれだけミウに肩入れしているのだ。
自分以外にこれだけ執着するのを、シェルディナード自身は見たことがない。
(まあ、サラにあの態度取れるのも、ミウくらいだし)
勿論、この世界以外に行けばいるけれど、同じ世界の天と地ほど離れた身分とわかっている上で普通の気安い通り越して遠慮のない態度を取れるのは彼女だけだ。
「なんで? ミウが酔い潰れてルーちゃんが背負ってた時に吐いたから?」
「あったなぁ、そんなこと」
今の今まで忘れてたけど。いや、ミウの名誉の為にあえて無かった事にしてたんだが。そんな事を思いつつ、シェルディナードは相槌を打つ。
「サラ、ミウの為にも忘れてやろうな?」
「なんで?」
心底不思議そうな顔でサラが小首を傾げるが、何でも何もない。
「覚えてるとミウが傷つくから」
「そう、なの? わかった。けど、言わないだけで、覚えてはおく」
「まあ、言わなきゃ大丈夫だろ」
そういえば前にも既製品の大量生産した服を売っている店で、ミウの服が古着じゃなかったのかと発言してたな。怒っちゃいたが、逆に言えばその程度で済ましたミウも心が広いと言える。
そんな事を懐かしく思いつつ。
「話しを戻すけど、ミウはミウの意思で条件を提示して双方納得の上で勝敗を決した。なら、景品の位置にいる俺が言う事は何もない」
「ルーちゃん。そこが、まず、おかしい」
「何が?」
「ルーちゃんは、景品じゃなく、人」
紫混じりの闇夜みたいな瞳が、シェルディナードをじっと見ている。誰かはこの瞳を、底が見えないとか、怖いとか言う。
けれど、シェルディナードがそんな事を思った事は一度もない。
感情が読めないとか散々言われている心友だが、シェルディナードにはずっと表情豊かな幼なじみだから。
今も、呆れと苛立ち一割、困惑一割、心配八割とわかりやすく瞳に浮かんでいる。
「それに、このまま、じゃ……ルーちゃんが人でなしみたいに、言われる」
「まあ、実際そうだしな」
「もー! ルーちゃん!」
いやいや。心友の贔屓目が過ぎる。
そうシェルディナードは心の中で呟く。
だって俺自身、そう思うし。と。
「どんだけフォローしようとしても、多分女取っ替え引っ替えして捨てる最低のクズってのは覆らないと思うけどな」
「ルーちゃん、他人事じゃないんだよ? それ、ルーちゃんが、言われてる、んだからね?」
「知ってる知ってる。否定もしねぇし」
「否定しようよ!」
ちなみに面倒くさくて否定しないのではなく、本当に行い的にはそうだから否定しないのだ。
全部理由はどうあれやってきた事だから。
遊びの相手とは全員円満に関係を都度解消しているが、実際に遊んでいる。
基本、これまでは誘われたら断らなかった。
シェルディナードから誘って遊んだりもするが、断られたら無理強いしたり次は無い。スッパリサッパリ遊んできた。
「ミウ、評判良いんだ、から。ルーちゃんに、不満もつの、出てる」
「そりゃそうだろうな」
なんせミウの立場はシェルディナードの副官である。まともでなかなかに可愛い上に面倒見が良く、度胸もあるのだ。領地の騎士団でも人気がある。
それを、長年ミウが想っていると噂もあった中で、勝手に他所から女を連れてきてそっちと結婚するとしたら、まあどう思われるかは火を見るより明らかだった。大炎上だ。
わかっていて、その選択をした。
わかっていて、ミウの選択を受け入れた。
「サラ。ミウにとって俺がまだ恋愛相手だと思う?」
「?」
何を言っているのかと、サラは怪訝そうな顔になる。とても珍しい。
シェルディナードは完全にペンを置いて、机の上で頬杖をつく。
「多分、ミウ自身も気づいてねぇけど」
いつからだっただろうか。
騎士団に引き入れた頃からだろうか。自分の副官の地位まで登ってきた時くらいだろうか。
その緑の瞳に灯る光は、恋情よりも深く、熱さよりも温もりに傾いて。
「もうミウは俺に恋情は抱いてねぇよ」
そして自分も。
勿論、愛情はある。ただ、愛情のカタチが恋愛ではないだけ。それは恐らく家族、妹のような存在。
「そん、なの、わからない、でしょ」
「そうだな。だから、ミウは自分で期限含めた条件を決めた」
本当にまだ恋情であるなら、ミウはそんな条件を出さなかっただろう。
彼女はそんな事で諦めるほど弱くない。諦めの悪さと根性は誰よりも知っている。
あの条件は、ミウ自身も気づいていない、諦める為の理由作り。彼女自身が自分の心に気づいていない故に、無意識に。
「ルー、ちゃん。それは、違う。ミウは、ルーちゃんのこと、本当に」
「知ってる。本当に心を寄せてくれてたのも、それが確かに恋情だった事も」
けれど、だった、のだ。
不変のものもあるけれど、心はうつろうものだ。
それは本人すら気づかずほど静かに。
「…………」
「…………」
サラは立ち上がり、シェルディナードの机の前まで来ていた。
二人で視線を交える。
一方は血のように赤く、一方は闇のように青く。
「ミウの心、は」
「それはミウが決めるモンだろ?」
静かに、たが確かに。
二人の間にパチパチと火花が散る。
大事なヒトなのだ。互いにとって。
抱く想いの種類が、違うだけで。
(サラの言ってる事はわかる。けど、これはミウの、そして俺の、けじめだ)
傷つけるだろう。泣かせるだろう。
けれど、それでも彼女はまた前を向くだろう。
そしてきっとその魂の輝きは一層強くなる。
いつか、それは遠い未来になるかも知れないが、気づくだろう。この時には自身の恋は親愛に変わっていた事を。
そんな彼女を変わらず見ている、目の前の心友である彼の存在にも。
これは、朽ちても言わないけれど。
(言ったらこじれるし、本気でサラは怒るだろうしな)
自分に遠慮した、と。そうなったら流石に洒落にならない事態になる可能性がある。
(でも、サラがこんな気を回す相手なんて、もう現れ無さそうだしなぁ)
自分と目の前の心友では根本的に違う事がある。
自分は来るもの拒まず去るもの追わず。
心友は内に入れた相手は離さずあらゆる手段で逃さず守る。
元来執着心の薄い自分と、執着したものにはとことんの心友。
(俺だったら、俺とサラなら、サラ選ぶけどなぁ)
絶対、幸せにしてくれる。
まあ、その内に入るまでが大変なのだが。
だから、ミウは大変貴重な存在だ。サラが生身の女性に気を割く相手なんて、今後現れるかもわからない。
出来るなら、ミウにはサラと、なんて考えが欠片、脳裏を過った事は否定しない。それが感情の方向性に影響を与えた事も。
「……ルーちゃんの、意地っ張り」
「別に意地張ってるわけじゃねぇけど、まあ、コレばっかはな」
サラが瞳を閉じる。
どんな感情が渦巻き、飲み込もうとしているのか。
再び瞳を開けたその顔には、少し拗ねたような色とふくれっ面。
「ルーちゃんの、ばか」
その言葉に、ニコッとシェルディナードは笑む。
「そうだな」
溜め息一つ。サラは踵を返して部屋を出て行こうとする。
「ミウ、自棄酒しようとしてるみたいだから、出来れば拾ってくれると助かる。多分まだ騎士団内にいるわ」
「え。それ、ダメ、でしょ」
部屋を出ようとしてシェルディナードから掛けられた言葉に、サラの顔にギョッとしたものが浮かぶ。
足早に部屋を出て探しに行く後ろ姿を見送って、シェルディナードは椅子の背もたれに身体を預けた。
「俺はどっちにも幸せになって欲しいって思ってんだけどな」
それがただの自分のエゴだとしても。
それぞれの幸せを願っている事は紛れも無い真実で。
恐らくこれから何十年単位で騎士団内から冷たい目が向けられるだろう事を思い浮かべて、シェルディナードは苦笑した。自分の行いの結果である。
自業自得だなと呟いて、書類仕事を再開した。




