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カルア戦記  作者: MKT
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第18話 裂けゆく双星

 帝国軍の動きは、水が低きに流れるがごとく自然かつ迅速であった。西方より迫る一万の兵は、威風堂々たる軍勢を成し、その先頭に立つ二つの影は、帝国が誇る「無敗の双璧」、グレイグース将軍とアブソルート将軍。彼らは言葉を交わす必要もなかった。互いに視線を交わすだけで、次の一手、次の動きが通じ合う。長きにわたる戦場で築き上げられた、鋼よりも強固な絆が、全軍の指揮を完璧なものにしていた。彼らにとって、グレンリヴェットの首都を包囲する日は、もはや時間の問題にすぎなかった。

 

 その報を受けたグレンリヴェットの戦略会議は、重苦しい空気に包まれていた。

 

「正攻法では勝てん。正面からぶつかれば、こちらの犠牲が大きすぎる」

 

 ラフロイグが険しい顔で唸る。その言葉は、凍てついた冬の風のように、兵士たちの間に動揺を運んでいった。しかし、その時、カルアが静かに立ち上がった。彼の表情は、まるで遠い星を眺めているかのように、どこか超越的な静けさを湛えていた。

 

「奴らの双軍を分断し、互いを疑わせる……“離間の計”か。なるほど、お主らしい策だ。英雄とは程遠い、悪鬼の所業よ」

 

 ヒューガルデルが皮肉めいた笑みを浮かべた。その言葉に、カルアは小さく頷くと、戦略図を前に語り出す。彼の声は静かであったが、その一言一言には、聴く者の心を震わせる冷酷な説得力があった。

 

「敵将は双子、グレイグースとアブソルート。共に歩み、共に戦った絆は、確かに強い。だが、その強固な絆は、裏返せば、一筋の疑念が入った瞬間に崩壊する“脆さ”でもある」

 

 その言葉に、カリラが瞳を輝かせ、前のめりになる。

 

「その疑念を、あえてこちらから植えつけるのね」

 

「そうだ。まず、グレイグースに使者を送る。一対一の会見を申し込む」

 

 その策は、まるで人の心を弄ぶ悪魔のようであった。


 数日後、帝国軍の野営地に、小柄な騎馬が一騎、静かに到着した。馬上の人物は、グレンリヴェットの紋章を掲げ、金の紋章が描かれた封書を携えていた。差出人は、カルア・ヴェイルウッド。

 

「我が手で未来を語る時が来た。グレイグース殿、あなた一人で来てほしい」

 

 その簡潔な文面に、グレイグースは一瞬躊躇した。しかし、単身、会見の場へと向かう。

 

 会見は、平原の中央に簡易的に作られた天幕で行われた。馬上で、国の未来や、戦の愚かしさについて語るカルアの姿があっただけだった。彼は、まるで哲学者のように、理想と現実の狭間で揺れ動く己の信念を語った。グレイグースは、その言葉に耳を傾けながらも、彼の真意を測りかねていた。

 

 野営地へ戻ると、弟アブソルートが、兄の帰りを待っていた。その表情には、普段の冷静さとは異なる、かすかな焦燥が滲んでいた。

 

「兄上。……何を話したのですか?」

 

「大したことはない。雑談のようなものだ。敵も我らの様子を探っていただけだろう」

 

 グレイグースは、弟の疑念を払拭しようと、努めて明るく答えた。しかし、アブソルートは、兄の言葉に頷きつつも、その冷静な顔の裏に、何かを隠しているような違和感を覚えた。

 

 数日後、グレイグースのもとに、再びカルアからの書簡が届く。文面は一見、戦の終結と未来への和睦をほのめかす、穏やかなものだった。だが、そこには不自然な修正の痕跡が残されていた。消し跡、かすれたインク、そして不自然な文の構成。

 

 そしてそれは、アブソルートの耳に、巧妙に“漏れる”よう仕組まれていた。

 

「兄上。カルアから手紙が来ていたと聞いた」

 

「……ああ。見たいなら見せよう。内容に不審な点はないはずだ」

 

 手渡された書簡を目にしたアブソルートの表情が、見る見るうちに変わっていく。彼の視線は、一箇所に釘付けになった。

 

「……再会を愉しみにしております。あの日の約束の続きを……」

 

 アブソルートの全身から、血の気が引いていく。その言葉が、兄との間に横たわる、決して踏み込んではならない秘密に触れた気がしたのだ。

 

「これは……誰との“再会”だ。なぜ“約束”などという曖昧な言葉が……!」

 

 アブソルートの声は、かすかに震えていた。

 

「まて、これは私が書いたのでは――」

 

「書いたか否かではない! なぜ修正の跡がある? 貴様、まさか……裏切るつもりなのか!」

 

 アブソルートの瞳に、かすかな猜疑が燃え始める。それはもう、兄弟の絆だけでは消せない、業火のような炎だった。それは、かつて同じ血を分けた兄弟の心を、永遠に引き裂く呪いの炎であった。

 

 そしてついに、カルアは“最後の仕掛け”を投じた。

 

 グレイグースが単独で名誉を挽回すべく、グレンリヴェット城へ進軍。道中、これまでの輝かしい戦歴が走馬灯のように蘇る。完璧であろうとしてきた彼のプライドが、今、不当な疑念によって崩されようとしていた。

 

「カルアの首を取って、潔白を証明する」

 

 そう言い放った彼に対し、城門上から現れたのは、槍を携えたラフロイグだった。ラフロイグは、まるで主の魂が乗り移ったかのように、普段とは異なる冷徹な眼差しをグレイグースに向けた。彼の声は、風に乗って遠く離れたアブソルートの耳にも届く。

 

「グレイグース将軍! 我らの主はあなたに言ったはず。“再会を愉しみにしている”と! 約束の続きを、ここで果たせるか?」

 

 その言葉は、カルアの冷酷な意志そのものだった。グレイグースの心臓を抉り、アブソルートの怒りを最大限に引き出すための、完璧な一撃。アブソルートの顔から血の気が失せ、激しい怒りがこみ上げる。

 

「やはり……裏切ったのは貴様か、兄上!」

 

「待て、違う! 誤解だ!」

 

「黙れぇええ!!」

 

 二人の剣が激しく火花を散らす。かつて、互いを守るために振るわれた剣は、今、お互いを殺すためだけの、怒りと憎悪に満ちた刃へと変貌していた。鋼の甲冑が砕け、剣戟の音が戦場に響き渡る。長きにわたって並び立ってきた双星は、ここに血で引き裂かれた。

 

 グレイグース軍は、完璧な指揮官を失い、混乱の中で総崩れとなった。その瞬間、アブソルートの戦意も砕け散っていた。兄を討ってしまった絶望と、裏切られたという怒りが入り混じり、彼の思考を停止させたのだ。

 

 そして、遠くから聞こえる冷酷な号令が、その絶望に止めを刺した。

 

「いまだ!」

 

 ボウモアの弓隊が一斉に矢を放ち、ヒューガルデルの魔術が敵兵をなぎ払う。それは、まるで嵐の後の洪水のように、敵兵を容赦なく飲み込んでいった。両翼から迫るラフロイグ、タリスカー、ディサローノの各隊は、崩壊したアブソルート軍を容赦なく蹂躏していく。血の海と化した戦場を、彼らは迷うことなく突き進んだ。

 

 狙い澄ました包囲により、残存兵は各個に討たれ、アブソルートは城門の前で矢に貫かれた。彼の瞳は、最期まで裏切りの剣を振るうしかなかった兄の亡骸を探していた。だが、もはやその姿はどこにもなかった。

 

 その戦いの後、戦場に残されたのは、死んだ双子の将軍と、黒く焼け焦げた帝国の旗だけだった。

 

 風が吹き荒れる。カルアの姿はどこにもない。しかし、その夜の戦場は、まるで彼の冷徹な意志そのものが支配しているかのように、静かで、そして深い絶望に満ちていた。

 

「……決して、無駄な血ではない。これも、“戦わずに勝つ”ための道だ。しかし――」

 

 カルアの呟きは、まだ陽の昇らぬ空へと消えていった。その表情には、勝利の喜色ではなく、静かな苦痛が浮かんでいた。彼は勝利を手にした。だが、その代償として、英雄の魂を、そして自らの心の一部を失ったのである。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

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