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こんなに晴れた素敵な日には  作者: 輪島ライ


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7 仕事のやりがい

 ホテル以外で肌を重ねるのはいつも決まって賢人の下宿だった。デートに誘うのもいつも私から。



「みっちゃん、最近ちょっと痩せたんじゃない? 何となーく胸が小さくなったような……」

「もう、賢人私のそんな所ばっかり見てるの? 救急外来で走り回ってたら誰でもちょっとぐらい痩せますよーだ」

「はははは、みっちゃんは元々細身だしこれ以上痩せなくていいよ。僕は内科で当直続きでまた太っちゃって」


 ワンルームの下宿のベッドで薄い毛布を被って寝転んでいる私に、小太りな彼は少し嬉しそうな表情を浮かべて寄り添っていた。


 大阪府内の男子校出身の賢人は私と付き合い初めてもうすぐ4年になっても女性の扱い方は得意じゃなくて、もう随分昔のことだけど初めてセックスをした時はアダルトビデオの真似事のような乱暴な愛撫をして私にやんわり怒られていた。


 それでも付き合って4年にもなると愛情や欲求を超えた信頼関係のようなものが2人の間にあって、私は賢人に下手な手つきで身体を触られるのが大好きになっていた。


 そして、自分がその信頼を裏切るようなことを陰でしている事実に心を苦しめられていた。



「みっちゃんは僕の素敵な彼女です。このまま無事に初期研修を終えて専攻医になって、みっちゃんと2人で一緒に暮らしたいです」

「私も上に同じ。賢人と幸せな家庭を作りたい」

「そう言って貰えて嬉しいです。みっちゃんはいつか僕の子供を産んでくれる?」


 2人だけの余韻を楽しみながら毛布の下で再び抱き合って、私はよしよしと彼の頭を撫でた。


 狭い部屋を占拠するセミダブルベッドの上で抱き合いながら想いを交わす私たちは、きっとこの世の誰よりも幸せだろうと思った。



 2人で一緒にシャワーを浴びて、明日の仕事に備えて22時に賢人の下宿を後にする前に再びベッドに寝転んでピロートークをする。



「そういえば賢人って結局進みたい科は決まったの? 私は前から言ってた通り麻酔科にしようかなって思ってるんだけど」

「そうだねー、結構迷ってたし今もかなり迷ってるけど今月膠原病内科回ってみて割といいかも? って思い始めたところ」

「へえー、膠原病内科が? 私は回る予定ないけど、賢人はどういう所に魅力を感じたの?」


 それから賢人は穏やかな表情で話し始め、循環器内科や消化器内科ほど業務内容が過酷ではなく糖尿病内科や腎臓内科ほど患者さんの生活指導に頭を悩ませなくていい所に魅力を感じたと言った。



「膠原病内科に入院してくる患者さんは生活習慣とか関係なしに病気になった人がほとんどだから、自分がお医者さんとして真面目に向き合った分だけちゃんとリターンがあるような気がして。僕も太ってるし家族性高脂血症だし、もちろん生活習慣病の人が全員自己責任とか言うつもりはないよ」

「なるほどねー、賢人って結構しっかり考えて自分の進路決めたんだ。私なんてお給料が高いのが第一優先なのに」

「全然おかしくないよ、お医者さんだって(かすみ)を食べて生きていける訳じゃないんだから。でも僕は僕一人でもみっちゃんを養えるぐらい稼ぎたいです!」


 嬉しいことを言ってくれた賢人にお別れのキスをして下宿を出て、私は夜の住宅街を歩いてJRの如月(きさらぎ)駅に向かった。



 賢人は学生時代に私と同じ病院で働きたいと言っていたけどマッチングの筆記試験の結果がよくなかったので第一志望の畿内医大病院には不合格になって、面接と小論文だけで選考される済生会如月病院に就職していた。


 私は元々本音では彼氏と同じ病院では働きたくなかったけど遠距離恋愛も嫌だったので、結果的にとはいえ賢人が特急電車で一駅の所にある病院に就職できたのは嬉しかった。


 これからも2週間に1回以上は賢人とささやかなデートをして、お互い専攻医になったら籍を入れたいと思っていた。




 忙しい救急研修の日々は目まぐるしく過ぎていって、残り2週間で終わりになるというその日に私は久しぶりに大学の地下食堂でお昼ご飯を食べようとしていた。


 救急研修医は救急外来担当の日はいつ急患が来るか分からないので昼食はお弁当を持ってくるか院内のコンビニで買うのが暗黙のルールで、病棟担当の日も場合によっては救急外来の応援に駆けつけないといけないので食堂を使う機会はほとんどなかった。


 私が病棟担当だったこの日は女性の専攻医の先生が昼ご飯に出前を頼んでくれるはずが先生のお子さんが熱を出して早退しなければならなくなったため話が宙に浮き、お弁当も持ってきていなかった私はせっかくなので久々に食堂を利用することにしていたのだった。



 階段を降りて地下1階にある食堂に入ると、見覚えのある顔が私を見て右手を上げた。



「やあ、日比谷先生」

「……」

「無視しないでよ」

「何ですか?」


 私が敬語を使う相手でこんな態度を取るのは一人しかいなくて、でっぷりと肥満した身体にポロシャツの上から白衣を着ている彼はあの嶋田先輩だった。



「食堂で会うの初めてかもね。食べたいメニューある?」

「親子丼食べてさっさと救外に戻ります。それじゃ」

「おごるよ?」

「……じゃあお願いします」


 昼食代が浮くのは素直にありがたいという思いとこれ以上嶋田先輩に付きまとわれたくないという思いがせめぎ合った結果、私は後輩として素直にご飯をおごって貰うことにした。



 嶋田先輩は日替わりのB定食を、私は親子丼をそれぞれ食券を出してカウンターで受け取り、あまり視線を合わせないようにして嶋田先輩の隣の席に座った。


 先輩はいただきます、と静かに言って両手を合わせ、私も普段は言わないけど同じようにいただきますと言って親子丼を食べ始めた。


 しばらくは黙々とチキンソテーシャリアピンソースの定食を食べていた先輩だけど、普段からの癖である早食いをして白ご飯をぱくぱくと平らげた所でおもむろに口を開いた。



「日比谷先生は麻酔科志望だって言ってたけど、彼氏さんも麻酔科志望なの?」

「いえ、内科志望です。この前会った時は膠原病内科に行きたいって言ってました」

「へえ、それはまた。理由とか聞いてもいいのかな? あ、これ全然変な意味じゃないからね。ただ単に興味があるだけ」


 嶋田先輩が1年目研修医の進路について聞くのが好きなのは以前の総合診療科研修の時に知っていたので、これは本当に色々な1年目の話を聞きたいだけだろうと考えて私は賢人から聞いた膠原病内科を志望する理由をそのまま先輩に話した。



「ふーん、ちょっと青臭いかもだけど今時の若者にしてはよく考えてるなって思うよ。僕も総診で何回お願いしてもタバコもお酒もやめてくれない未成年の患者さんに苦労したことあるし。まあそれで依存症のEPOC(エポック)レポート埋められて助かったけど」

「先輩だって今時の若者でしょう。それに生活習慣だって……」

「そりゃこんな体型で人のこと言えた立場じゃないよね。まあ僕はタバコもお酒も一切やらないけど」


 こんな肥満体でも健康には最低限気を使っているのか、先輩は定食につける小鉢もグリーンサラダを選んでいた。私の前で遠慮しているだけかも知れないけど。


 糖尿病内科や腎臓内科で特に関わりが深い生活習慣病の治療には正直あまりやりがいを感じないと言った賢人の意見には先輩もある程度賛成のようで、私は久しぶりに先輩と普通に話せている自分に気づいていた。



「逆に先輩はどうして産婦人科医になりたいんですか? ご実家は広島の産婦人科のクリニックって前に聞きましたけど」

「うーん、これ言うの恥ずかしいけど僕は積極的に産婦人科医になりたい訳じゃないし開業医にも正直なりたくないです。実はずっと大学病院にいたいなって思ってるんだ」

「それって……まさか教授になりたいんですか?」

「いやいやいや、僕は全然そんな大それたこと考えてないよ! そういうことじゃなくて、その……ずっと皆でワイワイやっていきたいんだ。総診研修の時みたいにさ」

「あー、何となく分かる気はします……」


 総合診療科研修の時の嶋田先輩は助教の先生や専攻医をはじめとする上の先生には忠実に従って動き、1年目研修医には先輩として指導し時には逆に1年目から教えて貰うというルーチンをとても楽しんでいた。


 私は産婦人科はまだ回っていないけど臨床研修指定病院の中でも大学病院の産婦人科は婦人疾患専門の外科という側面が強い。病棟業務は当然あるけど研修医の仕事は帝王切開を含めた手術や分娩の介助がメインなので入院患者さんと交流するのが仕事の主軸ではないし、開業医になればそれこそ一人や二人の医者で職場を回さなければならない。


 人間性はともかく大学病院の大規模な内科や総合診療科という環境にとても馴染めている先輩にとって、将来は地元に戻って産婦人科の開業医になるというキャリアはあまり魅力的とは思えないのだろう。



「まあ親父はいつか絶対広島に帰ってこいって言ってるし、僕もいずれはそうすると思うよ。それまでに日比谷先生みたいな仲の良い後輩をもっと作れたらなって思ってる」

「私は仲良しのつもりないですけど?」

「はははっ、先生はいつも手厳しいね。ところでさっきの話だけどさあ……」


 先輩は先ほどお茶のサーバーでコップに注いだ麦茶をすすると、先ほどの賢人の話について何かを言おうとした。



「しばらくは彼氏さんから目を離さない方がいいよ。僕の経験上だけど、研修医が仕事にやりがいを探してる時って精神的に不安定な時だから」

「えっ……?」

「普通の研修医は目の前の仕事をこなすのが精一杯だし、仕事が本当に楽しかったらやりがいのことなんて考えない。彼氏さんがやけに仕事にやりがいを見出そうとしてるのは不安の裏返しかも知れないよ。あ、もちろんこんなのは人によるから話半分で聞いといて」

「はあ……ともかく気をつけてみます。今日はありがとうございました」


 嶋田先輩はそこまで話すと先に席を立って、私は先輩のいつもの戯言(たわごと)だろうと思いつつも少しだけ不安な気分になった。



 私の予感はいつも当たって欲しくない時に当たるというジンクスがあったから。

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