表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カルア戦記  作者: MKT
4/16

第3話 三顧の礼

 アガベ帝国の小隊を撃退したカルアたちは、故郷の村へと凱旋した。三年もの間、身を潜めてきた彼らにとって、村人たちの温かい拍手と歓声は初めての正当な称賛だった。その声は、錆びついた鎖を解き放つように彼らの心を温かく包んでいく。

 

 ラフロイグは村の子供たちに英雄扱いされ、得意げに槍を振るってみせている。子供たちが目を輝かせ、無邪気に駆け寄ってくる様子に、彼は満更でもないといった表情を浮かべた。その隣で、カリラは照れくさそうに笑い、ボウモアは静かに酒を飲みながら、時折、その口元に微笑を浮かべている。仲間たちが、この三年で確かに成長し、そして互いを信じ合える存在になったことを、カルアは温かい眼差しで見つめていた。

 

 夜が更け、皆が寝静まった頃、カルアは村長に呼び止められた。焚き火の残火が赤く寂しく燃え、パチパチと薪が爆ぜる音だけが静寂を破っていた。

 

「カルアよ。お前たちがここを去る前に、一つだけ伝えておきたいことがある」

 

 村長は、遠い昔の物語を語るかのように厳粛な声で告げた。

 

「さらに奥深い、このエアドールの山中に、かつてヴェイルウッドに仕えた大魔導師が隠れ住んでおる。その名はヒューガルデル。彼を味方にできれば、これほど心強いことはない」

 

「ヒューガルデル……?」

 

 その名を聞いた瞬間、隣に立っていたバルバトスの表情がわずかに強張った。カルアは、まるで忘れ去っていた痛みを唐突に思い出させられたかのような、一瞬の動揺を見逃さなかった。

 

「知っているのか、バルバトス?」

 

「ええ、殿下。彼は……かつて『ヴェイルウッド王国最強』と謳われた宮廷魔導士です」

 

 バルバトスは視線を落とし、少し間を置いて続ける。その声は、記憶の奥底を探るように、かすかに震えていた。

 

「――実を言えば、私自身も彼に命を救っていただいた恩義があります。ですが、彼は王国滅亡の後、人を信じることをやめてしまわれたのです」

 

 バルバトスのどこか歯切れの悪い言葉に、カルアの胸は高鳴った。王国最強。その言葉が、彼の冒険心に火をつけた。

 

「場所は教えよう。しかし、心せよ。彼は人を嫌い、誰にも会おうとはせん。生半可な覚悟で行けば、門前払いどころか、命の保証すらないぞ」

 

 村長の厳しい忠告に、カルアは真剣な眼差しで頷いた。その顔には、一点の曇りもない。

 

「ありがとうございます、村長。必ずや、彼を味方に引き入れてみせます」

 

 その言葉を聞いた村長は、カルアの澄んだ瞳に、在りし日の国王の面影を見たような気がした。

 

 深い森の奥、鬱蒼と茂る大樹の下に、一軒の粗末な小屋がひっそりと佇んでいた。蔦に覆われ、半ば朽ちかけている。周囲には生き物の気配すら感じられない、奇妙な静寂が漂っていた。カルアは意を決して扉を叩いた。

 

「ヒューガルデル殿、お願いがあります! 俺たちに力を貸してください!」

 

 しかし、返事はない。小屋の奥から低く、氷のように冷たい声が返ってくるだけだった。

 

「帰れ」

 

「お願いです! 祖国ヴェイルウッドを取り戻すため、あなたの力が必要なんです!」

 

「知らぬ。私は俗世を捨てた。二度と来るな」

 

 その日はそれ以上、何を言っても返事はなかった。カルアは諦めきれない想いを抱えながら、その場を後にするしかなかった。

 

 二度目に訪れた時は、激しい雨が降り注いでいた。雨粒は森の木々を叩きつけ、大地を容赦なく打ちつける。地面は泥濘み、身体はびしょ濡れになったが、それでもカルアは諦めずに声を張り上げた。

 

「ヒューガルデル殿! 再び参りました! 俺はあなたの力を借りたい!」

 

 小屋の戸板の向こうから、苛立ちを含んだ声が聞こえる。

 

「しつこいぞ、小僧。魔法で焼かれるのが望みか?」

 

「いいえ、それでも構いません。俺たちに手を貸してくれるまで、何度でも来ます!」

 

「ふん……無駄だ。消え失せろ」

 

 雨音にかき消されそうな無情な一言。二度目の交渉もまた、失敗に終わった。だが、カルアは立ち去ろうとしない。泥まみれのまま、雨に打たれながら立ち尽くす彼の姿は、力強かった。

 

 三度目は、雪が降り積もった寒い朝だった。吐く息は白く、一歩進むたびに靴が雪に埋まる。カルアの仲間たちは、彼の背中をただ黙って見守っていた。

 

「本当にまた行くの、カルア?」

 

 不安そうに尋ねるカリラに、カルアは穏やかに微笑んで答えた。

 

「三顧の礼……昔、偉大な知将が賢者を仲間にするため、三度訪ねて説得したという故事があるんだ。俺にとって、あのヒューガルデルという人物は、国の未来を託すに足る、絶対に欠かせない存在なんだ」

 

 カルアの熱意に、仲間たちはもはや止めようとはしなかった。ただ、彼の決意が揺らぐことのないよう、祈るような気持ちでいる。雪深い道を歩き、小屋にたどり着いたカルアは、静かに膝を折って扉の前に座り込んだ。冷たい雪が降り積もり、彼の肩を、頭を白く染めていく。それは、若き王子が背負う運命の重さを、そのまま形にしたかのようであった。

 

「ヒューガルデル殿、今日は帰りません。あなたがその扉を開けてくれるまで、ここで待ちます」

 

 その言葉を聞いて、小屋の中は沈黙に包まれた。雪が降り積もる音だけが聞こえる、張り詰めた時間。だが、やがて小屋の中から、初めて深いため息が漏れた。

 

 それは諦めや諦観の入り混じった、複雑な感情を吐き出すようであった。そして、ゆっくりと扉が開かれ、白い髭を蓄えた長身痩躯の老人が顔を見せた。その瞳は、凍てついた湖のように冷たく、人の温かみを一切寄せ付けない壁のようだった。

 

「小僧、そこまでして何を望む? 魔法の力か?」

 

 ヒューガルデルの問いに、カルアはまっすぐ答える。雪に濡れた顔を上げ、その曇りのない瞳で老人を見つめた。

 

「いいえ、あなた自身を望みます」

 

「私自身、だと?」

 

 老人の冷たい瞳が、一瞬だけ驚きに揺れる。それは、長年硬く閉ざされていた扉の隙間から、一筋の光が差し込んだかのようであった。

 

「俺はあなたの魔法だけを求めているわけじゃない。あなたの知恵と、人の痛みがわかる人柄を求めているのです」

 

「私の人柄だと? 愚かな。私にそんなものはない」

 

 ヒューガルデルは自嘲的な笑みを浮かべ、顔をそむける。しかし、カルアは決してひるまなかった。

 

「あなたは人を嫌っているのではない。人に失望しただけだ。――バルバトスから聞きました。あなたは王国滅亡の際、多くの民を守るためにその力を使った。しかし、救えなかった命もまた多かった。あなたは、その責任と悲しみを一人で背負っているんだ」

 

 ヒューガルデルの顔に、明確な動揺が走る。彼の冷たい瞳の奥に、深い悲しみの炎が揺らめいた。それは、他人に決して見せることのなかった、最も弱く、そして最も尊い部分であった。

 

「ですが、俺には信じ合える仲間がいます。あなたが加わってくれれば、俺たちは必ず真の仲間になれる。共に歩む限り、俺とあなたは水と魚のような関係になるでしょう」

 

「……水と魚?」

 

「ええ。互いが無ければ生きられない、かけがえのない仲間になるという意味です」

 

 ヒューガルデルは目を見開き、やがて深く、静かに笑った。ヒューガルデルの表情が緩み、魔導師の老いた瞳に、久しく見せなかった温かな光が宿った。

 

「わかった。私の負けだ、カルア・ヴェイルウッド。お前は……お前の父王よりも、よほど賢く、そして熱い心を持っておる。お前の望み通り、共に行こう」

 

 老人は静かに微笑み、カルアに手を差し伸べた。その手は、冷たい雪に凍えたカルアの手を温かく包み込んだ。カルアもまた、強い信頼の笑みを浮かべ、その手を固く握りしめるのだった。こうして、若き王子は、かつての王国最強の魔導師を、その唯一無二の仲間として迎え入れたのである。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

いいね、ハート、応援、コメント、ブックマーク等貰えると凄く嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ